第二部 VS氷取沢女学院 第九章 決死
第九章 決死
「ストラーイクスリー!バッターアウトッ!」
『秋月さんを空振りの三振に仕留め、この回は三者凡退。そして九回を投げ終えて
3失点ながらも、これで奪った三振の数は圧巻の14つ。
エースとして恥じぬ力投を見せた橋本さんが応援席から拍手で称えられながら、打線の援護を
信じ、ベンチへと戻っていきます』
九回の表が終了し、依然としてスコアは3対2で鶴川高校がリード。
1点を追いかける氷取沢女学院としては次がいよいよ最後の攻撃。ここで少なくとも同点に
出来なければ、そこで試合終了である。
「おい、絵里香」
守備を終え、同じくベンチへと戻っていく野手達の中で、純が二遊間コンビである相棒の首に
腕を回して話しかけた。
「死んでも絶対に菫先輩まで回すぞ」
「……当たり前だろー。お前こそ入れ込みすぎてドジるんじゃねーぞー」
最終回の攻撃は七番の絵里香から始まり、八番の純と続く。
だがこの試合、二人は揃ってヒット無し。打者として全くチームに貢献できずにいた。
だからこそ他のチームメイトよりも責任を感じていたし、何よりこのままでは終われないという
意地があった。
純が腕を解くと、まるで示し合わせていたかのように、互いの背中を同じタイミングで力任せに
叩き合う。
一切の手加減無しで叩き合ったせいで想像以上の痛みが二人の背中から膨れ上がったが、
その痛み以上に膨れ上がる気合が全身を駆け巡っていった。
『いよいよ試合は九回裏を迎えます。ここで勝利を決めれるか鶴川高校。それとも氷取沢女学院
が食らいついてみせるか。
運命の最終局面は七番、田中さんから始まります』
(ったくよー。純に言われなくても分かってるっつーの)
初回に椿が失点した後、すぐに逆転してやると言っておきながらこの体たらくだ。情けない自分
を許せないのは誰でもなく自分自身であった。
その想いが絵里香をバッターボックスの内側の線ギリギリに立たせ、構えにも現れた。
『これは……今までとバッティングフォームが違いませんか?上半身が前のめりになっていると
いうか……』
『です、ね。ストライクゾーンの内側まで身を乗り出して、投手にプレッシャーをかけるのが
目的でしょう』
(ふみぃ……。こんなにもストライクゾーンの中まで覆い被られたらインコースに投げる場所が
ありません……)
キャッチャーの視点から一番近くで絵里香のその構えを見ることになった奈月は、驚きと戸惑い
を隠せなかった。
ストライクゾーンの左上は絵里香の上半身で埋まり、その下でも曲げた膝が打ち込まれた釘の
ように食い込んでいる。
インコースに投げれば打者に当たってしまい、かといってアウトコースに投げれば、それは
構えている位置が内側へとずれている分のせいで打者にとってはど真ん中になってしまう。
仕方ないので奈月は今の絵里香にとってインコースになる位置――本来のストライクゾーン
ならばど真ん中に当たる場所を陽菜に提案した。
しかしそのサインに対し、陽菜は首を左右に振る。この試合でサインが合わないのは初めてで
あった。
(じゃあ……こっち……ですか?)
次に奈月はアウトコース低めを示す。だが、それにも陽菜は頷かなかった。
まさか……と思いながら奈月が三度目のサインを出すと、それを待っていたとばかりに陽菜は
力強く頷いてみせた。
『ようやくサインが合ったようです鶴川バッテリー。インコースに投げれば打者に当たってしま
うだけに、封じられたコース以外のどこへ投げればいいか苦心している様子がうかがえます』
『いえ……確かに見た目ではインコースを封じられているように思えますが、この場合は――』
文代が解説を終えるより早く、投球モーションに入っていた陽菜の左手から球が放たれた。
アウトコース寄りのリリースポイントからインコース側へと対角の軌道を描きながら、
右打ちの絵里香へ向かっていくような角度で食い込んでいくストレート。
クロスファイヤーとも呼ばれるその軌道の球は、打者が覆い隠しているインコースを抉り――
反射的に背中を向けて避けようとした絵里香の左腰にぶつかった。
『あ、当たってしまったぁ!デッドボール!デッドボールです!』
『……いえ、違いますね。主審をよく見て下さい』
『え……?あ……、右手が掲げられていますね……。大矢さん、あれは一体……』
『今のはデッドボールではなく、ストライクの判定だったということです』
文代の解説通り、球場のスコアボードにはストライクを示す黄色の電球が点灯された。
『えっ?で、でも今……田中さんに思いっきり当たってましたよね?』
『確かにバッターボックス内で当たっていたのならデッドボールです。ですが今のは
ストライクゾーンの中で当たっていましたのでストライクになってしまうんです』
『じ、じゃあもしかして、田中さんは当たり損……ってことでしょうか?』
『です』
身も蓋もなく言い切る文代。それを聞いた涼子は「うわぁ……」と心の底から気の毒そうな声を
あげた。
一方バッターボックス付近では、球が当たった箇所を左手で押さえながら苦悶の表情を浮かべる
絵里香のもとへ、痛み止めスプレーを持った純が駆け寄っていく。
「お、おい!大丈夫か⁉」
「あ、あいつー……ビビるどころか躊躇なくインコースに投げ込んできやがったー……」
「マジか⁉ドSか⁉ドSなのかあのヤロー‼」
