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間章 墜ちた名門 1

挿絵(By みてみん)



間章  墜ちた名門






私立 氷取沢女学院。


神奈川県における高校女子野球の覇権を、横須賀学園と常に争ってきた二強のうちの一つである


その高校は、県庁所在地である横浜市の南部にある。


県内では三番目に古い歴史を持つ伝統ある高等学校で、毎年多くの大学合格者を送り出す進学校


としても有名。


しかし近年は学業だけではなくスポーツにも力を入れており、多くのスポーツ推薦入学者を


迎え入れるようになると、比例して様々な運動部が盛り上がりを見せるようになっていた。


その中でも特に目覚ましい成長を遂げたのが、女子野球部であった。


野球大国であり、女子野球のプロリーグも世界で初めて設立されたアメリカの姉妹校から招かれた


指導者により、氷取沢女子野球部が全国大会の常連校になるまでさして時間はかからなかった。


その強さの基盤となったのが、全国でも指折りと言われた圧倒的な練習量である。


効率を重視した無駄のないアメリカ式の練習の質はそのままに、量は日本式で常日頃から肉体の


限界を越えるまでこなさせ、己を追い込ませていく。


途中でバテてミスでもしようものなら、容赦ない罵詈雑言をあちこちから浴びせられるので


精神面も追い込まれる。


一切の妥協を許さない、徹底した厳しい環境は鬼の住処とすら呼ばれ、毎年入部してきた新入生の


半数以上は耐えられずに辞めていくほどであった。


だが、そんな狂気とも言える世界で才能を開花させた者達が氷取沢女子野球部を


強豪へと――やがては名門と呼ばれるまでに押し上げていったのだ。当然、その中には現在プロと


して活躍している者も多くいる。


まるで軍隊じみたやり方で成功を収めてきた氷取沢女子野球部であったが、全く問題がなかった


訳ではない。


その最たる例が、年功序列による上下関係である。


厳しい環境下が生み出した独自の秩序。先輩の発言は絶対であり、極端な例を挙げれば、


カラスが白いと先輩が言えば下級生は白と言わなくてはならない。


先輩の言う事は絶対。逆らう事はもちろん、口答えすら許されない。


そもそも下級生からの発言は、上級生の許しがなければ許されなかった。


そしてその厳しさは女子野球部の練習中のみだけではなく、学校生活の日常中にも及ぶ。


校内で先輩を見かけたら、例えどれだけ距離があろうとも即座に直立不動で挨拶をしなければ


ならないなど徹底した様は、他の生徒達から女子野球部だけは通っている学校が違うとさえ


言われたほどであった。


これらのルールはもし一人でも破る者がいたら、連帯責任として同じ学年全ての部員が同等の


罰則を受けさせられた。


こうした鉄の規律が新入生から甘さや弱さを捨てさせ、強靭な精神を作り出してきたのも


事実だが、同時に時代に合わない歪みとして女子野球部を徐々に崩壊へと導いていく。


そして二年前――


ついに歪みの限界を迎えたそれは、上級生による暴力事件として現れてしまった。


厳格すぎる女子野球部のルールに、当時一年生だった部員が反発。当然それを許さない上級生達は


彼女を『指導』しようとした。


毎年とは言わずとも、数年に一度は見られる決して珍しい光景ではなかった。


大抵は向こう見ずな負けん気の強い子が先輩に盾突こうとするのだが、すぐに上級生達からは


恐怖を教えられ、何より連帯責任のシステムによって、同学年のチームメイトから孤立化するのを


恐れて丸くなっていくのがパターンであった。


しかしその一年生は、一筋縄ではいかぬ頑固さを持っていた。


いくら先輩達から怒鳴られようが、いくら同学年の者達から部を辞めさせようと嫌がらせを


受けようが、自分は間違っていないと決して曲げようとしなかったのである。


そしてある日――ついに事件は起こった。


守備練習中に三年生がエラーをした。当然、罵詈雑言があちこちから飛び始める。


その中に、反発していた一年生も混じって野次を飛ばしたのだ。


練習中のミスを叱責できるのは監督に加え、同学年か上級生に限るという暗黙のルールがあった。


しかしその一年生は構わず、三年生を冷やかす言葉を浴びせたのである。


これに三年生がキレた。


それまで積み重ねてきた一年生の反抗的な態度の悪さもあり、我慢ならなかったのであろう。


練習を中断し一目散に彼女へと歩み寄ると、その胸ぐらを掴んで思いっきり顔を殴りつけた。


慌てて他の三年生が止めに入る。当然だ。いくら軍隊式に厳しい氷取沢女子野球部とはいえ、


直接的な暴力だけはご法度であった。


騒然とする練習グラウンド。


