2020/10/27から
○ 2020/10/27
そういうわけで。
せっせと床を這う。それを霊媒は静かに見守る。
前進と後進を終えて:終わりました。
そう僕は声をかけた。技はそれだけだったから。
霊媒は少し考えた後、それを柔らかいと評した。
○ 2020/10/28
コウロウショウ。
コウロウショウの役人と何人か会った。道端でうずくまるように座り込み話し合いをしているニイサン方から聞こえてくる声。ありゃ天才かイカれた奴しかいない。頭が良すぎておかしなったんだろうな。雰囲気がヤバい。一人がそう言うと回りのニイサン方はへぇとばかりに感心した。僕も通り過ぎながらへぇと感心した。役人というのも色々言われるもんだなあ。すえは博士か大臣かってなもんか。
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○ 2020/10/30
貴人志有るも心有らず。
満月の前。
空にはすっかり膨れた月がある。明日は満月。すっかり膨れたと文字にしておきながら満月ではないのは嘘といえるだろうか。少し気が早いだけだろうか。三十二番目の影は何事もなく出ていくだろうか。
最近は夢の中で言葉を発する事がある。よくない。
夢に入れ込むのは危うい。階段を降るなとの忠告もある。
狭い穴を潜るな、帰れなくなる。
出離は意識を伴うのか。
如何に爪先の向こうに逃れ出ても意識を失ってしまえば何の楽しみがあろう。意識のない千里より意識のある一歩。遠島の楽園より小汚い自室。そこがキモだ。さっぱりだろう。全く。できるはずがない。
○ 2020/11/01
から。
霊媒は言った。:倉庫で美女達と会っているのを見た。
当然そんな事実はない。霊媒の夢である。
であるからして僕は言った:知らない。
倉庫は虚ろ。僕は一人。当然出離もない。相も変わらずただのうらぶれた三十五歳の男である。なんら秘されたものを持たない。ただの落伍者。
爪先の向こうを物欲しげに眺めるちっぽけな男である。
爪先の向こうに後頭で身を吊り上げ投げ込もうと肉の身からは逃げ出すことはできない。
霊媒は言う。:助手を得た。
そんな助手など見たこともない。何処にでも行けるなどと言われても知らぬものは知らぬ。
ああ全くこれまで通りだ。親父が死にそうにしている以外は。
○ 2020/11/02
やり方。
ぺたぺたと這う。一往復と半。行って戻って行って休む。
今年もあと二ヶ月か。休む。椅子に座る。床と壁だけが相手の日々。今年やった新しい事と言えば這い回るだけ。
這っては休み這っては休み。精神など欠片もない。精神とか神話なんじゃないのかと思えてきた。霊媒のホラ話も進展がない。先伸ばしとずれた返答ばかり。待て待てか聞いてない事を話すばかり。待てという言葉が多彩多様なのを嫌になるほど実感してきたがまだまだ続くのだろうか。
ぺたぺたと這うか。休むのはいったんおわり。
○ 2020/11/03
ゆったり。
ゆったりと這う。手首。指のつけね。指先。順番に床から離れ床につく。ぺたり。ぺたり。鼠径部に痺れ。筋肉痛か。ぺたり。ぺたり。腕は楽になった分、足にきたか。歩幅を広く。痙攣を忘れず。気休めの為に這う。眠る為に這う。進んでは戻り、進んでは戻る。二往復して休む。また二往復して休む。
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○ 2020/11/06
増えない。
霊媒は言った。:技が増えたろう。
僕は言った。:そんなものは増えない。
今日も床を這う。腿を前腕に擦る。進む。擦る。進む。二往復半。
一つ前のやり方で這う。膝関節をあまり曲げずに這う。腕が進み胴が進み爪先がちょこちょこと続く。これは一往復持たなかった。壁の手前で限界になる。行って終わり。
行くときは伸ばす手のひらを内向きにしつつ伸ばす。
帰るときは伸びた手のひらを外に回し引き寄せる。
小石が手のひらに食い込む。
足が筋肉痛か。
腕は慣れたか。
肩に痛みはない。
這うだけの男に技なんているのだろうか。
○ 2020/11/07
Sylvie Guillem
○ 2020/11/08
