第二部 VS氷取沢女学院 第七章 3
『さぁ、あっさりとツーストライクまで追い込みました橋本投手。
対する猫又さんはこの打席も手が出せぬまま終わってしまうのでしょうか』
菫からのサインを確認した椿がセットアップから投球モーションに入る。
(いいでありますか、ののあちゃん。この作戦の肝は、いかにギリギリまでバントだと
気づかせないかにあるであります)
ののあが打席の中でバットを握り締めていた左手の力をほんの少し緩める。
(構えるのが早すぎるのはもちろん、遅すぎてもダメであります。
そこで狙うべきタイミングは――)
(ピッチャーが球をリリースする――その瞬間!ニャ!)
「――――‼」
素早くバットの持ち方を変えたののあを見て、椿を始めとする氷取沢の守備陣の顔色が驚きへと
変わる。
誰もののあがセーフティーバントを諦めたとは思っていなかった。
しかしツーストライクと追い込まれ、仮にバントで当ててもファールになればアウトになって
しまうリスキーなこの状況で仕掛けてくるとは――可能性で考えれば無いに等しいと思い込んで
しまっていたのも事実であった。
その一瞬の油断が、ファーストとサードが前へダッシュするのを僅かにだが遅らせた。
(相手のバッテリーはののあちゃんに対して、カーブとシンカーのみで勝負してきているで
あります。これは多分、ののあちゃんが沈む系の変化球を打つのが苦手だとバレているからだと
思うであります)
投手が球を投げた後に球種を見極めてからバントをするのはののあには難しい。
そこで海帆はこの二種類の変化球に予め狙いを絞っておくべきだと提案した。
その読み通り、椿から放たれた球筋はこの打席でも初球に見たものと酷似していた。
(真ん中よりアウトコース寄りの軌道……これはストライクゾーンの左下隅に逃げる
シンカーにゃ!)
ののあとてこれまでの打席で何も考えずにただバットを振り回してきた訳ではない。
どういうコースならば左右どちらへに沈んでいくのかを見極めようとする努力は怠っては
いなかった。
海帆の読みとののあの読み。二つが合わさり、完璧な解答を導き出す。
(打球の勢いを殺すバントに必要なのは、いかにバットの芯よりも先で当てるかがカギに
なるであります。でも手先だけ使って、ただ当ててもダメでありますよ。
身体全体――特に膝から肘までの動きが一つに繋がるように意識するであります。
これが球の威力を吸収する動きになるであります。後は……」
(後は打球を地面に落とすようにイメージする――ニャ!)
そして最後に海帆の教えを一字一句違わぬよう思い出しながら、この試合、味方の攻撃中に
練習しまくった成果を――今、発揮する。
コンッ
バットの先端で打球が軽く跳ね返る手応え。それを十分に感じる余韻もないうちに
ののあはバットを手放すと、同時に打球の行方すら確認せぬまま一塁へ向けて走り出す。
キャッチャーとサードのほぼ中間に落ちた打球は一度だけ小さく跳ねると、後は力なくコロコロ
と三塁線に向けて弧を描きながら転がっていく。
「くっ……!」
完全に一歩目が出遅れた玲子は焦りを押し殺しながら、直接手掴みで球を拾いにいこうと
するが――
「待って亜麻根さん!そのまま切れるわ!」
前方の菫からの指示でハッと我に返り、慌てて伸ばしていた右手を引っ込める。
打球は確かにまだ完全には死んでいなかった。ゆっくり……ゆっくりと三塁線の外側に向けて
転がり……
そして、白線の真上でピタリ……と動きを停止した。
『ここでセーフティーバント成功~~ッ!猫又さんが見事なバントで一矢報いました~~ッ‼』
「ご、ごめんなさい……。私の判断ミスだわ……」
「い、いえ!菫先輩のせいじゃありませんって!そもそもは私が隙を与えてしまったから……」
「はいはい、反省会なら後にしてほしいじゃん」
互いに謝り始めた二人の間に、椿がマウンド上から割って入る。
「別にランナーを出すのはこれが初めてって訳でもないし、今まで通りホームに還さなければ
いいだけの話じゃん」
だからさっさと自分の守備位置に戻れと言わんばかりに、シッシッと右手で払う仕草をする椿。
これに菫と玲子はきょとんとした顔を見合わせると、同時に苦笑いを浮かべる。
「そうね。椿の言う通り、今は反省よりも無失点でこの回も終わらせることだけを
考えましょう」
「はい!」
【続く】




