夢見ぬ少女じゃいられない
「視界に入ってくんじゃねーよタコ!!」
「…ヒィ…ッ!」
なんて理不尽な。僕は只、自分の机で居眠りをしていただけじゃないか。
…そんな風に言い返すことは勿論できず、僕はクラスメイトのヤンキー・高山穂波に怒鳴られ女の子みたいな悲鳴を上げてしまった。急いで机に突っ伏し、震える身を縮こまらせる。少し離れたところにいた数名のグループが、そんな僕を見てクスクス笑った。僕は恥ずかしくって、しばらく顔を上げれなかった。
全く、彼女のようなギャルが僕は心底苦手だった。明らかに校則違反の金髪に眉そり、(僕に言わせれば)けばけばしい歌舞伎役者みたいな濃いメイクの彼女は、校内でも一段と目立っていた。元々顔立ちは綺麗だったから、男子生徒の間では結構話題になっていた。それでも教師や、浮ついたバカな生徒が寄り付こうとしなかったのは、彼女が市内では有名な国会議員の娘だったからだろう。
誰も彼女に面と向かって注意しなかったし、腫れ物のように、何処となく「特別扱い」していた。周りの大人たちのそんな姿を見る度に、「彼女の性格がああなったのは仕方ない」ことなのかもしれない、と少し不憫になった。
その日の夜、僕は部活の帰りに公園へと寄った。部活と言っても名ばかりで、「日本硬貨深淵研究部」なんて大層な名前は付いてるが、要は来たい奴が適当に集まってだらだらトランプでもして遊んで帰る、といったそんな感じの部活だった。だからいつも、こんなに空が真っ暗になるまで学校に残る必要なんてないのだが、僕はいつも遅くまで教室でダラダラしていた。「彼女」に会うためだ。
「ごめん、待った?」
「…ううん、今来たとこ」
誰もいない夜の公園で、「彼女」は…高山穂波はベンチに座ったままふるふると首を振った。寒いのだろうか、頬を仄かに紅く染めた彼女が、白い息を吐きながら子犬のように僕の元へと駆け寄ってきた。
「今日はね、ハンバーグ作ってきた」
「本当?ありがとう…」
健気に差し出された弁当を、僕はにっこり笑って受け取った。それから僕らはベンチに腰掛け、しばらく夜のデートを楽しんだ。
「うん、大分美味しくなったよ。これならきっと、お店で出しても大丈夫」
「ほんと?嬉しい!」
将来は実は調理師を目指しているという彼女は、毎晩僕にこうして手作りの弁当を作ってきてくれた。僕は弁当を食べながら、横に寄り添う彼女を見つめた。穂波は真剣な表情で、僕の食べる姿をジッと見つめている。ただし、目を閉じたまま。
全く、見るもの全てに噛み付いていた昼の姿とはまるで別人だ。
高山穂波が「夢遊病者」だと知ったときには、最初は僕も夢かと思った。
なんせ性格が180度違うのだ。あれほど目を尖らせていた「起床時」の彼女とは違い、寝ている間の彼女は本当に大人しい。濃かった化粧も落とし、元々綺麗な顔立ちが余計目立っている。僕はこっちのほうが好きだった。本人に言ったら殺されそうだが、寝ている方が女の子らしいし、とっても可愛らしい。
そう、「夢遊病者」高山穂波は寝ている間に、本人も知らないうちに外の世界をさ迷い歩いていたのだった。それも、全く別の人格に成り代わって。
「夢」を見ている彼女と初めてこの公園で出くわした時は、てっきりいつの間にか逆鱗に触れていて、とうとう暗がりの中暴行されるのかと思った。ところが、目を閉じた彼女は僕を見つけるとにっこりと微笑み返してくれた。
その時、僕は目を疑った。あのヤンキーが、人を馬鹿にする以外のことで笑っている…。僕があ然として立ち尽くしていると、彼女はそのまま僕に話しかけてきた。そして、しばらくすると顔を真っ赤にしながら自分の「夢」をぽつりぽつりと語ってくれた。
「…それで、私の作った料理、ぜひ食べてもらいたいんです。あの、中々、こんなこと相談できる人いなくって…」
あれがつり橋効果なのだろうか。殺されずに済んだという安心感と、何よりも昼間と違う健気な姿に、僕の心臓はあの日からずっと高鳴りっぱなしだった。
「…じゃあ、また明日」
「うん、ありがと」
時計の針が0時を回ったころ、僕らは惜しみながら別れを告げた。彼女の家はこの公園のすぐ裏手だ。シンデレラではないが、日付が変わるまでに彼女を家に帰すのが、ご両親との約束だった。
彼女の主治医曰く、穂波のご両親は娘が夢遊病だと知り、家の裏にあるこの公園を買い取ったらしい。表向きは療養施設となっているため、他人は寄り付かない。二人のご両親は、あまり自分の娘が「夢見がち」なことを知られたくないようだった。僕だけは、「寝ている」彼女がどうしても会いたがったため、特別に公園に通うことを許されたのだった。
勿論、悪い気は全然しなかった。僕は喜んで彼女の「治療」に協力することにした。
僕が家に帰ると、物音に気づいた母がテレビを見ながら口を尖らせた。
「まーたあんたはこんな時間に帰ってきて…あんたまさか」
「…何だよ?」
「日本硬貨の深淵に触れてたんじゃないでしょうね?」
「違うよ。こないだ出来た彼女に会ってたんだよ」
「馬鹿おっしゃい。さっさと風呂入って飯食っちゃいな」
母は僕の方を見もせずに、欠伸交じりにそうぼやいた。実の息子に「彼女が出来た」とは頑として信じようとしない母は、僕が夜な夜な妙な研究に没頭していると思っているようだ。僕としては、そっちの方が不健全な気がするが。
釣られて欠伸をしながら、さっさと寝ることにした。何せ毎晩夢見るシンデレラと逢瀬を重ねている訳だから、此処最近はずっと寝不足だった。
その晩、僕は不思議な夢を見た。
気がつくと僕は、さっきの公園のベンチに座っていた。横を見ると、穂波が座っている。だけど、何だか様子がおかしい。『いつも』の穂波じゃないみたいだった。ばっちり化粧を決めた彼女は僕をじろりと睨むと、思いっきり舌打ちした。
「…ったく、調子狂うわ。変わっちまったか」
「え?どういう…」
「いいから、『てめえ』は寝てろタコ!」
イラついた彼女は僕の顔面をグーで殴ると、僕を半強制的に「寝かせて」くれた。そんな夢だった。朝起きた時、寝相が悪かったのか、鼻の奥が妙にジンジンと痛んだ。