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第二部 VS氷取沢女学院 第七章 5

挿絵(By みてみん)




『ランナーは二塁へと進み、バッターへのカウントもスリーボール・ノーストライクと


チャンスが広がりました鶴川高校。


大矢さん、ここは是が非でも送りバントでランナーを三塁まで進めたいところですよね?』


『ええ。ワンアウトでも俊足の猫又さんが三塁にいれば得点への期待値は今以上に跳ね上がり


ます。


ですが現状のカウントを考えれば、すぐにバントをせずフォアボールを狙うのも有りですね』



どちらも考えられる状況で沙希が海帆に送ったサインは、


『フォアボールへの欲は出さず、いけると思ったら迷わずバントをしなさい』であった。


海帆はヘルメットのつばを親指と人差し指で挟み、了解したでありますと返信すると、


これまでと同様に最初からバントの構えで椿の球を待ち受ける。


そして4球目。


椿が投球モーションに入ると同時に、ファーストの彩芽がバント対策のため猛烈な勢いで


前進してきた。


ならばと海帆は逆のサード方向へ転がすように試みようとしたが、そちらへは投球を終えると


同時に椿が走り込んで来る。


完全に転がすコースを塞がれたこともあったが、何より絶対にバントの成功は許さないと


氷取沢の守備から浴びせられたプレッシャーに屈し、海帆が構えていたバットを引く。


そこを椿の投げたインコース高めへのスライダーが通過していった。



『まずは1球様子を見てきました東郷さん。やはりフォアボールも視野に入れているので


しょうか』


『それもあるかもしれませんが、ファーストにあれだけプレッシャーをかけられれば


相当バントはしにくいでしょうね』



「ナイスボールよ椿!金子さんも素晴らしいプレッシャーのかけ方だったわ!」


菫に声をかけられた二人が同時にグローブを着けた手を挙げて応える。しかしそこで頬を緩める


者は一人もいなかった。


全員が気を引き締めたままの顔で守備位置へと戻り、即座に次のプレーへ備える。


中でも玲子の表情は誰よりも険しかった。


(私のせいで招いたピンチ……。ミスは自分の手で挽回してみせる!)


その手始めが海帆のバントを阻止することだと自分に言い聞かせ、彩芽のように前へ出たい


気持ちを抑えると、三塁を狙ってくるののあの動きに神経を集中させる。


五球目――椿が投げた球は直前と同じインコースの高めへ。


さらにここからの軌道も同じく、海帆に当たるのではないかと思えるコースから


ストライクゾーンの内へと横に大きく滑っていく。


――が、水平に構えていたバットに当たる直前でさらにもう一度、沈む変化が加わった。


(ス、スラーブでありますか⁉)


ファーストからのプレッシャーに対して今度は歯を食いしばって耐えた海帆であったが、


この試合、自分に対しては初めて投じられた変化球に反応が遅れてしまう。


水平に寝かしたバットの下を潜り抜けようとする球に向けて、海帆は膝を曲げて高さを


下げながら追いかける。


が――間に合わなかった。


それどころか中途半端にバットで上から押し当てる形になってしまい、球はほぼ真下へと


落下していってしまう。


「~~~~ッ‼」


完全に失敗したと頭で理解しながらも、海帆は打球の行方を確認する余裕もないまま一塁へ


向けて走り出す。


ほぼ同時に立ち上がった菫が前に出て、力なく転がる球を素手で掴むと、まずは二塁ランナーの


動きを確認した。


流石にののあでも、これでは進塁などできない。それを確認し、念のために視線で牽制してから


菫は一塁へと素早い送球を放った。



『バント失敗~~ッ!……ん?主審が両手を挙げていますね……?』


『どうやらファールみたいですね。打球が地面に落ちた時、先にラインを割っていたの


でしょう』


『な、なるほど!これは命拾いをしました東郷さん!


