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四人姉妹  作者: 那月
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「ほら、もうすぐ着くから、起きて」

妻の声に目を覚ました僕は、窓の外を見た。人通りの少ない道路だ。道路というよりは小道だろうか…?遠くに小さな学校が見える。馬車の中がうるさくて気がつかなかったけど、耳をすませばワーキャーと騒ぐ子供の声が聞こえた。

「あれ、小学校?君もあそこに通ってたの?」

妻は僕のほうを見ないで手袋をはめている。

「ああ、そうよ。この町に小学校はあそこしかないし、昔は全校生徒が20人くらいしかいなかったけど、今はどうなってるのかしら」

ほーん、すごい過疎ってる町だな…とつぶやく僕に妻が「そんなことより」と続ける

「この町の人はね、みんな優しい人ばかりで、アーリンゲから逃げてきた私たちザァシャ人にもすごく親切に迎えてくれたのよ。まだ差別されてた時代だったのに…何度も言ってるけど、ほんと愛想よくしてよね。頼むから」

妻にこれを言われるのはもう10回目だ。うん分かってるよ、笑顔できちんと挨拶するから…と返す。僕のほうをじっと見つめる鋭い紫色の瞳は怒っていてもなお美しい。

僕は自覚がないけれど、よく他人から暗いとか愛想が良くないとか思われるらしくて、妻はそのことをよく気にしている。だってまぁ、僕の職業は医者だけど、毎日何時間も仕事してたら疲れてくるし笑顔で対応なんて出来なくなるよ…。今日はヘレナ先生にしばらくの間仕事を任せてきたけど、馬車で5時間かけて帰ったらまたすぐに診察しなきゃいけないんだろうなぁ。

「あそこ、あの屋根が赤いのがうちの医院よ」

妻に言われた医院を見る。思っていたよりも綺麗だ。もっとボロいところかと勝手に想像してたけど、うちの職場よりももしかしたら新しいかもしれない。

「あそこに君のお母さんが?」

「ええ、多分今も仕事中ね。スレヴィーを連れてきたら休診にするって手紙で言ってたから、着いたら出てくると思う」

急に緊張してきた。妻の家族に会うのは初めてだし、同じ職業だから仕事についても根掘り葉掘り色々聞かれるんだろうな。

馬車を降りると、ずっとガタガタ揺らされていたせいか、地面は安定しているのにくらっとめまいがした。妻、マヤは一足先にお義母さんの医院に入っていった。「ただいまー!母さん、スレヴィーを連れてきたから、二階にあげてもいい?」

中から「ええ、悪いけどお茶淹れといてくれない?」と聞こえた。優しそうな声にほっとする。マヤに「ほら、入って」と言われ後に続く。久しぶりの帰省が嬉しいのか妻の顔は輝いている。


マヤと出会ったのは2年前、妹の小学校にザァシャ人の先生が赴任してきたという知らせを聞いてから、いろんな人にお嫁さんにしたらいいと冷やかされて、まさかその通りなるとは思ってなかったけれども、内心僕は年の近いザァシャ人の女性に生涯出会えるとは思ってなかったからすごく嬉しかった。


髪の毛の色は薄い緑で、瞳は紫色。他の人種よりも学習能力に優れていて医学や薬学に長けている…とされているのが僕たちザァシャ人だ。その妬みからかつてアーリンゲの人々に差別され、虐殺されてしまったザァシャ人もいるし、ザァシャ人は生殖能力が低いから近い未来絶滅する、と言う人もいる。僕、スレヴィー・ヘーガーの家族もかつてはアーリンゲの中心街に医院を持っていたが、差別がひどくなり虐殺されることを恐れて家族総出で隣国の田舎のピュッツという街に引っ越してきた。ピュッツには僕たちを差別しない親切な人が多かったけれど、ザァシャ人は1人も住んでいなかったから、少し寂しかった。絶滅の危機にあるザァシャ人にとって、ザァシャ人同士で結婚するのが一番良いことなんだろうけど、ザァシャ人は本当に数が少ない。だからまさかピュッツに、ザァシャ人の先生が赴任してくるとは夢にも思わなかった。

