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第二部 VS氷取沢女学院 第七章 4

挿絵(By みてみん)



『ここにきてノーアウトで俊足の猫又さんが出塁しました鶴川高校。続く東郷さんはすでに


バントの構えを見せていますが……ここは手堅く送ってくるでしょうか?』


『そうですね……。キャッチャーの川島さんは強肩ですし、猫又さんといえど盗塁は簡単では


ないでしょう。


それに終盤の1点を争う展開ですので、ここはアウト一つと引き換えにしてでもクリーンナップ


の後続打線を信じて送ってくる可能性は高いでしょうね』


『なるほど。果たして立花監督はどう動いてくるのか。注目の初球……の前に


氷取沢バッテリー、ここはまず牽制を入れてきました』


その後も椿は二度、三度としつこく牽制球を繰り返す。


そして五度目の牽制も失敗に終わると、しかしそこで痺れを切らしたののあがリードを取るのを


止めた。


(やっぱりそう来たわね)


ののあは必要以上の牽制球で塁に戻されると、リードを捨てベース上からの


クラウチングスタートに切り替える。これも菫が前回の試合で気づいた点であった。


リードが無かろうが構わず盗塁を成功させてきた快足が成せる自信の表れであろう。事実、菫で


すらこの状態になっても確実に盗塁を阻止できる自信は無かった。


(それでも出来る限りこちらに有利な土俵には持ち込めた)


やっと出た牽制以外のサインに椿は待ってましたとばかりに頷くと、一つ息を吐いてから


セットポジションに入る。


肩越しに一塁のののあへ向けて走れるもんなら走ってみろとばかりに睨みつけて目で


牽制すると、素早くクイックモーションで球を投じた。



『初球、まずは川島さんが立ち上がるピッチアウトで様子を見てきました氷取沢バッテリー。


やはり盗塁への警戒は解けていないようです』



(……全く動く気配がなかったわね。外してくると読まれていたかしら……)


不気味なほどにピクリともしなかったののあへ視線を向けたままでいると、手足をぷらぷらと


揺らしながら集中力を整え直し、再びクラウチングスタートの姿勢へと戻っていく。


あまり盗塁を警戒しすぎてカウントを悪くするのは下策。それを菫は承知の上で、今度は立ち上


がらず、しかしアウトコースの外へと完全にはずれるボール球を椿に要求した。


が、これもののあは走らない。


先程と同じく、まるで石像にでもなったかのように一塁ベース上で微動だにせず固まったままで


あった。


海帆も明らかに外れたコースのストレートを見極めるとバットを引き、これでツーボール。


打者にとって有利なバッティングカウントとなるが、氷取沢バッテリーに焦りは微塵も


なかった。


ここからは走りたければ走ればいい。その代わり、海帆には一切の仕事をさせず確実に


討ち取る。


菫と椿は同時に1ミリのズレもない同じビジョンを思い描き、瞬時に倒すべきターゲットを


切り替えた。



『良いバッテリーですね。互いに声をかけずとも、何をするべきかを常に共有し合っている』



雰囲気が変わった氷取沢バッテリーに気づいた文代が、その阿吽の呼吸に感嘆する。それだけ


二人の集中力が高まっている証拠でもあった。


そして三球目――これまでと同じ、深呼吸のルーチンワークを行った椿が投球モーションに


入る。


――その瞬間だった。


「GO!ノノーア‼」


椿の左足が地面から離れたまさにその時、一塁コーチャーボックスに入っていたビビが叫んだ。


同時にののあがベースから弾け飛ぶようなスタートを切る。



『こ、ここで猫又さんが走ってきたーッ!』



驚きの声を上げる涼子。観客の大半も、ここで動いてきたかという思いであっただろう。


だが、氷取沢バッテリーだけはそうではなかった。


椿に出ていたサインはストライクゾーンの外からアウトコースの低めに入ってくるシンカー。


その菫からのリード通り、椿は一切の迷いなく、コンマ1秒でも早く右手から球をリリースする


ことだけを考えて腕を振り抜く。、


菫もまた、椿の投球中に二塁への送球へ備えて腰を浮かす。


しかし――ここで誤算が生じた。


(コースが低い……!)


