雪景色
年も如月に入ると京の町にも雪が降る。
雪が降ると言っても北国みたいにドカドカとは降りはしない。積もった所で精々二センチ程度。これ又、よく降ったなぁで十センチ。其れでも町屋の娘子供は大はしゃぎ。
踏んで楽しい初雪粉雪。
小さく丸めて雪合戦。
作れや歌えや雪だるま。
良く見りゃお母も雪だるま。
何て感じで楽しく燥いではいるが、早々浮かれてばかりもいられない。何と言っても年の中で一番寒い如月は、櫓炬燵に火鉢を添えて、着物を着込んでもまだ寒い。特に底冷えの厳い京の町、ヘタをすれば死人が出ると言うから堪ったもんじゃない。
そうなると体たらくな光八は、布団から出る事もしたくない。其れでも部屋の中には、四つの火鉢が汲汲と部屋を暖める。
明六ツ窓の外からは喋喋喃喃が聞こえ始めるが、そんな声には耳も傾けず。恋と働き盛りの十七才、今日も寒さ凌ぎに悪戦苦闘。
と、大半の思考はこの寒さを如何に乗り切るかに使われているから残念でならない。其れでも火鉢が部屋を暖めている時はまだ良いが、炭がなくなると途端に部屋が冷えていく。
ありったけの着物を着込んだ光八は、ノッソリと起き上がり火鉢を見やる。
「何や…。寒い思たら消えとるやんけ。」
と、火鉢に悪態をついて、ソッと聞き耳をピョコリ。
ソロリ、ソロリと体を動かし障子をスーッと開けて又ピョコリ…。
そして又ソロリ。
階段のところで耳をピョコ。
下の様子をジッと伺って、階段をソロリ、ソロリと降りていく。
働く努力は惜しんでも、
働かぬ努力は惜しみません。
目が合えば二言目には働きなさいの親父様。
だから言います腹痛頭痛意思不通。
と、目を合わせばうだうだ言われるとあって光八ソロリ、ソロリ…。階段を降りるとチラリと周りを見わたして、今や ! と、見計らうと一目散に玄関に置いてある炭を四つ抱えてドタバタと部屋に戻っていった。
部屋に戻るとサッと炭をおこして布団を被る。
これで万事安泰と高鼾。
しかし、冷えた体はどうにもならぬ。と、どうも股座が忙しない。面倒だからと我慢をするがそれも長くは続かない。仕方なく光八ムクッと起きてチラリと見やる窓の外。
そして、何を思ったか窓をカラリト開けて二階から小便撒き散らす。
「はぁぁぁ…。」
と、本人は極楽気楽。
通行人は迷惑地獄。
思わず、上を見上げて怒鳴り散らすが知らん顔で窓をピシャ。
そして、部屋の隅に無造作に置かれた怪しげな丼鉢が一つ。木の蓋が乗った怪しげな丼鉢を手に取ると蓋をパカリト開ける。中から何とも言えない臭気が漂い、光八思わず顰め顔。
「うわ、くっさ !」
と言いながら畳に置くと、その中に糞を垂れて蓋をする。
ふぅ…。と、極楽気楽でケツを拭く。
窓からポイっと捨てる尻拭き紙。
うまく風に飛んで流れて風来坊。
と、光八また布団に潜って聞き耳立てる。
カタ、ガタガタ…。
と、暫くすると玄関の開く音、閉まる音。父の源蔵が仕事に行ったのだ。それを確認するや布団から飛び出し、一目散に居間まで飛んで行く。
居間に行くと囲炉裏に火をつけ味噌汁を温める。櫃の飯を茶碗によそい。漬物を飯の上にタップリ置いて。ガツガツと食い始めた。
囲炉裏の火は今しがたくべたところだが、味噌汁の入った鉄鍋はまだ熱い。チョンと指で鉄鍋を触って確認すると椀に味噌汁を注ぐ。
働かぬが腹は減る。と、ガツガツ朝から茶碗三杯の飯を喰らい、行火に火をくべ櫓炬燵の中に放り込む。
