七幕 友曰く、白い悪魔
剣を持った、美しく優しく不思議な天使は、俺が拾った剣と引き換えに再び会う約束をして、暗くなった町の中へと消えていった。
絶望の淵から救い出してくれた彼女、つぐみさんは俺との別れ際に「また明日よろしくお願いします」と深々と、丁寧に頭を下げていった。
そのつぐみさんの言葉はもう会えなくなると思っただけで、胸が張り裂けそうだった俺を救ってくれたのだ。
つぐみさんは自分の住んでいる所や年齢はおろか、苗字すら語らない謎の多い子ではあった。
でも、それでもよかった。
きっと一目惚れなんだと思う。
女の子に優しくされたことなんかないこの俺を救ってくれた、天使のような女の子。
無口で掴みきれない所はあるが、瀕死の俺を手当てしてくれたという優しさが彼女にはある。
彼女になってくれたらどんなに幸せなことだろうと思うが、そんなおこがましいことは不思議と考えなかった。
ただ彼女と会って話をしているだけでいい。
それだけでこれまでに無い程の幸せを感じることが出来た。
実際彼女と別れた後の帰り道、明日彼女と会うことで頭が一杯だった。
明日会うときはどんな服装をしていこうか、髪型はどうするか、香水なんかつけたら嫌味な奴だと思われるか等など。
ただ単に明日彼女に会って数学を教えてもらう。
それだけのことなのにそれを考えただけで滅茶苦茶テンションが上がってきてしまう。
その夜、俺は彰二の帰宅する音がした瞬間に彰二の家へと突進していった。
「彰二!!彰二!!」
「うぉっ。お前、何だよその包帯」
全身至る所に巻かれている包帯の数々。
家に帰ってから明日の為に風呂に入ろうとは思ったが、なんだか彼女のつけてくれた包帯を外すことができなかった。
まぁ、明日彼女に会う前には断腸の思いで外すことになるのであろうが。
まだ全然傷は癒えてないはずなのに、不思議と痛みは感じない。
もちろん彼女のことで頭が一杯で、痛みなんか感じている暇がないからだ。
「今度こそまじだ! 力を貸してくれ!」
「何だよ……。今度こそマジっつーのは……」
苦笑いしながら彰二は自分の家に俺を通してくれる。
忘れていたが、彰二は俺が怪我している理由も筑波さんがバイト先から消えたことも知らないんだ。
俺はそこから話し、今日あったつぐみさんのことを話した。
「白いコートの女の子……。あぁ、その子なら見たことあるぞ」
「何ぃ!?」
「昨日だったか一昨日だったか、このアパートに来てチラシかなんか配ってた子だろ?」
「はぁ?」
「いや、配ってたんだって。目立つ格好してたから印象に残ってるよ。だってお前ん所のポストに何か突っ込んでたぞ。あれ、チラシじゃないのか?」
「俺ん家のポスト!?」
慌てて俺は彰二の家を飛び出し、隣にある俺の家のポストを確認しに行く。
しかし、そこには何も入っていなかった。
「まさか……」
自分の家の前のポストで立ち尽くしてよくよく考えてみる。
チラシなんかここ最近全くもらっていない。
ここ最近ポストに入っていたのは財布……。
「いや、あり得ない……」
俺ん家のポストの前で体を固まらせてしまう。
彰二は昨日か一昨日、白いコートの人が俺の家のポストに何か突っ込んでいるのを見たと言っている。
この夏場に白いコートを着ているなんて子はつぐみさんくらいしかいないだろうから、それはつぐみさんで間違いはないはずだ。
そしてここ最近、俺ん家のポストに入っていたものは財布以外にない。
ということは、つぐみさんが俺の財布を俺の家まで届けに来てくれたということになる。
とても信じられた話ではない。
俺がつぐみさんと出会ったのは財布が戻ってきた後のことになるので、つぐみさんが財布を届けてくれた時点では俺とつぐみさんの面識はない。
何故つぐみさんはあの財布を俺の物だと分かり、そして俺の家まで分かったのだろうか?
