2021/01/05から
○2021/01/05
一月はお休みなんだ。
満月が見えようが見えまいが。
影は出ず。大きくもなりもしない。完全な休息。
実家にちょろちょろと人が出入りしているからだとか。
そんなことで、止まるのかと思った。
今まで三十四出してきたが、天候が荒れて取り出せぬというのはちょくちょくあったが、周りに人が出入りして落ち着かぬだろうから出ぬというのは意外という他ない。
疑わしいが出ぬなら出ぬでもよいだろうとも思う。
結局、影は不安定な出来事。自分には預かり知らぬ事だったということなのだろう。
影のない月にもやることは変わりない。
○2021/01/08
寒い。
親父殿は再入院。みるみる癌が転移。食も細くなり、治療をすることさえ危ぶまれる。さみしいもんだな。あんなに元気だった人が、弱り動けなくなる。いつどう死ぬかさえ分からない。
家に冷気が充満し吐く息が白く可視化される。
一月は普通に暮らせか。同居人がじわじわと死に向かいつつあるなかで普通に暮らせるものなのか。入院してしまったから一人か。出来そうもない。鼻息を大きく一つ吐き出す。こういう時に役にたたない。どういう時に役に立つとも言えない。さみしいもんだ。現実の前では塵のようだ。ありがたい話もない。あるのは普通に暮らせだけ。普通に暮らせからどんな偉大で崇高な理念を抽出できたとしても今の状況を打開出来そうもない。僕じゃあな。
○2021/01/10
こつり。
痙攣しじわじわと持ち上げ目の高さ。水平の玩具の刀。柄を視界の端におさめ、やや仰け反る。戻る。柄は水平に。そろそろと前進を始める。痙攣を抱えて。柱へ向かって。そろりそろり。行き着けば、じわじわと切っ先を柱へ伸ばす。柄は降りて切っ先を向けて柱へ伸ばす。こつり。コンクリートの柱へ当たる。そろりそろり。切っ先をコンクリートから離す。柄は昇り水平に戻る。そろそろと後進する。痙攣を抱えて。そろりそろり。行き着けばじわじわと刀を降ろす。
おわり。
○2021/01/17
親父は死んだ。
死体になった。家に帰ってきた。横たわって。足の側を僕は持った。業者のおじさん二人は頭側を持った。とっての付いた敷布にくるまれて死者は家に帰ってきた。顔に被せられた布を取る気にはならなかった。死体の手がいやにきいろく見える。お父さんは死んだ。
僕はその最後が父の人生に相応しいものだったと信じる。事実がどうであれ。父の苦しみは終わった。
○2021/01/18
線香の番。
線香の火を絶やさぬよう番をする。一人。
横たわる父だった身体。親が子より先に死ぬのは道理。道理ならばそれに涙が出て頬が痛むのも道理なのだろうか。それを辛く感じるのも道理なのだろうか。当たり前なのだろうか。こうまで辛く感じる事にいったい何の必然があるのだろうか。当たり前なのだから、それを殊更辛く感じぬ様になればよいのにな。それはきっと非人情なのだろうが人情の為に辛さを甘受せねばならないものなのか。と考えている。
静かな父の寝姿に死を感じた日を思い出す。死んだ父の寝姿に在りし日の父を思い出す。
よくわからない人だった。穏やかな人だった。
僕はよい子ではなかったな。
2021/01/20
葬式
通夜が終わった。納棺された父。挨拶をする姉。僕はすることもなく控え室でスマフォを触っている。用があれば言い付けてくれと言っているが、用もない。空を眺めたりする。
葬式代金も出さず、やることもない。納棺の時に頭を持った。冷えた父の頭は少し濡れている様に感じた。きっと錯覚だろう。もう少しすると火葬場へ出発だ。
走った。
