2.虚像
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「エイジ様? 如何なされましたか?」
ハンゾウは、眼球で半分顔が覆われた表情を困らせながら、主人であるエイジに向けて言葉を発する。
「あ……」
言葉が続かない。
ハンゾウは勿論エイジがカスタマイズした通りの姿である。
漆黒のローブに包まれた同じく暗黒の鎧を纏い、腰にはエイジの補助としての性質上、ミドルレンジとロングレンジの火力を補うための鎖鎌にクナイにレバーアクションライフル。そして主君に忠実な騎士としての性格付け。
アンバランスな感覚であろうがこれがエイジのセンスだ。西洋的な個性で東洋的な性質を隠すように塗り固めたような存在。それがハンゾウである。
「失礼」
ハンゾウはエイジに顔を近づける。その大きな眼球の瞳孔が大きくなったり小さくなったりしながらエイジを映す。その周りの虹彩の模様が美しい。まるで、生きた大きな水晶玉のようである。
「沈黙、混乱等の状態異常ではないようです」
「幻覚は……」
「幻覚ですか? それならば私に看破出来ないほどの物でなければ、問題は見当たりません」
会話が成立してしまっている。エイジはゲームではかくはずのない冷や汗が額を流れるのを感じる。ハンゾウは困ったように混乱する主人の表情を見つめるしかない。
「エイジ様、如何なされましたか?」
二度目だ。ハンゾウは今現在の喋る事が、会話をする事が出来る状態がまるで常時であるかのように言葉を紡ぐ。
「どうやら我々は剣神コンノカミに僻地へと飛ばされてしまったようですね……」
ハンゾウは辺りを遠く、その細部まで見つめるように視線を投げる。その瞳孔の変化以外にも眼球に何やら魔法陣が浮かんだり切り替わったりしている。見た目だけでは判断が難しいアイボール系統の独特のスキルであろう。モンスターも詠唱不要のスキルは使用できるようである。
「この辺りは山の頂付近のようです。エイジ様」
深く深く息を吸い込むとその眼光に鋭さが宿る。
「我々には害はありませんが、低度の瘴気がこの山一帯に領域として展開されています。下山しない事には生物とは無縁でしょうね」
用いたのは単純に広範囲視界探索と地質調査の魔眼スキルであったようだ。他にも鑑定士の代わりとなったりするなど様々な特殊魔法、もしくは特殊効果をこのアイボーイ系は持っている。
「あの……ハンゾウ……」
なんと声をかければよいか思いつかない。ロールプレイでNPCに声をかけるなどといった趣味のないエイジにとって、眼前の物はNPCではなく人と同じである。人ではないのは見ればわかるのだが。
ハンゾウの目がギョロリとエイジを直視する。遅れて身体がエイジに対して向き直り敬意を表する。
「エイジ様、何か?」
その反応は、なぜか怯える主人への困惑を含んだ物ではあるが、悪い意志は感じられない。しかし、エイジにとってはまるで怨敵に向けての呪詛であるかのように感じられる。
「いや……」
「ふむ」
ハンゾウは納得したように首を縦に振る。
「エイジ様に今日初めて声をかけてもらえて光栄でございますが、何か私に至らぬ点があるようですので、何なりと申しつけてください。私はエイジ様の従者として召喚された身。エイジ様の気分を害するとなればこの身の恥でございます」
「ない……」
あるはずがないのだ。何も気分が害された訳ではない。ただ今の状況がエイジには全く理解の範疇を越えているというだけだ。そして、エイジがゲーム内でも人との会話をなるべく避けていたのもある。どう話を続けていいか分からないのだ。
あと、あるとすればハンゾウのその大きな目に見つめられるのは、実際に人間に直視されるのと変わらぬくらいに怖いくらいだ。
「ではエイジ様、私めにご指示を」
畏まってはいるが、焦りもあるのか。エイジのはっきりとしない言葉と態度に対してである。
主人としての格を見せることなどエイジには出来ていない。ハンゾウの顔に浮かぶ色はエイジへの呆れか。
エイジは逡巡する。この状況を打開する術は持たない。精一杯の威厳を持つと考えられる口調で問うことぐらいだ。
「き、貴様はどう思う……」
「どうと申しますと?」
「今の状況を……だ……」
聞いてから自信がなくなってきた。この問いは、主人として正しい問い方であったのか。こんな大雑把な問いに応える解答を、果たしてハンゾウが持っているのだろうか。
