第二部 VS氷取沢女学院 第六章 意地
第六章 意地
作戦通り菫の盗塁を阻止しアウトにした喜美であったが、それで気を緩んだのか打席に残った
ままであった神那 美央に甘く入った変化球を狙われ、再びランナーを出してしまう。
さらには三番・金子 彩芽にも連打を浴び、これでランナーは一・二塁。
しかも続く桜田 あざみにも上手く合わせられたが、運良くサードの真正面に飛んだライナーで
凌ぐと、なんとかこの回を無失点で切り抜けた。
(ア、アウトに出来た!あたしがあの氷取沢のバッターを!)
しかもクリーンナップの中心である四番をである。
沙希が考え、陽菜が与えてくれた緩急差に加え、たまたま打球が穂澄の正面に飛んでくれただけ
で自分の実力ではないとは分かっていたが、それでもベンチに戻る際には自然と頬が緩んで
しまった。
「喜美ちゃん!ナイスピッチです!」
そこへ奈月を始めとするチームメイトからも賞賛の声をかけられ、さらに顔をだらしなくさせて
いると、
「良かったですわね。ご褒美があちらでお待ちですわよ」
雅が視線で誘導させてきた先にあるご褒美とやらに喜美も顔を向ける。
すると、そこには自軍ベンチの中で両手の指をわなわなとさせながら自分の帰りを待つ沙希が
いた。ついでに目が妖しく光っていることにも気づく。
「い、いやぁ~、私はベンチの前でキャッチボールしてようかなぁ~……。
あんま肩を冷やしたくないしぃ~……」
「投手は味方の攻撃中に体力を回復させるのも大事な仕事よ。いいからツーアウトになるまでは
ベンチで座ってなさい」
「そうデース。それにせっかくのご褒美を遠慮すると勿体ないゴーストが出るネー」
「ちょっ⁉ あんた達⁉」
陽菜とビビに両脇をがっちりと固められベンチの中へと引きずられていく喜美。
そしてその姿が頭上の応援席から完全に見えなると同時に、「嫌ああぁぁぁぁっっ!」という
悲鳴と笑い声が同時に上がった。
(うぅ……。今日の私、ダメダメだぁ……)
一打席目は海帆のファインプレーに阻まれたとはいえ、二打席連続でヒットを打てなかった
不甲斐ない自身の打撃にあざみは肩を落としながら自軍ベンチに戻っていく。
「さぁ~くぅ~らぁ~だぁぁ~~~ッ!」
「は、はいいぃぃッ!」
そんなあざみを出迎えたのは、自分の名を呼ぶ梨花の不機嫌極まりない声であった。
思わずその場で足を止め、軍人にでもなったかのように背筋を伸ばして姿勢を正す。
「納得できねぇバッティングをしちまったんなら次の打席で挽回しろ!
ただし守備中にまで顔を下に向けてたら交代させるからな!」
「は、はいッ!すみませんッ!」
何度も頭を下げてから逃げるようにベンチの中に入ると、目の前に自分のグローブが
差し出された。
「ドンマイ、あざみ。バットにはしっかり当たってるんだから、そこまで深刻に考える必要は
ないんじゃない?」
「佳乃……」
「ベンチから見てる限りではいつものスイングは出来てるわ。だからきっと次はヒットに
なる。私は応援しか出来ないけど、頑張って!」
佳乃から差し出されたグローブと持っていたバットとヘルメットとを交換しながら、あざみは
笑顔を向けてくる彼女から申し訳なさそうに目を逸らした。
菫がマネージャーのままであったのなら、今は佳乃が正捕手として共に戦っていたはずだ。
しかし彼女は自分よりもチームの強化を優先した。
その選択に間違いはなく、確かに今のチームは菫がいなかった頃と比べれば格段に強くなった。
中学よりも敷居がさらに高くなった高校女子野球の舞台で、全国大会出場を本気で狙えるほど
に。
だからこそあざみは佳乃に対して負い目を感じていた。
いや、彼女だけではない。それは二年生全員が同じであった。
本当は試合に出たいはずなのに。
本当は椿とバッテリーを組みたいはずなのに。
己を殺して、裏方としてサポートを進んでこなそうとする佳乃に感謝しなかった日などない。
だからこそ犠牲の上に立ちながら結果が出せずにいる自分が情けなく、佳乃の顔を直視できな
かった。
「ほら、また深く考えすぎてる」
「んぐぅっ!?」
そんなあざみの心の内を読み取ってか、佳乃は彼女の両頬をつまむと思いっきり引っ張る。
「確かに私は皆と一緒にグラウンドの上じゃ戦えてないけど、ここから一緒に戦ってるんだか
ら。重荷に思われるのは心外なんだけど?」
「……ごめん。ううん……ありがと」
あざみはサンバイザーを深く被り直すと、佳乃が手を放した頬を今度は自分の両手で勢いよく
パァァンッ!と叩いた。
「よーし気合入った!行ってくる!」
そして勢いよくベンチを飛び出す。
そのまま全力疾走で自分の守備位置であるレフトへと向かう彼女の背中を見つめながら、
佳乃はもう一度エールを送った。
『試合は三回を終わり、中盤戦へと突入。完全に立ち直った橋本さんのテンポの良いピッチング
が続きます』
四回表。
この回の先頭打者である梓は、氷取沢バッテリーにインコースへのスライダーのみであっさりと
ツーストライクにまで追い込まれていた。、
(チッ……、前の打席と違って甘いコースに全然きやがらねぇ)
復調した椿のコントロールはさらに冴え、的確に梓のウィークポイントである内角を攻め立てて
きた。
ボールカウント無しのツーストライク。
定石なら次は高めかアウトコースに外したストレートで空振りを誘いに来るだろうが、これだけ
テンポよく投げているのだから向こうも無駄球を投げてリズムを乱したくはないだろうと梓は
ヤマを張る。
(三球勝負。多分、徹底的にインコースで勝負してくる)
そして連続でスライダーを見せてきたということは、それを意識させて最後はスラーブで
仕留めるための布石。
その読み通り、内角高めにこれまでと同じ軌道の球が投げ込まれてきた。
バットを振りにいきながら、梓は奈月の説明を思い出す。
(ここからボール半分下に落ちてくる!)
