閑話2.騎士道、信仰、魔法 ~ガリュアス王都、貴族用学習院。エイジ親衛子爵の講演より~
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私は『騎士道』は非言語の『信仰』を言語化し、一部が歪んで『魔法』となってしまった言語的『信仰』との合致、『再教化』をしようとしていると言いました。
そこで難しい問題が起こります。
真の『信仰』とは何でしょう?
非言語的『信仰』とはいったいどのように言葉にすればよいのでしょう?
ここで私は新しい試みをしようと思います。
正しい『信仰』を布教するために、魔法は理解の全く及ばない超常現象ではなく、理解の及ぶ信仰的現象であるとしてみましょう。
もし魔法が信仰の齎す現象の歪んだ結果であれば、我々にとって良い研究対象になります。しかし、魔法が超常現象であるとすれば、我々の信仰とは関係がなくなってしまいます。
魔法が信仰を歪めたと先だって言いましたが、信仰の歪んだ結果が魔法や現在の言語であると仮定してみましょう。
間違った言語的信仰をもって、正しい非言語的信仰の理解を深める。つまり、非言語的信仰を言語にするのみのアプローチではなく、言語を非言語に直すアプローチを行ってみましょう。
いったいこれが何の役に立つのかと、『信仰』など何の役に立つのかとお思いの方も多いと思います。
魔法の発生原因が何であれ、その現象のみを追求した方が実利が多い。それに『魔道』とは『真理』を探究する物である……!
そうです!
『魔道』とは『真理』から生ずるものなのです!
我々の理解の及ばない『真理』と、我々の手の届く範囲にある『信仰』。これらは全く関係の無い物と考えられています。
魔法使いが研究する数ある魔法学と、ガリュアス教徒が主導する神聖魔法学は互いを敵視し、時に言論を越えた争いにもなります。
そんな関係に私は一石を投じたいと思います。
・非言語的『信仰』により、言語的『信仰』を正す。
・言語的『魔法』を探究し、非言語的『真理』に到達する。
これを入れ替えます。
・非言語的『信仰』の到達の為、言語的『魔法』を探究する。
・非言語的『真理』により、言語的『信仰』を正す。
このような仮定をしてはいけない理由も、否定できるだけの根拠も誰も持っていないのです。
この仮定の成否は、我々の研究成果が決めてくれることです。勿論、魔法学者や宗教家の成果もこの仮定に影響を与えることが出来ます。
私たちの目的は、我々の望むものはいったい何なのか。
私たちの知りうる信仰の支配の拡大、つまり神の下僕として正しく神託を理解し、神のために行動する。
言い換えれば、魔法学の世界で魔法の現象の理解を深め、あらゆる魔法から導かれる『真理』へと至る事。
最終的にはあらゆる現象を、発生源である『真理』と非言語的『信仰』、発生現象である『魔法』と言語的『信仰』の分野に分けること。できうるなら因果までも我々が支配することにあります。
そうなると亜人や魔物まで魔法が使える者がいるという、ガリュアス三大神信仰と矛盾する点が現れます。その事については次の講演で――。




