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君はあの朝日を見たか?  作者: 若雛 ケイ
序章 人間万事塞翁が馬なんてことはない
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三幕 夜はやがて我をも黒で塗りつぶした

次の日。

色々なことを考えながら学校へと向かっていた。


まずは舞い戻った財布のこと。

 昨日失くしたと思われた財布は何故かバイトが終わった後家に戻ったら自宅のポストに入っていた。

 最初彰二が拾ってくれたのかと思って彰二に聞いたんだが、彰二は一切知らないとのこと。

 財布はどこで落としたのかなんて全く覚えてないし、自分でポストに入れるなんて馬鹿なことはしてない。一体どうして財布が俺のポストに舞い戻ってくるのか全く分からない。


 財布の中には小額の現金とキャッシュカード。

 どちらも無事だ。

 1円たりとも減っていない。


 誰か親切な人が拾って届けてくれるにしても、この財布が俺のモノだということと、俺の住所を両方知っていないとポストに入れることは出来ない。

 残念ながらそんな人は彰二くらいしかいないし、それ以前にまず財布を拾ったら交番に届けるのが普通である。


 『学校の中の隠れ北見ファン』の仕業でしたっていうオチが最も望ましいが、そんなことが起こり得るのは漫画の世界だけだ。

 そうだとしても俺の住所まで知ってるってのは少し気味が悪い。


 財布が帰巣本能を発揮して戻ってきたという設定も残念ながら却下。

 100パーセントあり得ない。100パーセントな。


 ということで、確率が0、1パーセントでもある『隠れ北見ファン』の仕業だということにして、そのことは飲み込んでおいた。

 それ以外の可能性は0だ。


 何はともあれ、無傷で返って来た事を素直に喜ばなくてはならない。

 神様、ありがとう。


 さて次の考え事。

 次はバックレた菅連の話。

 財布は戻ってきたものの、あの後俺は金を上納しには行かなかった。

 というか、財布の中にも5万円なんていう大金は入ってないし、あの時間で現金を引き出すことは不可能だ。

 だから結局バックレた訳だが、夜は結構怖かった。

 何より寝てる所を襲撃されるかもしれないのだから。

 その気になればそういうことも普通にやりそうなのが菅連なのである。


 でも、結局夜に襲いに来ることはなかった。

 代わりに朝、留守電がまた再び一件入っていた。

 ご丁寧に今日も夜の11時に例の場所で待っててくれるそうだ。

 かなりお怒りの様子だったのが声だけで分かった。


 今日こそ現金を引き出して5万円を払いにいかなければならない。

 相手も毎月5万円の収入源を簡単に無くしたくはないだろうし、殺されはしないだろう。

 まぁ、殴られて2,3日自宅休養っていうのはある程度覚悟している。


 今は殴られてボコボコにされた俺を見た彰二にどうやって言い訳しようか考え中だ。

 正直に話すと友達思いの彰二は見事なまでの正義感を発揮してくれる。

 それでいて本気で菅連に向かっていこうとまでしてくれるのだ。「ゆるさねぇ!」ってな具合で。

 まぁ、彰二も結局菅連の恐ろしさを知ってるし、自分じゃどうにも出来ないことも知っているからムチャなことはしないだろうが、それにしてもまた彰二に心配をかけてしまうと思うと心が重い。

 今度はなんとか軽く済ませられるように願うばかりだ。


「…………」

 やっぱり気分は最低。ここ最近全く良いことがない。

 筑波さんには逃げられ、財布は落とすし窓からは落ちるし、今夜は滅茶苦茶に殴られるだろうし……。

 人間万事塞翁が馬と抜かしたのはどこの誰だろうか?

 それとも、これから良いことがどっかりあるとでもいうのだろうか?

 そうだとすれば俺の未来はとてつもなく明るい。皮肉なモノだが。


 俺の人生って一体何なんだろうな。

 というか、人の人生って何なんだろう。

 みんな良いことも悪いことも経験して、結局寿命が来たら全員死を迎える。

 一体何を目的としてこの世を歩いているんだろうか。


 スポーツ選手になりたい人は分かりやすい。

 頂点を目指して、日々努力を積み重ねる毎日。

 結果が出れば喜び、結果が出なければ悲しむ。

 そういう起伏自体が己の経験であり、その人のアイデンティティとして同化していくんだろう。


 一方俺はどうなんだ?

