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第二部 VS氷取沢女学院 第三章 6

挿絵(By みてみん)



部室からここまで全力疾走してきたのだろう。肩を大きく上げ下げするほど息を乱したまま、


氷取沢女子野球部のユニフォームに着替えた菫が梨花の前に立つ。


「遅くなってすみませんでした!山吹さんの代わりは私が務めます!」


そしていつものように睨みつけるような目で自分を見てくる梨花の顔を真っ直ぐに見据え、


力強く言い切った。


その姿に梨花は「ハッ!」と短く笑い、そのまま口元を緩める。


「本当に遅ぇんだよ、この馬鹿が」


「すみませんでした!」


もう一度謝り、頭を下げる菫。


そして上げた顔には、マネージャーをしていた時にはなかった、確かな意思が感じられた。


そんな中、事情を知らない椿はただただ菫のユニフォーム姿に驚くばかりであった。


「え……?な、なんで川島先輩がユニフォームを着ているんですか……?」


「今こいつが言った通りだ。山吹と交代して川島がキャッチャーとして入る。


もちろん試合は続行。いいな?」


「で、でも先輩はマネージャーですよね?いくら人がいないからってそれは無茶なんじゃ……」


「無茶かどうかはお前の目で確かめてみろ。それとあたしは山吹を病院に連れて行くから、


ここからは川島。お前が試合の指揮を執れ」


「え……私が……ですか……?」


「出来るな?」


有無を言わさない梨花の迫力に圧されたのもあり、菫は目を背けそうになる。


しかし梨花の目を見つめ返したまま、


「……はい!」


もう逃げずに、力強く返事をした。


「お前達も川島の言葉はあたしの言葉だと思え。いいな?」


「…………」


「返事はどうしたぁッ!」


『は、はいッ!分かりましたッ!』


思いもよらぬ展開に戸惑いを隠せぬ椿達には問答無用で返事をさせるが、菫へ対する視線は


当然だが信頼という言葉とはかけ離れていた。


(まぁ、こればっかりは実際に選手として結果を出して勝ち取っていくしかねぇわな)


その梨花の考えは菫も同じであった。


少し困ったように眉を少し下げながらも椿達に「よろしくね」と微笑むと、その顔を佳乃へと


向ける。


「山吹さん。申し訳ないのだけど、あなたのキャッチャーミットを貸してもらえないかしら?」


「あっ……は、はい。今取ってきますね」


「ううん、自分で取るから安静にしてて」


そう言うと菫はベンチに置いてあった佳乃のグローブを取りに行く。


それを横目で見ながら、梨花は椿達にもう一度激を飛ばした。


「てめぇらもボサッとしてねぇでさっさと守備につきやがれ!」


一喝され、蜘蛛の子を散らすように自分のポジションへと戻っていく一年生を確認すると、


「あたしは相手の監督に事情を説明してから車を回す。先に校門で待ってろ」


「あ、あの、監督……。病院に行くのは、この回の守備だけ見てからでもいいでしょうか?」


佳乃の言葉に梨花は軽く驚いた顔をしたが、その意図を汲み取ると「ハッ」と短く笑い、


「好きにしろ。別に痛いのはあたしじゃねぇしな」


そう言って相手監督がいる反対側のベンチへと歩いて行ってしまった。


入れ違いでプロテクターを装着した菫が、左手にはめたキャッチャーミットの感触を確かめ


ながら戻ってくる。


「良いミットね。よく手入れされているし、私の手にもぴったり。山吹さんとは手の大きさが


一緒なのかもね」


「捕球時のホールド感重視ですから、ミットの間口は狭くなってて慣れてないと使いにくいかも


しれないですけど……」


「ううん、大丈夫よ。こういうタイプも使ったことがあるから問題ないわ。大切に使わせて


もらうわね」


菫はにっこりと佳乃に向けて微笑むと、椿が待つマウンドへと駆け寄って行く。


その後ろ姿を見届けてから、『本当の』氷取沢女子野球部のレギュラークラスの実力が


どの程度なのかを見極めるべく、佳乃もベンチへと戻って行った。






「急造バッテリーで大変だと思うけどよろしくね、橋本さん」


「…………」


何も答えずムスッとした顔で自分のグローブにボールを出し入れしている椿の姿に、菫は困った


ように眉を下げた。


前々から感じていたが、どうも自分は椿には嫌われている気がする。


しかしバッテリーを組む以上、そこで気後れする訳にはいかなかった。


「サインは山吹さんが使っていたのと同じでいい? 嫌なら今から作るけど……」


「……佳乃が使ってたサイン、真似できるんですか?」


「ええ。練習中に使っていたのを見ていたから覚えてるわ。念のために投球練習中に試すけど、


間違っていたら言ってね」


「なんでマネージャーのくせにそんなところまで見てたんです」


「そ、それは……」


言い淀む菫を見下すように椿は、「フンッ……」と短く息を吐き捨てた。


そしてグローブに出し入れを繰り返していたボールを、一度わざと思いっきりグローブの中へ


叩きつけるように放り投げると、


「まぁ、いいです。精々あたしの足だけは引っ張らないで下さいよ」


「え、ええ……。努力するわ」


菫は困り顔のまま微笑むと、キャッチャーマスクを被りながら自分の守備位置へと走っていく。


そして腰を下ろし、梨花が相手監督と話をつけている間に投球練習を済ませておこうと


椿に向けてサインを出す。


まず要求したのはど真ん中へのストレート。


言った通り、佳乃のサインを間違えずにそのまま使ってみせると、椿はほぼ全力で投げ込んだ。


真っ直ぐとはいえ120km/h台で飛んでくる速球だ。素人ではとても捕れる球ではないが、


菫はなんなくそれをキャッチングしてみせた。


バーン‼という椿がこれまで聞いたこともないような心地良い音がグラウンドに響き渡る。


それは思わず驚きで目を丸くしてしまう程の快音であった。


(フ、フン……。まぐれにしては良いキャッチングじゃん……)