暫し暖炉で暖をとりながら源蔵の部屋を首を伸ばして覗き込む。分かってはいるがここからでは全く見えない。それでも動きたくない光八は必死に首を伸ばしてそのままコトント倒れこんだ。
そして光八其のまま高鼾。
で、囲炉裏の火が小火になった所で目がさめる。体をブルブルと震わしながら櫓炬燵の中にのっそりと入るとゴロンとまた横になる。
チラリと源蔵の部屋を見やる。少し離れてはいるが今度は源蔵の部屋が目の前に来る。然れど、律儀な事に襖が閉まっているので中を見やることが出来ない。眉を真ん中に寄せて溜息一つ。手を伸ばすが残念な事に襖に手が届かない。
ヌウット手を伸ばして箸を取ると、腕を伸ばして今度はその箸で襖を必死に抉じ開けようと努力する。勿論そんな事で開くはずがない。
何度か試して結局櫓炬燵から這い出て襖を開けた。
ガラリと開けると部屋の中には高価なタンスとちゃぶ台、火鉢が一つ。後は高いかどうかも分からぬ作者不明の掛け軸がひらり。
光八の部屋のように荒れてはおらず整然としている。そして何より光八の部屋から漂う臭気がこの部屋にはない。
光八は大きく息を吸うと、そそくさとタンスの所に向かう。そしていつもの様にガラリと引き出しを開けると何やらゴソゴソと中を弄り始めた。が、矢張り無い。光八首を傾げながら中の物を乱雑に投げ出した。
「やっぱ、あらへんやんけ。」
と、今度は一番下の引き出しを開けると、慣れた手つきで隠し扉を開ける。扉を開けると中に手を入れて中を弄ってみるが、矢張り何かあるようには思えない。
「うわ、何やお父隠し場所変たままかいな。」
と、光八ちゃぶ台を見やると、ちゃぶ台の上にはいつもの様に五百文がザラッと置いてある。それを見やり大きく溜息をつくと五百文を懐にしまう。然れど、五百文程度では昼飯と晩飯を食えば無くなってしまう。
ほんま堪らんわ…。
と、ゴロンと源蔵の部屋で横たわった。
はぁぁ、ほんまに何処に隠しよってん。と、ブツブツとボヤキながら又高鼾。そしてドンドンと玄関を叩く音で目を覚ました。
その音に驚いた光八は飛び起きると玄関に向かっていきソーっとのぞき穴から外を見やる。
いかつい顔をした四、五人の男が玄関の外にいる。
「うわ、来よった。」
と、光八ソロリ、ソロリと中に戻ろうとするが、玄関の扉がガラッと開く。
「何や、おるやないけ。」
と、いかつい顔の男が言った。
「い、いや…。今開けよ思とったんどすわ。」
「何が開けようや。思いっきり逆向いとるやないけ。」
「居留守使うつもりやったんちゃうけ。」
ドカドカと中に入ってくる男が横から言った。
「そ、そないな事おまへんがな。」
「ま、ええ。まぁええ。こっちは払うもん払ろうてもうたらそれでええんやさかいな。」
と、最後に入ってきた男が宥める。万力組の棟梁、禿門電球である。
「お、親分はん。そら良う分かってます。」
「そら、ええ。賭場の借財はさっさと払うに限るで。なぁ、光八はん。」
「そ、そらそうどす。そうどすねんけどな。」
「けどなんや…。」
ピカリ頭を輝かせ電球が言う。
「おまへんねや。」
「おやじさんがか…。」
「いや、そうやのうて。」
「ほな、何や…。」
「金がおまへんねや。」
「おぉぉぉ…。金がおまへん ? 何やけったいな事言うお人やな。金おまへんで博打しに来る阿呆はおらんで。なぁ。」