鶴川高校の応援席からも大きな安堵の息が吹き荒れています!』



(ラ、ラッキーだったであります……)


今のファールは決して狙ったものではない。ただの偶然で、運が少しだけ自分に味方してくれた


だけに過ぎない。


バクバクと跳ね上がる心臓を右手で胸の上から押さえつけながら海帆が打席に戻っていくと、


ホームベース上で自分のバットを拾い上げ待ってくれている菫がいた。


「あ、ありがとうございます……」


海帆が礼を述べてからそれを受け取ると、菫は眉一つ動かさず、まるで無表情の仮面を


つけているかのように淡々とした様子で自分の守備位置へと戻っていく。


今のでアウトに出来なかった悔しさはすでに捨て去り、次のプレーに向けて心の切り替えは


終わっている。


そして、次も結果は変えさせない。


海帆がアウトになり、ののあが進塁できなかったという結果が1球だけ先に伸びただけだ。


隙など微塵も感じられぬ菫の立ち振る舞いはそう誇示しているようであり、海帆は背筋がゾッと


冷たくなるのを感じた。


(むぅ……みほりんが委縮してしまってるにゃ。ここはののあが少しでもバッテリーの気を


散らさせて援護を……)


そう思い、ののあがリードをさらに大きくしようとすると背後に気配を感じ、驚いた顔で


振り返る。


するとそこには自分をマークするようにぴったりと張りついてきた絵里香がいた。


「おっとー、これ以上のオイタは私が許さないぜー」


リードを大きくするなら牽制球でアウトにしてやると絵里香がニヤリと笑う。


海帆への援護を封じられたののあは「うぅ~……」と悔しそうな呻き声を上げて


元のリード幅へと戻るしかなかった。



『さぁ、フルカウントからの7球目。チャンスを広げられるか鶴川。凌いでみせるか氷取沢』



球場にいる人達の注目を一身に浴びる中、海帆は大きく深呼吸をすると、今まで通りに


ストライクゾーンの上限に合わせた視線と同じ高さにバットを重ね、水平に構える。


(凄いプレッシャーであります……。今すぐにでも逃げ出してしまいたいであります……)


でも……と海帆は心の中の言葉を紡ぐ。


(ののあちゃんがあんなにも頑張って塁に出たのであります……。自分だけ何も出来ずに


終わるのは……嫌であります!)


「……よっし!まだ目は死んでないわね!」


打席の中で踏みとどまった海帆の顔を見て、ベンチの中では指揮官がニヤリと笑う。


いつだって野球の神が微笑むのは最後まで諦めなかった者だけだ。自らを奮い立たせ、


逃げずに踏みとどまった海帆にはその権利が与えられた。


後は相手チームとどちらの譲れぬ想いが強いかの勝負。


そして――雌雄を決する7球目を投じられた。


サイドスロー特有のリリースポイントから球が浮かび上がってくるように見える軌道――では


ない。


これまでと異なる軌道の球が目指す先は――


(膝元――インコース低めでありますか!?)


ストライクゾーンの左下へと向けて放たれた球は、間違いなくその内側を一直線に通過しようと


しようとしている。


2球続けて高めの変化球を見せてからの低めへのストレート。それだけでも海帆にとっては


球速差でこの直球が一際速く見えてしまう。


さらにはバントを構えていたストライクゾーンの最上段から最も遠い高さへ合わせ直さなければ


ならない焦りが、海帆をさらにパニックへと追い込んでいく。


(こ、このままじゃバントの修正が間に合わないであります!)


