表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/84

第二部 VS氷取沢女学院 第五章 4

挿絵(By みてみん)



――思ったよりも修正が出来なかった。


一塁ベース上に立つ菫は今の打席をそう反省していた。


本来は一打席目と同じくライン際へのライナーで長打を狙うつもりであった。


しかし実際に打球が飛んだのはセンター方向。結果だけならタイミングを完璧に合わせたと


他の者の目からは見えるだろうが、菫からすれは満足のいかぬバッティングでしかない。


そういった意味では沙希の術中にハマってしまったと言えなくもなかったが、こうして塁に


出れただけでも良しとするべきだろうと菫は切り替えた。


そしてマウンド上の喜美が奈月からのサインを確認する姿を注意深く見つめながら、


一塁ベースから離れてリードを取る。


牽制球を警戒していたが、セットポジションに入った喜美は肩越しにこちらを一瞥だけすると、


そのままクイックモーションで投球に移った。


ストライクゾーンの最底辺のさらに下を通過していくシンカーに、バントの構えを見せていた


美央がバットを引く。


捕球が難しい地面スレスレに落ちてくる球を奈月がミットから零さずすくい捕ったのを


確認すると、そこで菫は一度ベースの上に帰塁した。


(……なるほどね)


再びリードを取りながら、菫は今の初球から得られた情報を頭の中でまとめていく。


まず相手バッテリーは自分の盗塁よりも美央のバントを警戒している。


落ちる変化球をわざとストライクゾーンから外してきたのは、簡単にバントをさせたくないと


いう意思の表れであろう。


普通に考えればアウト一つと引き換えにランナーを次塁に進められるバントよりも、


アウトを得られずにランナーを進められる可能性がある盗塁を優先で阻止するべきだ。


けれど、そうしてこないということは……


(私に走られてもアウトに出来る自信がある……ということかしら)


確かに二回戦で喜美と奈月のバッテリーは盗塁を二度阻止していた。


特に奈月の強肩には目を見張る物があったと菫の記憶にも印象深く根付いている。


だが――それだけだ。


盗塁を阻止するにはキャッチャーの肩の強さと送球の正確さがウエイトのほとんどを占めている


といっても過言ではない。


しかし、だからといってそれだけが優れていれば良いという訳でもない。


野球はピッチャーが球を投げて始まるスポーツである以上、当然そこにも技術が必要とされる。


ランナーに良いスタートを切らせないための牽制球をはじめとしたプレッシャーのかけ方。


キャッチャーへとコンマ1秒でも早く球を届けるためのクイックモーションのスピード。


そして、何よりも球速。


それらの盗塁を阻止するために投手として必要な技術が喜美からは何一つ感じられない。


故に菫が弾き出した答えは『盗める』であった。


相手バッテリーの総合力と自分の盗塁技術とを正確に比較して下した判断に、狂いが生じたこと


など今まで一度もない。


その自信が菫のリードを半歩大きくさせていき、盗塁への準備を完了させた。






(……先生の言っていた通り、本当に初球は走ってこなかった……)


菫は塁に出ると初球は『見』に徹する癖があると沙希に聞かされていた通りの結果に、


喜美は微塵だが安堵を感じていた。


そして瞬時に気を引き締め直す。ならば次は間違いなく走ってくるというところまでが沙希の


立てた予想なのだから。


まずは一球様子見をし、可か否かを判断する。


そして走る場合は打者のカウントを悪くしすぎないように気を遣うのか、二球目が圧倒的に


多い。


その前情報通りに喜美が投球モーションへ入ると、同時にファーストの梓から菫が走ったことを


知らせる声が聞こえた。


焦る気持ちを抑え、この試合に向けて練習を重ねてきたクイックモーションのスピードを


上げる。


二回戦で投げた時とも、菫の目の前で『わざと』使った旧式のモーションとも違う、球を最速で


リリースさせることだけに特化させた新型クイックモーションで、すでに立ち上がっている奈月


のキャッチャーミット目がけ全力で腕を振り抜く。


(仕掛けられるだけの罠は全部仕掛けた!後は頼んだわよ!奈月‼)