と、小馬鹿にした様子で電球が言った。
「へえ、そうどす。そうどすねんけどな。今はおまへんのや。」
「ふーん。そら困りましなぁ。あんなけ羽振よかった光八はんが、付けてくれ言うさかいおかしい思いましたんや。」
と、電球は顎を摩りながら間口からジッと中を見やる。
「へえ、すんまへん。明日明後日には払いますさかい。」
「否、かまへん。かまへん。儂等もガキの使いやないさかい。期日が今日なら今日払ろて貰う。」
「いや、せやさかい。」
「まぁええ、まぁええ。別に金やのうてもええんや。金になりそうなもんで払ろてくれたら宜しいがな。」
そう言うと電球は顎をクイッと捻り手下に物色してこいと指示を出す。そうなると光八もこれは大変な事になったと、いかついお兄さん方を止めようとするがグイッと電球に肩を掴まれた。
「光八はんはおとなしゅうしといたら宜しい。」
「せやかて…。家の物持ってかれたら、お父はんにばれてまいますがな。」
「ほんまに、聞き分けのない人やな。そないなもんとっくにばれとるがな。親父さんの金くすねて打った博打や。負け分も親父さんに払ろて貰うんが筋っちゅうもんや。」
と、電球はニヤリと笑みを浮かべて光八を見やった。光八は”はぁぁぁぁ…。バレてもうとるがなぁ。”と、胸中で叫びながらガックリ頭を垂れる。
そうこうしている内に奥から”おやっさん。ええ火鉢おますで”と、声が聞こえた。
「おお、そうかぁ。ほな貰とけ。」
「ええ !。火鉢、火鉢はあきまへん。」
そう言うと光八は大慌てで中に入ろうとする。が、矢張り電球に掴まれ身動きが出来ない。
「何や、えらい必死やな。そないにええ火鉢なんかい。」
そう言うと電球は光八の首根っこをふんず捕まえたままスタスタと中に入っていく。丁度良く火鉢を持った手下がそれを電球に見せると電球は大層驚き乍らそれを見やった。
「ほぉ、信楽焼かいな。こらええで。」
「へえ、他にも幹園菅屏作の櫓炬燵と行火も有りましたわ。」
「ほぉ、そらたまらんのぉ。」
「ちょ、一寸待っておくれやす。其れは、其れはあきまへんねん。頼んますわ。後生どす。後生どす。」
と、光八必死に電球にしがみつき乍ら悲願するが、”何が後生や。阿呆言うたらあかんで。”と突っ返されてはいお終い。手下はゾロゾロ行火や櫓炬燵を表に運ぶ。
「おぅ、もっと何かないか。」
と、電球は部屋の中をジロリと眺めチロリと天井を見やる。それ見て光八も思わずチロリ。ソーっと電球を見やり視線を逸らす。
「二階や。二階にもなんかあるで。」
電球がそう言うと手下はマタゾロ二階に上がっていく。それ見て光八又もや必死に悲願するが電球にポンと蹴られて床をゴロゴロと転がっていく。
「本間に往生が悪いで。」
「せやけど、そら殺生言うもんどすがな。」
「何が殺生や。親の金くすねて博打打つお前が悪いんや。」
そう言うと電球も二階に上がって行く。
で、光八の部屋をガラリと開けて”うわ、臭。”と、電球も手下も思わず鼻を撮む。
「な、何やこの匂い。」
「溜まりまへんな。厠の匂いがしますで。」
と、手下が四つの火鉢を見やり指を指す。それを見て電球が指で持って行けと指示を出す。其処に光八がやってきて”火鉢はあきまへん。火鉢はあきまへん。”と、邪魔をする。
「五月蝿いやっちゃな。火鉢があかんかったら何やったらええねん。」