驚きはなかった。焦りもなかった。焦らせたつもりもなかった。


だが椿も人間である。いかに平常心を保とうとしたつもりでも、自分では知らず知らずのうちに


投げ急ぎすぎた結果、コントロールミスに繋がってしまったのであろう。


それでも――


菫だけは未だ焦ることなく、これまで通り冷静すぎるほどに状況の把握に努める。


現状の球のコースからさらにシンカーの軌道で変化した場合にどうなるかを頭の中で即座に


シュミレートする。


そして解を導き出す。


この球は捕球する前にワンバンドする、と。


普通のキャッチャーであれば捕球が難しい球は後ろに逸らさないことを最優先にし、


盗塁の阻止を諦めて体全体を使ってでも球を止めにいくことだけに全力を注いだに違いない。


しかし菫はキャッチャーミットを構えていた手首を捻り、あえて逆シングルで構え直すと右足も


後ろへと退げ、姿勢を半身へと切り替えた。


(走りたければ走ればいいとは言ったわ。けど――)


予測した通りにワンバウンドした球が跳ね上がる。


しかしその先の軌道すらも予測しきっていた菫は当たり前のように捕球に成功すると、


そのまま一切の無駄のない最短の動きで今度は送球のフォームへと移っていく。


(簡単に盗塁を許すとは――言っていない!)


しゃがんだ椿の頭上を強弓から放たれた矢のような送球が通過していく。


ののあが右足の先から土煙を上げながら二塁ベースに滑り込む。


そしてベースカバーに入った絵里香のグローブに菫からの送球がノーバウンドで届き、


向かってくるののあの右足にタッチしに行ったのはほぼ同時であった。



「――セーフッ!」



アウトでもおかしくはなかった紙一重の攻防に下された塁審のジャッジは、ののあの足に


勝利を認めた。



『盗塁成功~~ッ!わずかに猫又さんの足が速かった~~ッ‼』




(ふおぉぉぉぉ……。な、なんニャ今の送球⁉ なっつんですら、ののあがここまでギリギリ


だったことなんてなかったニャ⁉)


しかし誰よりも驚いていたのは、盗塁に成功したののあ自身であった。


そして自軍のベンチ内で立つ沙希へと視線を向けると、三塁への盗塁は無理と伝える意味で


驚愕させたままの顔を左右に振った。


「……でしょうねぇ。ってかなんなのよ、あのキャッチャー。分かっていたけど一人だけ


レベルが段違いだわ」


プロでも滅多にお目にかかれないであろう高校生のレベルを超えた菫のプレーに、沙希も舌を


巻いて素直にその実力を認めるしかない。


盗塁を阻止できなかったとはいえ、球場にいる全ての人を驚かせ、魅了するには十分すぎるその


華麗な守備に誰よりも虜になっていたのは……


「す、凄いです!見ましたか喜美ちゃん⁉ ワンバンドする球って捕るのが凄く難しいのに、


あんなに簡単に捕って、しかもそこからの送球も凄く速かったです!」


同じキャッチャーである奈月であった。


「ここで中腰になって、ミットの構え方も変えて……あとはこう……バッ!と捕ってシュッ!と


投げてました!私もあんなふうな守備がしてみたいです!」


「はいはい落ち着きなさい。ってか試合中に真似しようなんて思うんじゃないわよ。


いくらあんたでも見様見真似で出来るもんじゃないからね、あれ」






(……やられた……わね)


一方、盗塁を許してしまった菫は二塁に進んだののあではなく、一塁コーチャーボックスの


ビビへと視線を向けていた。


まるでこちらが海帆との勝負に切り替えたのを知っていたかのようなタイミングで出された


GOサイン。


セットポジション時の椿には、ストレートと変化球のどちらを投げるか見分けられるような癖は


ないはずだ。


けれどビビの思い切りのいい声には、一切の迷いも恐れも感じられなかった。


となれば、こちらが気づいていないだけで、実は何か癖を見抜かれているのではないのかと


考えてしまいそうになるが……


(……ううん。そうやって考えすぎるのは私の悪い癖だわ)


もしそうであれば鶴川は打撃面でも椿をもう少し攻略できていたはずだ。


何よりもビビ自身が相変わらず全く結果を出せずにいるということは、やはりただの偶然なので


あろう。


菫は一度深く長い息を吐いて思考をリセットすると、改めて打者集中へと切り替えた。


そして視線を椿へと向けると、彼女も自分と同じ気持ちであることを示すように、


大きく一度だけ頷いてみせた。



【続く】

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