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第二部 VS氷取沢女学院 第十章 2

挿絵(By みてみん)




『注目の二球目。サインに頷いてピッチャー振りかぶり……投げました!』


『――!ここでチェンジアップを使ってきましたか』


『急激な緩急の切り替えに対応できずバットが先に空を切るぅ!鶴川バッテリー、これで勝利


まで後一球としましたぁ!』



ここまで氷取沢打線を翻弄し続けてきたチェンジアップ。


魔球の名に恥じぬその球は、ゾーンに入った椿ですら捉えることはできなかった。


しかし椿は全く意に介さず、空振りをして崩れた体勢を元に戻し、バットを構え直す。


後一つストライクを取られれば試合が終わってしまう。それすら理解していないのではと思う


ほどに、今の椿は『塁に出て菫に繋ぐ』ことのみを考え、全集中力を注ぎ込んでいた。


それもそのはずである。覚悟を決めた手負いの獣がさらなる傷など恐れるはずがない。


腕をもがれようとも。足をもがれようとも。


ただ最後に、己が前に立つ敵を地に伏せさせればいい。それだけしか考えていないのだから。



『これで決めるか鶴川バッテリー。三球目……アウトコース低めへ落としてきた!


しかしこれは低すぎたか、見切られワンバウンドした球をキャッチャーが体で止めます!』


『秋月さんにしては珍しく、少し力が入り過ぎましたね』



(マズイわね……。陽菜の集中力が先に切れかかってる)


陽菜もまた、ゾーンに入ったのを沙希は気づいていたが、今の一球でその集中力を保つのも


限界に近いのだと悟る。


野球とは投手が1球投げるごとにプレーが途切れるスポーツなのだから、集中状態がそう長く


続かないのは当然であった。むしろ未だに全く途切れる気配すら見せない椿の集中力が異常だと


言える。


奈月にタイムを取らせ、一度仕切り直させるか――しかしそれで陽菜が必死に繋ぎ止めようと


している集中力が完全に切れてしまう可能性もある。


どうするか判断に迷っていると、不意に「ふぅ……」と小さく息を吐いてから椿との間合いを


外した陽菜がくるりと後ろへ全身を振り向かせた。


そして自分の背中を守る全ての仲間達に見えるように、人差し指と小指を立てたキツネの影絵の


ような左手を高く掲げてみせる。


「ツーアウト。打たせていくわよ」


突然の行動。加えて予想も出来なかった陽菜の行動に、一同は面を食らった顔になる。


しかしそれも一瞬で――


「うむ!後ろは任されよ!」


「わたくしのところに打たせなさい。優雅にこの試合の幕引きをしてさしあげますわ」


「じ……自分も絶対に後ろには逸らさないであります!」


「わ、私も出来る限りのことはするから!」


内野を守る仲間達の声が聞こえ――


「こっちは何も心配いらねぇーぞ!全力でぶちかましてやれー!」


「後はののあに任せるニャー!」


「少しくらいならフェンスを越えてもノープロブレムだから安心ご無用ネー!」


続けて外野を守る仲間達の声が聞こえ――


その頼もしさに、思わず口元を緩めた。


そして陽菜はサンバイザーのツバの位置を直すと、再び前を向く。


最後に奈月が力強く頷く。言葉はなくとも、「勝ちましょう!陽菜ちゃん‼」とはっきりと


聞こえた陽菜は同じように力強く頷き返した。


今の自分は最高の仲間達に支えられている。その想いが力となり、全身の隅々まで駆け巡って


いく。


そして――陽菜の顔つきが再び変わった。


(ゾーンに入り直した⁉)


それには沙希も驚きを隠せなかった。


ゾーンを体験したアスリートは皆、口を揃えてこう言う。


気がついた時にはその領域に入っていた、と。


超集中力が生み出すゾーンを自己暗示と解釈する者もいるが、だからといって自分が望んだ


タイミングで入れた者などほとんどいないのが現状である。


だが陽菜はそれをやってのけた。


ただの偶然か、それとも本当に狙って自らの意思でゾーンへと踏み入ったのかは分からない。


ただ一つだけ言えるのは、今の陽菜はここがこの試合最後のターニングポイントなのだと


理解していること。






どうすればこの打者を打ち取ることができるのか。


今の今まで迷っていた奈月であったが、陽菜の顔を見て答えは一つであったことに気づか


された。


迷わずサインを出し、陽菜も迷わずノータイムで頷く。


そして奈月は、自身の体をサインで示したコースへと移動させた。


陽菜が大きく振りかぶる。


(こうして対峙しているだけで伝わってくる。あの打席の中で、あの人がこの試合にどれほどの


想いを詰め込んでいるのかが)


振りかぶった両腕を揺り戻し、同時に今度は右足を高く上げていく。


(絶対に負けたくないという想い。絶対に負けられないんだという想い。


ここまで凄まじい勝利への執着心を見せてきた人は初めてだわ)


上げた右足を前へと踏み出し、大地に根を生やしたその片足から全身へと力を張り巡らせて


いく。


(それだけの理由があの人にはあるのでしょうね。でも――)


球を握った左腕を鞭のようにしならせていく。


(だからといって、それが私達の負ける理由には――絶対にならない‼)


そして、今持ち得る全ての力を――球と共に放出した。


放たれた球はマウンド上のプレート左端からホームベースの左上隅を結ぶラインを一直線に


結び、真っ直ぐに伸びていく。


渾身満力のクロスファイアー。これに対し、椿も乾坤一擲のフルスイングで迎え撃つ。


そして――バットが飛来する球を捉えた。


互いの『絶対』がぶつかり合い、せめぎ合う。


陽菜の絶対を体現した球は鉛のように重く、バットごと奈月のキャッチャーミットへ


押し込もうとする。


しかし椿の絶対が乗り移ったバットはそれによく耐え、反撃のチャンスをうかがっていた。


どちらも譲らぬ想いが火花となり散らす。


一進一退の根比べはいつまでも続くかのように思われたが――


「う……おおおおおおおぉぉぉぉぉッッッ‼」


吼えた椿が徐々に球を押し返していく。


バットを持つ両手首は今にも折れるのではないかというほどに軋み、脳に警告を与えて来て


いた。それでも椿は構わずバットを前に進める。


「行くんだ……!絶対……!菫先輩と全国に……‼」


走馬灯のように菫との思い出が次々とフラッシュバックしては消えていく。


そして最後に思い出し、椿の背を後押ししたのは――



『椿』



自分に向かって優しく微笑む、一番好きな菫の顔であった。



『う、打った――ッ!打球は高く上がりライトへ――ッッ‼』



【続く】

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