表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/55

2021/02/13から


 ○2021/02/13

 老い。

霊媒もすっかり老け込んできた。やや話し方がゆるくなる時がある。耳が遠く、目が悪くなったのか、むしめがねを用いた。むなしさを覚えた。自分より元気だった人が死んでしまったり、老醜を晒すのを目の当たりにしてどうしようもなく吐き気がする。死者を憎む気持ちがよぎる。頬を撫でて思うようにする。髭を刈り込む様に憎しみを刈り込む。毎日欠かさず。毎日その気持ちが自分を苛むとしても。

いったいいつまで続くのか。


 家族は死者を弔う。毎日。毎日。

死んでしまった。死んでしまった。反芻する。

僕はすっかり嫌になってしまった。死者を思い出す事を。

死者の重さを。冷たさを。湿り気を。元気だった頃を思い出す時に付随する死体の感触を。楽しかった頃を思い出す時に付随するもういない悲しさを。その全てを。すっかり嫌になってしまった。骨壺を叩き割ってなかった事にしてしまいたかった。忘れてしまいたかった。そんな人物がどこにもいなかったかのように。


 ○2021/02/15

 とぼとぼ歩く。

朝、喉が痛む。ようもない。寝直した。

死んだ父の夢を見た。父は元気そうだった。

僕は父に言おうとした:何か言いたい事があるのか。

僕はそう言おうとしたが言えなかった。

涙が出て、頬が痛み、唇が歪み固まった。

何も言えなかった。僕は正面から父の左肩に右手を置いた。ぽんぽんと二度、軽く肩を叩いた。

父は歩き出した。僕は横をとぼとぼとついていった。

歩いている間、二度ほど間を空けて何か言いたい事があるのかと言おうとした。そのたびに急に動揺して何も言えなかった。ただ泣きながら歩いた。父は穏やかに歩いた。何も言わず。僕は目を覚ました。喉はもう痛まなかった。泣きながら起床した。喉が痛むのとどちらがましか少しの間、考えていた。


 ○2021/02/17

 お前は自分が死ぬと思っているのか。

霊媒が言った言葉に。僕は返した。:親父が死んで自分が死なないと思うのは難しい。

いつかは死ぬ。祖父も親父も死んだ。順番に死んだ。当たり前に死んだ。老いて病んで機能不全になり死んだ。何の奇妙もない。ごくごくありふれた死。

いつかといわず、なんなら夜道でうっかり転んで頭を打って死ぬやもしれぬ。今日にでも。寝たら起きぬかもしれぬ。この瞬間にも。


 僕は死者が嫌いだ。

死んだ父が夢枕に立って確信した。

僕は死者を嫌う。それはただあるだけで僕に苦しみを与える。

死者を見たがる者は辛い気持ちに成りたくて見たがるのだろうか。死者を忘却することは死者を二度殺す事なのだろうか。


僕は死者を見た。僕は喪失を再度味わった。

死者との再会は喪失だった。辛辣なものだった。

穏やかに並んで歩いただけだったのに。

苦しみだけを新鮮に繰り返して味わった。

穏やかな健やかな父はもはや僕にとって毒だった。



どう死ぬか選ぶ事は難しい。


 ○2020/2/19

 逃避

現実から逃げ出す為によさそうな話を聞くべく霊媒に話をしてもらった。が、逃避に役立つような話はなかった。通帳の記帳とか、印鑑の証明書とか、役所への道順とか郵便局はここだとかという話ばかりだ。これまでは影がどうとか透明になれるだとか体外に浮遊するとか死後の世界はどうとか、夢みたい話ばかりしていたくせに。今こそ辛い現実から一時的にでも逃げ出して気持ちを楽にしようとするとこれだ。お辛い現実を浴びせかけられる。金。手続き。順番待ち。書類。ボディソープとシャンプーの詰め替え。洗濯。牛乳一パック。消費期限切れの餅。水回りの洗浄。

夢みたいな話をしろ。というときに限ってそんな話はなかった。欲しいときにはない。


 ○2021/02/19

 ○2021/02/20

 過ぎた。

今日も何事もなく過ぎていった。

一人で。倉庫にこもる。死者を忘れて。疫病から離れて。行き止まりを叩き、ぐるぐる回る、一人で。

 満月まで一週間か。父の死を理由にされてしまえば、なんとも反論し難い。夢みたいな話が結局夢でしかないと露見しても、なんにもないじゃないかと言っても、死者が出たからだで、それでもうどうしようもない。