スプレーを患部に撒きながら純はマウンド上の陽菜を睨みつける。
――が、当の本人は全く意に介した様子もなく、今まで通りのポーカーフェイスのまま額の
汗を拭っていた。
むしろ動揺を見せていたのは背後に立つ奈月の方で、二人の見えない場所で謝るべきか迷い、
おろおろしていた。
「痛つつー……もういいぞー純。だいぶ楽になったからよー。サンキューなー」
「……本当に大丈夫なのか?」
「死んでも塁に出ろって言ってたのはどこのどいつだよー」
「あ、あれは例えだろうが!本気で無茶しようとすんな馬鹿!」
「……いま無茶しなくていつ無茶すんだよー」
そう言うと絵里香はバットを支えにしながらゆっくりと立ち上がる。
「菫先輩と一緒に全国へ行くんだ。そうだろー、純?」
「絵里香……お前……」
決意と覚悟を宿した絵里香の顔を見て、純はそれ以上何も言えなくなってしまう。
想いは寸分違わず同じであった。だからこそ絵里香が今何を考え、何を成そうとしているのかも
分かった。
そしてそれを止められない自分に腹が立ち、唇を噛み締めることしか出来ない。
「……分かった。骨はオレが拾ってやるから安心して死んでこい!」
「いや、本気で死にに行くわけじゃねーんだけどなー。けどまぁ、もしそうなったら頼むわー」
最後に拳と拳とを重ね合わせると、純はネクストバッターズボックスへと戻っていく。
それを絵里香は見届けると、一つ大きく深呼吸をしてからゆっくり間を十分に取りながら
再びバッターボックスに入る。
主審が続行可能か絵里香に尋ねると、彼女は振り返り、主審の目を見てはっきりと「大丈夫で
す」と言い切った。
自分を真っ直ぐ見つめる両目から意識がはっきりとしていると判断した主審は小さく頷くと、
右手を挙げ試合再開を宣言した。
そしてその直後――球場が大きくざわめき立つ。
絵里香はまたもバッターボックスの内側ギリギリに立つと、先程と同じように上半身を
ストライクゾーンの中へ乗り出してバットを構えたのだ。
(平静を装っても、私に当ててしまった手の感触は忘れられないだろー?
同じところに投げ込めるなら投げ込んでみろってんだー)
それでも顔色一つ変えないマウンド上の陽菜を絵里香は睨みつけながら、バットを持つ両手に
力を込める。
今度はサイン交換が二度目で決まった。
陽菜が大きく振りかぶり、2球目を投じる。
初球と全く同じ軌道を描く、クロスファイヤーを再び。
(こ、こいつマジかよー!?)
普通の投手であれば、故意でなくとも打者に球を当ててしまった直後はインコースへ投げるのを
嫌がるものだ。
仮に投げれたとしても、打者にまた当てないようにコースが甘くなったりする。人間ならば
それが当然の感情であり、感覚であろう。
しかし陽菜は顔色同様、何一つ変えることなく、躊躇もなくもう一度投げ込んできた。
同じコースへ。同じ球速で。
流石に二度も当たる訳にはいかない絵里香は上半身を引き戻しながら、念のため向かってくる球
に対して背中を向ける。
即座に避けると判断を下したことが功を奏し、今度は本当に紙一重であったが体への直撃は
免れた。
しかし球はきっちりとホームベースの左端を斜めに切り裂きながら奈月のキャッチャーミットに
収まり、ストライクを取られてしまう。
(ストライクになるなら打者に当ててもなんとも思わないとか不感症かよこのヤロー……!
それとも純が言ってた通りただのドSなのかー⁉)
もしくはその両方か。そこまで考えて、絵里香は熱くなった頭を冷ますように大きく息を
吐いた。
(上等じゃねーかー!そっちがその気なら、こっちだって引く気はさらさらねーぞー!)
そして三度構える。ストライクゾーンに上半身を乗り出しながら。
こうなれば最早意地と意地のぶつかり合いだ。奈月も覚悟を決めると、最初からインコースへの
サインを出す。
すぐさま陽菜も頷いてみせると、投球モーションに入った。
(いくらえげつないクロスファイヤーだろうと、素直にライト方向へ打ち返せばよー!)
これまでの2球を思い出し、頭の中でその球の軌道と打ち返すイメージを創りながら、
陽菜がリリースする瞬間と同時にバットを振りにいく。
そして投じられた3球目。
しかしそれは絵里香の予想とは違い、自分へと向かってくる軌道で描かれたのはストレートの
クロスファイヤーではなく――チェンジアップであった。
完全に裏をかかれた。
ストレートのタイミングに合わせて振り始めたバットは止まらない。止められない。
まるで陽菜の投げた球だけが違う時間の流れに存在しているかのように、ゆっくりと、
スローモーションで飛来してくる。
そして何もない空間にバットを完全に振り切ったあとにストライクゾーンを通過すると、
奈月の構えるキャッチャーミットへと収まった。
『最後はチェンジアップで三振――!息を吞む攻防……いえ、攻撃のみの打ち合いを制したのは
秋月さんでした――ッッ‼』
「くそぉーッッ!」
絵里香は両手で持ったままのバットをホームベースに叩きつけて悔しさを露わにする。
そして顔を上げれぬままベンチへと戻る途中で、純とすれ違う瞬間に、
「……すまねー……」
か細く……震える声で呟いた。
反射的に純の足が止まる。
彼女は遠ざかっていく絵里香に対して声をかけることはなく、ただ顔をうつむかせ、
手に持ったバットを折らんばかりに強く握り締めた。
【続く】