面倒臭そうに電球が言う。光八はジロジロと部屋を見渡し”あれ、アレはどないどすか ?”と、木蓋を乗せた丼鉢を指差した。
「何や、あの丼鉢が何や言うねん。」
「あれ、あれ…。あれも信楽焼どすねん。」
と、思わず嘘八百。
「はぁん。」
と、電球。手下に丼鉢を持って来させる。
「親分…。これ異様に臭いでっせ。」
「臭い ? 阿呆、もぅ、十分臭わ。ええさかい早よ持ってこんかい。」
と、渋る手下に無理やり丼鉢を持って来させると確かに臭い。何やこれ…。と、顔を顰めながら蓋を開けると何とも言えない臭気がムワッと湧き出てきた。
「うわ、臭 !」
思わず電球は丼鉢を床に投げ捨てた。丼鉢はゴロリト畳を転がり、中からまだ真新しい糞がポロリ。
「な、何やこれ。」
と、それを見やるとまぁ、なんとも見事な糞が湯気を立てて意気揚々。
「な、な、舐めんとかいこのボケ !」
と、電球。思わず力一杯光八を殴り飛ばしてしまった。又もや光八はゴロゴロと畳を転がり自分の糞をグチャリとふんずけた。
「あかん。何や、儂めっちゃむかつくわ。本間、さっさと火鉢持っていぬで。」
と、電球は残り四つの火鉢を外に運ばすと、さっさと光八の家を出て行った。
結局光八は、一つ一両の火鉢を五つと五百文の行火5匁の櫓炬燵を2匁の借財のカタに取られてしまった。
然れど、
然れど、
光八に取っての問題は其処ではない。
問題はこの先の寒さを如何に乗り切るかである。ムクリト体を起こすと布団を捲り中に入る。しかし、火鉢のない部屋は寒くて如何様の仕様もない。布団を被っても隙間風がブルッと体を震わせる。
親の金くすねて潰す暇つぶし。
バクチに負けて無くすお金穀潰し。と、其れでも自分が悪いと思わぬ光八は、金を隠す源蔵の所為だとブツブツ、ブツブツ布団の中で悪態を吐く。結局何を言っても寒さは紛れぬと、熱い茶でも飲もうと布団から出ると更に体をブルッと震わせた。
「あぁぁ、寒。何や今日は異様に寒いな。」
と、カラリト窓を開けると粉雪が深々と舞っている。
「うわ…。最悪や。雪降っとるやんけ。」
と、体を摩り光八はお茶を沸かすのを諦めて又布団をかぶり高鼾。と、光八は良いが、良くないのは親父の源蔵である。いつもの様に宵五ツ半。深々と雪が降り積もる中を源蔵が帰宅する。土間に入り、和傘をたたむとバサリバサリと雪を払う。玄関の脇に傘を置き土間の灯りに火を灯す。
居間に入ると囲炉裏に火をくべ鉄瓶を火にかける。程よく部屋が暖まった所で提灯の火を消しロウソクに灯を灯す。と、此処まではいつもの流れで問題無い。問題なのはその後である。行火に火をくべようと櫓炬燵から…。
櫓炬燵から…。
と、源蔵は首を傾げてキョロキョロと周りを見やる。あるべきはずの櫓炬燵が見当たらない。いやいや、見当たらないという程小さな物でもない。源蔵は更に首を傾げ、自分の部屋を覗いてみるが矢張りない。不思議に思い提灯に火をつけ、辺りをくまなく照らすが矢張りない。否、それよりも自分の部屋にあるはずの火鉢も見当たらない。
「光八の奴…。」
と、櫓炬燵も火鉢も自分の部屋に持って行ったのだと、勘繰る源蔵は大慌てで二階に上がって行った。二階に上がると切歯扼腕の勢いでふすまを開けると”こら、光八…。”と、思わず鼻を撮む。
「な、なんやこの匂い。」