スライダーからさらに変化するスラーブの軌道をイメージし、バットのミートポイントを
合わせる。
だが――球は縦には変化しなかった。
梓の読みを嘲笑うように三球連続で放たれたスライダーはバットに当たると、力なく上空へと
浮かび上がってしまう。
ファーストの彩芽がほとんど動くことなく、平凡なフライを危なげなく捕球するとアウトが
宣告された。
「くそっ……!」
完全に菫のリードの上で踊らされた自分に向けて、悔しそうに苛立ちをぶつける梓。
バッターボックスに戻るとバットを拾ってくれていた菫に「……あざっす」と頭を下げて
それを受け取り、ベンチへと戻って行く。
「上手く踊らされましたわね」
「……ああ。見ての通り全球スライダーだ。お前にも似た攻め方してくるかもしれねぇぞ」
途中、入れ違いで打席に向かう雅に対して、苛立ちを押し殺しながら配球を報告する梓。
情報だけでなく彼女の悔しさも一緒に受け取った雅は前の打席と同じ左打席に入った。
その初球。梓の打席と同様にまずはインコース高めに変化球が投げ込まれてきた。
それを雅は手を出さずに見送る。
(最後に縦に沈みましたわね。なるほど……今のがスラーブですの)
ストライクは取られたが球の軌道は確認できた。同時に雅はその初手から読み取れる
氷取沢バッテリーの狙いを分析し始める。
梓の打席だけでなく、次の打者である雅にもスライダーを強く意識させてからのスラーブ。
そこはこちらの裏をかいてきたと考えるのが妥当なところであろう。
だが――何か違和感がある。
その違和感が何かをはっきりさせるよりも早く、サイン交換を終えた椿が二球目を投げてきた。
今度は反対側のアウトコース高めへ。
ストライクゾーンの外側から内へと軌道を変化させながら入ってきたスライダーに雅は手を
出せず、梓と同様に二球で追い込まれてしまう。
(……わたくしに対してはスラーブとスライダーを交互に使ってきた。やはり、そう攻めてくる
つもりのようですわね)
表と裏を使い分け幻惑してくるのは初めから予想できていた。ならば迷うだけ相手の思う壺で
ある。
(あの女と同じになるのは気に食いませんが、どちらかに狙いを絞るまでですわ)
梓と同様に、しかしスライダーではなくスラーブに予想を立てた雅は二球目と同じコースに
来た球を振りに行く。
しかしストライクゾーンから外れていた球は内に入ってはこず、逆方向へ――むしろさらに
ゾーンから遠ざかりながら沈んでいった。
(しまっ――!)
シンカーだ。そう気づいた時にはもう遅い。
普通なら見送るような明らかなボール球に手を出してしまった雅のバットは当然届かず、空を
切る。
『さんしーん!前の打席では連打を食らった鶴川の五番・六番を今度はきっちり打ち取り
ましたー!』
「くっ……」
そこで雅はやっと感じていた違和感の正体を掴み、椿に返球する菫を苦虫を嚙み潰したような
表情で睨みつけた。
初球。わざと自分に確認させるかのように目から一番近いコースに投げ込まれたスラーブ。
なぜ虎の子であるはずのその球を安易に見せつけてきたのか疑問であったが、それこそが罠の
仕掛けだったのだ。
椿と菫のバッテリーは二球目ではスライダーを雅に見せ、彼女に対しても梓の打席と同じように
攻めてくると徹底的に思わせた。
その瞬間、雅は思考からスライダーとスラーブ以外の変化球の存在を消してしまった。
心理戦を得意とする雅なら少し考えれば気づけたはずだ。しかし次々とテンポ良く投げ込んで
来る椿が考える暇を与えず、思考の先を阻んだのであった。
(完全にしてやられましたわ……!)
完敗だと理解できてしまうからこそ、悔しさはとめどなく湧き上がってきた。
【続く】




