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第二部 VS氷取沢女学院 第八章 2

挿絵(By みてみん)



明らかに変貌を遂げた穂澄の気配を、菫もキャッチャーマスク越しに感じ取っていた。


データを重視する菫だが、ここは嫌な予感を告げる本能に従い、まずは一球高めに外す選択を


した。


腰を浮かし、ストライクゾーンの高めの上限よりもさらに上でキャッチャーミットを構える。


椿の投じた直球はそこへ寸分たがわず到達した。


――が、穂澄はピクリとも一切の反応を見せない。まるで最初からボールになると知っていた


かのように微動だにしなかった。


(もしくは高めの球を完全に捨てているか……ね)


穂澄の動きから、菫はその二つの可能性を考えた。その上で後者の方が確率としては高そうだと


判断する。


菫は少し迷い――勝負球はここまで一度も投げていないアウトコース高めと決めた。


球種は保険の意味も含めスラーブ。そのサインに椿がノータイムで頷く。


そして投げ込まれたその球を穂澄は打席から見て――瞬間、その脳裏には『敗北』の二文字と。


ある日の記憶が同時に浮かび上がった。






「また途中で諦めたな」


それは幼き頃の記憶。


竹刀が転がる道場の床に尻餅をついた自分を父が見下ろしている。


「剣士たる者、勝敗が決するまでは何があっても諦めるな。前にもそう教えたはずだな?」


「……ですが、私ではあそこからはどうにも出来ません……」


「何故そう思う?」


「父上と私とでは差がありすぎます……。仮に今のを凌げたとしても、どのみちその次の一手で


負かされるではありませんか……」


「試してもいないのに何故そう言える?」


「試さずとも分かります!私が父上の攻撃を凌ぎ切るなど……そんなこと出来ぬと父上が一番


ご存知のはずでしょう!」


珍しく声を荒げる娘を前にしても、父は眉一つ動かさなかった。


涙を貯めた娘の目をただ見下し続け、気まずくなった穂澄が先に目を逸らす。


「……無理だと悟ったから諦める。その気持ちは分からなくもない」


「え……」


しかし意外にも父の口から出たのは叱責でも失望でもなく、穂澄に同調を示す言葉であった。


父は穂澄の前に胡坐をかいて座る。道場の中では特に礼節を重んじる父が正座以外で座るのは


極めて珍しい光景であった。


「私にもかつていたものだ。この者には絶対に勝てない。そう思わされるほどの相手がな」


「父上にも……ですか?」


「意外か?」


「は、はい……。正直に言えばかなり……」


娘の言葉に父は心底おかしそうに大声で笑った。


それはいつもの厳格な父の姿とはかけ離れていて、穂澄は目を丸くして驚いたのを覚えている。


同時に、剣士としての父が初めて少しだけだが近くに感じられたことも。


「私よりも強い剣士などこの世にはごまんといる。だからこそ、私は未だ修行中の身よ」


「父上ですらそうならば、私などでは到底……」


「だが、絶対に勝てぬと思っていた者には勝った」


「え……?」


「聞きたいか?私がいかにしてその者に勝ったのか?」


「は、はい!是非ともお聞かせ下さい!」


興味を示し、目を輝かせ始めた娘を見て、今度は静かに父が笑う。


そして少し遠い目で、過去を懐かしむように語りだした。


「諦めるのをな、一つずつ止めていったのだ。


まず防げなったその者の太刀筋の一つを『防げないと諦めるのを止めた』。


そうしているうちにいつの間にかその太刀筋は防げるようになった。だが、そこでまた問題が


生じてな」


そこまで語ると父は穂澄へと視線の焦点を戻し、


「今度は次の太刀筋も防げないことに気づいた」


「あ……」


そこで穂澄は気づいた。まるで今の自分と同じだと。


「だから私は、今度はその太刀筋を『防げないと諦めるのを止めた』。


そうやって一つずつ諦めるのを止めて、止め続けて……。


先にあやつが根負けするまで7年もかかったわ」


「そ、そんなに……」


「だがな、諦めなければいつか勝利を得られると私は知った。


同時に諦めた時点で得られるはずの勝利を逃がすということもな」


そう言うと父は穂澄の頭に手を乗せ、優しく何度も髪ごと撫でる。


「焦る必要はない。一つずつ、ゆっくりでも順を追って強くなっていけばいい。


私に出来たのだ。娘であるお前にも出来るはずだ」


「は、はい!いつか私も父上のような立派な剣士になってみせます‼」


娘の言葉に父は嬉しそうに笑みを浮かべると、一段と強く穂澄の頭を撫で回した。


「それで父上。後学のためにお聞きしたいのですが、父上がそこまでして勝ちたかった御方の


お名前はなんと言うのですか?」


「ん……。知りたいか?」


「はい!是非とも!」


一段と目を輝かせて聞いてきた娘に対し、父は今まで見せたこともないような照れくさそうな


顔で答えた。


「お前の母上だ」






狙いを定めていた低めではなく、真逆の高めに球が来た時点で穂澄の敗北は決まっていた。


頭の中でイメージしていたスイングでは空振りになるだけ。故にイメージしていたそれを急ぎ


捨て去り、現在迫り来る球を打つための物へと切り替えなくてはならない。


――だが。


頭ではそう分かっていても、体の反応が追いつかない。


高めのコースに合わせてバットを出さなければならない。それは分かっている。が、体が動か


ない。


脳からの急な命令変更に全身は混乱し、まるで金縛りにあったかのように固まってしまって


いた。


見逃しによる三振――それでこの打席は終わる。


――はずであった。



『だがな、諦めなければいつか勝利を得られると私は知った。


同時に諦めた時点で得られるはずの勝利を逃がすということもな』



もう一度、父の教えが頭の中を駆け巡る。


(猫又殿も東郷殿も最後まで諦めなかった。二人が諦めず、繋ぎ、築いてくれた場所に


私は今立っている)


自分だけの力ではどうにもならなかったであろう。


(なのにどうして……私だけが諦められようか!)


ののあと海帆から受け継いだ諦めない気持ちが、動かないはずの体を動かす。


頭の中で描いていたイメージとは全く違う動き。肉体と精神が剥離し、まるで全身を誰かに


乗っ取られたかのように――体が勝手に動いていく。


その感覚に穂澄は全てを任せ――


椿の投じた勝負球を、バットで上から斜めに叩きつけた。



【続く】

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