第二部 VS氷取沢女学院 第四章 3
「すみません……。絶対抜けたと思ったんですけど……」
ベンチに戻ったあざみがヘルメットを脱ぎながら監督に謝る。
しかし梨花はいつも通りの愛想のない口調で、
「あれは仕方ねぇ。さっさと切り替えろ」
「そうよ、今のは相手の守備を褒めるしかないわ」
菫にもフォローを入れてもらい、あざみは「はい!でも次は必ず塁に出ます!」と宣言すると、
ベンチに入っている控えの一年生からグローブを受け取った。
「椿も行けるわね?」
「……はいッ!」
自軍の攻撃中に平静を――否。より気合を入れ直した返事をする椿の右肩に、菫はポンと手を
乗せる。
「少し力が入りすぎてるわね。もっとリラックスして、今の状況を楽しみましょう」
「菫先輩……はい!」
言われた通り、素直に顔から順に下へと体の力みを緩ませてほどよく脱力する椿。
そのやり取りを、控え捕手の山吹 佳乃は遠くから複雑な想いで見つめていた。
(やっぱり菫先輩には敵わないな……)
もし自分だったら今のような言葉はかけられなかっただろう。
気合を入れ直しすぎた椿をそのままマウンドに上げ、暴走させていた可能性があった。
捕手としても、打者としても、気配りにしたってどれも敵う気がしない。
そして何よりも、菫に向けられた絶対的な信頼を自分は椿から得られていない。
共に過ごして来た時間だけなら、自分のほうが遥かに長いはずなのに……。
菫先輩が相手だから仕方ない。そう自分を納得させて腐らせてしまうのは簡単だった。
けれど、そうはしたくなかった。
この大会が終われば、結果に関わらず三年生である菫は引退してしまうのだ。
そしてその穴を埋めるのは自分なのである。
だからせめて菫がいなくなった後に自分が代わりになれるように。今度こそ自分が相棒として
椿を支えてあげられるように。
今は偉大な先輩から学べることは全て学んでおこう。そう――決めていた。
「椿!菫先輩!ファイトーッ!」
守備に向かう二人を心の底から応援する。
すると二人は同時に佳乃へと振り返り、
『任せて!』
握りしめた拳を見せつけながら、力強く笑った。
「ナイスファイトよ海帆!奈月に負けない値千金のビッグプレーだったわ!」
奈月に先程したのと同じように、髪型がくしゃくしゃになるまで海帆の頭を撫で回す沙希。
それを見ながら喜美がポツリと呟く。
「……もしかして値千金の何かをするとあれをやられるの?」
「わたくしは遠慮したいですわね。試合後なら別に構いませんが、人前で乱れた髪を晒すのは
優雅ではありませんもの」
「ののあもこの髪型をセットし直すのは面倒だから勘弁してほしいニャ」
「えっ⁉ これ不評⁉」
驚愕しながら教え子達の顔を一人一人見ていき問うと、奈月以外はそっと目を逸らした。
すると沙希はガーン!という効果音が聞こえてきそうなほどショックを受け、軽くよろめいた。
「ま、まぁとにかく……、一点返されたけどまだ流れはうちに残ってるわ。この回もガンガン
追加点を狙っていくわよ!」
それでもなんとかギリギリのところで踏みとどまり、両手を叩き合わせてパン!と鳴らし鼓舞
すると、奈月達は元気よく返事をした。
そしてこの回の先頭打者である喜美に声をかけて送り出すと、間髪入れず奈月と陽菜を
呼び寄せた。
「どう?実際に投げてみての手応えは?」
「奈月にも言いましたけど、決して力負けしているとは思いません。海帆のファインプレーに
助けられましたが、ああいうのも含めてそう思っています」
「うん。あの打線を相手にしても物怖じはしていないわね。上出来よ」
陽菜の感じている手応えに満足気に頷く沙希であったが、対照的に奈月は浮かぬ顔であった。
「でも奈月はそうは思っていないみたいね?」
「……正直に言いますと、いくら陽菜ちゃんでもこのままではジリ貧だと思います。
なんとかストレートで空振りが取れればいいんですけど……」
「向こうの打者は揃いも揃って選球眼が良さそうだし、それも今のままでは難しいわね」
「はい……」
「それは陽菜も分かってるはずよね?」
沙希の問いに、陽菜は不承不承ながらも頷く。それを確認した指揮官の決断は早かった。
「いいわ。出来るだけ温存しておきたかったけど、『あれ』が必要だと思ったら迷わず使い
なさい。サインはどちらから出しても構わないわ」
「は、はい!」
「分かりました」
二人が同時に了承の返事をすると、そこで三振に倒れた喜美が申し訳なさそうな顔で戻って
きた。
「すみません……。先頭、出れませんでした……」