マヤ・ヴィーク先生と僕はすぐに仲良くなった。同じザァシャ人同士、一緒にいると安心すると思ったし…何より、この先結婚するとしたらこの人しかいないな、と思った。

そして先週、僕からプロポーズして結婚が決まった。婚姻の書にサインもしたのでもう正式に夫婦である。式は3日後に、ピュッツと妻の地元のユスティーナの町の間をとってスロースで挙げることとなった。今日ユスティーナに来たのは結婚の挨拶と、妻の花嫁衣装にお義母さんのおさがりを借りるためだった。

妻と二階で待っていると、お義母さんが部屋に入ってきた。マヤによく似ている。

「はじめまして。スレヴィー・ヘーガーと申します。この度は娘さんと結婚させていただくこととなり…ふつつ、ふつつか者ですがよろしくおねがい致します。」

少し噛んでしまったが愛想良くはできたのではないだろうか。お義母さんは微笑みながら

「ええ、スレヴィーさん。この度はうちの娘をもらってくださってどうもありがとう。こちらこそよろしくお願いします」

と言ってくれた。誰からも信頼されそうなお医者さんの顔をしている。僕の母とはなんかこう、色々と違うな。

「久しぶり、母さん。…ところで、フェリックスはどこ?てっきり一緒に仕事してると思ってたんだけど。」

フェリックスというのはマヤの一歳年下の弟さんのことだ。話によればフェリックスくんも医者らしい。それでマヤには血は繋がっていないけれども10歳下の妹さんもいるはずだ。名前は…なんだったかな…

「フェリックスは買い物に行ってるわ。そろそろ帰ってくると思うけど…。スレヴィーさん、うちの息子があなたにすごく会いたがっててね、何せ年の近いザァシャ人の男の人にあの子はまだ会ったことがないから…」

飲みかけていたお茶を急いで飲み込んで僕は口を開いた

「本当ですか!?僕もフェリックスくんに早くお会いしたくて…話したいこともたくさんあるんです。あの、お節介かもしれない…というよりお節介なんですけども、僕に女のいとこがいましてね…20歳なんですが、もしよければフェリックスくんと会ってみて欲しいな…とか、結婚式にそいつも連れてくるんで、良かったらその、フェリックスくんに聞いてみてください」

しょっぱなからまずい話題にしちゃったかな?!と後悔したけど、お義母さんは「あら、本当に!?それはぜひ紹介していただきたいわ!あの子もそろそろ結婚とか考えなきゃいけないから…」と喜んでくださった。ホッ…

「そういえば、ミカエラも式に来るわよね?」

ミカエラって誰だっけ…?…思い出した。血の繋がらないマヤの妹さんの名前はミカエラだ。

「来るはずよ。あなた達が結婚したこともスロースで結婚式を挙げることも手紙に書いて送ったから。けど、返事がまだ来てないのよ」

マヤがびっくりした声で「えっ!?あのミカエラが?それはまずいわよ!!」と言った。

「あの子、手紙送ったら次の日には返事が来るじゃない。届いてないとか?」

いまいち話題についていけないが、そういえばミカエラさんは今どこにいるんだろう?確か今は高校3年生のはずだけど…

「ミカエラからは返事が来てないんだけど…学校からは手紙が届いたわ。昨日。」

「学校から?どんな手紙が?」

お義母さんが席を立って、封筒を手にして戻ってきた。封筒には百合にリボンが巻かれている校章の印鑑が押されている。僕の記憶が正しければこの校章はアーリンゲにある名門の女子校、ゴールデンアセスーナシスターズスクールの校章だ。ミカエラさんはゴールデンアセスーナの生徒さんだったのか。だとしたら相当頭が良い。

「読んでみて」お義母さんはマヤと僕に手紙を渡してくれた。僕も読んで良いということだろうか。


『ミカエラ・ヴィークの保護者様へ

本校の優秀な生徒であられるミカエラ・ヴィークの卒業後の進路について、

ヴィークさんは前々から本校の教員になることを希望しており、我々もヴィークさんという優秀な生徒が本校の教員となることを大変嬉しく思っていたのですが、アーリンゲの王族の方から、ぜひヴィークさんを家庭教師として雇いたい、とのお誘いを受け、ヴィークさんもご了承されたので、ヴィークさんの卒業後の進路が変更されましたことを、私どもからお知らせさせていただきます。