「そうですね」
ハンゾウも顎下に手を添えて考え出してしまう。エイジは心臓の音がバクバクと聞こえるのを感じた。ゲームで有れば感じるはずのないものだ。
「コンノカミの社は見た目は寸分の狂いもありません。でしたらやはりここは、剣神コンノカミの神威の届く範囲。つまり我々が知らぬ僻地と申すのがよろしいかと」
既にゲーム内の設定だけの物の力の及ぶ範疇などではない。
実際にゲームの設定に、その通りの神が宿るのか。これは何かの間違いか。そんな現実逃避が一瞬頭をよぎる。
そのエイジの頭の中でめまぐるしく、混乱が混沌とお友達で仲良く踊っている様子を感じ取ったのか、じっと主人の顔色を見ていたハンゾウが、顎から手を離し、一人合点したように笑顔になる。
「申し訳ありません。現状からどうすべきか。その事について私などの意見をお聞きになってくださっていたのですね」
勘違いであるが、少し早口になりながらハンゾウの口元がにやりと歪む。
「私はこの瘴気で守られた地に一度根を張る事が良作かと存じます。この地がどのような所にしろ、足がかりは必ず必要だと。それにつきましては、まずは配下の者を使い居城を成すべきだと」
「あ……ああそうだな……」
「では建築に長けたドワーフなどでも」
「待て……」
この瘴気にドワーフが耐えられる保証はない。それにドワーフなどはどちらかといえば、一般NPC用の種族でモンスターではないため、召喚獣として先程のハンゾウの様に呼び出せない。
ドワーフのNPCを呼び出す『ドワーフ呪術師の手鏡』は配下としてではなく、あくまで勝手に住居を作り始めるNPCとしてフィールドに呼び出すだけである。
ゲームではその住居とドワーフ自体を壁として、モンスターを分断して狩ったりする。しかし、NPCが意志を持つのであれば、こんな所で呼び出しても住居を作り始めてくれるかどうか。
ハンゾウにはその考えが思いつかなかったのか? 己の知識に絶対の自信があるのか?
もしエイジの考えが正しく、ハンゾウが間違っているとしたらドワーフたちは、勝手に生きるに適した場所に向けて下山し始めるのではないだろうか。この世界の知識も持たずに。
それは危険だと思った。誰もいない山からドワーフが下りてくる。そのドワーフは何も知識は持たない。いや、ハンゾウがゲーム内の知識だけでドワーフに住居を作らせようと進言したのだ。
呼び出したドワーフたちもゲーム内での知識だけは一通り持っていると考えた方がいいのかも知れない。
こちらの知識だけが歩いて、どこか手の届かぬ場所まで行ってしまう気がした。
それにゲームではどんなプレイヤーもレヴナントとして『蘇りし者』扱いを受ける。
ゲームのシナリオ上では魔法に属さない力で生き返ったとされる強力なアンデッドのレヴナントであるプレイヤーは、悪魔と戦うレジスタンスでは戦力として重宝されるが、ドワーフなどの他種族には死に逆らう闇の眷属として基本は忌み嫌われていた。
エイジはドワーフのレヴナントではなくヒューマンのレヴナントだ。
こちらを嫌っていると性格付けられたドワーフと会話が成立する気がしない。それにエイジにも意志疎通できる相手との会話が不得意な理由がある。
「エイジ様の御考えになる所、お察しいたします」
エイジのトラウマへのアクセスが断たれた。この場合はハンゾウに感謝しなければならない。自分から負のスパイラルに陥る傾向のある性格のエイジには願ってもない救いの手でもあった。
「ドワーフは正確には配下ではなく、現地人として呼び出す性質上、エイジ様と世界各地を渡った私でさえ知らぬ僻地に呼び出した場合、どのような現地の知識を持って生まれてくるか分かりません。何やら危険な術を持たないとも限りません。私の不徳でございます。どうかお許しを」
確かに、それはエイジも思いつかなかった。ゲーム内ではどんな場所でもドワーフは住まいを作り始める。
今にも噴火しそうな活火山の近くでも、ドラゴンの住むような魔城周辺でも。そのフィールドにあった建築物を建造するのだ。
だから呼び出す狩場によっては、ただの岩づくりの家の集合体から高レベルモンスター対策のされた立派な城までずいぶんと差が出てしまう。
「逃げられない様に周りを囲めば……」
