第二部 VS氷取沢女学院 第二章 氷取沢女学院
第二章 氷取沢女学院
『さぁ両チーム共に試合前の練習を終え、いよいよプレイボールを待つだけとなりました。
鶴川高校と氷取沢女学院、それぞれ自軍のベンチ前で円陣を組んでいます』
実況席に戻った涼子は、ついに始まる一戦の様子を伝えながら両手を握り締めた。
この時、誰よりも一番緊張していたのは試合を行う選手達ではなく彼女であった。
初めての野球実況。そして自分の未来を賭けた、もう一つの戦いがここでも行われるのだ。
絶対に下手を打つ訳にはいかないと、自然とその表情も強張っていく。
『両チーム気合の入った良い表情をしていますね。ところで鶴川高校のベンチには何やら
座布団らしき物の上にバットが置かれていますが……あれはなんでしょうね?』
そんな涼子の気負いすぎな雰囲気を感じ取ったのか、隣に座る文代は試合とは特に関係の
なさそうな話を振ってきた。
『へ……?あ、ああ……本当ですね。確かにベンチの中央にバットが飾ってあるようにも
見えますが……ちょ、ちょっと待って下さい……』
言いながら涼子は慌てて目の前のデスクに置かれた、両チームの情報や小ネタが書かれた
資料に目を通していく。
しかしそんなことに関する情報など書かれていないのは、この資料を全て記憶してきた涼子
には分かっていた。
それでも見落としがあったのではないかと必死に探していると、
『ちなみに本間さんはどう思います?』
『ど、どうと言われましても……』
そんなの私が知る訳ないじゃない!と涼子は心の内で叫んでいた。
資料にも台本にもない、正解が分からない解答を求められ、みるみるうちにテンパっていく。
だが、このまま何も答えられないというのが一番マズイ展開だというのだけは分かっていた。
故に涼子は焦燥でいっぱいいっぱいになってる頭で、それでも必死に、最も無難な答えを
探していき……
『ゲ、ゲン担ぎ……とかでしょうか……?』
『ああ、やはりあなたもそう思いましたか。先程あのバットに鶴川の選手が手を合わせて
拝んでいましたし、実は私もそうじゃないかと思っていたんですよね』
どうやら正解だったらしく、うんうんと頷きながら同意してくる文代に視線だけを
送りながら、涼子はマイクに乗らないようそっと安堵の息を吐いた。
(ってか、なんで急にそんなどうでもいい話を振ってくるのよ!)
実況席にもカメラがあるので表情には出さず、喉元まで迫り上がってきている抗議の意を
オーラに変えて文代に送りつけてやる。
しかし彼女はそんな物など全く気にした様子もなく、
『あのバットが鶴川女子野球部にとってどんな意味があるかは分かりませんが、
あれにもきっと今日の試合に関わるドラマが隠されているのでしょうね。
試合だけに注目するのもいいですが、そういう試合とは直接関係なさそうな所にも目を
向けてみると、視聴者の皆さんもよりこの試合を楽しめると思いますよ』
『あ……』
それが遠回しに自分にも言っているのだと涼子はすぐに気づいた。
確かに気負うあまり、そんなところにまで目を配る余裕などなかった。だから文代は
もっとリラックスして、視野を広く持ってみなさいと伝えてくれているのだ。
(そうだ……。試合を見たまま視聴者に伝えるのは重要だけど、ただ伝えるだけなら誰にでも
出来る……。けど、それじゃきっと誰も満足なんてしてくれない……)
この状況を仕組んだ優子から求められているのは及第点ではない。それでは結果を出したなど
と納得させられるはずがない。
求められているのは自分らしい実況。自分にしか出来ない――自分だけの実況。
それがどんな物かは今はまだ分からなかったが、とりあえず文代の言う通り、試合だけでは
なく球場全体の様子を一つたりとも見落とさないようにしようと涼子は心に決めた。
『なるほど。確かに鶴川高校のあのバットにはどのような意味が有るのか、私も気になって
きました。もし視聴者の皆さんの中で何かご存知の方がいらっしゃいましたら、番組まで
情報をお寄せ下さい。
ちなみに大矢さんはどのようなドラマ性が有れば面白いと思いますか?』
『そうですね……。十年前に立花さんが使用していたバットだったりすると、相手が
氷取沢女学院というものありますし面白いかもしれませんね』
『つまり立花監督が土屋監督からサヨナラホームランを打ったバットですか。それは拝めば
御利益が有りそうですね~』
その後も二人はバットを起点にして、十年前の県大会決勝について試合開始まで語り合った。