アーリンゲの王族の方とは、今は亡き前国王であられた方のひ孫にあたる方でございます。ヴィークさんは王族であられる4名の娘様がたの家庭教師となり、住み込みの家庭教師ですので、食事や部屋も王族の方が提供してくださるそうです。卒業して本校の寮を離れたらヴィークさんはそちらに帰省されると思いますので、詳しくはヴィークさんからお話をお聞きになってください。

ゴールデンアセスーナシスターズスクール校長 ドリス・アセスーナ』


「…ちょっと待って。ミカエラは王族の直属の家庭教師になるってこと?」

「そうみたいね。」

マヤもお義母さんの顔も強張っている。普通の人からしてみれば、アーリンゲの王族の直属の家庭教師なんて、名誉な仕事であることこの上ない。けど、アーリンゲというのはまだ昔ほどではないがザァシャ人への差別が残っている国だ。ミカエラさんはザァシャ人ではないから、そのことについて気にする必要は無いだろうけど、ザァシャ人の家族からしてみれば複雑な心境だ。

ミカエラさんは今、アーリンゲにあるゴールデンアセスーナの学生寮に住んでいて、卒業後はゴールデンアセスーナの先生になることが決まってたけど、急遽アーリンゲの王族の直属の家庭教師になることになった…ということでいいんだろうか。

「なんでミカエラ本人じゃなくて学校から手紙が届くのよ。」

「それが分からないのよね。封筒を見たとき、まさかあの子落第して卒業できなくなったんじゃないかしらって心配したのよ。そしたらこれだもの。落第じゃなくて安心したけどこれはこれで胸がざわざわするわ。」

「あの天才ミカエラが落第するわけないってのはさておき…これ本当に学校の手紙よね?なんか嫌な予感がするわ…まさか育ての親が私たちってバレたとか、ないわよね…?」

「やめなさいマヤ、スレヴィーさんがびっくりしてるじゃないの。」

僕が知らない間で何か異常なことが起こっているようだ。差別とかの問題以外に何かありそうだ。

「そうだわ。まず、マヤの旦那さんとなったからには、私たち家族の事情もスレヴィーさんにお話しなくてはね。なぜユスティーナに逃げてきたのか、なぜ血の繋がらないアーリンゲの人種であるミカエラを育てているのか、お話してもいいかしら」

僕はゴクリと唾を飲み、「よろしくお願いします」と言った。お義母さん、イレーヌさんは静かに続けた。







まず、私たちがユスティーナに逃げてきた理由からね…

私は20歳のとき、夫と結婚してアーリンゲの郊外で夫と共に医者をやっていたわ。ヴィーク先生に診て貰うと病気がすぐに直るって話題になって、それなりに繁盛していたんだけれども…

前々からあったザァシャ人への差別がだんだん大きくなってね。国の兵隊が突然やってきて「この医院を潰せと国から命令が入った。」って言われたの。私たちはちゃんと税金を国に納めてるし法律に反することなんて何もやってないのに…。ザァシャ人には人権がないから金を稼いではいけないんですって。医院は潰れてしまったけれど、場所を移してでも私たちに診てもらいたいっていう患者さんが多かったから、私たちは小さな家で医院を続けたわ。

けどある日、幼いマヤと赤ん坊のフェリックスを連れて隣町まで買い物に行った帰りに、普段からお世話になっている患者さんが私たちを見るなり走ってきて、こう伝えてきたの。

「ヴィーク先生が…あなたの旦那さんが、殺されたわ…。医院が火事になったって聞いて駆けつけたら、ヴィーク先生は、もう………」

私は頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった。もう一人の患者さんも駆けつけてきてこう言った。

