第2話
案内されたのは応接室のような場所だった。
外から見た通り孤児院は煉瓦造りで、中からもそういう光景かと思えば壁紙が貼られていて、外から見える雰囲気とはずいぶんと違っていた。応接室はさらに暖かな色のラグが敷かれていて、その上に二人掛けのソファがテーブルを挟んで向かい合わせに置かれていた。壁際のチェストには花瓶があり、花が一輪挿してあった。
ミイナールの淹れた紅茶で喉を潤しつつ俺はこれまでのこと――といっても目覚めてからヴィデールさんに拾われるまでのこと――をマイナールとミイナールに話した。
そしてヴィデールさんから、俺がこの孤児院でしばらくの間暮らすことが提案された。これは俺も聞いていなかった話で、車の中でそういう話は出て来なかった。
あの場ではただ、少し休んでそれから今後のことを考えよう、としか話していなかったはずだ。心のどこかで、このまま俺も世話してくれたらいいな、と思っていても、到底受け入れられない。
しかし話の流れでマイナールはこのことを予想していたようで、俺とミイナールだけが驚いていた。
「おじ様、カナタさんに話していなかったのですか?」
「ああ。ここに着いてから思いついたことだからな」
頭を抱えるマイナールの様子で、ヴィデールさんがどういう人物なのかわかるようだった。
しかし流石に助けてもらって更に住む場所まで、とは申し訳ない。それを伝えると、
「気にする必要はない。こちらにも事情があってね」
「事情、ですか?」
ここでヴィデールさんはマイナール達に顔を向ける。
「ルーフがここを出てから奴らは一層過激になっているからな。彼は抑止力になるだろうそれを期待している」
「抑止力って、どういうことですか?」
少し聞き捨てならない単語の意味を問う。
それに対してヴィデールさんは微妙な表情を浮かべ、そんなヴィデールさんに対して、マイナールは厳しい視線を向けていた。恐らく、ただ事ではない事情があるのだろう。
大きなため息まで吐いたマイナールを見て、ヴィデールさんは居心地悪そうに居住まいを正した。ずいぶんと尻に敷かれているようだ。
それでも撤回しない辺り、ヴィデールさんの中で俺を抑止力とやらに使う案は最良なのかもしれない。
接するにつれて、俺の中でのヴィデールさんのイメージが段々と、怖い大人から親しみやすい大人へと変わっていった。現在の姿はまるで一国の将軍には見えず、最初に会った時の威圧感こそが、将軍としてのヴィデールさんだったのだろう。
そんな雰囲気は欠片も見せず、ヴィデールさんは口を開いた。
「ここを囲っている塀の汚れを見たか?」
「……はい。爆発か燃えたか。そんな感じの跡ですよね」
「そうだ。この町は昔、戦場になっていた町でね――そうは言っても何十年くらいか前のことだが。この孤児院は当時、親を亡くした子供達を育てるために建てたんだよ」
「それが今では戦災孤児とかは関係なしに、身寄りのない子供が集まるようになったんです。私達もそうやってここで育ちました」
ミイナールが楽しそうに言った。
あえてここで口を挟んだのはヴィデールさんへの感謝の表れだろう。
ミイナールの笑顔は、この孤児院の生活が悪い物ではないという証でもあった。庭で遊んでいた子供達を見てもそれはわかる。
俺のことを助けたように、ヴィデールさんは困っている人を見捨てられない質なのかもしれない。
「本題はそこじゃないですよ。この町の現状を話さなくては」
マイナールの言葉には不穏な響きがある。そして若干の非難がましさがあったが、聞かないまま終われるはずもない。
唾を飲み込んだのは俺かヴィデールさんか。
ヴィデールさんもどう言ったものか悩んだようだが、結局は上手い言い方が見つからなかったようだ。
「この町には現在、三つのマフィアと軍、四つの勢力が存在している。そしてこの孤児院の建物と土地が、そのマフィア共に狙われているんだ」
「マフィア……取り締まらないんですか?」
「情けない話だが規模が大きくてね。ここに駐屯している軍だけじゃ手に負えないんだ。しかもここは僻地だから対応も後回しになっている」
