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007☆(楽園、テント、ねじれた恩返し)<サイコミステリー>


 G県の郷土資料より抜粋する。

 幕末から明治、そして大正に移行する過渡期の記録。

 とある地方で起きた殺人事件と、事の顛末の一部始終である。






 宿屋の主人に対する取材記録、冒頭


 彼は義理堅い男でありました。

 彼を知る者の多くは、その薄汚い格好を忌避し、罵り、軽蔑の念を向けるのが普通なのでありましょうが、私はそうはいかないのです。

 彼を軽蔑してしまっては、私は今こうしてあなたに事の真相を事細やかに伝える事も敵わなかった事でしょう。それどころか、今時分はおそらく牢の中でむさ苦しい者達と饅頭詰と相成り、我が家で眠る事もできなかった事でしょうから。

 しかしながら、私は怖くて堪らないのです。いつそれが襲ってくるのか、私にはとんと見当の付けようもないのですから。斯の様な肝心な事を家内にも話さずにいる事は一体どういう料簡でいるのかと世間様からは責められる事もありましょうが、事が事であるがために、話すことが出来ないのであります。

 それでも此度、貴方様に話そうと思いましたのは、私の弱さが為せる業でありましょう。私はもう怖くて怖くて堪らず、誰かに話してしまいたいのです。貴方様はもしよければ雑誌の記事にさせて欲しいとの事で御座いますが、一向に記事にしてもらって支障ありません。ただ、私と私の妻、それに彼の素性については伏せて於いて欲しいのであります。此の世のものならざる類には、そのような配慮をしても無駄な足掻きであるのかも知れませぬが、彼は斯う言っていたのです。


 折るという字と祈るという字は似ています。もし祈る際に人が言葉を使うのならば、その言葉は猿の手に届くかも知れませぬ。努努ゆめゆめ、言葉に気をつけなされ、と。






 宿屋の主人の証言より  六月十日について


 その日は、新月の夜で御座いました。私が火の元の確認を済ませ、床に就こうとしていた時分の頃に御座います。戸口の方から、何やら声がするので御座います。初めは犬か猫でも鳴いておるのではと思いましたが、何やら「おーい、おーい」と人の声がするので御座います。蚊の泣くような、小さな声でありました。

 「何か」と尋ねますと、「一晩、泊めて欲しいのです」と、男の声が致しました。私が戸を僅かばかり開けますと、顔の辺りが青黒く鬱血した、一人の子男がうずくまっておりました。私は驚き、

「どうしたのか」と問いますと、

「盗人に襲われた」と答えます。

 そのまま店の前に放って置くわけにもいきませんので、店の中に引き入れ、再び戸に錠をかけました。

 ひどく衰弱していたように見えましたから、偶然たまたま空いていた座敷へ寝かせ、家内に水を持ってきてもらいました。男は水を一気に飲み干し、腹を空かしているように見えました。その日はもう火を落としていましたので、漬物と酒を持ってこさせました。