と、思わず鼻を撮むが其れよりも異様な部屋の寒さに、源蔵はジッと部屋の中を見やり体を摩る。普段は四つの火鉢が汲汲と部屋を暖めている光八の部屋が何故か寒い。不思議に思い部屋を見渡すと、櫓炬燵は愚か四つの火鉢も見当たらない。
「お前、火鉢どないしてん。」
と、源蔵が問いかけるが知らぬ存ぜぬと背中を向けて知らぬ顔。
「こら、聞いとんかい。火鉢どないしてんて言うてんねん。」
と、それでも素知らぬ顔の光八に源蔵は布団を捲り切歯扼腕の勢いで問いただす。
「知らん…。」
プイッとそっぽを向いたまま光八が言う。
「知らんわけないやろ。火鉢と炬燵何処やったんや。お前、まさか売っぱらったんちゃうやろな。」
「知らん言うてんねん。」
「知らんて…。ほんま、ええ加減にせえよ。お前以外何処にやんねん。食うた訳やないに。」
と、更に更に切歯扼腕の勢いで問い詰める源蔵に、光八ゴロンと体を反転させ源蔵をジッと見やる。が、流石に後ろめたい気持ちは持っているのかすぐに目を逸らした。
然れど、親の金盗んで遊ぶどら息子
言えぬ秘め事密事隠し事。
借財のカタに取られた櫓炬燵に火鉢と行火。
おかげで家の中は冷蔵庫。
父の怒りは焼却炉。切歯扼腕の如く怒り出す。挙げ句の果てに、食えぬ火鉢を食ったと問い詰められて立ち往生。其れでも火鉢は拙者食わん。
で、結局諦めた源蔵は大きな溜息を吐いて自分の部屋に戻って行った。それをチラチラと目で追い乍光八ムクリと起き上がると窓をカラリ。
深々と降り注ぐ雪を見やり”まだ降っとるわ。よう降るのぉ”と、他人事の様にボヤキ乍小便を撒き散らす。そして又布団を被り知らん顔。考えるのは明日の事。如何に寒さを乗り切るか。そんな事を布団の中であれこれ考え乍高鼾。
気がつけばヒョコリ朝日がおはようさん。
窓を叩く音で目が覚める。
”何や朝からやかましいの…。”と、ちらりと窓を見やり布団に潜る。すると外から”光八 ! 光八 !”と、呼ぶ声が聞こえてくる。
然れど光八知らん顔。
すると、其れを知ってかどうかは分からぬが、さらに窓を叩く音が酷くなる。此れではいてもたってもいられぬと、ガラリと窓を開けると雪の塊が光八の顔にポンッと当たった。「何すんねん。」
と、軒下のお蝶に光八が言う。
「光八おはようさん。」
元気一杯にお蝶が下からおはようさん。その横の桃香もついでにおはようさん。と、友達のお蝶と桃香が袴姿に雪駄を履いて積もった雪を投げつける。
「何やねん。朝っぱらから二人して。何の用やねん。」
それを振り払いながら光八が言う。
「何の用て、今から雪景色見に行こうおもてな。誘ってやってんねんやん。」
と、お蝶の言葉に光八はキョロキョロと周りを見やると、確かに素晴らしい雪景色がずらりと見える。
然れど、
然れど、
「儂は行かへん。」
「何でや。行こうや。綺麗で。」
と、桃香が言う。
「寒いさかい嫌や。」
「豚が寒いて何言うてんねん。」
「やかましい。だいたい何処までいくねん。」
「嵐山から金閣寺回って北野さんに行くねんや。」
「はぁぁ。嵐山から金閣寺 ! 阿保か死んでまうわ。」
「死ぬかい。帰りに三梃のおでん食べて帰るねん。」
お蝶が言う。
「さよか。勝手に食うてこい。儂は行かん言うたら行かへんねん。」
「何でや ?」
桃香が問う。
「色々と忙しいねん。」
「嘘つけ。食うか寝るかしかしてないやないか。」
「阿呆。儂かて色々考えてるんや。」
「考えとったらそないに太るかい。豚八。」
