第二部 県大会編 第三章 2
「じゃあ氷取沢の戦力について説明していくわよ」
放課後。沙希は前日の試合の疲れを取るために今日の練習はオフにし、代わりに奈月達を
視聴覚室に集めていた。
教室前方の大画面に映されているのは、先日行われた氷取沢女学院の初戦の試合。ちなみに
撮影してきたのは雅の専属使用人、望月 千代である。
「まずなんと言っても一番警戒しなくちゃいけないのは、キャッチャーの川島 菫ね。
攻・走・守どれも実力は折り紙付きで、氷取沢唯一の三年生。選手としてだけでなく、
主将としてもチームの絶対的な大黒柱と言って間違いないでしょうね」
「主将でキャッチャー……。南殿と同じだな」
「そういえば奈月ちゃんは抽選会で川島さんと会ったのでありますよね?やっぱりオーラとか
凄かったでありますか?」
「会ったと言っても会釈程度の挨拶を交わしただけですから、そういうのは特に……。
でも、とても優しそうなお姉さんでした」
その時の優しく自分に微笑んでくれた菫の顔を思い出したのか、奈月の顔が緩む。それを見て
隣に座る陽菜が少しムッとした表情になった。
「確かに奈月と色々被ってる点は多いけど、一番の違いは彼女の打順ね。去年の大会も含め、
出場した試合は全て先頭打者を任されているわ。
そして出塁した回は得点が入る確率が跳ね上がる。まさにチームを勢いづける切り込み隊長ね」
「つまり、この方をいかに出塁させないかが勝負の鍵になりますわね」
「そういうこと。けど困った事に弱点らしい弱点が見当たらないのよねぇ……。
だからこの子を塁に出さないことよりも、塁に出してしまった場合の対処を重要視しましょう」
沙希は立ち上がると、ホワイトボードに歩み寄ってペンを手に取る。
「氷取沢の得点パターンはうちと同じよ。けれど完成度では格段に向こうが上。
まず先頭打者が塁に出て、二番の神那 美央がバントで確実に得点圏までランナーを進めさせる。
そしてチャンスに強いクリーンナップでホームに還す。
もちろん少しでも隙を見せれば川島はすかさず盗塁してくるし、神那はバントに見せかけて
バスターからのエンドランまで仕掛けてくる場合もあるから注意が必要だわ」
「うぅ……、二番さんはバントしか出来ない自分の上位互換であります……」
「とにかく川島を塁に出しても慌てないこと。特に昨日の試合、リードされた序盤に浮き足だって
ミスが目立った海帆は特に平常心を心掛けなさい」
「はい……了解であります……」
それ以上言うと海帆のメンタルが負のスパイラルを始めてしまうのでそのくらいにしておいて、
沙希は三番以降の選手の特徴を記した資料と映像を見比べながら、特に重要な点だけは
ホワイトボードに書き残していき、奈月達の頭に叩き込ませる。
「――そして九番がピッチャーの橋本 椿、二年生。 打者としては他の子達と比べたらそれほど
脅威は感じないけど、その分本業に専念してる形ね」
「右のサイドスローか。あまり見慣れてない球の軌道だから、目が慣れるまでが厄介そうだな」
「ピヨっちやきみきみみたく上からじゃなくて横から投げてるみたいだけど、それ以外にも
何か違うのニャ?」
「簡単に説明するなら『リリースポイントの違い』だな。こう水平方向に腕を広げて投げるから、
右投げの投手だと球を放す位置が右打者の背中よりも後ろになるんだ」
梓はその場に立ち上がると、実際にサイドスローの投げ方を真似しながら説明する。
「そこからインコースに投げ込まれると、右打者には球が自分にぶつかりそうな軌道で
飛んでくるように見えちまうんだよ。
逆にアウトコースへの球は、めちゃくちゃ自分から逃げていくように見えるから、遠く感じて
ボールだと思ってもストライクだったりするんだよなぁ」
「それに球がリリースされる時の出所も見づらいからタイミングが取りにくかったりするので、
プロでも自分の打席と同じ利き腕のサイドスロー投手を苦手とする人は多いであります」
「流石は経験者の梓と野球博士の海帆ね。今二人が言った通り、右のサイドスローはその特性上、
右打者に対してはかなり有利というのが定説よ。うちは半分以上が右打ちだから相性としては
良いと言えないわね」
「ふみぃ……私も右打ちですから、そう言われると不安です……」
「私も中学時代にはサイドスロー投手との対戦経験がないな……」