しかし殴られた一年生だけは、切った口の中から流れてくる血を手で拭いながら――静かに笑みを


浮かべていた。






その数日後――事件は公になる。


三年生が一年生を殴りつけた直後の写真や動画が、SNSに投稿されたのがきっかけであった。


氷取沢女子野球部は、大会直前以外は普段から練習を一般公開しており、事件当日も校外にある


専用グラウンドには数多くの見学者が訪れていた。


ファンだけではなく、厳しいことでも有名なその練習風景を一度は目にしようと訪れる者は多く、


部としても普段から人目に晒されながらプレイさせることで観客が入る大会の試合で委縮しない


ようになるという利点があったのだが、今回に限ってはこれが裏目に出た。


一度ネットに流出した問題のシーンは瞬く間に拡散され、ついにはマスコミにも嗅ぎつかれて


しまう。


始めは女子野球部関係者だけではなく、全生徒に緘口令を敷いた氷取沢女学院であったが、


被害者である一年生が自ら率先して口を開き事態は急変。


マスコミは氷取沢女学院が沈黙を続けるのはやましい点が有るからだとこぞって叩き始め、


被害者の一年生を神輿に担いで正義を謳い、情報の公開を求めた。


普段から厳しすぎる環境下で練習を行い、今回以外にも暴力事件が存在していてもおかしくは


ないというイメージを作り出していたのも逆風となった。


マスコミは今の時代の教育の場としては相応しくないと世論を煽り、氷取沢女学院を悪者として


作り上げていく。そうした方が世間の反響が大きくなり、彼らとしては旨味があるからだ。


こうして世論の大半を敵に回し、対応も後手に回ってしまった氷取沢女学院。


そこからの飛び火を恐れ、高校女子野球連盟は先に手を打つことにした。


氷取沢女子野球部からの事情聴取を行い、公式戦出場を一年間停止する措置を決定、通達。


これにより完全に孤立した氷取沢女学院も、そこからは動きが迅速であった。


学校上層部の謝罪会見を皮切りに、女子野球部監督の解任。


さらには暴力を振るった三年生だけでなく残りの三年生全員も連帯責任で退部させた上で、


残った女子野球部員の活動も公式戦出場停止期間に合わせ一年間の一切禁止を科し、なんとか


女子野球部以外にも風評を悪くしてしまった氷取沢女学院全体のイメージ回復に奔走していく。


そして、それ以上に残された女子野球部員の動きも迅速であった。


一年間の活動禁止が決まると、二年生以下は沈む船から逃げる鼠のように、我先にと次々と


転校を決めて去っていった。


他校に転校した場合も、一年間は公式戦に出場できない。しかし練習は出来る。


女子野球選手として成長の伸び盛りである高校生が、一日たりとも無駄にしたくないと。


何より未来の無くなった氷取沢にいても意味がないとそう選択するのは当然であった。


一人、また一人と氷取沢女子野球部を去って行き、ついに部に残ったのは二人だけとなって


しまった。


一人は現在の氷取沢女子野球部の主将で、当時まだ一年生であった川島 菫。


もう一人は事件の被害者であるあの少女であった。


その少女は最後まで残った菫に尋ねた。あなたは他の学校に行かないのか、と。


これに対し菫は首を横に振った。私は子供の頃に憧れたこの氷取沢女子野球部が今でも


好きだから辞めるつもりはない、と。


少女は菫の答えに「そっか」と質問したくせに興味なさげな相槌を打つと、さらにこう言った。


「まぁいいや。私に酷い事をした女子野球部は潰せてすっきりしたし、私ももうここに用は


ないから」


そして菫一人を残し、少女もまた転校していった。


女子野球部を無茶苦茶にしていった彼女を、菫は最後まで非難しなかった。


いや、出来なかったと言うべきか。


彼女だって自分と同じで、氷取沢女子野球部に憧れを抱いて入部したのだろう。


しかし憧れは不信に。不信は憎悪へと変わっていってしまった。


少女が女子野球部の中で孤立させられ、その心が壊れていくのに気づきながら何もしてあげられ


なかった。


上級生や同学年の部員達から隠れて、手を差し伸べようとは何度もした。


しかしその手は振り払われ続け、結局は最悪の事態を招くまで何も出来なかった。


だから自分には彼女をどうこう言える権利などない。むしろこうなってしまったのは、


彼女を救えなかった自分自身への当然の報いなのだ。


菫は悔いた。悔いて、悔いて、悔いて悔いて、悔いて悔いて悔いて……


誰もいなくなった女子野球部の広い部室で、自分の体を無力さと共に両腕で抱きしめながら


崩れ落ち……泣いた。



【続く】

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