と、桃香が悪態をつく。
「誰が豚や。猪豚饅頭に言われたないわ。」
「はぁぁ。猪豚饅頭 ? あんたようそないな事乙女に言うな。大体わては豚やのうてぽっちゃりや。」
「はん。さよか。兎に角儂は行かんのや。」
そう言うと光八窓をぴしゃりと閉めて布団を被った。そして又ピョコリと聞き耳を立て乍、寒さ対策をあれこれと考える。考えずとも一階の囲炉裏で暖を取れば良いのだがそれでは大好きな布団がない。なら、布団を持って降りれば良いのだが、其れは面倒だとブツブツアレやコレ。それで思いついた名案一つ。”儂天才や”と、布団の中で悪巧み。
父の源蔵が仕事に行くのを見計らい。そそくさと下に降りていく。下に降りるとまずは腹ごしらえと、茶碗三杯の飯を喰らい大きな丼鉢を五つ程持って二階に上がっていった。
さて、光八その丼鉢をじっと見やりフーンと腕を組む。光八が思ったよりも心なしか小さく感じる。で、しばし思案した後ポンと腕を叩くと今度は一階からまきと炭を持ってきた。
さてさて、これからどうするか。丼鉢にまきを入れてみるが巻きの方が大きいので中に入らない。なら切ってみようかと思うが其れは面倒臭い。と、取り敢えず丼鉢の中に炭を入れて暖をとる。
然れど、この程度の炭では部屋の中は温まらない。仕方なく家中の器を部屋に持ってくるとその全てに炭を入れた。
まぁ、先ほどよりは幾分もましだと丼鉢を寄せ集めるとマジマジと見やりその先の事を考える。考えるが何も良い案が浮かんでこない。
”はぁぁぁぁ…。”
と、大きく溜息一つ。考えるのも飽きた光八は、ゴロンと横になり乍まきを丼鉢の上に重ねていった。
で、まきも高く重ね終わると、それも飽きたのか光八は知らぬ間に高鼾。積まれたまきは炭の上で炙り焼き。程よくケツが燃えて温まる。
其れでも直ぐに火はつかぬ、じわりじわりとやって来る。其れで又炭が消えかけるとムクリト起きて丼鉢に炭を足す。
結局そんな事をしている間に昼九ツ。腹が減ったと下に行き、源蔵の部屋に置いてある五百文を持ってうどんを食いに行く。昨日ふんずけた糞が脇腹にべったりと付いているがそんなものは気にしない。気にするのは他の者。
と、玄関を開けると真っ白な雪が地面を覆っている。それ見て思わず玄関をピシャリ。一度部屋に戻り雪駄に履き替える。そして又玄関を開けていざ出陣。と、雪が積もった道を必死に歩いて行った。
それから暫くして、家に帰ってきた光八はビックリ仰天。丼鉢のまきが轟轟と燃えているではないか。焦った光八は”水や !”と…。思ったが一寸待った。
まきは燃えているが、家は燃えていない。ソーッと丼鉢の下を覗き込むと上手い具合に畳は燃えていない。燃えているのは丼鉢の上に置かれたまきだけである。
それを見やり光八目を輝かせる。
「これや。儂はコレを求めてたんや。」
と、早速下からまきを大量に持って来た。そして、丼鉢を碁の様に並べ、その上に櫓を組むように積んでいく。勿論燃えさかるまきが乗った丼鉢を真ん中にしてアクセクと組んでいく。やがて光八の身長ほどの櫓が完成すると後は火が燃え移るのを待つだけとなった。
ふぅ…。と、一仕事終えた光八は汗を拭い布団にゴロン。まきが燃え移るのを今か今かと待ちわびる。然れど、思った以上に燃え移らない。移らない所か、やがて小火になりフット消えた。
「はぁ、何や消えよったで。」