 男は漬物には手を着けましたが、酒はちらりと見遣るばかりで、呑もうとは致しません。

 訳を聞くと、

「酒は、私共にとっては神聖な商売道具だ」

と答えました。

 私は不思議に思いました。商売道具であるなら、この男は酒屋か酒蔵であろうか。そうであるなら、なおのこと、酒を呑まねばその善し悪しは分かりますまい。しかし、男は

「それに、金を持っていないから」と付け加えました。私はた驚きましたが、先程男が言ったことを思い出し、

「盗人に盗られたのか」と聞くと、

「そうだ」と男は申します。

 私の顔色を見て取ったのでしょう、男は慌てて、こう申します。



 受けた恩は必ず返す、と。



 私はいささか、その言い回しが奇妙に思えたのです。暫し逡巡して、私の方から男に聞き返しました。

「金は、いつなら払えるのか」と。

 私は奇妙な点に思い当たり、そう聞き返しました。恩も何も、金なら払える時に払ってもらえれば好いのです。私とて怪我人を取って喰うような鬼では御座いませんので。

「払える時に払ってくれればいい、私は宿屋だ、盗人に襲われた怪我人から直ぐに金を取り立てようなどどとは言わない、ゆっくり休め」と付け加えて。


 男は頭を下げ、手を畳について、私に礼を言いました。

 随分と畏まった男だな、と私は感じました。いえ、男が礼を言うことには幾分の奇妙な点も御座いませぬが、その一挙手一投足が、えらく律儀なので御座います。

 戸口にて会った時には夜間のため薄暗く、顔を見ていたがために気にしておりませんでしたが、この男、大変に汚らしい身なりをしておりました。私の、とある形での恩人でもある手前、斯のような言い分もどうかとは私自身も思いますが、その男の着物は襤褸ぼろと言って差し支えなく、衣服と云うよりも布で御座いました。

 そのような身なりと、男の慇懃な振舞いとが、えらく不一致でありました。

 何はともあれ、ゆっくりと休むように伝え、私も漸く床に着いたので御座います。






 六月十一日について

  宿屋の主人の弟に当る、呉服店を営む男の証言、牢内にて聴取



 何だってんだよ、何の用だってんだ? 事件はもう解決したってのに、俺に何を聞こうってんだ?

 あの馬鹿兄貴との関係性について聞きたい? もうこの前に話してやったろう?

 何? 調べの記録のために必要だあ? 知らねえよ、んな事。俺をこっから出したら話してやんよ。それは出来ない? 話した後、調べの記録が終わり次第、出してやる? それはいつぐらいになるんだ?

 何? 五日後? 巫山戯ふざけた事かしてんじゃねえぞこの野郎。いいからさっさとこんな辛気臭い所から出せってんだ。何? 話すまで帰らない? 知らねえよ、そんな事。

 話さないと記録が終わらないからずっと牢屋の中? 巫山戯た事ばっか言ってんじゃねえぞ!

 あーあー、わかったよ、話してやんよ、何回でも。



 あれは六月十一日の朝の事だ。御天道さんの気持ちい好い日だっだよ、ありゃあ。こんな湿った牢屋ん中と違ってな。

 知っての通り、俺は呉服屋だ。見りゃ分かんだろ、この服をよ。こんなとこにずっといたら俺の服が駄目んなっちまう。安かねえんだぞ畜生。

 で、そうそう、朝だ、その朝だよ。大黒屋んとこの番頭が来たんだよ、うちの店に。そう、二丁目の金貸だよ。こんな朝早くから何の用かと思ったね。大抵、手形の話すんのは昼過ぎてからだからな。で、

「最近、お前のとこの弟に会ったか」なんて聞くんだよ。

会ってるわけねえだろ、兄弟仲悪いんだから。はっきりそう答えてやった。そしたらよ、

「お前んとこの弟が、筋もんを匿ってる」なんて吐かすんだよ。


 俺は笑い転げそうだったね。あの糞真面目な兄貴が筋もんを匿ってる? ありえないと思ったね。御天道さんがひっくり返ったってありえやしねえさ。

 ところが番頭が言うんだよ。

「お前の弟のそんな評判が広まれば、お前の呉服屋の評判が落ちる。そうなれば引いてはお前と取引をしてる大黒屋の評判も落ちる」

なんて吐かすんだな。


 そんな事、俺の知った事じゃねえ。兄貴がどうしようと勝手だ。それに大黒屋がどうなろうが構いやしない。

 でもな、金の流れが途切れんのはこまんだよ。別に金貸しは大黒屋だけじゃねえし、他の金貸しと商売したってそれでいいんだ。でもな、時期が悪かった。大黒屋はな、客抱えてんだよ、お偉いさんと、それに米里軒の奴らをな。そいつらとと、呉服を何枚か卸すって取り付けたばっかなんだ。それがお釈迦んなんのは御免だ。仕方ねえから行ったよ、兄貴の宿屋にな。