子供の頃、友人の住むマンションへ行く為に走った道を走った。学校へ行く為に自転車を走らせた道を走った。三十五歳で走った。父の葬儀場に行く為に。この道を。
○2021/01/25
待機。
郵便物が来るからと告げられた。自宅にて待つ午後。洗濯物も干し終わり。椅子に座りインターネットを巡回。腕のだるさが身に沁みる。
手首がぐねった素振りをしたせいか、親指側の前腕が痛む。
柄が前腕に当たる。手首の一方が極端に伸ばされる。肘を叩き落とす様に柄に打ち付けて留める。手首が冷えた。感覚は遠く。どこか人の手のひらのようだ。すぐ後ろから脇の上か下から、誰か、手を伸ばされているかのよう。そうして繰り返しているとこれは自罰的ではないかと思えてくる。ただ切っ先を最大限遠ざける為に消耗する。柄は前腕に食い込む。減速もなく。手の内におきる刀の落下。力を入れると反って危ない。手の内を他者のように遠ざける。前腕に叩き付けられる柄を痙攣でやり過ごす。手首から先を添えて前腕を上から押し付けて刀身を保持する。一本の腕に主従があり、本と傍があり、ぐねぐねと疲労と寒さが教えた支えを繰り返し試した。逃避として。逃避行。
○2021/01/31
倉庫には
西日が射し込む。来月から又何やら始めるという話もあったがどうなることか。このご時世、もうしばらくは静かに倉庫にこもっていたい。
神仏へのケウノネンが無いと言われた。僕はそうですかと答えた。そうしてこう付け加えた。じゃあ毎日神社に参拝するのももういいですか。神仏へのケウノネンが無いものが参拝しても仕方ないでしょう。少し待つと返事があった。それは続けろ。
というものだった。
頼まれたのでやっているが、やらなくてもいいならやらない。参道の二つの鳥居を潜る前には行きも帰りも帽子を脱ぎ一礼して通っている。新型肺炎対策で手水舎に水はなく境内では手洗いをしていないが。これは僕ではどうしようもない事だろう。心ない所作にすぎないと言われたならきっとそうなのだろうが。それでもきっちりやっているつもりだ。それでも足りないと言われても既に限界一杯なのだ。人選を間違えたのだ。神仏へのケウノネンを持った誰かを探した方がきっとよいのだろう。そう具申はしないが。神仏へのケウノネンが無いと言われた。僕の心は穏やかだった。神仏へのケウノネンと僕の心には何の関係もなかった。
またこうも言われた。
死ねば父親ではないのか。
僕は言った。僕の父さんは、生きていた。生きて元気だった。そうじゃないのならもう僕の父さんではない。
死ねばものか。
もうどうしようもない。
○2021/02/05
スマフートフォンの容量がその他で圧迫され限界が近づいていた。初期化した。その他は大幅に減った。
満月を待ち。日々を暮らす。ふるえてすごす。新しい事もなく。何かを探す。何かも知らずに。沈静を促された心身は冷えて保たれた。空っぽの空間にパイプ椅子を。座る。時計の秒針が音を立てて進んだ。音の減衰を感じる距離を保ちます。
誕生日。
今日はお父さんの誕生日。七十才になる。はずだった。享年六十九。一月十七日だった。本人不在の誕生会が催される家から逃げ出した。一人で。空っぽの倉庫に到着する。死者を悼むのは悪いことではないだろう。ただ僕には耐えられそうもないだけで。かつて存在した人に話しかける家族達。虚空からの返答はない。馬鹿馬鹿しさ。痛々しさ。ぎくしゃくとして痛切だ。
忘れてしまいたい。故人には申し訳もない。
もういないのだから。
○2021/02/13
ねずみ。
公道をとことこと走る何か。視界の端で駆けるそれを見た。雀かも。じっとみる。ねずみ。一匹のねずみが道路を横切り走って行った。元気に走るねずみ。今日は気持ち暖かい日差しだ。というのが昨日かその前日だった。