第二部 県大会編 第一章 3
「おっ、来た来た。遅かったじゃない」
「ふみぃ……。先生ぇ、酷いですぅ……」
抽選会場であるホール内の、後方から数えたほうが早い階段脇の席に座る沙希を見つけ、
奈月が頬を膨らませながらその隣の空席に座る。
そんな彼女をなだめるように沙希は頭を撫でてやった。
「はい、これ。校名札と抽選番号札ね」
そして予め受付を済ませておいた沙希は、二つのカードを奈月に手渡した。
一つ目の校名札はその名の通り、自分達の学校名が書かれたカード。
もう一つの抽選番号札もそのままで、これから行われる組合わせの抽選を行う順番が書かれている
カードであり、そこには12番と書かれていた。
「59校中で12番目だから、なかなか良いでしょ。私って昔からクジ運は悪くないのよね」
と、ドヤ顔をしてみせる沙希。
男子野球の大会と違い、女子野球では会場に到着した順番に抽選を行うシステムではない。これは
会場から遠くなるほど不利な高校が出るのを避ける為であった。
まず会場に到着したら部の引率者か主将が受付を済ませ、抽選番号札が入った箱からクジを引く。
これにより最後に来た高校は残りクジしか引けなくても、必ずしも抽選番号も最後になるとは
限らないのだ。
「それならこの後の抽選も先生が引いて下さったほうが良いんじゃ……」
「それは主将が引くって決まりがあるからね。私の代わりに頑張って良いとこ引いてきなさいよ」
「ふみぃ……プレッシャーですぅ……」
喜美が言っていた通り、奈月も自分のクジ運が特別良いとは思っていない。狙って良い組合せ場所
など引き当てられる気もせず、弱気になりかけたその時――
会場内に、高校女子野球のテーマソングでもある大会行進曲が流れ始めた。
「さぁ、始まるわよ」
沙希の言葉に、奈月は期待と緊張が入り混じった真剣な表情になり、姿勢を正して座り直す。
音楽に合わせ、舞台の緞帳が上がっていく。
ゆっくりと姿を現していくそこにはまず、まだ何も書かれていないトーナメント表が。
そして天井からは先程のアナウンスと同じ、『第三十八回 全国高等学校 女子野球選手権
神奈川県大会 組合わせ抽選会』と書かれた長い横断幕が吊らされていた。
「それではこれより、高校女子野球 神奈川県大会の抽選を行います」
司会役と思われるスーツ姿の女性がマイクを手に舞台の中央に立つと、抽選会の開始を宣言する。
「まずはAシードからDシードの抽選を行います。該当校である横須賀学園、氷取沢女学院、
檜洞丸女子高校、陣馬高校の代表者は校名札を持って前までおこし下さい」
呼ばれ、先ほどロビーで出会った二人が同時に立ち上がるのが見えた。
前大会優勝校の横須賀学園を先頭にして檀上にあがり、すぐ後ろに準優勝校である氷取沢が続き、
さらにベスト4の残り二校である檜洞丸女子と陣馬の順で檀上に並ぶ。
そして司会者のすぐ左隣に設置された折り畳み式の長机上にある四角い箱の中から、
順にクジを引いていく。
「横須賀学園、Cシードです」
まず叡が引いたクジを手渡された司会の女性が、それを読み上げる。
すると檀上のトーナメント表にも、Cシードの場所に横須賀学園の校名札が掲げられた。
「氷取沢女学院、Aシードです」
昨年の優勝校と準優勝校が別のブロックに分かれ、会場がざわめく。出来れば同じブロックで
潰し合って欲しかったというのが他校の本音であった。
そして檜洞丸女子はDシード。残りクジを引いた陣馬女子がBシードとなり、シード校による
抽選は終了した。
「続きまして抽選番号、1番から20番までの抽選を行います。
該当する高校の代表者は校名札と抽選番号札を持って前におこし下さい」
「そ、それでは行ってきます!」
「うん。さっきは冗談でああ言ったけど、どうせ全部倒すつもりなんだから結果は気にせず
気楽に引いてきなさい」
「はい!」
それでも緊張した面持ちで奈月は檀上の前まで移動すると、他校の主将達と抽選番号を見せ合い
ながら番号順に並んでいく。
そして一人、また一人と壇上に上がっていくのをドキドキしながら目の当たりにし――ついに
自分の番がやってきた。
壇上にあがった奈月は、後ろの席からでは気づかなかったトーナメント表の大きさにまず驚いた。
そこに組まれた櫓に、59校という数を改めて実感する。
(これが一回戦で半分に……二回戦ではさらに半分になってしまうんですよね……)
一発勝負のトーナメント戦だからこそ、出来る限り強豪校とはすぐに当たりたくはないという
考えが奈月にもようやく理解できた。
(そうなると比良坂さんのいる横須賀学園さんとは逆のブロックがいいですよね……。さらに欲を
言えば氷取沢女学院さんとも準決勝まで当たらないところ……)
そこを凝視して、必死にまだ空きの有る番号を覚える。
そうしてるうちに自分の前の高校の抽選が終わり、
「はい。校名札を下さい」
「は、はい!よろしくお願いします!」
係員に言われ、鶴川高校と書かれたカードを名刺を渡すように頭を下げながら両手で差し出す。
「ではクジをどうぞ」
「は、はい!」
さらに言われるまま、クジ箱が置かれた長机の前まで進む。そして先程覚えたばかりの番号を
思い出しながら、祈るような気持ちでクジを引いた。
「よ、よろしくお願いします!」
引いたクジを自分では確認せず、そのまま先程の校名札と同じように司会の女性に差し出した。
初々しい態度を微笑ましく思いながら、司会者はその数字を読み上げていく。