と、光八ムクッと体を起こし又頭を抱え考える。考えてもらちがあかないので取り敢えず丼鉢に炭を焼べると一階に降りていった。
一階に降りると囲炉裏に火を焼べ鉄瓶を火にかける。ついでにタバコに火を点けるとプカプカと吸い出した。紫煙をゆらりゆらりと燻らせ乍、急須に茶っぱを入れ湯が沸くのを待つ。やがて湯が沸くと急須に注ぎクルクル回す。程よく色が出たぐらいで湯飲みに注ぐ。
ユラリ、ユラリと湯気が立ち上る。それをフー、フーっと息を吹きかけズズッと飲む。
「ほんまに、堪りませんわ。」
と、ほっと一息ついた所で、ゴロンと横になる。囲炉裏の程よい温かさが眠りを誘い、ウッツラ、ウッツラ夢気分。其のままコトント眠りについた。
それから暫し…。
光八は異様な暑さで目を覚ます。何や、何やと慌てて起き上がると階段から煙がもうもうと出ているではないか。
”真逆…。”
と、光八階段に駆け寄ると二階が煙で溢れかえっている。”うわ、やってもうた。”と、後悔先に立たず。取り敢えず恐る恐る二階に上がってみるが既に遅し。襖が炎に包まれている。”あかん。あかん…。火事や。火事や。えらいこっちゃ。家が燃えとるがな。”と、慌てて下に降りると家から飛び出ていった。
轟轟と燃え盛る火の手は凄まじく、一気に家を飲み込んでいく。何ともかんとも光八が組んだ櫓が元気一杯にどんどん焼きを始めたのだ。
「火事や ! 火事や !」
と、表に出た光八は大声で走り回る。近所の住民は慌てて外に出てビックリ仰天。火消しは梯子に登ってカンカンと鐘を鳴らす。
「お蝶…。鐘や。」
と、程よく戻ってきたお蝶と桃香が鐘の音を聞く。
「ほんまや…。て、あれ光八の家の方やん。」
と、お蝶はおでんを食べながら言う。
「あ、ほんまや。一寸行ってみよ。」
と、二人は大慌てで走って行った。
そして、光八も大慌ててで慌てふためいている。
「光八 ! あんた火事や火事や言うてんと水運んでおいで。」
隣のおばばが言う。
「水 ! そんなもん今更かけても意味ないがな。」
「何言うてんの。あんたの家が燃えてるんやろな。」
何て事を言っている間に炎は隣近所をも飲み込んでいく。
轟轟と、
轟轟と真冬の町が燃え盛る。
寒い寒い京の町。
光八のお陰で暖かい。
何て事を言っている場合ではない。然れど、家が燃えようと重いバケツを運びたくない光八は、ただただ火事やと叫ぶだけ。
「あ、光八。」
と、叫ぶ光八を見つけお蝶が声を掛ける。
「あ、お蝶。お蝶…。大変や。大変なんや。」
「何や、あんたの家かいな。」
「儂、儂…。やってもうたんや。」
「やってもうた ? やってもうたて、あんた何したん。」
「火事や。火事になったんや。」
と、狼狽える光八を宥めながら、お蝶と桃香が事情を聞くと何ともカントもお粗末な話。二人はただガックリ頭を垂れる。
「あんたな。それやったらせめて水掛け手伝いぃな。」
と、桃香。
「今更どないせぇ言うねん。もぅ、どうにもならんやろ。」
そう言うと光八は膝を抱え込んで座り込んでしまった。
とまぁ、光八はそれとして、可哀想なのは父の源蔵である。源蔵は客から”源蔵はんの家燃えてますで”と、言われ慌てて帰ってきたのだ。
家に着くなり近所の住民にやいのやいの言われ。やれ、御宅の光八が火を出しただの、火消しを手伝わないだのと責められる。責められても源蔵にとっては何がなんやらさっぱりと理解できないが、自分の家が燃えている事だけは良〜く理解できた。
