第二部 VS氷取沢女学院 第五章 2
「さーて、どっかの誰かさん達が頼りにならないから、自分のバットで同点にしてきちゃう
じゃん」
前の回で凡退した純と絵里香をぐぬぬとさせてから打席に向かう椿。
その途中でヘルメットの位置を直すと、マーチングバンドのドラムメジャーのようにバットを
器用にクルクルと回す。
「あいつ……完全に調子に乗ってんな……!」
「まぁ仕方ないんじゃねー?実際、初回以外は完璧なピッチングな訳だしよー」
加えて相手チームの主砲にリベンジを果たした直後なのだ。ノるなという方が無理な話で
あった。
そしてノッている時の椿が口だけではないということを二人もよく知っている。
それが投球だけでなく、打撃にも影響してくることも。
「ちっ……。なら、お手並み拝見といこうじゃねーか!」
それでも腹の虫が収まらない純はドスンッと乱雑にベンチへ腰を下ろすと、一年生が持ってきた
紙コップに入った水を一気に飲み干した。
『さぁ、三回の裏。氷取沢女学院の攻撃は九番・橋本さんから始まります』
右打席に入った椿はマウンド上と同じように大きく息を吐いてからバットを構える。
集中力を高めた彼女への初球はインコース中段へのストレート。
対角線上から放たれた、自分の左脇腹に当たるのではと錯覚してしまいそうになる軌道の球に、
体をくの字にして避けようとしてしまう醜態だけはなんとか晒さず堪えたが、代わりにバットを
持つ手は全く動かせなかった。
(うおっ……!ベンチから見ててもえげつない球だとは思ったけど、打席で見るとさらに
えげつないじゃん⁉)
しかも球にノビがあるので球速以上に速く感じられた。いやそれでも球速は140km/hと
十分に速いのだが。
(あいつら、よくこんな球に食らいつけるな……)
椿もバッティングは決して苦手ではなかったが、投手と打者ではそもそも練習量に違いがある。
その差を今更ながら感じ、純達に大見えをきったことを軽く後悔し始めていた。
(けど、吐いた唾を飲んだら恰好がつかないじゃん!)
気合を入れ直し迎えた二球目。しかし縦に鋭く沈むスライダーにバットは空を切る。
(は、吐いた唾は……)
三球目のストライクゾーンの外から中へ入ってくるスライダーにはバットが届かず再び空振り。
見事な三球三振であった。
「…………」
空振りした直後の体勢で固まったまま、ズレたヘルメットの隙間から一筋の冷汗を垂らす椿。
主審に「三振だよ?」と声をかけられると、そこでやっと「あっ、はい……」と返事をして
そそくさと打席を後にした。
打席に向かった時の堂々とした姿とは真逆の猫背になりながらベンチへと戻っていくと、
途中で菫とすれ違う瞬間に肩を軽く叩かれて顔を上げる。
「ドンマイよ。後は私達に任せて、椿はベンチでしっかり休んでて」
「菫先輩……はい!」
元気を回復させる微笑みを受け取った椿は打席に向かう菫の背中を見送り、少しだけ猫背を
直してベンチに戻る。
するとそんな彼女を、ニヤニヤと笑みを浮かべる純と絵里香が出迎えた。
「おやおや~?自分のバットで同点にしてくるんじゃなかったのか~?」
「頼りにならないどっかの誰かさんに言われるのってどんな気持ちだー?なぁ、今どんな気持ち
だー?」
「う、うるさいな!調子に乗って悪かったじゃん!」
仏頂面でバットとヘルメットを片づけてベンチに座ると、その両脇に移動してきた二遊間コンビ
を無視して頬杖をつきながら菫の打席を見守ることにした。
『まずはこの回の先頭打者を三振で仕留めた鶴川バッテリー。しかし氷取沢の打線は二巡目に
入り、主将でありチームの切り込み隊長である川島さんを再び迎えます』
『ワンアウトになりましたが、ここで再び川島さんが出塁すれば同点への期待は高まりますね』
『確かに彼女が出塁した回は得点が入る確率が高くなるというデータがあります。
初回もそうでしたし、ここは鶴川バッテリーも最大レベルの警戒体勢で挑むでしょうが……。
おや?その鶴川高校のベンチから立花監督が出てきました』
実況席から涼子が目ざとく気づいた通り、ベンチから出た沙希はそのまま主審のもとへと
歩いていく。
『これは選手交代……でしょうか?』
『ですが鶴川高校は控え選手がいないはずですよね。となると、守備位置の交代じゃないで
しょうか』
『言われてみれば確かに……。あっ、どうやら大矢さんの仰る通りのようです。
ライトの松本さんがファーストに向かって走っていきますね』
沙希が主審に交代内容を伝え終えると、その内容をさらに主審から受け取ったウグイス嬢が
場内アナウンスでさらに全体へと伝えていく。
そして全てのアナウンスが終わると同時に、球場が大きくざわめき立った。
『こ、これは驚きました!鶴川高校、ここでエースの秋月さんをライトに下げ、ファーストの
笹川さんをマウンドに送り出してきました!』
『笹川さんは二回戦で先発として投げていたのでリリーフは有ると思っていましたが、
まさかこうも早いタイミングでとは……。これは立花監督、勝負に出ましたね』
『やはり前の打席で秋月さんは川島さんにヒットを打たれているからでしょうか?』
『……どうでしょうね。ですが仕掛けてきた以上、秋月さんを続投させるよりも何かしらの
勝算があると踏んでいるのは間違いないでしょうね』
『なるほど……。果たしてこの交代が吉と出るか凶と出るか。
この試合、最初のターニングポイントとなりそうです!』
「うわぁ……実際にマウンドに立つと緊張感が二回戦の比じゃないわ、こりゃ……」
自分を中心に360度の全方向から感じる観客の視線に顔を引きつらせる喜美。
許されるなら、今すぐにでもこのプレッシャーに白旗を上げてしまいたいくらいであった。
「喜美ちゃん、リラックスですよ。リラックス」
「それが出来るならとっくにやってるわよ……」
「別に緊張するのは悪いことじゃないわ。それに今はそうでしょうけど、投球に集中していれば
観客席からの視線や音なんてそのうち気にならなくなるわよ」
「いやいやいや。絶対無理だから。私の蚤の心臓を舐めすぎだから」
度胸の塊である二人にツッコミを入れて、陽菜から球を受け取る。それすらも、いつもより重く
感じられた。
「でもまぁ……やれるだけはやってみるわ」
「安心しなさい。予定通りにいかなくても、私がなんとかしてあげるから」
「大丈夫ですよ。私達を信じてくれている先生を信じれば、きっと上手くいきます」
二人の言葉に喜美は強張らせた顔を頷かせると、それを合図に奈月と陽菜はそれぞれの
ポジションに戻っていく。
一人になったマウンドの上で喜美は右手を心臓の上に当てて鼓動の速さを確かめると、
意味がないと分かっていながらも大きく深呼吸をし――しかし、覚悟を決めた表情で正面を
見据えた。
【続く】




