第二部 VS氷取沢女学院 第九章 3
「なんとか無事に終わりそうですねぇ」
中継車のモニターと機材の前で椅子に座る女性ADは優子に向かってそう言うと、大きく伸びを
してから背もたれに体重を預けた。
「おい。まだ放送は終わってないぞ」
「は、はい!すみませんでした‼」
しかし優子に気を抜いた態度を咎められると、慌てて座り直し背を伸ばして姿勢を正す。
同時に車内の緩みかけていた空気が一瞬にして引き締まった。
(……三田村さん、なんかいつもよりピリピリしてるなぁ……)
試合が終盤に近付くにつれ、その圧がどんどん増してきている気がすると女性ADは感じて
いた。
自分が請け負った仕事に対して一切の妥協を許さない優子にはよくあることではあった。
が、今日は特にそれが顕著に表れていた。
と――その時。優子が動く。
「中継画面を実況席に切り替えろ。それと私が合図するまで絶対にそのままでいろ」
「えっ……?あっ、は、はい!」
女性ADが実況席が移るカメラに切り替えたのを確認すると、優子はインカムの親機の前まで
近寄り、放送席とを繋ぐスイッチを入れてマイクに顔を近づけた。
『本間。そのまま続けながら聞け』
CM中でもないのに突然聞こえてきた優子の声に驚きながらも、なんとか顔と声に出すのを
堪えた涼子は、返事の代わりにインカムをつけた左耳に手を添えた。
『この試合は鶴川の勝ちだ。だからもう氷取沢寄りの実況はしなくていい。
次の準決勝もうちで放送すると仮定して、番宣を中心に鶴川のことだけを話せ』
「――――‼」
与えられた指示に涼子は先程よりも驚きを隠せなかった。それでも喋っている最中の言葉は
止めず、必死に動揺を隠しながら、優子に確認するように視線だけを一瞬カメラに向ける。
『いいか。これは命令だ』
命令――
この放送を取り仕切る総責任者の命令。ならばそれに従えばいい。
そう考え、しかし――涼子はカメラに映らないところで拳を握り締めた。
(本当に……それでいいの……?)
今もまだグラウンドでは氷取沢の選手達は戦っている。
怪我をしても構わない。比喩でもなく本当に選手としての命を懸けて、川島 菫と共に一試合でも
多く野球を続けるために。
彼女達はまだ諦めていない。
主審がゲームセットを告げるその時まで、決して諦めたりはしないだろう。
「………………」
握りしめている拳に――さらに力がこもる。
自分の夢のために受けたこの仕事。所詮は踏み台にしかすぎないし、ましてや命令に逆らって
優子の不興を買う必要など微塵の欠片もない。
それに我ながらここまで上手く実況をこなしてきたではないか。
そうだ……このまま優子の言う通りにすれば何もかもが上手くいくのだ。
だが……
(本当に、それでいいの?)
再び自分へ問う。
それで夢を掴めたとして。
今、目の前で起きている真実を最後まで伝えられないような自分が、
胸を張って報道アナウンサーになれるのかと。
(本当にそれでいいの⁉ 本間 涼子‼)
三度、問う。
『…………出来ません…………』
気がつけば――拒否の言葉が口から出ていた。
『今もまだ氷取沢の選手は誰一人諦めず、戦い続けています!私はその戦いを――彼女達の
姿を、実況者として最後まで伝え続ける義務があります!
自分の夢や視聴率なんかのために偏向した実況なんて出来ない……!