相棒のその想いに応えるように――


「ふぅぅぅ~~っみぃッッ!」


マウンド上でしゃがんだ喜美の頭上スレスレを、自分の投げる球とは比べ物にならないスピード


の剛速球が通過していく。


それは目的地である二塁ベースまで一切の失速なく伸び進み――


「ようこそおいでくださいましたわ。ですが、お帰りはあちらでしてよ」


すでにベースカバーに入っていた雅が構えるグローブに辿り着くと、足から滑り込んできていた


菫のスパイクの先へと優雅にタッチしてみせた。



『と、盗塁失敗ぃ~!南さんから放たれた矢のような……いや、弾丸のような送球が川島さんの


進塁を阻止しましたぁッ~!』


『確かに南さんの送球も素晴らしかったですが、笹川さんもクイックモーションを使い分けて


上手く川島さんを騙しましたね。隠れたファインプレーですよ』



「や、やった……やったぁ!」


マウンド上で屈ませていた体を立ち上がらせながら喜びを爆発させる喜美。二塁に向けていた


顔をすぐさま本塁へと振り向かせると、奈月も満面の笑みを返してくる。


しかし、菫の盗塁を阻止したことに誰よりも興奮していたのはベンチの中で立つ沙希であった。


「よ~しよしよし!よくやったわ、喜美!このまま無失点でベンチに戻ってきたら思いっきり


頭をわしゃわしゃしてあげる!」


「ですってよ。良かったですわね」


「え~……」


そして内野間でのボール回しを終え、直接球を手渡しにきた雅からグローブでそれを受け取る


と、露骨に嫌そうな顔を沙希に向けた。


すると「なによその顔は!こうなったら意地でも浸透させてやるんだから!」と拗ねた子供の


ような反応が返ってきたので思わず吹き出してしまった。



『これでランナーが無くなりツーアウトとなりました。鶴川としては火の勢いが大きくなる前の


小火で鎮火できたといったところでしょうか』



涼子の実況に文代は同意すると、このアウトはたった一つのアウトだがそれ以上に大きな意味を


成す、と付け加えた。



「菫先輩が……盗塁を失敗した……?」


目の前で起きた信じられない光景に、椿だけでなく氷取沢の誰もが驚きを隠せなかった。


菫が盗塁を失敗したことなど公式戦はもちろん、練習試合でも一度もなかった。


そして何より、氷取沢が誇る得点の方程式が崩れ去った衝撃は計り知れなかった。


「すみません……いけると思ったのですが……」


梨花に頭を下げてからこちらに歩いてくる菫に気づき、椿がハッと我に返る。


「ド、ドンマイですよ菫先輩!失敗くらい誰だってしますよ!人間ですもの!」


「おめーはいつも失敗してばっかだけどなー」


「う、うるさいな!それだけ人間らしいってことじゃん!」


椿と絵里香のやりとりに菫はクスッと笑うと、冴えない顔をさせていた己の心を切り替えた。


「ありがとう、椿。すぐにプロテクターを着けるから、それまで誰かとキャッチボールを


してて」


「い、いえ!あたしも手伝います!」


言うが早いかベンチに置いてあった菫の防具を両手で抱えて持って行く忠犬を横目で見ながら、


梨花の機嫌はさらに悪化していっていた。


別に椿の忠犬さが1ミリも自分には向かないことに苛立っているのではない。まぁそれも少しは


あったかもしれないが、それよりも菫が盗塁を失敗したことが問題であった。


(あいつの野球は一言で言ってしまえばデータ野球。膨大な情報量を基に理詰めでプレーする、


詰め将棋みたいなもんだ)


故に他の者と比べて失敗が極端が少ない。石橋を叩いて安全であると確認できた橋しか渡らない


タイプともいえた。


だが、その菫のデータ分析にエラーが生じた。問題はそこなのだ。


どうしてそうなったのか理由は分かっている。単純に鶴川というチームが未熟すぎるからだ。


完成したチームとは違い、成長の余地を残したチームというのは短期間で急激な成長を見せる


ことがある。時には試合中に進化を遂げる場合すらある。


未熟すぎる故に未知数。


本来のデータから大きく外れてくるその伸びしろの数値を、菫は計り損ねてしまったのだ。


(データを使いこなす川島にとっては最も相性の悪い相手、か……)


良くも悪くも氷取沢は菫を頭脳としたチームだ。


脳の働きが悪くなれば、当然チームという全身に至るまで悪影響を及ぼす。


それが分かっていても、代えが利かない唯一無二の存在である以上は菫を交代させるという


訳にはいかない。


だからこそこちらが打てる手は、今まで通り菫にチームの命運を託すしかないのだ。


手持ちのカードの中から切るカードを選ばされている感覚は不愉快以外の何物でもなく、


梨花はこの試合が始まってから一番大きな舌打ちをした。



【続く】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