 兄貴、店の前に水撒いてやがったよ、阿保面下げて。丁稚に任せりゃいいのによ。

「おう、久しぶりだな」なんて言いやがる。出来れば会いたかねえけどな。

 とっとと話に入りたかったから、直接聞いてやったよ、兄貴はいま筋者とつるんでんのか、ってな。

 そしたら兄貴、きょとんとした顔して、そんなわけないだろう、って言うんだ。まあそうだろうなって思ったね。


 でもな、言った後、兄貴が顔色えたんだよ。


 俺はピンときたね。こいつあ何か隠してるって。

 俺はさっさと話を切り上げて、兄貴と別れて帰るふりをして、角を曲がったんだ。で、ちょっと待って、次の角とそのまた次をぐるり回って、兄貴の宿屋の裏に出たんだ。


 そしたらな、いたんだよ、あいつがな。顔の周り青黒く晴らしてたよ。手水で顔洗ってやがった。



 何? 其の後どうしたかって? 帰って大黒屋の番頭に伝えたよ、ありゃ確かに筋者だろうってな。

 その日はそれぐれえだ。



 何? なんで兄貴とそんなに仲が悪いのかって?

 あいつが金儲けがド下手だからに決まってんだろ!







 六月十二日について

  宿屋の主人より聴取


 其れは、夜分の事で御座いました。火を落とし、戸口を閉めた後、直接、彼に尋ねてみることにしたのです。昨日、私の弟が来た。奇妙な事を尋ねて来たが、貴方の素性を教えて欲しい、と。

 すると、彼は最初はなから聞かれることを予期していたかの如く、つらつらと喋り始めました。

「私の稼業は、見世物小屋なのです」と。そして、今は興業を行いながら、都へと戻る途中であるとも。

 私は可笑しいと感じました。見世物小屋の行商を、たった一人で行えるもでしょうか。彼はその布そのままのような服を除けば、何一つ持ってはいないのです。

「不思議にお思いでしょう」と彼は言います。

「私どもは、見世物小屋で凌いでおりますが、現在は小屋は使用していないのです。もちろん、都の近くで行う時は小屋を建てる時もありますが、今時分のような、役人が常に夷狄に目を光らせているような時には、私どもの興業小屋も平常時より目を付けられ易いのです。ゆえに、その見世物だけを持ち歩いて全国で出稼ぎをしているのです。こっそりと」

 私は、そのような事を初めて耳にしました。

「それはそうでしょう。私どもも、商売の相手はある程度決まっています。金のある道楽者相手に、遊郭などでこっそりと行いますので」と彼は言いました。


 もっとも、其の商売道具を盗まれてしまったのですが、とも。


 出来心という物でしょう。私は、好奇心から其の商売道具なる物について尋ねてしまったのです。今思えば、何と軽薄であった事でしょう。其の様な事を耳にしなければ、此れ程までに悩む事も無かったのですから。



「河童の手です」と彼は申します。



「河童の手」

「はい。私どもの見世物は他にも御座いますが、今回私が興業に用いていたのは河童の手で御座います」

 私は、今まで河童を耳にした事はありますが、目にした事はありません。其の様な物に客が着くという事も不思議で御座いました。

「まあ、道楽物が相手ですから」


「それに、私どものは本物ですので」


 其れからというもの、彼からは多くの話を聞きました。河童の指は、四本であるという事。河童の手を清める際、酒を用いる事。其の為、彼らは酒を一切口にしないという事。

 また、興業で全国を出歩く際、耳にする異国の文化についても。其の国では、夫婦となる際、指輪という物を交わすそうで御座います。二人の仲を誓い合う物であると。

 それらは強く結びつき、異国の神の前で祝うのだ、と。

「其の祝いと云うのは私どもの商いにも通じるのです」と彼は云います。


「祝いには口を、即ち言葉を用います。私どもが河童の手を清める際にも言葉を用いるのです」




 ゆえに、私どもは義理堅いのです、と。






 六月十三日について

  牢内、大黒屋の番頭より


 十三日? その日はあれだよ、御隠居と話してこれからどうするっかって頃合いだよ。いや、どうするもクソもねえけどよ、逃げられちまったもんを放っとくわけにもいかねえだろ?