ならヒッティングに切り替えて――


……それも無理だ。


今からバットを振りに行ったところでそれも間に合わず、空振りするのが目に見えている。


なんとか生き残るために冷静な判断を下そうとしたが……無理であった。仮に冷静な判断が


出来ていたとしても、無理にバントの構えのまま当てに行って失敗に終わっていただろう。


――だからこそ。


それが、最後の最後で海帆にとって有利に働いた。


もうどうしようもない。けれどなんとかしたい。でもどうすればいいのか分からない。やっぱり


自分なんかには無理だった。でも――けれども――


極限まで追い込まれ、頭の中でぐちゃぐちゃになった支離滅裂な思考。


だからこそ――その行動へと繋がった。


「なっ……⁉」


目の前で見せた海帆のその動きに、菫が思わず驚愕の声をあげた。


バントの構えで添えていた右手を放すと、残った左手首を時計回りに捻り――バットを垂直に


立てたのである。


狙ってやった訳ではない。練習でもこんな真似をしたことだってない。


ただ、このままアウトになりたくない。その想いだけで無我夢中に最後まで足掻こうとした結果


がそうなっただけだ。


そして野球の神は――不格好だろうとも親友に並び立ちたいとする海帆に微笑んで見せた。



コンッ



バットの先端に当たった打球がファースト方向へと強く跳ねる。しかし低い位置から地面に


落ちたことにより、意図せず打球の勢いはすぐさま失われた。


「金子さん!サード間に合うわ!」


「はい‼」


今まで通り前へ向かって猛チャージしてきていた彩芽は、菫の指示通り最後までスピードを


落とさぬまま力なく転がる球を素手で掴むと、そのままランニングスローで送球する。


不完全な態勢から投じられたにも関わらず、三塁ベース上で構える玲子のグローブへは完璧な


ストライク送球。


玲子も捕球と同時に、グローブを着けた左手を滑り込んで来ているののあの右足の先端に向けて


タッチしに行く。


またもや際どいタイミングでのタッチプレーに下された判定は――


「セーフッ!」


「くっ……!」


どちらであってもおかしくないタイミングであったが、コンマ数秒の差でののあの足が先に


三塁ベースに到達していた。そしてそれは、その足にタッチした玲子が一番分かっていた。


だからこそ塁審のジャッジに対して抗議すること無く、しかし内心では名判定を下してくれた


塁審の目の良さを恨みながらもすぐさま切り替えて一塁へと送球した。


それが功を奏し、ギリギリで海帆だけはアウトにすることが出来たが…


「ご、ごめんなさ……」


「はいはい、何度も言わせないでほしいじゃん。反省会は~?」


「あ、後に……します……」


またも犯してしまった自身の判断ミスを椿に対して謝ろうとした菫だったが、逆に言葉を促され


思わず敬語で返してしまう。


「今のでアウトに出来なかったなら相手の足を褒めるしかないじゃん。


ってか、オールセーフにしなかった玲子を褒めるべきじゃん?」


そう言うと椿はニカッと笑い、玲子に向かって親指を立てた右手を突き出してみせた。


それに対して玲子も同じように親指を立てて応えるが、その表情は正反対で、


余裕なく唇を噛み締める。


(椿……。このグラウンド上の誰よりもキツイはずなのに……)


中学の時からそうだった。


試合中の椿は、味方の失敗を決して責めたりはしない。尻ぬぐいはエースである自分に


任せておけと言わんばかりの態度でマウンドに立ち続ける。


それがどんなに苦しい状況だったとしてもだ。


そんなふうにプレーで仲間を引っ張ってきた椿だからこそ、この氷取沢女子野球部への誘いが


あった時に皆が首を縦に振った。


全員が、もう一度、椿と同じチームで戦いたいと思った。


でも――


(いつまでも椿に頼りっきりじゃ……私はこれ以上強くなれない……!)


それは椿の背を守る全員が感じていた。


だからこそ、まるで示し合わせていたかのように同じタイミングで前へと足を踏み出す。



『これは……氷取沢女学院、次の打者が打席に入る前から前進守備へと移行していきます』



三塁ベース上でののあを牽制する必要がある玲子以外の全員が前へと進み出たことに、


誰よりも驚いていたのは菫であった。


もとより1点もやれないこの状況ではその指示を出すつもりであった。


だが彼女達はそれよりも早く、自らそうしてみせたのだ。


まるで椿の後ろではなく、同じ位置で並び立ち、自分達のエースを守るんだと言わんばかりに。


菫は確認の視線をベンチの梨花へと送ると、指揮官は一度だけ頷いてみせた。


そこで菫の覚悟も決まる。同時に、


(本当に……頼もしいチームになったわね)


今のこのチームなら自分がいなくなっても大丈夫。


そう感じさせてくれるほどこの土壇場でさらなる成長を見せた後輩達の姿に、思わず口端を


緩めた。



【続く】

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