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第二部 VS氷取沢女学院 第九章 2

挿絵(By みてみん)




ワンアウトとなり、敗北へ一歩近づいたにも関わらず、氷取沢のベンチからは声が消えて


いなかった。


先輩、後輩関係なく、全員で打席へと向かう純へ必死の声援を送る。


その中で唯一、二列に並んだベンチの後方真ん中に座る椿だけは無言のまま顔の前で両手を


組み合わせ、瞬き一つせずにバッターボックスを見つめていた。


と、その時。不意に視界を遮られ、反射的に椿は顔を上げる。


「次、椿の打順でしょ」


そこには手に持ったバットとヘルメットを自分に差し出す佳乃が立っていた。


「え……。でもあたしは代打じゃ……」


1点ビハインドのこの場面。控え野手陣と比べても打撃面で劣る自分は当然交代だと


思っていた。


確かめるように前列のベンチ左端に座る梨花へと視線を送ると、指揮官は前を向いたまま、


「誰がいつ、そんなこと言った」


いつものように低く、しかしよく通る声で言ってきた。


「いいか。総合力では間違いなくうちの方が上なんだ。延長になれば地力の差が出て必ず


勝てる。だが、その時にエースのお前がマウンドに立ってなくてどうするんだ」


梨花の言葉に、ベンチにいる全員が驚いた。


彼女が椿をエースと呼んだことなど今まで一度もなかった。だから聞き間違いかと自分の耳を


疑った者がいたほどである。


「この先もチームのエースでいたいのなら、てめぇが取られた点くらいはてめぇで取り返して


こい」


しかしもう一度その言葉を梨花が口にしたことで、指揮官がこの試合で椿をエースであると


認めたのだと全員が理解した。


同時に、この試合の命運をチームのエースに託したことも。


「監督……」


梨花はそれ以上何も言うことはなく、椿もそれ以上の言葉を必要としなかった。


立ち上がり、佳乃からバットとヘルメットを受け取る。


「ありがとう佳乃。行ってくる」


「うん!行ってらっしゃい!」


そして、ヘルメットを被りながらベンチから出ようとしたところで――


「菫先輩」


椿は振り向かず――


「必ず菫先輩まで回しますから」


前だけを見て、そう言い切った。


「ええ。信じているわ、椿」


背中から聞こえた声に後押しされ、椿は再びグラウンドへと足を踏み出した。






「おーおー。なんか知らねーけど盛り上がってるじゃねぇか」


重苦しかっただけの空気が明らかに一変した自軍のベンチを純は背中越しに振り返り、


椿が次の打者として出てきたことでその理由を理解した。


同時にその場にいられなかった疎外感を感じたが、今は些細なことだ。この試合に勝った後、


何があったのか聞けばいい。


(ああ、そうだ。氷取沢女子野球部(オレ達)がこんなところで負けるはずがねぇ!)


己を鼓舞し、打席に入る。


「かかって来いやオラァッッ‼」


そして陽菜を睨みつけながら咆哮を発すると、絵里香と同じように純もまたインコースを


潰すようにして構えた。



『こ、これは……萩原さんも危険を冒して、秋月さんへプレッシャーをかけにいきます』


『まさに不退転の覚悟。投手と打者、どちらが先に音を上げるかの我慢比べですね……』


『僅かなコントロールミスも許されない秋月さんは精神的にキツイでしょうし、それ以上に


萩原さんはもっとキツイですよね、これ……』



実況席に置かれたモニターに鬼気迫る純の顔が映し出され、高校生とは思えないその恐ろしい


までの迫力に涼子は背筋がゾッとなり身を震わせた。



『あ、あの大矢さん……。こんなことを聞いたら、こいつは何を言ってるんだと思われるかも


しれませんけど……』


『はい?なんでしょう?』


『どうして氷取沢の選手はあそこまでするんですか……?だって田中さんも萩原さんも


まだ二年生ですよね?


仮にこの試合に負けてしまったとしても、来年だってチャンスはあるじゃないですか……』



だからこそ大怪我をするかもしれないリスクを冒してまで、この試合の勝利に固執する理由が


涼子には分からなかった。



『そうですね……。確かに氷取沢の選手はほとんどが二年生と一年生ですが、


主将の川島さんだけは三年生で今年が最後の大会です。だからこそ――ではないでしょうか』


『あ……』



文代の仮説を聞いて、涼子は自分が見落としていたことに気づいた。



『そうか……。来年にもう一度チャンスがあっても、川島さんと一緒に一・二年生が試合を


出来るのは今年が最後……。だから絶対に負けられない……絶対に負けたくない……』



氷取沢女子野球部がこの試合――この大会に懸ける想いの大きさに今さら気づいた涼子で


あったが、己の見識の狭さを恥じる前に湧き上がった歓声でハッと我に返った。


見れば一塁ベースに頭から滑り込んだ姿のままの純が、悔しそうに地面を右手で叩きつけて


いた。


そして、塁審が握った右手を小さく掲げていることにも気づく。



『え、えっと……リプレイ!リプレイで今のプレーを見直してみましょう!』



まさか私事に没入していたせいで何が起きたのか見逃したなどとは言えるはずがなく、慌てて


中継車にいるスタッフにリプレイ映像を要求する涼子。


すると手際よく、むしろ涼子がそう言うであろうと分かっていましたとばかりに、すぐさま


放送席のモニターにも今のプレーが流れ始めた。



『ま、まずは……』


『初球、萩原さんの胸元へストレートのクロスファイヤーでしたね』


『そ、そうでした!そしてそれを……』


『恐らく萩原さんはその球が来ることを読み切ってましたね。


秋月さんが球をリリースするのと同時に右半身を後ろに下げ、クロスファイヤーの斜めの軌道に


対して体が正面になるようにしました』


『そ、そこをさらに萩原さんは……』


『強烈な良い打球でしたが、セカンドの正面。これを東郷さんは捕れませんでしたが、


それでも体に当てて前に落とし、慌てながらもしっかりと一塁へ送球』


『は、萩原さんも決死のヘッドスライディングを見せましたが一歩及ばず……無念のアウト……


でした……ね……?』


『です』


(お、大矢さぁぁん!ありがとうございますぅぅぅぅぅ‼)



一連の流れのほとんどを代わりに説明してもらい、心の中で平伏し何度も叩頭する涼子。


一方で完璧なフォローをしてみせた文代はそんな涼子の気持ちが伝わったのか、


小さくクスッとだけ笑うと後は平然とした顔でお茶を口に運んだ。


(これがプロの解説者……。やだ……かっこいい……)


もし文代が男だったら間違いなく惚れていただろうなどと脱線しかかったところで、涼子は


再び我に返った。



『さ、さぁ!これでついにツーアウト!氷取沢女学院はいよいよ後が無くなりました‼』



【続く】

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