「ドンマイよ。でもどうすれば塁に出れたかは次の打席までに考えておきなさい」
「は、はい!」
「あとプランBで行くから裏で奈月とキャッチボールしてきなさい。ついでに打順だから
ののあ達も呼んできて」
次々と手を打ち、慌ただしくなっていく鶴川ベンチ。その様子を反対側の氷取沢ベンチから、
梨花は眉をひそめながら窺っていた。
(センターとセカンドが消えたと思ったら今度はキャッチャーとファースト……いや、
ピッチャーか。何か仕掛けてこようとしてやがるな……)
総合力で劣る鶴川が策を弄してくるであろうことは予想できていた。
十年前、自分が沙希達――初代鶴川女子野球部と戦った時もそうであったからだ。
だから梨花は試合よりも鶴川ベンチへと意識を向けていた。グラウンド上で気づいたことは全て
菫に報告させるようにしてるし、ぶっちゃけ自分でも気づかないような細かい点まで拾ってくる
ので、そちらの情報収集は彼女に任せておいたほうが効率が良いまであった。
(まぁいい。何を仕掛けてこようが、こっちは正面から叩き潰すだけだ)
それも十年前と同じ。
沙希に打たれたサヨナラホームランの誤算を除けば、試合の大半を支配していたのは
氷取沢女学院だったのだ。
だから今回も自分達のペースを乱されないよう、どっしりと構えていればいい。
(第一、序盤からそんなに動きまくってるのは不安の裏返しにも見えるぜ?立花 沙希)
梨花は見下すように鼻で笑うと、組んでいた足の上下を入れ替えた。
『さぁ、八番・九番と下位打線の二人を連続で三振に斬ってとり、二巡目を迎えた猫又さんに
対しても、早々にツーストライクと追い込みました氷取沢の橋本投手。
このまま三者連続三振となるか……どうやらサインが決まったようです』
菫の出したサインに椿はほぼノータイムで頷くと、セットポジションに入りグローブの中で
球の握りを確認する。
(この学校に来て女子野球部に先輩がまだ残っていたのはあたしにとって誤算だった。
けど、それよりももっと誤算だったことがある)
一度大きく息を吐いてから投球モーションへ移行する。
(それは……その先輩が最高の先輩だったことじゃん!)
振り抜いた右腕から放たれた球は要求通りのコースを描き――
(あたし達が菫先輩と一緒に全国へ行けるチャンスは今年が最後なんだ!
だから――邪魔すんな‼)
椿の想いを乗せるように一段と大きく変化し、ののあのバットを空振りさせると
菫のキャッチャーミットに収まった。
「ッしゃあ!」
『氷取沢のエースが吠えたぁ!これが真の実力だと言わんばかりの三者連続さんしーーんッ!』
椿はマウンド上でガッツポーズを決めると、守備についていた仲間達から送られる賞賛の声を
浴びながらドヤ顔でベンチに戻って行く。
三塁側応援席からもまた、エースの好投を称えるべくブラスバンド部の演奏が鳴り響いた。
「うぅ~……!また打てなかったニャぁ~……!」
一方、またしても三振に終わったののあは悔しさを滲ませながら一塁ベンチへ戻ってきた。
「けど指示通りちゃんとバットは振ってきたわね。偉いわよ」
そんな彼女の頭に、沙希はヘルメット越しに手を乗せると優しくポンポンと叩く。
「今はまだ種を蒔いてる段階よ。必ず収穫の時は来るから我慢して」
「分かってるニャ……。でもやっぱり悔しいのものは悔しいんニャ……」
「なら海帆みたく守備でやり返してきなさい。でも無茶なプレーは厳禁だからね」
「それも分かってるニャ。もう二度と初めての試合みたいなことはしないニャ。
ののあはちゃんと成長できる子ニャ」
「ならば良し!」
バットとヘルメットを片づけて、海帆からグローブを受け取ったののあの背中を叩いて守備へと
送り出す。
そして教え子達には悟られないようにポーカーフェイスを保ったまま、心の内ではため息を
ついた。
(良い投手だとは分かっていたけど、ノせるとさらに厄介そうなタイプみたいね……)
横目でチラリと、活気づく相手ベンチの中心となっているエースを覗き見ながら腕を組む。
完全に取り戻した今の調子を最後まで維持されたら、追加点を取るのは容易ではないだろう。
そういった意味では初回に点を奪えたのは本当に運が良かった。
けれどこのまま運任せで勝てる相手ではないことは沙希も理解していた。だからこそ組んだ腕に
力が込もる。
(……こりゃ中々ヘビーな試合になりそうだわ)
しかし感じるプレッシャーとは裏腹に、その口端は楽しそうに笑みを浮かべていた。
【続く】




