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第二部 VS氷取沢女学院 第三章 4

挿絵(By みてみん)



「えっ……な、なに?なにが起こったの?」


ベンチから離れた場所で絵里香とキャッチボールをしていた椿は、その光景を目の当たりに


しながら困惑していた。


突然、言い争いをする声が聞こえたと思って視線を向けたら、その直後には菫が普段の彼女


からは想像もつかない形相でベンチから飛び出して行ってしまったのだ。


「なんかよー……、川島先輩と監督が揉めてなかったかー……?」


絵里香も気になっていたのか、キャッチボールを中断するとベンチの様子を窺がいながら椿に


歩み寄ってくる。しかし梨花がこちらを睨んでいるのに気づくと、慌てて元にいた位置に戻り、


椿に向かってボールを投げた。


(あんな顔をした先輩……初めて見た……)


椿の知る菫はいつもそれが仮面なのではないかと思うほどニコニコと同じ顔で笑っていて、


例え後輩の自分がどれだけ舐めた態度を取ろうとも怒ることなど一度たりとも無かった。


その彼女が笑顔を捨て、感情を吐き出し、今にも泣き出しそうなほど悲痛に顔を歪ませていた。


一体ベンチで何があったのかは分からない。


だが、ただ事ではないという空気だけは椿にもはっきりと伝わって来ていた。






――氷取沢女子野球部の部室。


開け放たれた誰も使っていないはずのロッカーの前で、菫は立ち尽くしながらそれをただ見つめ


続けていた。


中には綺麗に折り畳まれた、未使用の真っ白なユニフォームが置かれている。自分が袖を通す


ことはないと思っていた、氷取沢女子野球部の……ユニフォーム。


「私は……どうしたらいいの……?」


そのユニフォームに向かって菫は尋ねる。だが当然、答えが返ってくるはずなどなかった。


梨花の言う通り、菫は元々マネージャーとして女子野球部に入部した訳ではない。


野球を始めた小学生の時から捕手として活躍し、中学の早い段階から氷取沢女子野球部に


スカウトされるほどの選手であった。


そんな彼女がマネージャーへと転向を決めたのは、一年前のあの事件が起こってからだ。


独りぼっちとなった女子野球部で、菫は数えきれないほどの後悔の日々を重ねてきた。


あの時、もっとあの少女に対して踏み込めていたら。


あの時、もっと同学年のチームメイトとの間を取り持つことが出来ていたのなら。


あの時、もっと先輩達に対して自分も意見を言えていたのなら……


……もしかしたら今の状況は無かったかもしれない。その可能性が菫を苦しめ続けた。


野球はチームスポーツだ。誰かがミスをしてしまったら、そのミスを責めるのではなく


皆でケアするのが当然である。


少なくとも菫は野球を始めた時にそう教わり、ずっとその考えを模範として続けてきた。


しかし、肝心な時に自分にはそれが出来なかった。


さらには女子野球部が崩壊した原因は自分のせいだと一人で背負い込み、チームメイト一人の


フォローさえ出来なかったと、選手としても続けていく自信も失ってしまう。


そして前監督の更迭が決まり、彼女が女子野球部を去る日に話す機会を得た菫ははっきりと


告げた。


これから自分は選手としてではなく、裏方として氷取沢女子野球部を支えていくつもり


です――と。


これに対し前監督は「お前が責任を感じる必要は何一つない。それに一年生なのだし、先も


まだ十分にあるのだから考え直せ」と菫を説得してみせたが、彼女の決意は揺るがなかった。


そして一年の月日が過ぎ――椿達が菫の前に現れたのがマネージャー転向への決定打となった。


中学時代からのチームメイトが揃って入部してきた彼女達は、すでに一つの形として完成されて


いた。


そこに異物である自分が加われば、せっかく完成しているチームの形を壊してしまうかもしれ


ない。ならば尚更、自分は選手としてこの女子野球部にいるべきではない。


何より……そんな資格など自分には無いのだから……


そう結論を出した菫は、マネージャーとして後輩達を支えていく道を選んだ。


都合よく自分のことは知らないはずである新監督に就任した梨花にも、元からマネージャーで


あったと嘘をついた。


こうして第二の高校野球人生を歩み出して一ケ月。


グラウンド整備や球磨きはもちろん、果てには椿達の練習着の洗濯などの雑務も菫は一人で


こなしていく。


もちろん一人でやるには仕事量が多すぎて大変であったが、自分が頑張ればその分だけ椿達が


練習に専念できると考えれば苦にはならなかった。


自分が望んだ通り、今度は裏方としてチームを支えられている。まだ少しではあったが、


その手応えも感じ始めていた。


しかし今日……それは梨花に否定されてしまった。


さらには自分でも気づかずにいた、自身の汚い部分をも指摘されてしまった。




『ハンッ。それをお前が言うかよ。自分の贖罪のためにあいつら一年坊を利用している


お前がよ』




梨花の言葉を思い出す。その瞬間、ゾッとする恐怖にも似た感覚が全身に襲いかかり、


菫は震える自身の体を両腕で抱きしめた。


(違う……違う……違う……)


心の中で何度も否定するが、完全に否定しきれない自分がいた。


自分がマネージャーになったのはチームのためだ。椿達のためだったはずだ。そこに嘘偽りなど


無かったはずだ。


けれど表舞台から身を引いたことにより、自分の願いを椿達に背負わせてしまっていたのも


また事実であった。


自分のせいで崩壊させてしまった女子野球部。だからこそもう一度、名門と呼ばれていた


在りし日の氷取沢女子野球部の輝きを自分の手で取り戻さなければならない。


それが菫の願い。


そして……償い。


選手としてグラウンドで戦うことを放棄した菫は、その想いを実現させられる椿達へと勝手に


押し付け、利用してしまっていた。


自分でも――気づかぬうちに。


「だったら……私はどうすれば良かったの……?」


梨花は言った。何が本当にチームのためになるのか。後輩のためになるのか。


そして自分自身が本当に望んでいたことを、頭を冷やしてもう一度考えてみろ――と。


別に今のままマネージャーを続けたとしても、椿達が伸び悩んだ時にはアドバイスをして


あげられる。その結果としてチームを強くすることも出来る。


けれど、それでは自分が本当に望む願いは叶えられない。


何よりも椿達を利用したままの卑怯な自分でしかない。


菫は自分を抱きしめていた腕を解くと、指が開かれたままの両手を見つめた。


指の根元には潰れて固まったマメがいくつも出来ている。


ゴツゴツとした女の子らしくない手。けれど菫はこの手が決して嫌いではなかった。


野球を始めた日から毎日欠かさずバットを振り続けてきた証。彼女にとってそれは勲章の


ようなものであった。


女子野球部の活動停止が決まって、マネージャーへの転向を決めてからも欠かさなかった。


最早日課となってしまっていて、もうやる必要はないと頭では分かっていても、やらずにいると


落ち着かなかったし、自宅にいると自然と体が動いてしまっていた。


そして――椿達と出会ってからもまだ続けている。


相変わらず無駄なことをしていると自分でも呆れながら――毎日。毎日。


時折、椿達と同じグラウンドに立って戦っている自分を想像しながら、菫はバットを


振り続けてきた。


叶わぬ願いと知りながら。


叶えてはならない願いと自分に言い聞かせながら。


空気を切り裂くたびに悲しい音を奏でるバットを――振り続けてきた。


「私の……私の本当に望みは……」


視線を掌からロッカーのユニフォームへと戻す。


梨花から与えられた制限時間は、刻一刻と迫っていた。



【続く】

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