たびたび飛び出す涼子の素人丸出しの質問に、文代は嫌な顔一つせず丁寧に順を追って
答えていく。
それはたまたまチャンネルを合わせた、野球に興味のない涼子と同じ立場の視聴者の目と耳を
惹きつけ、徐々に視聴率を伸ばしていくこととなる。
――そんな風に実況席が良い方向へ脱線を始めていた頃。
三塁側ベンチ前では、中で足を組んで座る梨花以外の全選手が集まり円陣を組んでいた。
「さぁ、いよいよ始まるわね。皆、緊張はしていない?」
「大丈夫ですよ、菫先輩。たかだが準々決勝。一年はともかく、去年決勝を経験してる
あたし達二年はこの程度じゃ緊張なんてしませんって」
椿が自信たっぷりに自身の胸をドンと叩いてみせると、他の二年生達もそれに負けないくらい
自信に満ちた顔で頷く。
「え……そ、そうなの……? もしかして今緊張してるのって私だけなのかしら……」
頼もしい後輩達の言動に反し、おろおろし始めたのは意外にも主将である菫であった。
「ちょっと菫先輩、しっかりして下さいよ~。まぁ試合が始まってしまえば、一番肝が
据わるのは菫先輩だってのは皆知ってますけどね」
「うぅ……。それだとなんだか普段は私が頼りないみたいじゃない……」
「自覚、なかったんですか?」
「……ありました……ごめんなさい……」
先輩と後輩という壁を感じさせぬ容赦ない弄られ方を椿にされ、菫がかなり本気で凹んで
みせると円陣は笑いに包まれた。
恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべていた菫であったが、すぐに気を取り直して真面目な顔に
戻ると、
「でも安心したわ。それなら今日も、いつも通りに自分達の実力を発揮できそうね」
椿達も同じく表情を引き締めると、菫の言葉に頷いて隣同士で手を繋ぎ合っていく。
「今日の相手は一筋縄ではいかないでしょうけど大丈夫。私達がいつも通りに試合をすれば
負けないわ」
『はいッ!』
「じゃあ、いつもの行きましょう!」
菫は目を閉じ、スゥーッと深く息を吸い込むと、腹に溜めたそれを普段の彼女からは想像も
できない大声と共に吐き出す。
「氷取沢ァァッッ!ファイッッ!」
『オーッッ!』
「ファイッッ!」
『オーーッッ!』
「ファイッッッ‼」
『オーーーーッッッッッ‼』
そして創部から続く伝統の掛け声を終えると、全員で人差し指を立てた右手を天高く
突き上げた。
「ふあぁぁ……、やっぱり氷取沢の円陣は格好いいであります……」
反対側の一塁側ベンチ前で、沙希を含めた十人全員で円陣を組んでいる中、先行して掛け声を
終えた敵チームを眺めながら海帆は目を輝かせていた。
「分かる分かる。掛け声自体はオーソドックスだけど、だからこそシンプルな格好良さ
みたいのがあるよな」
「だったらワターシ達もマネしてみるネー?」
「いやいやいや、テレビ放送されてるのにパクリとか駄目でしょ。ってか、奈月に
あんなキレの良い音頭が取れる訳ないじゃない」
「ふみぃ……すみません……」
「いいのよ、奈月。他所は他所、うちはうちなんだから」
「またピヨっちのなっつん甘やかしが始まったニャ……」
こちらはこちらで試合前とは思えない和やかな雰囲気のまま、肩を組んで円陣を縮めていく。
そんな空気を引き締めたのは、指揮官である沙希であった。
「けど陽菜の言う通りよ。隣の芝生は青く見えるものだけど、決してあなた達の芝生が
青くない訳じゃないわ。どんな状況になろうとも自分を信じて、貫き通してきなさい!」
『はいッ!』
「じゃあ奈月、最後の締めをよろしく」
「ふみぃ……。今の先生のお言葉で十分締まっていたと思うんですけど……」
相変わらずの無茶ぶりに奈月は困り果てながらも、練習試合を行っていた頃から定着し始めた
掛け声の音頭を取るために一つ深呼吸をする。
「今日の相手の氷取沢女学院さんはとっても強いチームです。いつもみたく、試合中に野球を
楽しむ余裕なんて持てないかもしれません。
それでも、この試合が終わった時には――」
『勝っていても!負けてしまっていたとしても!楽しかったと言えるような野球を‼』
「はい!そんな素敵な野球を今日も皆で一緒にやりましょう!」
『オーーッッ‼』
そして肩を組んでいた両手を離し、前屈みになったまま突き出した奈月の右手の甲の上に、
全員が自分の右手を順に重ねていく。
「行きましょう!鶴川ファイト~~!」
『オオ~~ッッ!』
最後に一斉に右手を挙げると、そのまま両隣の者とハイタッチを交わして戦闘態勢は整った。
【続く】