「イレーヌさん、急いでうちの馬車に乗んなさい!!あなたも見つかったら殺されるかも知れん…!子供たちも早く!!」

馬車に乗って家の方向を見ると、煙が見えて…涙が止まらなかったわ。なぜ夫が殺されたのか、推測でしかないけれど、きっと犯人はアーリンゲの王族だと思った。その時のアーリンゲの国王は、「この世で最も文明があるのは我々アーリンゲ人であり、この地位を奪おうとするザァシャ人を生かしてはならない。」と国民の前で高らかに宣言する王だったもの。それに共感するアーリンゲ人もいたし、私をかくまってくれた人のように王に反対するアーリンゲ人もいた。けどその後、ザァシャ人の味方をすることは犯罪である、という法律ができたの。馬車に乗せてくれた患者さんのところにしばらくお世話になっていたけど、いよいよ長くは居られなくなったわ。私は夫が生前、「僕の実家はユスティーナという深い森を通り過ぎたところにあって、今はもう居ないかもしれないけれどもかつてはザァシャ人がたくさん住んでいたんだ。」と話していたのを思い出した。私はお世話になった患者さんのもとを離れて、2人の子供を連れてユスティーナへと向かったの。

夫が話していた通り、ユスティーナにはザァシャ人の医者のおばあさんが一人だけ住んでいてね。今は亡くなってしまったけどそのおばあさんが私を医者として雇ってくれたの。ユスティーナの人たちは差別なんかしないで、とても良くしてくれたわ。

それで、ここからはミカエラの話になるけれど…

マヤが10歳、フェリックスが9歳のときに、子供たちを寝かしつけているとなんだか街全体で騒ぎが起こっているのを知ったわ。

なんでも、恐ろしい獣が出るからってユスティーナの人でも行かないような森の奥から、不思議なオオカミの遠吠えが聞こえる…と。

不気味だから誰も行こうとしなかったけど、私とおばあさんは森に行くことにしたわ。

オオカミとザァシャ人は同じ祖先を持ち、オオカミの遠吠えの意味をザァシャ人は理解することができる…とザァシャの神話にもあるけど、おばあさんは「この遠吠えは、助けて!というオオカミの意思じゃ…」と言っていたわ。私もなんとなくそんな気がした。

森の奥へと進むと、まさか、とは思ったけれど、人間の赤ちゃんの泣き声のようなものが聞こえてきたわ。私たちは急いで声のする方へ駆けつけると、白いシーツにくるまれた赤ちゃんが泣いていたの。その周りをイノシシやクマなどの獣が囲んでいて襲おうとしていたけれど、その中心にオオカミがいた。どうやらオオカミは赤ちゃんを守ってくれていたみたい。

私たちはオオカミに「ありがとう」と伝えて、急いで医院に戻った。幸い、赤ちゃんに命の別状はなく、けがや病気も無かった。

それにしても、朝が来て明るいところで改めて見たその赤ちゃんは、本当に美しくて。白い肌に碧い目、金髪といえば、アーリンゲの国王いわく「最大の文明を持つ人種」そのものだけど、確かに美しかった。おばあさんも「こんなに美しい赤ちゃんは初めて見るよ」とびっくりしてたわ。

この赤ちゃんはアーリンゲの、それも高貴な赤ちゃんに違いない。けれどなぜユスティーナの、獣だらけの場所に?母親は?こんなにも美しい赤ちゃんを、なぜ…?

私は赤ちゃんをミカエラと名付け、育てることにした。ミカエラはおてんばだったけど、本当にお勉強が好きで、何でも覚えて。私はこの頭の良い子を田舎のユスティーナにとどめておくのはもったいないと考えるようになって、学校の先生に「よければアーリンゲにあるゴールデンアセスーナを受験してみないか」と勧められて、受験させることにした。私は育ての親がザァシャ人であることが学校分かったらたらミカエラの受験に影響が出ると考えて、ミカエラの受験の付き添いは学校の先生に任せて、保護者の欄も先生が代わりに書いて下さったわ。ゴールデンアセスーナはアーリンゲの王族の女性も通っている学校ですもの。一番の成績でゴールデンアセスーナに合格したミカエラは成績優秀者として学費を全額免除で寮にも入ることができたわ。それから6年間、私はミカエラに会えていないの。背は伸びたのかな…とか、女性らしくなっているかな…とか、色々気になるけれど、卒業式は今日のはずだし、明日にはおそらく帰ってくるわ。

