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第二部 VS氷取沢女学院 第一章 2

挿絵(By みてみん)




「はぁ~……」


トイレの個室に篭り、便座の蓋を閉じた上にハンドタオルを敷いてから腰を下ろした涼子は


深く大きなため息をついた。


別に本当に用を足しに来た訳ではない。ただ一人になりたかっただけである。


今のテレビ局に入社し、志望通りにアナウンス部に配属されて五年目。しかし報道アナウンサーを


希望していた彼女に回ってくる仕事は、雑務メインの裏方の仕事ばかり。


たまに顔出しの仕事が回って来たと思ったら、バラエティー番組の司会補佐など報道部門とは


縁遠い物ばかりであった。


それでも涼子は腐らず、与えられた仕事を着実にこなしつつチャンスを待ち続けた。


しかし何の進展も見られぬまま気づけば五年目。アナウンス部でも中堅と呼ばれる立場に


なろうとしている。


「そりゃ報道アナウンサーはテレビ局の顔みたいなもんだし、私みたいな無名にいきなり任される


もんじゃないってことぐらい分かっていたけどさ……」


同期には自分よりも色々な番組に出て、売れっ子になっている者もいる。後輩にだって、すでに


大きな仕事を任され自分よりも有名になってる者がいる。


彼女達は決まって、自分が持っていない『華』を持っていた。きっとああいう子達が局の看板と


して、将来的に報道アナウンサーを任されるのだろう。


そう思えば思うほど、凡人でしかない涼子の焦りは積もるばかりであった。


「でも、私にもやっとチャンスが巡ってきた……」


スーツのポケットから単語帳を取り出し、パラパラとめくっていく。そこには今日の実況のために


覚えてきた沢山の野球用語が書かれていた。


先程の放送中にポロリと言ってしまったが、涼子は野球に全く詳しくない。むしろ興味すら


なかった。


そんな彼女に高校女子野球の実況をやってみないかと声をかけてきたのが、三田村 優子であった。


数々の奇抜なアイデアで結果を出し、三十代では異例ともいえる出世スピードでテレビ局の


番組プロデューサーの座まで昇りつめた凄腕のキャリアウーマン。


その噂は部署の違う涼子の耳にも届いていた。


それほどの人物に声をかけられたのは涼子にとって誉ではあったが、スポーツの実況など


したこともなく、野球の知識すらなかったので最初はこれを断った。


それ以前に、少しでも報道部との人脈を作る時間を削りたくなかった。


そんな涼子の心の内を知っていたのか、優子は断られても引き下がらずにこう言ってきた。


「もしこの仕事で結果を残せたら、報道部の知り合いに口を利いてやってもいいぞ」、と。


一瞬で表情が変わった涼子の顔を見て、優子はニヤリと笑ってみせた。


「今年の神奈川県大会に鶴川って学校が出場しててな。十年前そこにちょっとした有名な選手が


いて、当時のうちも彼女を取り上げて視聴率を稼いだもんさ。


で、その有名人――立花 沙希って言うんだけどな。そいつが今年から母校である鶴川の


女子野球部で監督をやってるんだ。廃部になっていた女子野球部を復活させて、な」


なるほど。かつての有名人を利用してまた視聴率を稼ごうという魂胆か、と涼子は口には出さず、


頭の中だけで即座に理解した。


「まぁ、お前さんが今思った通りだ。だから今回も上にかけ合って、鶴川が準々決勝まで勝ち


上がってこれたのならって条件付きで、特番として試合を中継する許可を貰ってきたところさ。


で――話を戻すが、丁度その中継で実況を任せられる奴を探してたんだが……もう一度聞くぞ?


お前、その試合の実況をやるつもりはないか?」


問われ、涼子はやはり首を縦には振れなかった。


代わりにその原因である、自分の中に残るわだかまりを逆に問う。


「……さっきも言いましたが、私はスポーツの実況をした経験がありません。野球だってルールも


分かりません」


「試合まではまだ二週間以上ある。それまでに実況に必要な技術と知識を身につければ問題ない


だろう。まぁ、鶴川が途中で負けたら全部無駄骨になるがな」


「……どうしてそこまでして私に拘るんですか? 野球の実況を任せるのに適任な人なんて、


私以外にいくらでもいますよね?」


「そいつらを使いにくい理由は色々と有るが、それよりも私がお前を使いたい一番の理由は


単純明快さ」


そこまで言うと、優子はまたもやニヤリと笑い言葉を紡ぐ。


「お前なら誰よりも良い実況が出来る。私がそう思ったからさ」


説明になっていない理由に、涼子は思わずポカーンと口を開けて唖然とした。


うちの番組プロデューサーには変わり者が多いとは聞いていたが、この女も例に漏れずその一人の


ようだ。


今日初めて会った人間に何故そこまで言い切れるのか。信用とは積み重ねて初めて意味を成すもの


だと考える涼子には全く理解できない思考回路であった。


ただのリップサービスかとも思ったが、優子が自分にそんなことをする必要がない。


むしろ本当に言葉通りに思っているのだと、不思議とそれだけは涼子に伝わってきていた。


だからこそ不信感と同時に、三田村 優子という人物に興味を抱いたのも事実であった。


(試合の日までに覚えなくちゃいけないことは山ほど有りそうだし、もしその鶴なんとかが


途中で負けて中継しなくなったら、その努力と時間は全て水の泡……。当然、三田村さんとの


約束もなくなる……。


一見すれば分の悪い賭けに思えるけど、これを機に報道部とも繋がりが有る三田村さんとコネを


持てるだけでも決して悪い話じゃない……)


何より、彼女と一緒に仕事をしてみたいと少しでも思ってしまった自分がいる。


涼子はそういった感情も含め、頭の中でどうするべきが最良かの計算を最高速で処理していく。


そして時間にして二秒も経たずに答えを弾き出すと、一度目を閉じてフー……と長い息を吐いた。


そして、ゆっくりと開いた目で優子の顔を真っすぐに見据え、


「分かりました。そのお仕事、ぜひ私にやらせて下さい」


「打算に打算を重ねた結果、引き受けてくれてありがとうよ」


涼子が承諾するまでに頭の中で何を考えていたのかは全てお見通しだと言わんばかりに、優子は


ニヤニヤしながら右手を差し出してきた。


その手を、涼子は顔を引きつらせながら握り返す。


(私……多分この人は苦手なタイプだ……)


今更ながら本当に引き受けてしまって大丈夫だったのだろうかと心配になってきたが、


やっぱりやめますと言えるはずもない。


そんな涼子の心の内をまたも読み取ったのか、優子は上機嫌な様子で高笑いしながら「大丈夫。


私達は良いパートナーになれるさ」と背中をバシバシ叩いてきた。


訂正。


私はこの人が苦手なんじゃない。もの凄く苦手だ。






二週間前の優子との出会いを思い出し、涼子はもう一度深いため息をつく。


直後、それに負けないくらい大きな欠伸も出た。


今日のために睡眠時間を削ってまで野球と実況の勉強をしてきたせいで、緊張の糸が緩むと


途端に眠くなってしまう。


昨日くらいはちゃんと寝ておくべきだったかなと軽く後悔しながら、スマホのタイマーを


十分後にセットして、このまま少し仮眠を取ることにした。



【続く】

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