財布が戻ってきた時に確認したが、あの財布の中にはこの住所を示すものは入っていなかったはずだ。
自分の部屋の前で財布を落としたから、それをここの家の人の財布だと思って親切にポストに入れてくれたという考えもあるが、自分の部屋の前に落としたんだったら俺がその前に気付くだろうし、そもそもつぐみさんが俺の家の前までくる意味が分からない。
ここはアパートの二階だ。
通り過ぎるのはこのアパートの人に用がないと不可能。
やはり謎多き人だった。
「なんだ?どうかしたのか?」
「…………」
彰二に呼ばれたので、とりあえず彰二の家の中に戻るとする。
「どうしたんだ急に?」
「いや、つぐみさんが俺ん家のポストに入れたのはチラシじゃない。俺の財布なんだ。ほら、一昨日財布がポストに入ってたって言ったろ?」
一昨日バイトから戻った時、落としたはずの財布が戻っていた。
最初彰二が届けてくれたのかと思って彰二に聞いた所、違うと言われたが。
「あぁ。財布の中に住所が書いてあったんだろ?」
「いや、住所が書いてあるものなんか一切なかった。何でだ……?全然ワカラン」
「お前が財布を落とす瞬間を見てたんだろ。んで、声を掛けようと思ったけど、声がかけられなくてずるずるお前の家まで来ちまった」
「すぐに声掛けるだろ普通」
「その子、無口でシャイな感じの子なんだろ?」
「ん……」
確かにその線も考えられる。
あの不思議な子なら俺に声を掛けるなんてことしなさそうだ。
「なぁ、彰二がつぐみさんを見かけたのってだいたい何時くらいの話なんだ?」
「あぁ、俺が帰って来た時の話だから……夜8時くらいなんじゃね?」
夜の八時。
その日、財布を忘れて途方に暮れて、窓から落ちて彰二に助けられて、その後バイトに行った。
っつーことは俺が財布を落としたのはそれよりもずっとずっと前の話だ。
学校から帰っている途中に落としたのだとすれば、時間は午後4時くらいのはず。
彼女が俺の財布を落としたのを目撃したのであれば時間差がありすぎる。
「やっぱり彼女は俺が財布を落とした所なんて目撃してない。俺が財布を落としたのは恐らく夕方、学校から帰る途中の話だ」
「……そうなの? じゃ、超能力者かなんかか?」
と、彰二は笑いながらそう言う。
超能力者。
なんだか彼女にその言葉は合わなくもないような気がする。
自分の素性を話せない、剣を持っているという通常あり得ないオプションを身に着けている彼女なら超能力くらいあってもあまり不思議ではない。
まぁ、これ以上深く考えてもしょうがないので明日何気なく聞いて見ることにした。
最も、彼女が俺の問いに答えてくれる可能性は低い感じはするが。
「んで、明日から追試の期間まで彼女に数学を教えてもらうことにしたんだけどさ、どうやったら会話をうまく盛り上げることができるのか教えてくれ!!」
「…………」
ここまで来てやっと本題に入る。
今まで人との会話が盛り上がらなくて困ったなんてことはなかったので、今日のつぐみさんとの会話は本当に困った。
そこで、彰二に力を借りてみようと彰二の所にやってきたんだ。
俺がそう頼むと、彰二は少し間を置いて考え始めた。
会話を盛り上げる方法なんて一朝一夕でマスターできるものではないことくらい分かってはいるが、何も聞かないよりはマシだ。
「慣れだろ慣れ。今日会ったばかりの奴と仲良くしゃべれない人間なんて沢山いる。その子と時間を長く共有するだけで自然と話してくれるようになるさ。そう焦るな」
「焦りもするさ! 彼女、俺の追試が終わったらすぐにでも居なくなっちまうかもしれないんだぜ?」
「そか。勝負は短期戦なんだっけか」
「まぁ……。でも、告白して彼女になってもらうとか、そういうのじゃなくてもいいんだ。なんっつーか、彼女と楽しくおしゃべりができればそれで満足な感じがする。俺がつぐみさんの彼氏とか、妄想するのもおこがましいよ……はは」
「お前、いつからそんな弱気キャラになったんだよ……」
彰二はそう言ってくるが、それは俺の本当の気持ちだ。
俺とつぐみさんが町を並んで歩いてたら不釣合いにも程がある。
そんな夢の話なんかよりも、俺はもっと彼女のことを知りたかったし、彼女と仲良くなりたい。
それだけで良かった。
「という訳で頼む、少し力を貸してくれ! なんか話のネタだけでもいいんだ。面白い手品とか、そんなんでもいい。彼女との会話が盛り上がるようなネタを俺に教えてくれ!」
「ネタっつってもなぁ……」
もしかしたら、こういうのは馬鹿担当の片瀬に聞いてみた方がいいのかもしれない。
彰二に聞いても少し困らせるような感じになってしまった。
片瀬に聞けば馬鹿なネタしか出てこないかもしれないが、無限にネタは出てきそうだ。
「まぁ、今度学校に居る馬鹿と変態にでも聞いてみるわ」
「わりぃ。急に聞かれてもうまく出てこないもんでな……。でも恭介、お前あんまりのめり込むなよ?」
「は?」
「いや、財布の件も悪い意味じゃないにしろ少し気にかかるし、大体素性を話せない子ってのはあまりに妙じゃねぇか?」
「…………」
全く否定できません。
「舞い上がってるところ非常に申し訳ないんだが、自分の素性を話せない人間に簡単に身を許さないほうがいい。それはお前も十分に分かってるはずだが」
「……でも、彼女は俺を助けてくれた。命を救ってくれたんだ。財布だって届けてくれた! 確かに少し怪しいけど、絶対に悪い人間じゃない!」
「何か裏があるのかもしれないぞ? お前を助けたことだってさ」
「裏がある人間なら財布を届けたりしない! 財布の中身だって1円たりとも減ってなかったんだぞ!?」
俺は少し言葉を強くして返す。
彰二の気持ちも十分に分かるが、彼女のことをそう悪く言われると無性に反発したくなった。
大体つぐみさんに関わろうとしているのは100パーセント俺の方からだ。
残念なことに彼女は俺に関わろう何てこと一切思っていない。
彼女から積極的に近づいてくるのであれば、与那嶺さんの例もあるし少し怪しいとは思えるが、彼女はそうじゃない。
彼女に害があるとは俺にはとても思えなかった。
「まぁ、何にせよ少しくらいは用心しておけよ。俺も話を聞く限りでは悪い子だとは思えないんだが、素性を話せないその子に何か妙な物を感じる」
俺は表面上だけでも素直にその彰二の言葉に頷いておいた。
彰二だって心配してくれているんだ。
菅連と出会って俺がどんな辛い目にあっているか彰二は知っている。
軽はずみな行動で簡単に一生ものの不幸を背負うようなことは絶対にするなという彰二の暖かい忠告なのだろう。
だから俺は表面上だけでも受け入れておくことにする。
それでも俺は彼女と用心して接しようなんて思わなかった。
俺は馬鹿で騙されやすい人なのかもしれない。
また与那嶺さんの時のようになるかもしれない。
それでもよかった。
それ以上に彼女を疑いながら接するということが俺には出来ないと思ったから、それでは彼女に失礼だと思ったから、俺は彼女に対してずっと真摯に接していこうと思ったのだった。