ドワーフが現地の知恵を持って生まれるのであれば、危険を冒さずともこの場である程度の情報が得られるのではないか。ならば試さない手はない。
エイジは袋から何枚もの紙と『式神札』――召喚に用いる低ランクの召喚紙の遥か上位のアイテム――を取りだす。
式神札は通常の召喚とは違い、通常は召喚出来ないレアな悪魔モンスターを調伏する時や自分の職業では召喚出来ないモンスターを使役する時に用いるアイテムだ。
エイジのジョブ『ニンジャブショー』の特性上、通常のモンスター以外にも隠密や戦闘に関わる特性や職業を持つモンスターの召喚は出来るが、所謂『生産職』を補助するようなモンスターはからっきしなのだ。
――普通はこんな使い方しないよなぁ
少々もったいなく思うが、他に築城とドワーフの隔離を素早く行う方法はない……と思う。
召喚の術式――ただのモンスターの識別名であるが――を施した紙を地面に放る。紙から植物のツタが見る見るうちに伸びていく。『エビルプラント』が成長していく。
ダメージのある床やフィールドで、そのダメージの大きさに応じて成長するモンスターだ。ダメージフロアで敵に囲まれた際の緊急時の時間稼ぎ等によく用いる。
式神札が次元の狭間に、まるでブラックホールに吸い込まれるように消えていく。
代わりに現れたのは、小さな枝切り鋏などを持った菜園の管理を主にする生産職の補助モンスター『インププランナー』である。召喚する場所が高かったようで地面に落ちるところこ転がってへたり込んでしまった。
少しでも上位のモンスターを召喚したのだが、常時状態異常の効果を周囲に齎す果物の栽培や、トレントやドリュアスの棲む木を高レベルの素材アイテムとして加工する際に役立つインププランナーはこの場合は大袈裟である。しかし、式神札での召喚に見合ったモンスターでもない。
「インププランナー……」
呼び出された小さな悪魔はエイジの声を聞くと最敬礼をしながらぴしっと立ち上がった。
「敬礼は……いらない……」
インププランナーは主人が不機嫌と見てびくびく震えあがってしまった。生産職のモンスターであるから、戦闘能力はほとんどないのだ。
エイジも困ってしまった。ハンゾウとは違ってこんな反応をされても困る。自分だってしたくもない会話をしなければならなくて、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「主人の前です。相応しい態度でいなさい」
重々しい声でのハンゾウの一喝で、より縮み上がってしまったインプが主人へと声の無い助けを求めるような視線を送る。ハンゾウの一言と先程の敬礼はいらないという主人の命令に矛盾を感じたのか。
「エビルプラントで周囲をドワーフが逃げだせないくらいに取り囲むにはどれくらい時間がかかる?」
視線を無視して、重要な情報収集のために出来る事を成す。ハンゾウは自分を主人として思ってくれているらしい。インプも怯えるばかりでエイジの不得意な相手ではないようだ。
「この数と成長速度のエビルプラントでは、えっとあの――」
「はっきりと言いなさい」
「は、はいッ!私一人ではあの、その時間が」
エビルプラントはこの間もみるみる内に成長を進めている。式神札はあまり用いたくない。そんな思いが仇をなしたか。大したレベルではないエビルプラントですらインププランナー一体では手に負えないと言うのか。
「こ、この地はエビルプラントの生育には過剰であります!早々に手を打たなければ辺り一帯がエビルプラントでいっぱいになってし、しまいます!」
「じゃあ……何が必要?」
主人に物乞いをする不届き者を見るような、ハンゾウの鋭い視線がインプに突き刺さる。インプはまたびくりとして、出来る限りその視線から逃れられる様に縮こまりたいようで、背を丸め頭を両手で覆い隠すようにしてしまっている。
「エイジ様、役立たずは処断しますか?」
そんな事は出来ない。式神札が全くの無駄になる。
「インプ君、後どれくらい手があればエビルプラントを制御できる?」
「主だった対応は私がいれば……で、ですが計画を持って成長させるためには人手が――」
「それで?」
ハンゾウの重い一言がインプにこれまた重圧を与えたようだ。インプは額から大量の汗を流し、そのつぶらな瞳にも入ってしまいそうだ。この緊張感の中では拭うことすら出来ない。
