第二部 VS氷取沢女学院 第五章 一進一退
第五章 一進一退
二回の裏。
陽菜はこの回の先頭打者である五番・亜麻根 玲子にレフト前へのヒットを許すものの、後続を
なんとか抑え込み、この回は無失点に抑える。
「おーい。すぐに逆転してくれるって言ってたのはどこの誰じゃーん」
「う、うるせーな!焦んねーで次の打席を見てろって!」
結果を出せずベンチに戻ろうとしていた純に向かって、ネクストバッターズボックスから椿が
軽口を叩くと、彼女はイラッとした様子を隠そうとも言い返した。
「だなー。慌てるなんとかは貰いが少ないって言葉、知ってるかー?」
同じくセンターフライに倒れた絵里香もバツが悪いのか、腋にグローブを挟んでそそくさと
守備に向かう。
そんな二人の反応を楽しむ余裕を見せながら椿もベンチへと戻ると、梨花の冷たい視線に
気づき、緩んでいた顔を引き締めた。
(そんな目で見なくたって、自分達がまだ負けてる状況だってのは自覚してるっての)
けれど純の言う通り、焦らずともこちらの攻撃はまだ七回も残っている。
さらにこの回は完璧に抑えた自分と、紙一重でなんとか凌ぎ続ける相手エースとを比べれば
試合の流れはどちらに傾きつつあるかは明白だ。
(次のうちの攻撃はもう一度菫先輩に打順が回る。なら、あたしは今の流れを途切れさせず、
援護を信じて投げるだけじゃん!)
自分の役割を理解し、調子を取り戻した椿の投球はまず海帆を三振に仕留め、続く穂澄も
レフトフライに抑え塁に出ることを許さない。
そして一打席目は痛い目を見せられた奈月と再び対峙した。
『さぁ、快投を続ける橋本さんに、ここでもう一度鶴川の主砲が立ち塞がります』
一打席目と同じく元気よく挨拶をしてから打席に入り、左手で垂直に持ったバットを両目の
間に置き、大きく深呼吸をする奈月。
そして両手で持ち直すと、一度肩に担いでから今度はバットの先が斜め上を向くように構えて
戦闘前のルーチンワークを完了させた。
その一連の動作をマウンド上から手にロージンを塗りながら見据えていた椿もまた、大きく
深呼吸をする。
(一年のくせに自信満々に構えやがって。気に入らないったらありゃしないじゃん)
前の打席で自分からホームランを打っているのだ。当然といえば当然ではあった。
けれど――
(それで調子に乗るなんて百万年早いじゃん!)
初球――菫の指示通りにアウトコース低めへ。
わざとストライクゾーンから大きく外したスライダーを、奈月はバットをピクリと
反応させながらも見送る。
椿と菫のバッテリーからすれば、あわよくば空振りを取れればと考えての配球であったが、
やはりそう簡単にはいく相手ではなかったと再認識する。
――だが、それでいい。
今のは獲物を罠にかけるための陽動。確実に狩るための本命の一撃はこれからなのだから。
グローブの中で球の握り具合を念入りに確認して、椿が勝負の球を投じる。
一球目と同じアウトコース低めへ。スライダーの軌道を描き、今度はしっかりと
ストライクゾーンの中へ。
奈月から見れば一球目よりも甘く入ってきた――しかも前の打席でホームランを打ったのと
全く同じ絶好球に見えただろう。
だからこそ迷わずバットを振りにいく。一打席目のイメージと手応えを頭の中で再現しながら。
だが――
奈月のバットがターゲットを捉える寸前で、誤差が生まれた。
想像通りなスライダーの軌道を描いていたはずの球がさらに変化する。横だけでなく、縦への
落下を加えて。
それは椿が菫と初めてバッテリーを組んだあの練習試合で投げた球。
切り札にして真のウイニングショット。
その名は――スラーブ。
椿のイメージ通りに軌道を描いた秘球はバットの下で叩かせ、力のないゴロとなって
セカンドへと弾き返させた。
「純!」
「あいよ!」
ほぼ正面に転がってきた打球を楽々と捕球し、ファーストへ送球する純。
奈月も全力で走るも、一塁ベースに到達するよりも前にアウトの宣告がなされていた。
『エースVS主砲の第二ラウンドは橋本さんに軍配ぃ!そしてついに南さんの打率10割に
終止符が打たれましたぁ!』
「奈月!」
ベンチの中から沙希に手招きをされ、バットを拾った奈月が駆け戻る。
「……今の球は?」
「スライダー……だと思っていたんですけど、最後にこうググって斜めに落ちてきました……」
神妙な顔つきで訊ねてきた沙希に対して、奈月も同じ顔つきになりながら手振りを交えながら
答える。
「スラーブか……。まさかそんな隠し球があったとはね……」
「みほりん、スラーブってなんニャ?」
「簡単に説明すると、スライダーとカーブを足して二で割った変化球であります」
「オウ!そのまんまイーストなネーミングネー!」
「ネーミングセンスはともかく、こいつはちと厄介だな……」
その球が選択肢として増えた意味にいち早く気づいた梓もまた表情を曇らすと、同調するように
穂澄も頷き、
「うむ。南殿の説明だと限りなくスライダーに近い軌道のようだ。これは手強いぞ」
「今のようにスライダーと見せかけてスラーブ。そして当然、逆のパターンも有り得るという
ことですわね」
「そうやってこっちのミートポイントを外して打たせるのが狙いか……」
前髪を人差し指でクルクルと巻きながら苦々しく呟く沙希。
雅の専属メイドである千代が集めてきた氷取沢の二回戦の試合映像や情報だけでなく、
去年の大会の椿の投球データまで可能な限り目を通したつもりであったが、そのような変化球を
投げた形跡は一度もなかったはずだ。
ならば見落としていたか、それとも今年の大会に備えて習得してきたか……
そこまで考えて、沙希は教え子達の不安そうな視線が自分に集まっていることに気づき
我に返った。
指揮官が動揺を見せれば、グラウンドで戦う彼女達にも迷いを与えてしまう。
そうならないようにする為にも、沙希は自らの不安を打ち消すように、パンッ!と手を叩いて
一際大きな音を鳴り響かせた。
「変化球が増えたところで私達のやることは変わらないわ。追い込まれるまでは狙い球を
絞ってバットを振り抜く。いいわね!」
『は、はいッ!』
なんとか悪い空気を生み出してしまう寸前のところで守備へと送り出した沙希は、教え子達に
気づかれないようにこっそりと小さな息を吐いた。
【続く】