 高校に入る前までは、将来何になりたいとか、恋愛したいとか勉強頑張りたいとか、多くの夢を抱えて生きてきた。

 でも、実際に入ってみたらどうだ。

 同じ『人』である菅下連合という最悪の組織に関わってしまい、その全てがぶち壊された。

 奴らは最初1万円の上納金を要求してきて、それは次第に3万、5万とエスカレートしていった。

 逆らおうなんてしたらボコボコにされる。

 俺はそれを賄う為に一生懸命バイトに精を出し、何の楽しみもなく働き続けている。

 恐らくこれからも奴らの要求はエスカレートしていくんだろう。

 俺はこれからもずっとそれに応え続け、菅連の連中に搾取され続けていくだけの存在なんだ。


 いわば、菅連の養分。

 これからもずっとそれは変わらないだろう。

 逃げることができないのは今までの経過を見れば十分すぎるほど理解できる。

 大学に入ったとしても、社会人になったとしても、ずっとずっと菅連の養分として生きていくんだ。

 結婚するとなると、その辺りは相手に伝えないといけないことになるだろうな。

 そうすれば結婚はすぐに破談になるだろう。

 一生菅連の一員として、影の世界をずっと生き続けて行くことになるんだろうな……一生。


 そう思うと、涙が出てきた。

 昨日自殺してやろうと思ったのも、冗談ではなくなってくる。

 この先行きてても良いことがないと確約されている俺は、本当に生きてて意味があるのだろうか。

「…………」

 こんなことを悩み続けているよりも、ういっそのことこのまま死んでしまった方が楽な気がする。



 そんなことを考えながら俯き加減で通学路を歩いていると、不意に『音』が聞こえてきた。


 ビッ……ビィーーーーー!!


「!!」

 あまり広くは無い交差点だった。

 それまで下を向いてトボトボ歩いていた所、物凄いクラクションの音が俺の耳をつんざいた。

 クラクションの鳴る方を見てみると、物凄い勢いで大型トラックが俺に向かってタックルしてきている。


 ははっ。丁度いい。

 このままトラックに轢かれて死んでしまった方が楽かもしれない。

 痛いのは一瞬だ。

 その一瞬さえ我慢すれば俺は全ての悩みから解放されることになるんだ。

 両親と彰二だけには最期にお礼を言いたかったけれども、もう遅いな。

 さようなら……。

 