インプは真正面を向きながら、瞬きすら出来ないほどの緊張で、剥いた目を右往左往させてながらひとしきり考え抜いた後に答えた。
「伸びすぎた強靭なツタの管理の為に、何体かの肉体労働専門のモンスターが、後はこの山の地質的に庭園を気付くのでしたら不要な鉱物を砕いて下さる者も必要かと……。今現在のエビルプラントの急成長の目的は十分な栄養を得られる地での十分な根、生活基盤を得る事だと……。でしたら根を張るのに邪魔となる鉱物を砕いて細かな砂利の足場を用意してあげれば――」
「もういい……」
「は、はいッ!」
正直、ここまでインププランナーが、ゲーム知識以外に大した知識もないエイジにとっては良く意味の分からない事を喋るとは思わなかった。
ハンゾウのようにゲーム内の感覚で答えて、それから熟慮した末に思考が、実際にはどう行動が結果に働くかに追いつくのだと勝手に思っていた。
――この差は。
差は一つだ。ハンゾウはカスタムメイドした付き合いの長いNPCである。勿論その付き合いとはゲーム内でのデータとしての付き合いではあるが。だからだろうか、まずドワーフをとゲーム内での常識で考えた行動を提言してきたのは。
とすると、ハンゾウはエイジと同じゲームから転移してきたようなものか。ではこのインププランナーは……。
「インプ君、君の生まれは?」
「わ、私の生まれはこのガリュアスの山、ベラシュゴーの天啓の門でございます。」
彼はこの世界出身なのだ。
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ガリュアス、ベラシュゴーの天啓の門、どちらもゲーム内でも全く聞き覚えのない地名である。
人手として召喚したエイジの分身体である下級魔人や闇の木人が、インププランナーのベラシュゴー君に命じられるままにエビルプラントを伐採していく。地中では巨大芋虫ロックイーターがエビルプラントの生活圏を拡大させている。
エイジの手には邪悪な意志を持った本――エビルブック――が開かれ、その脇にも何冊もの意志を持った本の魔物類が無造作に開かれている。
これまでに色々な事を試した。詠唱でのスポーン生産が出来ない為、召喚紙を使ったのだが、分身体には現地の情報は記憶されていないようだ。分身体はエイジに召喚された瞬間からの記憶しかもたなかった。
しかし、ダークトレントはインププレンナーと同様に、この山での生活に必要な知識を持って生まれてきた。記憶としてはエイジに召喚された瞬間からなのは下級魔人と同様だ。
そして、足元に倒れているドワーフたち。今は瘴気にやられて気絶してしまっているが、エビルプラントにより辺りの瘴気が薄くなってきているようだ。
適切な治療をすればまだまだ使えるだろう。
このドワーフたちはこの山の知識は持っているが、この山で生きられる種族ではないようで、代わりに最も近いであろう町の情報を出身地として持っていた。
この山を南に降りてから森を迂回した先にある。
モルド・ラ・ムサと言ったか。
まだまだ町の情報は少ないがとりあえずは分かった事から何とかしよう。
エイジの召喚したモンスターには三種類ある。
――ゲーム時代の知識を持った者。
――現地の知識も持った者。
――現地では生存できないので近くの生存圏の情報を持った者。
この差はおそらく、ゲーム時代から存在するNPC、この状況になってから存在するNPC、ただそれだけだと思う。
しかし、二つ目には例外があるようで、設定上エイジの分身である下級魔人はエイジに生み出された後からの記憶とゲーム内の情報しか知らない。
――だから、この本たちを召喚したのだけど……。
エビルブック類に、他のモンスターより重要な知識が詰まっていたのは予想通りであった。
低レベルの魔本系のモンスターと上級レベルのモンスターでは乗っている魔法の種類が違う。
小難しく書いてある魔法の本類は、勉強の特別得意ではなったエイジには、難解な謎々や式のような説明の数々に思える。その面倒な言い回しに大きなため息が漏れてしまうほどだ。
しかし、それには教師役を召喚して教鞭を振るってもらえば良かったので、今は大した問題ではない。文字だって問題なく読める。
問題なのはこの世界に魔法がある事なのだ。
現地の歴史などの、魔物化しないであろう知識の本がなかったのは分かる。
しかし、エイジたちが出来ない詠唱による魔法が、本には存在がする物として記載されている。それが問題だ。