ヴィデールさんは本当に悔しそうに言う。
俺の知る警察の役割を、この国では軍が担っているようだ。つまりヴィデールさんもその関係者で、だからこそ余計に悔しいのだろう。
マフィアが三つも同じ町でしのぎを削っていると思うと、取り締まる軍が手を出せなくても仕方ないと思える。
しかしそれは無関係だからそう思えるのであって、当事者であるヴィデールさんやマイナール、ミイナール。ましてやここで暮らす子供達にとっては堪ったものではないだろう。
どうやらこの孤児院には年長者が少なく、普段はマイナールが表に立つということもあって最近ではすっかり舐められてしまっているようで、そんな時に俺が現れたという話だった。
「隠していたことは申し訳なかった。しかしマフィアに狙われていると言ってもみんな平和に暮らしている。君にとっても悪い話ではないはずだ」
「かつてルーフという男がここで暮らしていました。私の二つ上です」
さっきも聞いた名前だ。
「現状を変えると言ってルーフが軍に入ったのが二年前。それからこんな状況なんです」
マイナールの声音からは、尊敬とも軽蔑とも取れるような複雑な心境が感じられた。
マフィアがいなくならない限り、平和と言ってもそれは仮初めの物。上が動かないのであれば自分から動いていかなければならない。そうはわかっていてもそのルーフさんがいなくなれば孤児院の置かれる状況が悪くなる。
誰が悪いという話ではなく、ただ環境が悪かった。
それを理解はしていてもやりきれない、というのがマイナールの本音だろう。
そんな姉の姿を見かねてか、
「でもカナタさんがいれば、男の人が一人でもいればマフィアも躊躇うと思うんです。それでおじ様も提案してくれたんだと思いますよ」
悩む。悩む、が、答えはほとんど出ていたので後は勇気だけである。
マフィアがこの土地を狙っているとは言え、ヴィデールさんの言う通りみんな平和に暮らしている。それは子供達を見ればわかる。
それならば、
「わかりました。俺にできることであれば協力させてください」
子供達を守りたい。目の前の姉妹の負担を減らしたい。なんて高尚な理由があるわけではない。
しかし、異世界にやって来て右も左もわからない俺が、安定して生活できるような場所はここしかないだろう、と下心があったからだ。
それでなくともヴィデールさんは命の恩人である。恩返しだと思えばやぶさかではない。
俺の答えを聞いて、ヴィデールさんはもちろん、マイナールもミイナールも胸を撫で下ろしていた。
「ルーフが出て行ってから男手も減っていましたし、助かります」
「俺でよければ。なにができるかはわからないけど協力させてもらうよ」
「よろしくお願いします」
二人と握手を交わす。
それを嬉しそうに眺めていたヴィデールさんは時計に視線を移すと、
「ふむ。あまり長居できるわけでもないし、ちびっ子達の相手でもしてくるか」
紅茶を飲んで、立ち上がった。
合わせてその場の全員も立ち上がる。
「泊まっていかれないんですか?」
「本当は基地の方に用事があるんだ。その後はまた首都に帰らないといけなくてな」
一国の将軍というだけあって、ずいぶんと忙しそうだった。
ミイナールの浮かべている寂しげな表情からも、ヴィデールさんが普段からあまり孤児院に立ち寄れていないのがわかる。
「お送りしますよ」
「それには及ばん。それよりもカナタくんにここの案内をしてあげてくれ。私は子供達の相手をした後にそのまま出る」
「わかりました。お気をつけて」
マイナールとミイナールの二人に見送られてヴィデールさんは部屋から出て行った。
俺と二人はヴィデールさんを介して知り合った。まだ互いのことをなにも知らないので、こうして残されると無性に緊張する。
元々、社交的な性格でないと自負している。こういう時は社交的な友人が羨ましく思える。
「ではカナタさん。これからよろしくお願いします。改めまして、マイナール・ファダです。これから家族になるのでどうぞマイナールと呼んで下さい」
「ミイナール・ファダです。私のこともミイナールで……」