けどまさか、ミカエラが、あの夫を殺したかもしれないアーリンゲの王族の、家庭教師になるだなんて…





母さんの話を聞きながら、私はミカエラのことを考えていた。

ミカエラは自分が森に捨てられていたこと、私たちザァシャ人がアーリンゲの人々から差別されていること、アーリンゲの王族に父親を殺されたかもしれないこと、全てを知っている。ミカエラは私たちのことを大切な家族だと思ってくれているし、もちろん私たちもミカエラを誰よりも大切に思っている。

ミカエラが小学校を卒業してユスティーナを離れて寮に入るとき、母さんはミカエラに「あなたがザァシャ人に育てられたことは決して誰にも言ってはならないわ」と言って聞かせた。ミカエラは最初「どうしてそれを隠さなくてはならないのか」と疑問に思っていたけれど、だんだんその意味が分かってきたらしい。ミカエラは手紙で「ゴールデンアセスーナでできた友だちは、みんな良い子たちです。ザァシャ人を差別する子なんていません。」と書いてきた。学校側にはミカエラは、本当の両親は赤ん坊の頃に死んで、親戚が自分を育ててくれた、ということで寮に入らせているし、成績優秀だから学費の免除も考慮してくれた。

ミカエラが中学三年生の時にアーリンゲの国王が死んで新しい国王が即位した。新しい国王はザァシャ人への差別を撤廃すると宣言したが、前国王を支持する層もまだ残っており、完全なる差別が無くなるのにあと半世紀はかかるのではないかと思う。その時ミカエラは手紙で「新しい国王さまの言っていることを、私はなかなか信じることができません。けれど、アーリンゲはとても良いところです。もし差別が無くなったらみんなでアーリンゲで暮らせたらいいですね」と書いてきた。母さんはそれを読んで「もしそうなったとしても、母さんはユスティーナで暮らすわ」とつぶやきながら、「これからもお勉強を頑張りなさい」と返事を書いていた。

私たちと同じように、アーリンゲの王族を憎んでいたミカエラ。そのミカエラが王族の直属の家庭教師となる。私は信じている、ミカエラは断ることができなかったのだ。そもそもミカエラはザァシャ人ではないし、本来なら王族を憎む理由などない。あの金髪に碧い目は美しきアーリンゲ人そのものだ。そんなミカエラが「王族の家庭教師なんてできない」と断ったとしたら?王の命令に逆らったとして罰を受けるかもしれない。どう考えても断れない仕事だ。私たちザァシャ人がミカエラに対して「結局アーリンゲ人の味方につくのね」なんて理由で怒ってはいけないのだ。間違っているのは私たちである。

ミカエラが手紙の返事を書けない理由はそれだ。ミカエラは自分がアーリンゲの王族の家庭教師になることを引き受けたことについて、私たちに伝えることができないでいるのだ。今すぐ、ミカエラに会いたくなった。あなたが気にすることなんて何もない。胸を張って、誇れる仕事をしなさい。王族の家庭教師という、名誉な仕事を。


18歳になったミカエラはどうなっているのだろう。明日ミカエラに会えても、大人っぽくなりすぎてミカエラか分からないかもしれない。小鳥を追いかけて、小石につまずいてすっ転んでいたおてんばなミカエラを思い出して、私は窓の外を見た。







でこぼこ道を走る馬車の中はうるさすぎて眠ることもできず、同じ寮で過ごした友達からもらった手紙を読み返そうにも乗り物酔いするのでそれもできず、私はただ馬車を走らせる馭者さんの頭を意味もなくボーっと見つめていた。

ユスティーナに帰るのは実に6年ぶりだ。家族と離れるのが寂しくて、泣きながら馬車に乗ってアーリンゲに向かったあの日から6年経ったと思うと、長いようで短い6年間だった。帰りたくてたまらなかったユスティーナに、私は心から喜んで帰れずにいる。校長先生が「保護者の方には私からお手紙でお知らせいたしました。」と言われたときは、真っ青になった。卒業して帰省したら、自分の口からきちんと説明しようと思っていたのに、先に学校から伝えられるとは。母さんはどう思ったのだろう。王族の家庭教師だなんて許さない、とまでは言われないだろうけど、心から賛成はしてくれないだろうな。