 そりゃあ、先に取ったのは俺たちだけどよ。逃げられちまったってのがまずいんだな。

 そいで、次の日の相談をしてたのよ、十四日のよ。仕方ねえから無理矢理にでもってんで、若え衆探して、明日の手はずを整えてって頃だよ。

 そしたらお前、店の表の方が騒がしいんだわ。

 何で騒いでるかってえと、朝からお嬢さんの姿が見当たりません、だとよ。御隠居の孫娘。

 その孫娘が見当たらねえんだ。そりゃあ子供だから歩きもするさ、歩きもするだろうけど、そりゃあ店の皆で探してよ。

 まあ、皆で言ってたんだよ、何でも指輪ってもんを買ってもらったから、どっかで見せびらかしてんじゃねえかってよ。どうも、子供がするもんじゃないらしいけどよ。

 で、見つかったんだよ、見つかったんだけど、いやー、肝っ玉冷やしたね、そりゃあもう。


 死んでるんだもんよ。川ん中で。


 そらもう御隠居顔面蒼白よ。






 六月十四日

  官吏による記録

  川中ニテ、大黒屋ノ孫娘発見サル

  左腕、肩ヨリ先ガ欠ケシ状態ナリ

  川下ニテ、襤褸ノ布発見サル






 六月十五日

  奉行所にて、男の証言


 いや、大変な事でした。まさか、商売道具を盗られてしまうとは不覚で御座います。

 ええ、確かに私は大黒屋の主人と料亭にて、面識を持ちました。其の際、お見せしたのが河童の手で御座います。

 其の河童の手、高値で売れるのでありまして、料亭にを後にしてからというもの、後ろから何者かに殴られ、相盗まれる事となったので御座います。私の不覚と言えましょう。其の後も其の男は私を追い掛けて来たので御座いますが、其の折にこの宿屋の御主人に助けられたので御座います。

 さて、私はなんとか其の商売道具を取戻そうとしたのですが、それは既に大国屋から南蛮の手に渡り、後を追えなくなっておりました。


 私どもは、受けた恩は必ず返します。


 大黒屋の娘を攫い、息の根を止めたので御座います。そして、右腕を切り落とし、持ち帰ろうとしたのです。

 何、河童の手、と申しますが、あれは、中には人の物も混じっているので御座います。玄人でなければ分かりはせぬでしょうが、何、人の手ででも十分、商売になるので御座います。

 其の儘逃げおおしても良かったので御座いますが、思ったより早く見付かる手合いとなりました。

 私が様子を伺っておりますと、宿屋の主人に嫌疑がかかっておりました。


 私どもは、受けた恩は必ず返します。


 其の為、今ここでこうして申上げているので御座います。




 右腕に付いていた薬指、で御座いますか?


 私の胃の中から見付かる事でしょう。私どもは人を使って河童の手を作る際、一本切り落とした其の指を、其の儘飲むので御座います。まあ、一つの手順とでも申しましょうか。河童の一部を己の中に取り入れるのです。


 ゆえに、私どもは酒を呑まないのです。酔っ払ってしまっては、胃の中の河童が暴れ出す恐れがありますので……








 六月十六日

  官吏による記録


 明朝、刑ノ履行ノ為、官吏二人ガ牢ヘト赴く

 男、割腹自殺セリ状態デ発見サル

 男ノトナリニ広ガリシ血溜リノ中ニ、薬指発見サル

 尚、指輪見当タラズ






 六月十七日

  宿屋の主人の証言より


 私は、今でも怖くて堪らないので御座います。もし、私がその報いを受けることになったなら、どうなると云うのでしょう。

 彼は、必ず恩は返します、と申しておりました。事実、今ここで、私が牢に入ることなく話すことが出来ておりますのは、彼のその恩があっての事で御座います。

 しかし、もう私には、どうすればよいかとんと見当も付かないのであります






 記録、此処で終わる。




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