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009 (青色、少女、最速の才能)<指定なし>

 月までの距離、三十八万km。

 心の中でそう呟いて、私はハンドルを握りしめた。手袋の中が湿っている。武者震いなのだ、と自分自身に言い聞かせた。

 発進の前はいつもこうだった。集中のあまり、周囲から音が消え去り、却って集中力を削ぐ結果となる。いつになったら慣れるのだろうかと思う反面、地球に生まれ地球で育った者にとってはこの高揚感と不安は感じて然るべきなのだろう。

 集中力を少しクールダウンさせるため、目を瞑る。集中することは大切だが、集中しすぎては視野が狭くなる。それはハンドルを握る者にとって命取りだった。特に、このようなレースにおいては。


 頭の中で、呼吸を数える。四秒吐いて、四秒吸う。師匠から教わったものだ。このルーティンを繰り返して、試合前の集中の度合いをコントロールする。

 このルーティンに余裕があったなら、それは集中力が欠けている。数える事に必死だったなら、集中しようとしすぎて焦っている。数を数えながら、珈琲を飲めるぐらい。そのぐらいが、私にはちょうど良かった。

 呼吸することで、私が地球の大気圏内にいることを確認する。耐圧ボトル入りの珈琲を飲むことで、大地に生かされていることを自覚する。砂糖をたっぷり入れた、特製珈琲である。極度の集中状態を維持するこのレースでは、糖分はいくらあっても足りないということはない。


 もうじき、レースが始まる。右にも左にも、対戦者の機体の姿はない。世界各地からスタートするため、このN市からの参加者は私一人だけだった。スタート地点こそ違うものの、ゴール地点は一つである。南極大陸、D地点。そこがこのレースの終着点だ。

 月の裏側を回り、ターンして、南極まで帰ってくる。

 私は今回もまた、一位を目指す。

 毎回、レースの度にプレッシャーに押し潰されそうになる。これまで三度、連続優勝を決めているが、次も勝てるかはわからない。負けたとしても、次世代指導者の道はあるし、これまでの賞金で食べていくことは何も問題はないだろう。しかし、私は自分自身の限界に負けたくなかった。スポンサーの応援も嫌いではなかったし、彼らが私につけたあだ名も気に入っていた。


 あと一分で、レースが始まる。残っていた耐圧ボトル入りの珈琲を一気に飲み干す。ついで、カウントダウンする。あと五十秒。おかしなものだ、と私はこのレースの度に思う。亜光速を目指して製造されているこの機体は、十秒で月まで達し、二〜三秒でターン、そして十二秒で南極へ。残りのカウントダウンよりも短い時間で月まで行って、私は南極まで帰ってくる。まるで冷やかしだ、と思う。

 ある人は莫大な金をかけたピンポンダッシュみたいなもんだなんて言うけど、言いえて妙だと私は感じたものだ。

 あと三十秒。母はよく言っていた。血筋ね、と。私の曽祖父は競馬の騎手で、曽祖父のお兄さんは競艇選手だったそうだ。祖父は峠の走り屋で、祖父の弟は自動車メーカーに勤めていた。

「宇宙の走り屋はこの家からは初めてじゃの」

なんて祖母には言われる。その度に、そりゃそうだよおばあちゃん、時代が違うもの、と返している。


 あと十秒。眼前のモニターを見つめ、ハンドルの握り位置を確認し、背中をシートに預ける。

 ……五、四、三、二、


 ゴッ! という轟音と共に、凄まじいまでの重力で大地へと引っ張られる。次の瞬間にはもうその重力を感じず、モニターは真っ暗。月へと一直線の最中、他の機体が見えた。

 他の機体が隣にいる。いつも麻痺しそうになる。今は亜光速。すぐに月に着く。

 月が見える前から、ターンにハンドルを入れておく。そうしないと、月の向こう側遥か遠くまで飛んで行ってしまう。

 グギギッという感覚と共に、モニターに月の裏側が映る。私はこれから地球へ帰る。


 月を横目に、地球へと向かう。モニターを確認し、南極へと座標を調整するためハンドルを上に切った。


 この時、月を横切る際の私の写真から、私の二つ名が着いた。あまりの亜光速のために捉えきれず、ぼやけたシルエットと青い光からつけられたものだ。



 最速の青い兎。



 私はこの名前を気にっていた。青い兎は地球へ帰る。



 地球の大気圏に入る絵に、速度は調整する。そうでなければ南極に激突してしまうだろう。

 機体が重力に捉えられる。あとは惰性と、思いっきりブレーキを踏んだ。


 グギャッ! とハンドルを上げ、私は機体の姿勢を操作した。


 フシュウウゴリゴリゴリゴリグギャッ、という音で、私は機体を着陸させた。


 一位かどうかはまだ分からないが、自身はあった。いま、自分の周りには誰もいない。取材クルーは安全を期して、三〇km以上離れた場所に待機している。



 レースが終わるたびに、一気に疲れと、充足感が私を襲う。

 今回もまた、無事に地球に帰ってこれたのだ。



 私はいま、砂糖をたっぷり入れた熱々の珈琲を飲みたい。






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