打線の主軸である右打者二人が珍しく弱気な発言をするが、沙希はその心配を取り除く手を
すでに打っていた。
「そこら辺は百合香に頼んで、明日からの打撃練習で対応できるようにしてもらってるから
大丈夫よ。少なくてもぶっつけ本番にはならないから安心しなさい」
「ワオ!手回しがいいネー!」
「ふふん♪ 戦いとは常に二手三手先を見据えて行うものなのよ」
ドヤ顔をしてみせる沙希であったが、それが久美の受け売りなのは当然内緒である。
「話をサイドスローに戻すけど、確かに右打ちの人には不利でも、逆に左打ちの梓やののあ、
陽菜にとっては有利になるわ。それはどうしてか。はい、陽菜は分かるかしら?」
「右打者には有利になるリリース時の球の出所の見づらさが、左打者には逆に見やすくなって
タイミングが取り易くなるからです」
「百点満点、花丸よ。プロでもサイドスローがワンポイントリリーフとして起用されやすいのは
これが理由ね。だから雅、あなたも次の試合は左打席に入りなさい」
「承りましたわ」
正直に言えば雅のスイッチヒッター解禁はもう少しだけ待ってほしいと百合香には言われて
いたが、今回は相手が相手である。打てる手は全て打っておきたかった。
「後は橋本 椿の持ち球の情報ね。望月さんからの情報によれば横のスライダーとカーブ、
それにシンカーね。
どれか一つを決め球にするんじゃなくて、打者と状況に応じて使い分けてくるわ。
それにコントロールもいいから、ストライクゾーンを目一杯まで広く使ってくるせいで
コースが絞りにくいのも特徴よ。
だからと言って中途半端なスイングは相手を勢いづかせるから厳禁。どんな球であろうと常に
自分のスイングを崩さず、三振を恐れずにしっかり最後までバットを振り抜くこと。いいわね?」
『はいッ!』
「次の試合は間違いなく総力戦になるわ。先発は陽菜で行けるところまで行く予定だけど、
喜美にも投げてもらうプランがあるからいつでも行けるように心の準備はしておきなさい」
「えっ……」
まさかそんな風に言われると思っていなかった喜美が驚きの声をあげる。
「で、でもあたしは昨日の試合で打たれましたし……」
「投手が打たれるのは当たり前でしょ。失点するのだって当たり前。それにあなたは投手になって
まだ日も浅いんだから、陽菜と比べても意味なんてないわよ」
「――――!」
やはり昨日の試合後から表情が晴れなかったのはそこが原因かと沙希は心の内でため息をついた。
「コントロールに球速、変化球のキレ。そして何より経験……。
陽菜と比べたら足りない点はキリがないでしょうけど、逆に言えばあなたはまだまだこれからの
投手なの。
それだけじゃないわよ。あなたは投手に一番必要な物を持っている」
そう言うと沙希は喜美に歩みより、その心臓の上を、軽く握った拳でコンコンとノックするように
叩いてみせた。
「追い込まれた時に見せるハートの強さよ。昨日の試合でも序盤で失点を重ねながらも、
土壇場で踏みとどまり立ち直れたハートの強さをあなたは持っている。
だから私は笹川 喜美という投手の可能性に期待しているの」
「そうそう。喜美も陽菜みたくなりたいんなら、普段からどっしり構えてればいいんだよ」
「クールなきみきみニャ? こう眼鏡の位置を直しながら、
あたしの計算に狂いはないわ(キリッ)とか言いそうだニャ」
「それやっぱり打たれて、そんな……あたしの完璧な計算が⁉って言うやつじゃない!」
喜美がツッコミを入れると、教室がドッと笑いに包まれる。
ネタにされ面白くはなかったが、だけどおかげで張りつめていた肩肘と不安は少しだけ
解けた……気がした。
「大丈夫よ」
ふと、そこで陽菜が口を開いた。
「喜美が自分の役目を果たそうと精一杯投げているのは、皆にもちゃんと伝わっているわ。
だから結果がどうなろうともマウンド上では恐れる必要はない」
「陽菜……」
それは自身にも言い聞かせるかのような言葉であった。
(そうか……。陽菜だって言葉や態度には出さないだけで、打たれるのが怖くない訳じゃ
ないんだ……)
二人は顔を向け合い視線を交わすと、黙って同時に頷く。続くように仲間達も力強く頷いてみせた。
「よし!それじゃ明日から準々決勝に向けて、やれるだけ準備をしていくわよ!」
パン!と沙希が手を叩いて話を締めくくると、奈月達は気合が入り直した返事で応えた。
【続く】