あの日、私は校長先生に呼び出された。

「ヴィークさん。あなたが我が校の教師となることを、本当に楽しみにしていたんだけれども…、本当に名誉な依頼が、国王さまからあったの。」

「国王さまから…?」

「ええ。この手紙を見て。

『ゴールデンアセスーナで一番優秀な生徒を、ぜひ4人の姫君の家庭教師として雇いたい』ですって。私は迷いなくあなたを推薦したわ。…ああ、勝手に話を進めてしまって本当にごめんなさいね。けど、あなたにとっても本当にぴったりで素敵な仕事だと思うの。あなたは教師志望だったし、急ぎのご依頼だったから。前の家庭教師の方が、事情があって辞めることになったんですって。それで、新しい教師を。ね、どうかしら?良いでしょう?」

校長先生のお話を聞きながら私は頭の中が真っ白になった。ザァシャ人を虐殺した憎き王族の家庭教師なんて、本当は引き受けたくないのに、けど、私には断る理由がなかった。

「喜んで、お引き受けさせていただきます。」

家庭教師が私と決まってからは、王族の方と何通か手紙のやりとりをした。どうやら依頼したのは前国王のひ孫にあたる方のようだ。名前はレオ・スチュアートさん。税理士をしているらしい。私が教えることになる四人姉妹のプリンセスのいとこにあたる方だ。四人姉妹の両親、つまり前国王の孫とそのご婦人はもうすでに亡くなっていて、姉妹のいとこであるレオさんが保護者をしているらしい。レオさんは彼女たちと一緒に住み、お屋敷で仕事をしているそうだ。

王族と仲良くしようだなんて気は私には無かったけれど、実際、手紙から読み取れるレオさんの人柄はとても良さそうであるし、この四人姉妹の家庭教師となることも楽しみにしてしまっている自分がいる。

ゆるやかな道に入った。ユスティーナまであと30分くらいだろうか。私はレオさんから届いた手紙をカバンから取り出し、読み返すことにした。


ミカエラ・ヴィーク様

お返事ありがとうございます。私どもも、あなたに会えることをとても楽しみにしております。あなたが教えることとなる四人の姉妹について、前もって少しご紹介させていただきたいと思いますので、参考になさってください。


長女・ルネ

15歳で、来月からスカイスター女学院高等部の一年生になります。しっかりはしていますがあまり勉強熱心ではありません。せめて試験で平均点以上が採れるようにご指導をお願い致します。


次女・リタ

13歳で、来月からスカイスター女学院中等部の二年生になります。彼女は本当に勉強が嫌いで、今年は何とか進級できましたがこれ以上成績が下がると落第もしかねません。厳しめのご指導をお願い致します。


三女・エリ

11歳で、屋敷からすぐ近くの小学校に通っています。来年は受験を控えており、姉と同じスカイスターを志望していますが、本人は受験を舐めきっていて、名前が書ければ合格すると思い込んでいます。受験対策を中心にお願い致します。


四女・セラ

7歳です。本来なら小学校に通っているのですが、体が弱いため通えていません。上の姉たちが学校に行っている間は彼女のご指導をお願い致します。この子だけは勉強が大好きなので、どんどん教えてやってください。


彼女たち、特にセラは、新しい先生に会えることを毎日待ちわびております。何かお困りのことがあれば、私にご相談ください。よろしくお願いします。

レオ・スチュアート



7歳のセラという子が気になった。勉強が大好きなのに、体が弱いために学校に通えないだなんて気の毒だ。早く会って、話がしてみたい。

レオ・スチュアートさんはおいくつなのだろう。もうご結婚なさっているのだろうか。だとしたらご婦人にもきちんと挨拶しなくては。

もしザァシャ人を差別するような人だったら、すぐに家庭教師なんて辞めてやろう。と思っているけど、とてもそんな差別をするような人とは、手紙からは読み取れない。


「お嬢さん、ユスティーナに着きましたよ」

馭者さんに話しかけられ、外を見ると懐かしい小学校が見えた。

「ヴィーク医院までお願いします」

私は深く息を吸い、母に再会したときになんと言うべきか考え始めた。

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