菫からの返球を受け取り、椿は続けて彼女が自分自身も確認するように色々と試してくる


サイン通りに投げ込む。


外角。内角。高め。低め。


そして椿の持ち球である三種類の変化球をそれらのコースに組み合わせて、サインに間違いが


ないかを確認していく菫。


そこに一つたりとも不正解はなく、練習を見ていただけでサインを覚えてしまった彼女の


記憶力に椿はまたも驚きを隠せなかったが、それ以上に驚愕したのは菫のキャッチング技術で


あった。


捕手の視点からは初見のはずの変化球をいとも簡単に。しかも全てミットの芯で、かつ抜群の


タイミングで球を包み込むようにして閉じ、捕球していく。


故にミットの中からは気持ちの良い音が毎回鳴り響く。


それを椿だけではなく、同じポジションである佳乃も気づいていた。


むしろ捕手であるからこそ、菫のキャッチング技術がどれほど高いのかを椿よりも


理解していた。


自分と同じキャッチャーミットを使っているのに全く違う音を奏でるその光景を見つめながら、


思わず口からは「凄っ……」と言葉が漏れてしまう。


しかし菫が捕手としての高い技術を見せつけてくればくるほど――椿の中にある想いが


生まれた。


(まるであたしの球を捕るのなんて簡単だって言われてるみたいでムカつく……。


なら……これでどうじゃん!)


菫が体を寄せたアウトコースとは逆のインコースに、しかも要求されていたスライダーとは


逆方向に沈んで落ちるシンカーをわざと投げ込む。


普通なら慌ててグローブをはめた左腕を伸ばし、それでも届かず球を後逸させてしまうだろうと


椿は思っていたが、菫の動きはその予想を遥かに凌駕していた。


予想外の逆玉にも全く慌てず、腰を下ろしたまま寝かせていた左足を素早く立てて


サイドステップで球が曲がっていく方向へと体を移動させると、ワンバウンドしてさらに外へと


逃げようとする球の軌道をしっかり見極めた上で左腕を伸ばす。


すると今まで通りの快音を立てて――とはいかなかったが、グローブの端で球をギリギリ掴むの


に成功したのだ。


「嘘……」


これには椿も呆然とそう呟くしかなかった。


すると菫が慌てて立ち上がり、こちらに駆け寄って来るではないか。


ヤバイ。怒られる。


覚悟し、サンバイザーを深く被り直してうつむきながら両目をギュッと瞑った椿であったが、


聞こえてきた声はこれまた予想外の申し訳なさそうなものであった。


「ご、ごめんなさい! 私……最後だけサインを間違えたみたい……」


椿がわざと間違えたなどとは微塵も思ってもなく、おろおろと狼狽えながら言ってきているのが


目を閉じていても分かった。


とりあえず怒りに来た訳ではなさそうだと安堵し、ゆっくりと目を開けていきながら上目遣いで


目の前の先輩を見る。


するとそこには想像の五割増しでおろおろしていた菫の姿があり、椿は思わず吹き出しそうに


なるのを必死に堪えた。


「は、橋本さん……?」


グローブを着けたほうの手で背けた顔を隠しながら、小刻みに体を震わせながら笑うのを堪える


椿の名前を、菫が心配さも五割増しにしてきた声で呼ぶ。


絶対に吹き出してはいけない状況で椿はなんとか笑いを飲み込むと、平静を装いながら、


「……すみません。今のはあたしが間違えました……」


顔を背けたまま自分のミスであると認めた。


今度こそ怒られるかと思ったが、やはり菫はそんなことなどせず、むしろ大きな安堵の息を


ついてみせた。


「そう……良かったぁ。私のミスで橋本さんに迷惑をかけたんじゃなかったのね……」


そしてそっぽを向いたままの椿に対して微笑む。そのお人好しともいえる寛容な姿に、


椿の胸がズキンと痛んだ。


「……怒らないんですか?」


「怒る?どうして?」


「どうしてって……」


意図して逆球を投げたことはまだバレていないようだが、自分のミスであると言ったのだ。


ましてや菫は先輩なのだから、ミスをきつく咎められても文句は言えなかった。


しかし菫は相変わらず微笑んだまま、変わらぬ優しい口調で言ってくる。


「サイン通りのコースに来ないことなんてよくあることだし、今のだってたまたま橋本さんが


サインを勘違いしちゃっていただけでしょ?


慣れてないキャッチャーが相手ですもの。仕方がないわ」


あくまで非は自分にあるという言い回しに、もう一度椿の胸に痛みが走る。


しかしそれは先程の罪悪感とはまた違う痛みであった。


(どうしてこの人は……いつもそうやって自分ばっかを卑下して……)


先輩なのだからもっと堂々としていればいいのに。


今も菫は後輩である椿に気を遣って、先輩のくせに下の立場で居続けようとしている。


そうやって人の顔色ばかりを窺ってくる菫が嫌いだった。


胸の痛みは苛立ちへと変わっていく。


「……それより試合が再開したらどうするつもりなんですか?


まさか監督から指揮権を預かっておいて、ノープランな訳じゃないですよね」


「あ……そうね。それも今のうちに皆で確認しておいたほうがいいわよね」


椿が苛立ちと一緒に話も逸らそうとすると、菫は「気づかせてくれてありがとうね」と礼を


述べてから、守備についている一年生を全員一度マウンドに集めた。



【続く】

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