「倉敷奏汰です。よろしくお願いします」
そして互いに、簡単な自己紹介をして終わる。
単純だがこれだけでもいくらか緊張は解れていた。
家族と言われるのはなんだか気恥ずかしかったが、これから一緒に暮らしていくとなると、そういう間柄であろう。
そう。一緒に暮らすのである。
一人っ子だったのでそういう面でも心配だが、同年代のかわいい女の子と同じ屋根の下、というのも意識してしまうと途端に緊張する。
手を出すわけもないのだが改めて心を引き締める。
マイナールに促されて再びソファに着く。紅茶のお代わりをミイナールが淹れてくれた。
緊張のせいでさっきよりも味がわからなくなっている。
「さて、カナタさんにはなにをしていただきましょうか……」
「多少の家事ならできるつもりだからな。炊事洗濯掃除、なんでも言ってくれ」
「それもいいけど……私、カナタさんが別の世界から来たっていうのが気になりますその話を聞いてもいいですか?」
興味津々な様子を隠そうともしないミイナールの台詞にマイナールはため息を吐いた。
なんとなくため息が多いと感じるマイナールだが、苦労しているのかと思うと同情してしまう。せめて俺がため息の原因にならないようにしよう。
しかしいきなり本題からズレてしまう。ただ、二人と親交を深める意味でも色々な話をするのは悪くないだろう。俺の暮らしていた世界とこちらの世界で違うことはあるのか、それも確認したかった。
「別の世界って言ってもな……。とりあえずミイナール達みたいな獣人はいないんだ」
「へぇ……。なんか想像できませんね。じゃあ魔法とかも?」
「そうだな……魔法もないな」
「それは大変そうですね……」
聞き役であったマイナールが呟く。俺もミイナールも思わず視線を向けてしまった。
「元の世界に魔法がないってことはカナタさんも使えないんですよね?」
「そうだな……試してないからわからないけど」
なんとなく期待はしていたが、こちらの世界にはやはり魔法という物が存在しているようだ。それを知って人知れず心が沸き立っていて、どうにかして魔法を使ってみたいとは思っていた。
が、マイナールの様子を見るに使えなかった場合、俺の気持ちだけの問題では済まなさそうだ。
「さっき話した通り、ここは少々荒っぽい場所なので……なんと言いますか、ある程度強くなくては……」
「……あんま誇れないけど、喧嘩なら多少は自信があるぞ」
手元に残っているライトノベルを貸してくれた目つきの悪い友人が居る。ちょっと視線を向けただけで睨んでるんじゃねぇ、と詰め寄られてしまうような不幸な友人である。
そんな友人と一緒にいると自然、喧嘩に巻き込まれることも多くなり、不本意ながら喧嘩のやり方なんてものも身についてしまうのだ。誇れることではないが、そこら辺のチンピラくらいなら相手ではない。
魔法が使えなかったとしてもある程度は役に立つはずだ。
しかしそれを聞いたマイナールは少し笑みを浮かべる。その表情はどこか挑戦的にも見えた。
「でもきっと……カナタさんじゃ私達には勝てませんよ?」
「ミイナールにもか?」
「えぇ」
それだけ言うからには相当な自信があるのだろう。言っている本人は元より、姉の言葉に驚いているミイナールにも俺は勝てないと言う。
男としては実際に俺の実力も見ないで戦力外通告をされるのは、腹に据えかねる。
なんだかんだ、少しは面子を気にするくらいには不良に染まっている。つまり、そんなことを言われて黙って引き下がれないのだった。
しかし引き下がれないからといって喧嘩しようぜ、なんてことを言えるはずもなかった。流石にそこまで好戦的ではない。
ただそこはマイナールが、
「試してみましょうか?」
と申し出た。
まるでこちらの気持ちを読み取っているかのようだった。
一瞬、躊躇うが、抑止力としての役目を期待されてここにいる以上、自分の力は何かしらの手段で示さなければならない。加えて、魔法の力がどういう物か見てみたかったのもあり、マイナールの申し出を受けることにした。
「では、表に出ましょうか」
