第二部 VS氷取沢女学院 第四章 最大の誤算
第四章 最高の誤算
――どれくらいそうしていただろうか。
やっと涙が止まりかけ、漏らしていた嗚咽も体の震えと共におさまりかけてきた頃だった。
地鳴りのような大きな歓声が椿の頭上から聞こえた。つまり三塁側応援席が沸いていると
いうことである。
少し前にも一度だけ同じく歓声が聞こえたが、今回のものはそれに比べ物にならないほど格段に
大きかった。
それを合図にするように椿は赤くなった両目をユニフォームの袖で拭うと、力なくよろよろと
立ち上がる。
そして壁に寄りかかりながらなんとか前へと足を進め、やっとの思いでベンチの出入口まで
辿り着いた――その時だった。
「椿!」
菫の声が聞こえた。
ベンチの中まで差し込む陽射しに目を細めていた椿がゆっくりと瞼を上げていくと、
スコアボードに表示された氷取沢の文字の横に『1』の数字が見えた。
「まずは一点、取り返してきたわよ!」
そしてヘルメットを着けたままの菫が駆け寄ってくると、そのまま飛びつくような勢いのまま
椿を思いっきり抱きしめる。
驚く間もなく、続けてチームメイトの姿も視界に入ってきた。皆、心配そうに自分を見つめて
いた。
「菫先輩ぃ……皆ぁ……」
せっかく止まった涙がまた溢れてきた。それを菫はそっと指で拭い、
「まだ泣くのは早いわよ。ここから逆転して、椿にもしっかり抑えてもらわないとね」
「心配すんなー。あの程度のピッチャーならすぐにあたし達が逆転してやっからよー」
「そうそう。オレ達は比良坂 叡を想定してこの一年間バットを振ってきたんだ。あんなぽっと
出の一年坊なんか目じゃねぇって」
「絵里香……純……」
自信を全身で表すように、ベンチにどっしりと構えて座る田中 絵里香と萩原 純が同時に
ニカッと笑ってみせる。
椿は必死に涙を堪えると大きく音を鳴らしながら鼻をすすり、
「し、心配なんかしてる訳ないじゃん!あんた達なら簡単に逆転してくれるって最初から
信じてたし!」
同じように白い歯を見せて笑う。
その様子を菫は微笑ましく見つめながら、しかしすぐに戦士としての顔に戻る。
「さぁ、このまま一気に逆転しましょう!」
『はいッ!』
そして椿達もまた、戦う者として相応しい顔つきになって返事をする。
即座に反撃に成功した氷取沢女学院の士気は、再び最高潮に達しようとしていた。
『さぁ、まずは犠牲フライで一点を返しました氷取沢女学院。大矢さん、初回から点の取り合い
になってきましたね』
『失点したその回にすぐ得点できたのは大きいですね。蓮さんのファインプレーから
生み出された良い流れがまだ続いているように思います』
『そうですね。ではここで先程の得点シーンまでの流れをリプレイで見てみましょう』
涼子がそう言うと同時に、テレビの画面が少し前の試合映像へと切り替わる。
『まずは先頭打者の川島さんがレフト深め、しかも三塁線ギリギリのところへ落ちる痛烈な
打球でツーベースヒット。打ったのは横のスライダーでしょうか?』
『です。初見の変化球を見事に狙い打ちましたね。表の攻撃で南さんにはスライダーを打たれて
いますし、お返しと言わんばかりの一撃でした』
『そして続く二番の神那さんがきっちりと送りバントを決めてランナーは三塁へ。
さらに三番の金子さんもセンターの定位置まで飛ばし、川島さんがタッチアップしてホームイン
しました』
『一番が出塁し、二番がチャンスを広げ、クリーンナップでランナーを返す。鶴川も得意として
いる教科書通りの攻撃パターンですが、明暗が分かれましたね』
『確かに鶴川はホームランで先取点をあげたものの、一、二番の二人は仕事をさせてもらえま
せんでした。やはりそこが機能しないと鶴川としては厳しいですか?』
『打席が回ってくる回数が多くなる二人がどうなるかで、もちろん試合展開は大きく変わって
くると思います。
氷取沢のように自分達の形できっちり点が取れるとチームは波に乗れますし、相手への
プレッシャーにもなります。
後は援護をもらった橋本さんが次の回からどういうピッチングをしてくるかにも注目ですね』
『なるほど…。チェックポイントが多すぎて野球初心者である私の思考回路はすでに
ショート寸前ですが、とりあえず次の打者に注目してみようと思います!』
【続く】