 俺は目をつぶって避けようともせずに踏み出した足を止めようとせず、そのまま直進していった。


 ビィーーーーーーーーーィィン……


 全てを諦めてトラック受け入れ態勢に入っていた俺だったが、次に聞こえてきたのはクラクションのドップラー効果。

 恐る恐る目を開けてみると、そこには生身の俺の体があった。

 おかしいなと思いつつもハッとなってトラックの行方を追ってみると、トラックはようやくクラクションを止め、何事もなかったように十字路を永遠と通り抜けていっていた。


 タイミングは絶妙と言えるほどバッチリだったはず。

 理由は全く分からない。

 分からないけれども、俺は助かってしまったのだ。

「……何故だ?」

 今度こそ本当に死ぬと思った。

 いや、むしろ死ぬ気でいた。

 これなら別に死んでも仕方ないと思えたくらい気持ちいいタイミングの合い方だった。

 それでも俺は目をつぶりつつ奇跡的にトラックを交わしたのだ。


 どうやって交わしたのか、目をつぶっていたので全く分からない。

 過ぎ去っていったトラックの進み方を見るに、特に俺を避けようともしていなかったようだ。

 まるで、トラックが俺をすり抜けていったかのようだった。

 まだ心臓がバクバク脈打っている。

 ここが天国っつーことはないらしい。

 俺は不思議に思ってかなり戸惑いながらも、結局いつも通り学校へと向かっていった。




「北見、ちょっと面談室へ来い。」

「?」

 学校に無事に着き、HRが終わると担任は俺の目を見てそう言う。

 思い当たる節が全くなかったので俺は自分を指差して担任に確認を取ったのだが、担任はそうだと確認したので、俺は仕方なく面談室へ行くことになった。


 髪の色がまた明るくなってきた片瀬を呼ぶなら分かるが、俺を呼ぶのは理由がわからん。

 思い当たる節は本当にない。

 何せ、俺はこの学校では完全にネクラキャラだし、派手な行動を一切とってないからだ。

 担任に連れられながら自分で思う所を必死で探してみても見つからない。

 あるとすれば……中間テストが死ぬほど悪かったとかそういうレベルだ。

 そうでないと面談室に呼ばれる理由がない。


 俺は何を言われるのかドキドキしながら面談室の扉に入り、担任の言われるがままに席に座った。

「北見……。何でお前がここに呼ばれたか分かるか?」

「いえ……。全然分かんないっす。俺、何かしましたか……?」

 喫煙飲酒、その他学校で禁止されている事項は一切手をつけていないはずなんだが。

「…………」

 俺がそう答えると、担任は抱えていた書類を一旦全部机の上に置き、その中から紙切れ一枚を取り出して、俺に合わせるように向きを変えて無言で差し出してきた。

 俺はその紙を見るなりギョっとしてしまった。俺の考えた唯一の可能性が当たってしまったのだ。

「4点……」

「北見、このテスト何点満点だ?」

「10点……すかね? ハハ……」

「ハッハッハ! そうだったら先生も助かったんだが、残念ながら300点満点なのだよ」

 この暗い雰囲気を吹き飛ばしてごまかそうとしたのか、担任はそうジョークっぽく笑った。


 4点はシャレにならない。

 点を取らせてあげるよ~んという問題作成者の親切な配慮を、明智光秀の如く気持ちよく裏切り、最初の計算問題すら圧倒的に間違えている俺の答案はまるで地獄絵図だ。

「他の教科は割といいのに、どうして数学だけはダメなんだお前は……」

「は……ははっ……」

 このシャレにならない点数の現実がまだうまく飲み込めない。

 確か1年の時はなんとか超ギリギリのラインで数学はクリアしたものの、2年に上がった今は……。

「先生は北見とさよならしたくない。分かっているな?」

「……はい」

 やべぇ。なんか泣きそうになってきた。


 この学校は県内でNO,1の進学校。

 日本で一番難しいとされる大学にだってバンバン合格しているような学校だ。

 そのせいもあってか、定期試験の点数だけにはやたらと厳しいのだ。

 タバコや飲酒でも一発で退学にはならないような学校ではあるものの、試験の結果によっては普通に留年させられるのがこの学校だ。

 この学校には各教科定期試験で何点以上が合格で、何点以上なら追試、何点以上なら留年なんていう定期試験の結果至上主義的な基準が設けてある。

 俺の場合他の教科が十分足りているので一発留年にはならないだろうと思い、俺はどうせ文系だし、私大にしか行かないから他の教科を頑張ろうと思って数学は一切勉強しなかった。

 その怠慢な気持ちがそのまま結果となって出てきてしまったのだ。


「お前なら追試次第で留年は免れる。留年、したいか?」

「いえ……」

「なら次の追試、100点中60点以上とれるよな?」

「……頑張ります」

 俺は元気なくそれだけ答え、面談室を離れた。


 夏休み前に行われる追試で60点以上取らなければ俺は留年確定だ。

 60点といっても追試は基礎が分かっていれば誰でも満点(100点満点)取れるような問題が出される為、簡単に合格はできるはずだが、俺の場合基礎もまるで分かっていないので相当勉強しないと60点取るのも難しい。