そう言って不適に笑うマイナールは、やはりどこか挑戦的だった。
「本当にいいのか?」
「えぇ。遠慮しないで下さい」
と、マイナールに言われても素直にうなずけなかった。
外に出て、これから始まる戦いに備えてブレザーを脱いだ俺の前に立つのはミイナール。マイナールから遠慮しなくていいと言われても本人からの言葉ではないので安易に受け取れない。
しかしそのミイナール本人から、
「大丈夫ですよ。本気で来てください」
との力強い申し出が。
この短い時間でのミイナールの印象は大人しく、姉の後ろをついて行くイメージ。それは間違っていないだろうがそれと同時に、孤児院を守るためにマフィア達と戦ってきた面もあるのだ。ただ大人しいだけなわけがなかった。
しかしこれまで接したミイナールの姿と、戦っているミイナールの姿はどうにも結びつかない。
どこかこの状況を楽しんでいるように見えたのは俺の気のせいではないだろう。姉妹揃って好戦的である。
「カナタくんのお手並み拝見だな」
「ミイ姉ちゃん頑張って!」
庭で遊んでいた子供達とヴィデールさんもいつの間にかギャラリーとなっていた。
ヴィデールさんの立場であればこんなことは止めるべきなのだろうが、そんな気配は微塵も感じられない。
揃いも揃って、である。
「カナタさん、いつでも大丈夫ですから」
ミイナール自身も、自分が俺よりも強い、と確信しているようだ。そして俺も同じように、自分がミイナールには負けない、と信じている。
いくら魔法が使えると言っても俺が知っている魔法であれば攻撃手段が増えるだけ。マフィアとの戦闘経験も、俺だって町の喧嘩ではあるが経験はある。
ミイナールとそれほど差があるとは思えない。そして体格では俺が勝っている。火を吹いたりされたところで負けるとも思えない。
俺の中ではすでに、ミイナールをあまり傷つけないで喧嘩を終わらす方法を考えていた。
自惚れかもしれないがそれだけの自信があった。
「行くぞ!」
ミイナールとの距離は五メートルほど。すぐに詰められる距離。
特に構えを取るわけでもなく、悠然と立っているミイナールの無防備な腕を掴む。隙だらけで、魔法を使う暇もなかったか。
このままミイナールを地面に引き倒せば俺がマウントを取れる。顔面にパンチを寸止めで。それなら笑っているヴィデールさんも止めに入るだろう。倒す時にちゃんと支えれば怪我もしないはずだ。
ミイナールの見た目から予想できる体重からして、不可能ではない。
しかし唯一の誤算は、やはり魔法に因る力だった。
「……は?」
押しても引いても動かない。ミイナールが抵抗しているのはわかるのだが、必死に両手まで使った俺と違ってミイナールは涼しい表情である。
腕力の差、だけではなさそうだ。それこそ、石像でも持っているかのようにピクリとも動かないのだ。
周囲を見渡すと、誰一人この光景を当然のこととして驚いた様子はない。
「やっぱり……」
安心しているような、ガッカリしているような。果ては面白がっているようなそんな声だった。ミイナールにその気はなかったかもしれないが、そういう風に感じてしまった。
わけのわからなさと恥ずかしさがいっぱいで、頭を動かすことができなかった。
ただ、諦めずに――と言うよりは意地になってミイナールを動かそうとし続けた。
「カナタさん、受け身は取れますか?」
「え? うん」
ミイナールの質問につい素直に答えてしまう。
瞬間、俺の体がふわりと浮いた。と思えば風を切り、ミイナールに投げられたのだと遅れて気づいた。
回る視界の中で、必死に地面を探す。しかしそれも虚しく、受け身を取る余裕もないまま地面を転がった。
「おぉー」
ギャラリーの子供達から歓声が上がる。
俺はその声を聞きながら目を白黒させていた。
今、何が起きたのか。ミイナールの腕を取ってバランスを崩させ、地面に引き倒そうとしていたのだがいつの間にか自分が地面に転がっている。
起こったことは理解できても、どうしてそうなったのかが理解できないのだ。
これが魔法の力なのか。一瞬で理解させられた。