試しに教師役として召喚した現地の魔法の知識のある者――山の瘴気はインプレベルで耐えられるレベルであったので、とりあえずインプソーサラー――と、プラスアルファで参考として魔法が使える様々な種のモンスターを揃えた。
瘴気に耐えられる物に限られていたので、スケルトンメイジやゴーストなどの低レベルアンデッド系とエビルプラントに宿らせた高位の魔法使いでもあるドリュアスセージだ。
だが、全てが上手くいかなかった。
使えないのだ。ゲーム内での魔法がどれもこれも。それだけではない。エビルブックに乗っているような魔法を知識としては習熟しているが、いざ行使するとなると誰も彼も口ごもってしまうのだ。
問いただしてみると使えるはずなのだが、使おうとすると詠唱方法が分からないだのと言っている。
「エイジ様、御飲み物を」
ハンゾウから飲み物を雑に受け取ると一気に飲み干す。面白くなってきたが、面白くなってきたが。
エイジはふと我に帰る。
「ハンゾウ、有難う……」
ハンゾウは「いえ」と一言話すとまた水を汲みに出ていく。これはエイジの悪い癖だ。無中になると周りが見えなくなる。自覚してはいるがどうにも直せない。
考え込む事に集中する。モンスターは召喚の際に何らかの処理がなされているようだ。それも記憶や知識の辺りのだ。しかし、それが十分でないのか魔法までは扱えない。
「我々の元の世界の魔法は世界の楔より解き放たれ、言葉では意味のない物となってしまった」
そんな事を、情報を集めるために伴わせていたドリュアスが話していた。この地の知識が意志決定の基盤となっているとも言っていたため推量であるとも。
ドリュアスセージは混乱しているようであった。
エイジのような少年の浅い考えであっても、少しでも切り込んだ内容を聞かれると、ドリュアスのその意志決定の基盤は脆く脆く崩れ、たちまち自分のこの世界の住人としての記憶と、それを無根拠に信じていたことが露呈してしまう。
自我の存在を認識する最も重要な『過去の記憶』があべこべなのである。
生まれたのはここでだ。それも今さっき。しかし、この地域周辺の記憶はそれなりに持っている。そんな出鱈目な過去。
それに苦しんではいるが、まだ思考が続き、会話が出来る辺りがドリュアスセージとして、知恵者として召喚した思いがけない恩恵であった。
ドリュアスは「我々はゲエムの世界の駒なのでしょうか?」などとは思っていても聞いてはこない。
エイジは早合点であるが、もはやこの世界はゲームではないと、確信に似た物を感じ始めている。
――VRにない味覚や触角。こんな精巧なゲームがあるはずない!
それは希望でもあった。
エイジにとってゲームは誰にも邪魔されずに、されても無視して己の希望のままに過ごせる唯一の場所。
オフゲーでは面白さが足りない。だから他人もいるオンラインゲームを無理してやっていた。
しかし、VRMMOもいわば『他のプレイヤーも現実の人間がやっているという』設定だったのでは? としか今は感じられない。
今のこの事態が、意志を持たないはずのNPCが意志を持った事が、エイジの妄執を加速させた。
――自分には、今までも対等に相手をする価値のある他者の存在なんていなかったんだ!
きっとそうだとエイジは思っている。
自分の今までの価値観から外れた事態。
NPCが意志を持った事が、イコール今までの意志を持った存在、親も学校もオンラインでの他人もNPCではなかったのかという疑念に変わった。そして今の現状がそれをすんなりと受け入れさせる。
このNPCたちの様に、きっと自分の過去も突っつけば簡単にボロが出て虚像であると分かるのかもしれない。
だが今は自分が主役だと、そう思っておけばいいのだ。
全てが今の自分のための、これから始まる自分のゲームのための布石であったのだと。僕がこのゲームでただ一人の価値のある人間であると、エイジは考える。
ゲームマスターが誰であろうと、たとえ僕がゲームの駒であろうと、そんなことはどうでもいい。
自分が今まで世界であった物は虚像かもしれない。
ならこれから真実の世界で、しかも自分以外はただの意志をもったNPCでしかないこの世界で、僕のやりたいようにやろうとエイジは思う。
ある種の諦観のような吹っ切れたエイジが、その自分の為に、ただ自分の為に動き出した。