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第二部 VS氷取沢女学院 第十章 譲れよ

挿絵(By みてみん)




第十章 譲れよ





ゆっくりと。


一歩ごとに集中力を高めながら、椿が打席へと入っていく。


絵里香や純のように極端な構えはせず、自身が最もバットを振り慣れたいつものバッティング


フォームで陽菜と対峙した。


その椿に対し、初球をどう入るか決める為に奈月が後ろから見上げる。


打席内の位置。バットを持つ手の位置。そして最後に椿の横顔へと視線を移して――思わず


身震いをした。


「……打つ………打って……菫先輩と全国へ行くんだ………」


自分で自分に暗示をかけるようにぶつぶつと呟きながら、瞳孔が開いた両目はマウンド上の


陽菜ただ一点に焦点を合わせている。


奈月にはその姿が一切の余裕がなく追い込まれているのではなく、手負いの獣が今にも自分の


喉元へと噛みつこうとしているように見えた。


(……凄い気迫です。今までの打席とはまるで別人です)


絵里香と純からも鬼気迫る闘志を感じたが、今の椿はそれすらを上回る。


覚悟。決意。


最早そういった言葉では表せない、椿にしか理解することが出来ないであろう感情が全身から


オーラとなって吹き出し、飛び散った火の粉のように奈月の肌をチリチリと焼いてくるようで


あった。


そして陽菜もまた、奈月と同じく椿から放たれる尋常ならざる気迫の炎を感じていた。


少しでも心が怯んでしまえば即座に我が身へと燃え広がり、焼き尽くされてしまいそうなほどの


熱量。


中学時代にも――そして高校野球でもここまで自分にプレッシャーをかけてくるバッターは


いなかった。


今、目の前で対峙しているのは間違いなく最強クラスの打者。


そう認識して――陽菜は無意識のうちに口端を不敵に吊り上げた。


(逃げるつもりは初めからない)


奈月の出したサインに頷く。


(攻めろ。気持ちをぶつけろ)


大きく振りかぶり、弓が極限まで引き絞られるように全身へと力を漲らせていく。


(相手以上の――負けたくないという気持ちを‼)


そして放たれた矢は、アウトコースに構える奈月のキャッチャーミット目がけて一直線に


飛んで行った。


投げた瞬間に陽菜自身が今日一番の球だと感じたほどの手応え。しかしそれを、椿は左足を


踏み込ませるとバットに当ててきた。


喜美が反応できないほどの強烈な打球が一塁線を突き破っていく。


だが――僅かに白線の外であった。



『ファ、ファール!ファールです!ほんの僅かでしたが、鶴川バッテリーにとっては命拾いと


なりました!』


『入っていれば間違いなくツーベース以上の長打になっていましたね』


『そして目が覚めるような橋本さんの打球のみならず、電光掲示板に表示された球速も球場全体


をざわめき立たせています!』



144km/h。


この日、陽菜が投げた球の中では一番の速さであり、彼女自身の最速記録とタイでもあった。


(ここにきて球威が落ちるどころか、さらに上げてくるなんて……。椿……!)


ネクストバッターズサークルから椿を見つめる菫は、両手でぎゅっとバットを握り締めた。


いつもの椿ならば、今の惜しい一打を死ぬほど悔しがっていたであろう。


しかし今の彼女は粛々とバットを拾うと、すぐさま打席の中で構え直し陽菜の投球を待った。


まるで感情を失ったかのような、らしくない雰囲気。


マウンドに立っている時も、稀にあのような状態になることがあるのを菫は知っていた。


そしてそうなった時には必ず、こちらの想像を上回る投球を見せてきたことも。


間違いなく今の椿は、自身の潜在能力を全て引き出すことの出来る『ゾーン』――極限の


集中状態にある。


ならば、今は声援を送ってその集中を妨げてはならない。


ただ信じるしかない。


必ず自分に繋ぐと約束した、彼女の言葉を。この直径1.5メートルの円の中で。


分かっている。


分かっているが、それがどうしようもなく歯がゆくて。


菫はもう一度、バットを強く握り締めた。



【続く】

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