第二部 VS氷取沢女学院 第二章 4
「……ふぅ~……」
ツーストライクと追い込まれた奈月は、打席の中でバットを構え直しながら一つ深呼吸をした。
初めて対戦するサイドスローの投手であったが、百合香が協力してくれた打撃練習のおかげで
なんとか対応できている。そのことに感謝しながら、奈月は今日までの練習を思い出していた。
普段は正面に位置するピッチングマシーンを右へとずらし、向きにも角度をつけたことで
サイドスロー投手の球の軌道を再現させた百合香スペシャルS。ちなみにSはサイドスローの
Sらしい。
店のマシン全てを百合香スペシャルSに変更してくれた為、全員がサイドスローに対する十分な
練習時間を得られた。
女子野球部の練習と営業時間の度にいちいち仕様を変更するのは大変じゃないかと沙希は心配
していたが、百合香は「試合まではサイドスローキャンペーンにしてこのままにしておくから
大丈夫だよ☆」と笑ってみせた。
少し話が逸れたが、ともあれ事前に対策が練れていたのは大きい。
もし何も対策をしないまま椿との対戦に臨んでいたら、間違いなく一球目と二球目のボール球に
手を出し、バットに当てることすら出来ずに三振で終わっていたであろう。
――とはいえ、それも完璧ではなかった。
やはりピッチングマシーンではなく、実際に人間が投げる活きた球とでは違いがあるので
100%イメージ通りとはいっていない。
特に椿の変化球はそのイメージの誤差を大きくするだけのキレを見せていた。
(変化量だけでも、マシーンと比べてボール一個半くらいは大きく変化してると考えたほうが
良さそうです……)
四球目までに見たシンカーとカーブの軌道を思い出しながら、奈月は練習と実戦の誤差を急いで
修正していく。
そして何よりも大事な、次の球がどのコースに来るのか考え始めた。
ここまでの菫のリードは、基本的に左右ギリギリのコーナーを広く、交互に使ってくる
パターンだ。しかし三球目と四球目のように連続で同じコースを使ってくるパターンも有る。
三球続けてインコースは普通なら考えにくいが、だからこそ裏をかいてくる可能性も
十分有る訳で……
(ふ、ふみぃ!とにかく来た球を打ちにいきましょう!)
プスプスと煙を立て始めていた頭の中を一度リセットすると、奈月はマウンド上で椿がサインに
頷いたのを確認してからバットを握る手に力を込め直した。
そして投じられた五球目。
椿の手から球が離れると同時に、奈月の頭の中でその球への解析が始まる。
(アウトコース。低め。ストライクゾーンに入ってくる軌道。バットを振らなくちゃ。カーブと
シンカーの軌道じゃない。ストレートとも少し違う気がする)
一秒にも満たない刹那の中で瞬時に次々と情報を処理し、判断を下していく。
(残っている球種はスライダー!イメージよりもボール一個半!――そこです‼)
答えが弾き出されるのと同時に、奈月は外へと逃げていく球をギリギリまで引きつけ、
思い通りの場所へとバットを導き――全力で振り抜いた。
カキーン!
舞い上がった鋭い打球はファーストの頭上を軽々と越え、ライトスタンドへと向かって一直線に
伸びていく。
予め定位置よりも深めに守っていたライトの神那 美央が全速力で打球を追いかけ、その途中で
到達してしまったフェンスに背を向けながら必死のジャンプを見せる。
だが奈月の放った打球はさらにその上を行き――ライトスタンドの最前列へと吸い込まれて
いった。
『は……入った――ッ!先制!ツーランホームラ――ンッッ‼』
一塁へ向けて走り出していた奈月が、打球の行方を確認してそのスピードをゆっくりと緩めて
いく。
その瞬間、一塁側応援席から大歓声が上がった。
『まさに挨拶代わりの一発!氷取沢のエースに対し、まず鶴川の主砲が名刺ではなくホームラン
を渡しましたぁッ!』
大歓声に包まれながらベースを一周し、先にホームベースを踏んで待っていた穂澄とハイタッチ
を交わして一緒にベンチへと戻っていく。
その姿に応援席の仁美も興奮を隠せず、思わず立ち上がって無我夢中で拍手を送っていた。
「っと、いけない!こんなことしてる場合じゃなかった!」
しかし自分がここにやって来た意味をギリギリで思い出すと、慌てて足元の楽器ケースから
出しておいたトランペットを両手に持つ。
「春香!行くよ!」
「えっ⁉ ほんとにやるの⁉ こっちは私達二人しかいないんだよ⁉」
「数の問題じゃないでしょ!ほら、せーの!」
事前に奈月達と打ち合わせをして決めておいた、得点時用のファンファーレを仁美は一人先行
して奏でていく。春香も目をぎゅっと瞑り、羞恥心を可能な限り遮断すると途中から仁美の
音に合流させた。
「わぁ!」
ベンチの中で祝福してくれる仲間達ともハイタッチを終えた奈月がその音楽に気づき、
ひょっこりと仁美達の視界の中に再び姿を現す。
そして演奏する二人に対してお礼を述べながら両手を大きく何度もブンブンと振ってくれた。
仁美もすぐに手を振り返したかったが、演奏を一通り終えるまで我慢した。
その途中で奈月は一礼してベンチの中に戻ってしまい見えなくなってしまったが、代わりに
たった二人の応援団の演奏を称え、他の観客が拍手をしてくれた。
演奏を終えた二人は真っ赤になった顔を隠すように俯かせながら、席に座り直し存在を
消すように身を縮こませる。
「ね、ねぇ……仁美」
「な、なに……?春香?」
「これ……死ぬほど恥ずかしいけど、なんかめっちゃ気持ちいいかも……」
「ぷっ……あはは!実は私もそう思ってた!」
顔を俯かせたまま視線だけをお互いに向け、二人は白い歯を見せて笑い合った。
「よーし!でかしたわよ奈月!値千金のホームランだったわ‼」
氷取沢バッテリーが見せた僅かな油断を見逃さず、試合の主導権を奪い取ってきたチームの
主砲の頭を、髪型が崩れるまで沙希は撫でまわした。
これで試合を有利に進められる。何より先制できたことで、ベンチ裏から様子を見に戻って
きていた二人だけでなく、全ての選手達の表情から緊張や固さといったものが抜けていた。
それに未だマウンド上で呆然としている敵のエースに与えたダメージは、沙希が思っている
以上に大きそうであった。
(欲を言えば、あと一点か二点はこの回に取っておきたいわね)
氷取沢ほどの相手から得点を奪えるチャンスなどそうそう何度も巡っては来ないだろう。だから
こそ取れる時に取れるだけ取っておきたい。
そしてここから続く左打者達には、その願望を実現させるだけの可能性が十分にあった。
「梓!向こうのピッチャーが立ち直る前に、一気に畳みかけるわよ!」
「うっス!」
期待を込めて送り出された鶴川第二の主砲は、振り向かぬまま、気合の篭った背中で沙希に
応えてみせた。
【続く】