 生者より死者を優先されてもお互い様、か。

僕も死者より生者を優先している。僕が生きているから。

身体がないものが死者を優先していてもそれぞれの立場の違いでしかないのだろう。

より近いものを、似た者を優先する。ありふれた対応だ。

死者に似通った方々。死後の善い処まで御案内。


 ○2021/02/24

 ムカデ。

ムカデの餌を買うというので荷物持ちとして付き添った。

七年だか五年だか生きるものもいるというムカデ。袋の中にコオロギがわらわら。展示されたコオロギ達。餌用だろうか。用途はしらない。

昔飼っていた生き物達を思い出す。みな死んだ。年を取り、年を取らず、病んで死んだ。機能を終えた眼球。

死んだのを見るのにはうんざりだ。生きているものを見ても死んだ後の事ばかり思う。悲しい気持ちになる。生き物にうんざりしている。


 ○2021/02/28

 なにもなかった。

なにもなかった。左の脛が少しだけ温かい。

なにもなかった。誰もいない一階で話をしている気がする。

なにもなかった。屁が頻繁に出た。

なにもなかった。夢を見て、夢を忘れた。

なにもなかった。なにもなかった事が清々しい。

なにもなかった。影どもは去った。

そうしてなにもなかったというありふれた事実を得た。

僕は空っぽだ。なにもなかった。


 ○2021/03/04

 夜。

かちゃり。静かな居間に扉の取っ手が動く音が響いた。自分以外は誰もいない薄暗い居間。その音は猫が扉を開けた時と同じだった。少しだけ開いた扉も猫が開けたかの様だ。しかしそこに猫はいない。ただ少しだけ開いた扉がある。きっと。

僕は確認もせず放置した。何かが開けたのだしても、扉が経年劣化による誤作動をしたとしても、どうでもよかった。

少しして扉を見に行く。

少しだけ開いた扉があった。

それだけがあった。

何も始まらず

何も終わらなかった。

その夜の夢も目覚めたらじわじわと忘れた。


猫が死んでから何年たっただろう。

随分と猫の夢もみない。


これといって覚えていなければならないと思うような夢でもなかったからだった。


 ○2021/03/06

 忌明け。

四十九日が経過。概念になった死者を見送る。

天気穏やか。風がほどほどに吹き。日が暖かく差し込む。死者は善いところに行ったろう。きっと。

これで線香の煙にいぶされる日々もとりあえず終わりか。

靴下も当分はくことはないか。ネクタイをしめることも。

甥の顔を見ることも。あれもこれも。棚上げだ。

 今日、三十六歳になった。


 ○2021/03/09

 ぬるま。

今日も昨日と変わらぬ日。歳だけが積み重なり無為な日々が不安定に続く。

霊媒もおとなしい。天候が安定していない。月が出ていない。話がない。

ああ変わらない日々よってもんだ。三月までと言っていた倉庫もなぜだかまだある。まあいいさ。あるんだから。使えばいいさ。空の倉庫も。隔離には使える。荷をいれたら怒られるとしても、少しだけならまあいいさ。

折り畳みの椅子に折り畳みの机。鼻紙。アルコール消毒液。毛糸の帽子。そして無職で三十六歳の男。空っぽの倉庫に相応しい内訳だ。水もまだ出る。電気も来ている。Wi-Fiはない。Wi-Fiはなしか。通信料が上がるなあ。

映画も文庫もない。自販機はある。清涼飲料水が救いか。130円の救いよ。助けてくだされ。助けてくだされ。今日も涼しい。


 あこがれ。

子供の頃は大人に憧れた。歳ばかり重ねて子供と呼ばれなくなった今は子供の頃を懐かしんでいる。あるいは憧れている。今ではない何処かを思ってばかりいる。何かの間違いで幸運にも何処かへ到達したならばかつての今を懐かしんで憧れて欲しがるくせに。


嫌いな影もいつかは欲していたのだろう。

希望の象徴だ。新しい生活。見たことのない感じたことのない何かを運んでくる。そういう希望の象徴だ。今よりずっと素晴らしい。実際にはなにもないとしても。そう感じた瞬間は確かにあった。気の迷いだったんだろうが。ちょっとだけ楽しかった。何かが始まりそうな気がした瞬間はきっと幸福だ。その虚構の喜びのツケとしての後からやって来た実際の虚無は痛切だったが。

空っぽの倉庫ように。

灯りがついてると思って開けた扉の向こう側が暗かったように。葬式のむなしさのように。ただ、当然の事しかおこらないように。もういない人のように。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