霊媒はこない。
このご時世に風邪をひいたとか。新型なのか。そうでないのか。分からない。まあこのご時世に何の足しになるのか分からない神の話をしているような老人だ。死ぬにしろ死なないにしろどうとでもなるのだろう。
ホラ話を聞くのも聞き納めになるかもと思うと感慨深い。霊媒が癌になったときも同じように考えていた気もするが。何の拍子に死んでしまうか分からないというのは儚いものだとそのつど思う。神の話を熱心にしようが、頑健だろうが、若かろうが、達者であろうが、死なぬという事はない。
元気にしていてもあっけないものなのかな。
○ 2020/11/09
フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサール。
○ 2020/11/10
中指。
中指の腹で押さえられる親指。抱えられた親指。
中指の背で押さえられる親指。押さえられた親指。
中指の圧迫から解放され親指。しかし付け根には中指。
頭は出て、付け根を押され、より小さく小さく。
分からない形。見分けられないありふれたものへ。
溶けて紛れる。中指の話。
願いのさき。
願いをかなえる。ただ一つの願いを。
それに。 返答して曰く、けっしてねがいをかなえるな。
沈黙があった。
願いは受理されたのか。かなったのか。
かなったのならかなえるなという願いに背く。
かなえなかったのならかなえるという信念に背く。
どちらにせよケチが付く。
こういうのには古来からろくな死に方をしないと相場が決まっているんだそうだ。
試すものは試される。
神を試すなかれ。
○ 2020/11/12
秘密。
こうやって秘密を文字にする事で損ずる。そこに意味があっただろうか。秘密を抱える苦しみ。その苦しみが自分を傲慢にし嫌味にし鼻持ちならぬ何かにしやしないか。
そういう不安から逃れる手段にならないかという実験。頭の整理。転用の一つ。
それらは成功だったのだろうか。あるいは失敗しつつあるのか。無意味だったのか。
卑屈な人間を作っただけなのか。
まだ時間はある。
そうして何度目かの結論を遠ざける。
同じ結論をそっと遠ざける。
いつか別の結論に到達するまで。
○ 2020/11/13
使い捨て。
用が済んだらそれまで。はいさよなら。
十年から十五年。毎日毎日。どうしようもない役に立たない神々の話を聞いた老人。その老人の話を聞いてきた日々。
老人は僕に話す。自分が聞いた話を。
僕はそれをこうして文章にしたりしなかったりする。
僕が死ねば老人と神々はどうなるだろう。
老人は神々は去り、話はそこまでになると言う。
僕は言った。:冷たいねえ。僕にホラ吹きと罵られた時。一緒になって罵られた同志じゃあないか。
こうも言った。:そのうち来なくなるというなら来てるうちに相談しなよ。
神々の去った後、一人でどうすればいいのか。
○ 2020/11/14
肉体と自我の分離。
霊媒はそれの存在を示唆する。怪しい話ではある。
影を排出する人は影の力で、影が自我を肉体から連れ出す。
そして寝静まった夜更け。その人も眠りに付く。そこを引き抜かれとりあえず近所を連れられてうろつきおめでとうと言われる訳だ。当人に覚えもなく。
そんなの人さらいですよ。
そう言う。こうも言う。それの何処が技なんだ。
意識のない状態で連れられてうろうろして意識のないまままた元通り。そんなものには納得できない。
完全に介護であり、自我は介護される側だ。
介護される為にせっせと工夫してきたなんて認められるものなのだろうか。自由とはそういうものなのだろうか。
意識を喪失することが結論なのか。
生き物が皆いつかは死ぬように。
修練者は意識を喪失するのか。
寝ている方がましだろう。
早起きは三文の得と同じように。
時代の進歩発展はそれらを空虚にした。
どこもかしこも凡庸に沈んだ。まみれた。
もはや凡俗に触れられぬものなどあるのか疑問に思う。
空気の様に全てを呑み込む。人界は凡俗に沈んだ。
みな規格化された商品ばかりだ。
真空の様に閉じた世界。内心にさえそうそうありはしない。
ありふれた内心もそのうち規格化された心になる。
科学文明万歳。