暫し茫然自失のまま燃え盛る我が家を見やり涙がポロリ。
其れをお蝶が見つけて手を振っている。然れどそんな物が目に止まるはずもなく。仕方なくお蝶は大声で駆け寄って行った。
「おっちゃん。おっちゃ〜ん。」
と、お蝶。とても爽やかである。
「お、お蝶ちゃん。お蝶ちゃん。」
と、源蔵お蝶を見やりフラフラと近寄っていく。
「おっちゃん。大変や。家燃えとるで。」
「燃えとるな…。ほんま、ええ感じで燃えとるわ。」
と、源蔵虚ろな瞳でボソリ。
「ほ、ほんまやな…。」
「み、光八が…。光八が燃やしたてほんまか。」
「そ、そう見たいやな。あ、でもわて等誘たんやで。」
「誘た ?」
「せや…。雪景色見に行こうって。」
「さ、さよか。せやのに何で家燃えとるんや ?」
「寒いから嫌や言うて。きいひんかってんや。」
「さよか…。今は地獄の業火の様に暑いのにな。」
燃え盛る家を見やりボソ。
「へ…。へえ。そうでどすな。あ、せ、せやけどホラ。雪もちらついてるし、直ぐに消えるよって。」
と、お蝶は手のひらに乗せた雪を源蔵に見せる。
「雪 ? お蝶ちゃん。それ雪ちゃう。其れは灰になった儂の家や…。」
と、よく見ると確かに其れは灰である。お蝶はスーッと視線を逸らし、ポンポンと灰を払うと”話したらあかん人に話してしもた”と後悔先に立たず。視線を反らせたままソロリソロリと離れて行った。
そして、チラリ。
又チラリ。
不憫な源蔵を見やり光八を見やる。
源蔵はガックリと膝を折って地面に膝を付く。
光八は膝を抱えたまま知らぬ顔。
と、お蝶は光八と桃香の所に戻って来るとペチリと光八の頭を叩いた。
「ほんま…。せやさかいわてが雪景色見に行こう言うて誘たんや。見てみい、おっちゃん死人みたいになっとるやんか。」
「ほんまやな…。こないな事になるんやったら一緒に行ったら良かったわ。」
と、答える光八に”ほんま。後悔先に立たずや。せやけど、光八のお陰で此処でも見事なもんが見れるわ”と、お蝶は溜息一つ空を見上げると、真っ赤に染まった空に灰が舞い上がる。やがて上空に舞い上がった灰は、深々と降り注ぐ雪に紛れ舞い降りる。
お蝶はフッと灰を吹き飛ばすと桃香に”家であんころ餅でも食べよ”と、言った。桃香がお蝶を見やり”せやな。おばちゃんの作るあんころ餅おいしいしな。”と答え、二人はそれ以上光八を見やる事なくスタスタと帰っていった。
残された光八は肩越しに振り返りシクシクと泣き始める。
源蔵は消えゆく我が家を見やりブツブツとブツブツと…。
儚い想いを思い出す。
丁稚奉公から初めて何十年。
やっと手に入れた所帯と我が家。
息子には同じ苦労はさせまいと。甘く優しく育てた十七年。好きな物を食べさせて、食べたいだけ食べさせて。気がつけば息子が食料みたいになりました。
其れでも、親が願うは家内安全、無病息災。然れど、子が作るは借財謝罪。取るに取られた炬燵に火鉢。真冬の京都には堪えます。
努力に努力を重ねて仕事に励む親父様。
努力せぬために努力を惜しまぬ息子様。
挙げ句の果ては、家の中でどんどん焼き。
今は我が家がどんどん焼き。
舞い散る灰は夢の残骸。あぁぁ、無情。
深々と降り積もる雪に灰を添え。京の町を彩ります。
その景色、その風情。
あぁぁ、何とも見事な雪景色。