「鶴川高校、5番です」
同時に奈月は顔を上げて、トーナメント表からその番号を探し、確認する。
初戦の相手となる6番はまだ空白。
そして次に目に入ったのは、すぐ近くにある氷取沢女学院の文字であった。
三回戦まで勝ち進まなければ当たらないが、去年の準優勝校と同じブロックだ。
これが良い結果なのかどうか分からず壇上から沙希が座る席の方を見ると、彼女は「上々よ!」と
言うように、こちらへ向けて親指を立てていた。
それを確認してホッと一安心した奈月は壇上をおりる。
と、そこで先程と同じように記者陣にまた囲まれてしまった。
「鶴川高校さんは十年振りの大会出場ですよね!まずは初戦に向けての意気込みを
お聞かせ下さい!」
「ふみぃ⁉ は、はい!が、頑張ります!」
「互いに勝ち進めば、三回戦で十年前に決勝で戦った氷取沢女学院さんと当たりますが
どのような心境ですか?」
「は、はい!が、頑張ります!」
再び同じ答えを繰り返すウーマンと化した奈月。
だがこれが記者の間で、『主将があれでは今回の鶴川には期待できそうにない』という低評価を
生ませ、初戦を戦う相手校すらも油断させるファインプレーとなるのは、この時は野球の神様で
すら想像していなかった。
「おかえり。随分と根掘り葉掘り聞かれてたみたいね」
「ふみぃ……。インタビューはもう懲り懲りですぅ……」
ぐったりとした様子で隣の席に崩れ落ちる奈月を見て、沙希は苦笑する。
(とりあえず横須賀学園と別ブロックになったのはついてたわね。正直、あそことは決勝までは
当たりたくなかったわ)
流石に奈月の前でそのような弱気な発言をする訳にはいかないので、胸中で呟く。
大会に向けて、去年の女子高校野球の試合を県大会中心に色々とチェックしたが、やはり現在の
神奈川において横須賀学園だけは別格というのが沙希の見解である。
比良坂 叡のワンマンであったチームも、この一年で彼女以外の選手も大きく成長している
だろう。
成長の伸びしろでなら自分の教え子達も決して負けてはいないと自負しているが、
それでも10回……いや、100回に1回勝てるかどうかの相手であると沙希は思っている。
後は決勝までに、どれだけチームが自分の想像を超えた成長をしてくれるかに賭けるしか
なかった。
(っと……いけないいけない。上ばかり見てると足をすくわれるわね。まずは初戦に集中して、
しっかり準備していかないと)
「……先生?どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないわ。とりあえず組合わせが全部決まるまで見ていきましょう」
自分でも気づかないうちに険しい顔になっていたのだろう。心配そうに尋ねてきた奈月に笑って
みせると、残りの抽選がまだ行われている舞台上に目をやる。
抽選終了後に結果を印刷したトーナメント表が配られるので、最後まで残ってそれを受け取る
学校もあるが、現在はすぐにネットにも公開されるのでそれを待たずに帰る学校も少なくはない。
なので初戦の対戦相手が決まった時点で席を立つ高校もちらほら出始めていた。
そんな中、横須賀学園の叡だけは初戦の対戦相手となる可能性が有る二校すら確認せず、
クジを引くと早々に会場を後にしていた。
まるでどこが来ようが、去年と同様に圧倒的な力で捻じ伏せるだけだと言わんばかりに。
「なかなかうちの相手は決まらないわねぇ」
「はい……」
奈月がやきもきしながら自分達の初戦の相手を待ち構えていると、前の席からまた一校、
立ち上がるのが見えた。氷取沢女学院だ。
てっきり叡と同じく、菫も付き添い無しの一人で来ているのかと思ったが違った。
引率者と思われる、沙希と同年齢くらいに見えるスーツ姿で髪の長い女性を先頭にして、
階段を上ってくる。
今度は奈月から会釈をすると、気づいた菫も先程と同じように優しい表情で返してくれた。
(やっぱり氷取沢さんの主将さんはいい人です!)
これから戦うかもしれない、しかも鶴川とは因縁のあるチームの選手相手にも関わらず、
思わず奈月がほっこり顔を綻ばしていると――そこでもう一つの視線に気づく。
だがそれは自分にではなく、沙希へと向けられていた。
視線の主――菫の前を歩く眼光の鋭い女性は、足を止めることはなかったが、明確な憎悪が
込められた敵意丸出しの両目で沙希を睨みつけながら座席の横にある階段を上っていく。
そこまでされれば沙希も流石に気づいていたが、嫌悪感を表情には出さず、奈月と同じように
会釈をして大人の対応をしてみせた。
するとスーツ姿の女性はこちらに聞こえるほど大きく舌打ちをし、そこでやっと沙希から視線を
切り、そのまま会場の外へ出ていく。
後に続いていた菫は一度足を止めて、申し訳なさそうな顔で沙希に向かって頭を下げると
足早に引率者の女性を追いかけた。
「なんか滅茶苦茶ガン飛ばされてたわねぇ……」
二人の気配が完全に消えたのを確認してから、沙希はやれやれとため息をついて呟いた。
「先生のお知り合いですか?」
「氷取沢に知り合いはいないはずだけど……。まぁ十年前に県大会三連覇を阻止したからねぇ。
向こうの関係者には間違いなく良くは思われていないでしょうね」
沙希もあの女性をどこかで見た気はしていたが、結局は思い出せず頭をポリポリとかく。
「――高校。6番です」
と、そこで初戦の相手となる番号が呼ばれ、校名を聞き逃した沙希と奈月は慌てて同時に
舞台上へ顔を戻した。
【続く】