そんなの……この試合を戦っている全ての人達に失礼です‼』
インカム越しに優子へ思いの丈を全てぶつけると、彼女と決別するようにインカムを外し、
目の前のデスクの上に放り投げる。
はぁ、はぁ、と肩で荒い息を繰り返し――そしてすぐに自分が何をしてしまったのかを
認識して、興奮で赤くなっていた顔が一瞬で青一色へと変わっていった。
(や、やややややってしまったぁぁぁぁ‼生放送中なのになんてことしちゃったの私ぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃっっ⁉)
取り返しのつかない事態にパニックで頭の中が真っ白になる。そこを次々と生まれてくる
『どうしよう』の文字であっという間に埋め尽くされていく。
と――その時。
パチパチパチ。
ゆっくりと。静かなリズムを刻む拍手が聞こえてきた。
その音へと顔を向けると、隣席の文代が目を閉じた満足気な顔をうんうんと何度も頷かせ
ながら、なおも拍手を続けていた。
どうやら優子の言葉を自身のインカムからも聞いていたらしい文代は涼子の行動を肯定する
ように拍手を送り終えると、ゆっくりと目を開いていき――
『さぁ、今まで通り、最後まで実況を続けましょう』
涼子に向かって、優しく微笑んだ。
『~~っ!はっ、はいっ!』
今はたった一人の理解者。
しかしそれが涼子にとっては万の友軍よりも心強く、平静さを取り戻させた。
『大変お見苦しい映像をお見せしてしまったことを視聴者の皆様にお詫び致します。
本当に申し訳ございませんでした』
カメラに向けて頭を下げ謝罪する。
そして顔を上げた涼子の目には――先程までの輝きが戻っていた。
『さぁ、気を取り直しまして実況を再開します!』
(ちょ、ちょっとちょっと⁉なにしてんのよあの子⁉)
中継車の中で放送中の映像をモニターで確認しながら、女性ADは我が目と耳を疑っていた。
番組の進行役も兼ねる実況者がこちらの指示に背くなど普通は有り得ない。ましてや生放送中に
自局のやり方を非難し、啖呵を切ってみせるなど前代未聞である。
恐る恐る優子へと視線だけを向けると、彼女は顔色一つ変えず、石像になったかのように
ピクリとも動かないでいた。
(う、うわぁ……。これ絶対怒ってるよ……。怒りのスーパーモードだよぉ……)
自分がやらかした訳でもないのに胃がキリキリと痛み、腹の少し上を両手で抱える女性AD。
――と、その時。
「おい。もう映像を戻していいぞ」
「へっ……?あっ、は、はははいぃぃッッ!」
突然口を開いた優子に女性ADも反射的に返事をして、映像を実況席から試合を移すカメラに
切り替える。
一仕事終えただけで強烈な疲労感に襲われ、ふぅ~……と大きな息を吐き出すと、もう一度
視線を優子へと向けた。
そこにはやはり口以外は微動だにしていないままの優子が立っていた。
その姿を見て、パブロフの犬のように条件反射した胃がまたキリキリと痛みだす。
「……フ……フフフ……」
――不意に、含むような笑い声が聞こえた。それは徐々に大きくなっていき――
「あーっはっはっはっ!」
やがて高らかな笑い声へと変わり、中継車内に響き渡った。
「み……三田村さん……?」
額に手を当て、腹の底から楽しそうに笑い続ける上司の姿に、女性ADは心配そうに
声をかける。
すると優子は「くくく……」と笑いを無理やり治めながら、額に当てていた右手をそのままの
形で女性ADへと差し向け、
「いやすまない。あまりにも私の描いた絵図通りに本間が動いてくれたものでつい、な」
「え……?それじゃ今のって、わざとあの子を怒らせるように仕向けたんですか⁉」
「ああ。そうだが?」
優子は一切の悪びれた様子など見せず、さも当然のように言うと言葉を続ける。
「あのままじゃ普通に良い実況をしましたで終わってたからな。そこからさらに化けれるか、
ちょっと試してみたのさ」
(いやいやいや!良い実況をしてたんならそのままでよかったんじゃないの⁉)
今日が初実況のしかも野球素人に対してどれだけ高いハードルを設定していたのかと、
今さらながら女性ADは涼子のことが可哀想になってきた。
「さて、と。私は先に戻る。後は段取り通りに任せたぞ」
「えっ?最後まで見ていかないんですか?」
「今の件で始末書を書かなくちゃならんからな。ああ、今の映像は消すなよ。それと私のスマホ
にもデータを送っておいてくれ」
「は、はぁ……。それは構いませんけど……」
この状況で責任者がいなくなる不安を女性ADが感じていると、その胸中を察したのか優子は
彼女の肩をポンと叩き、
「今のあいつなら、こっちが余計なことをしない限り何も心配はいらんさ」
そう言って、今は中継車のモニターにしか映っていない実況席で輝きを放つ涼子を見ながら
優子は嬉しそうに笑うと、軽々とした足取りで一人外へと出て行った。
【続く】