 しかもやっている内容は既に高校3年生でやる内容に入っている。

 中学までの財産で頑張るのはかなり無理がある。

 これから俺は毎日バイトと勉強にいそしまなくてはならなくなったのだ。


「……ここんとこ、本当にツイてないな」

 昨日から運には見放されっぱなしだ。

 今日なんかまだ半分も経過してないのに、死直前の光景と死の答案を見た。

 これから良いことがあるといいなと思いつつ、俺は教室へとトボトボ帰っていった。



 昼休み、俺は昼飯も食うことも無く屋上に居た。

 財布が戻ってきたので、昼飯食うお金がないという訳ではない。

 実は2限が終わった後の休み時間、トイレから帰って自分の席に座ったら自分の席の中に手紙があったのだ。

 『昼休み、屋上へ来てください』

 たったそれだけがの文字が小奇麗な文字で書かれていた。

 名前も書かれていなかったので、それからの授業中その手紙の内容が気になって気になって追試の内職どころではなかった。


 文字は女の子が書いたと推測できる少し丸みのかかった綺麗な文字。

 普通に考えると告白イベントか何かなのだろうが、今の俺の気運や学校生活から考えればそうとは考えがたい。

 誰がどんな文字を書くのかなんて友達の少ない俺には一切分からないので、本当に誰の文字だか想像つかなかった。


 ぎっちゃん(俺を追い回す変態ストーカー)という可能性をまず一番先に考えてぎっちゃんの文字を見たが、だいぶ違った。

 次に探ったのは馬鹿王片瀬。

 馬鹿なので『昼休み』なんていう文字も書けるか怪しいと思いつつも、片瀬の文字を何気に見てみたが、これもどうやら違うようだ。

 っつーか、片瀬の文字は思った以上に綺麗でしっかりしてやがった。

 後、違うと思いつつも、大木の字もノートを見せてもらうふりをして何気なく見てみた。

 やっぱり違った。


 となると他に思い当たる人は本当にいない。

 何せ、それ以外の人間とここ最近全く話していないのだから。

「誰なんだろ……」

 ポケットに丁寧にしまった手紙をもう一度取り出し、見てみる。

 手紙はキチンとしたものではなく、綺麗に破かれたノートの切れ端だった。

 ラブレターだと思いたかったが、ラブレターだったらもう少しマシなものに書いてもいいと思う。

 でも、呼び出すだけならこういうモノでもいいのかななんていうことまで推測してしまった。

 これから万が一告白イベントが待ち受けているのであれば、昨日の財布帰還事件もなんとなく説明がつきそうなので、よからぬ期待までしてしまう。

 告白イベントではないにしろ誰か他の人間としゃべれる、もしくは友達になれるのであればそれもまた嬉しい。

 馬鹿と変態以外の友達なら常時募集中だからな。


「でも、男だったら少し気味悪いよな……」

 そもそも何故屋上に呼び出す必要があるのだろうか?

 屋上と言えば人がほとんどいない所。今だって屋上に居るのは俺だけだ。人の居ない所でやる理由は1・犯罪だから、2・恥ずかしいから、3・人には言えないことだからの3択だ。

 1だったら泣くぞ。

 人には言えないことで、俺にだけ言える事なんかまるで想像つかない。

 万が一あるとするならば、運悪く俺のように菅連に絡まれて困っている人間が俺に相談しに来ることだ。

 しかし、地元の人間ならば菅連の縄張りに足を運ぶことはないだろうし、他から来ている人間は大方学校の寮で暮らしている為、菅連のことは恐らく早い段階で知ることができるはず。

 学校が菅連の縄張りには行かないように注意してると思うし。


 いずれにせよ、俺のような人間がこの学校にまだいるというのは少し考えにくい。

 それだったらもっと早く俺の所に来てもいいはずだし。

 まぁ、最近俺が菅連に関係を持っていることを知ったのかもしれんが。


 とにかく俺は気になって仕方なくて、授業が終わって、昼飯を食う前にソッコーで屋上に駆けつけ、謎の呼び出し人を待った。


 そして待つこと30分強。屋上の入り口から一人の女子が姿を現した。

 その子を見るなり、俺はかなり動揺してしまった。


 俺のように都会から来た子なのか、スカートは短く、少し派手な印象を受けたが可愛い子だった。

 制服のリボンが俺と同じ2年の学年色の赤だ。

 つまり、俺と同じ学年の女子。

 顔は何度か校内で見た事がある気はするが、名前は知らない。


 まさかその子が俺を呼び出した人なのか? と期待しつつ、俺はちらちらその子に視線を送った。

「北見……君」

「…………」

 その子が俺の名前を口にした途端、俺の心臓は自分で聞こえるくらいドクドク音を立てだした。

 俺は内心慌てながらも平静を装い、その子と対面する。

 この子が一体俺に何の用なのだろうか?


「手紙……読んでくれたんだ。ありがとう」

「あ……君が書いたんだ……アレ。字、綺麗だね」

 同学年の女の子と普通に会話することを忘れつつある今日この頃、初っ端で変なことを口走ってしまった。

 余計なことは言わないようにしようと心の中で思い直す。

「あの……何か俺に用……あるのかな? はは……」

「…………」

 どうしたらいいか分からず、とりあえず苦笑いでごまかしておく。

 すると名前も知らない女の子は一歩俺の方に無言で歩み寄ってきた。

 なんか本気で告白イベントっぽい雰囲気だ。

「北見君のこと、ずっと好きでした。付き合って下さい」

 高校に入ってから今まで、馬鹿王を除いた女の子から初めて話しかけられたまともな言葉はこれだった。

 俺は再び頭の中がパニック状態に陥ってしまう。


 何故俺なのかが全く分からない。

 この子としゃべったのは今日が初めてだ。

 まともに顔を合わせるのだって今日が初めて。

 それなのに何故俺なのかが全く分からない。

 それに、この子は俺と菅連の事を知らないのだろうか?

 俺と菅連の関係を知れば、こんなに安易に近づかないはずなのだが……。

「ちょ、ちょっと待って。俺と君、今日初めて会ったんだよね?」

「もっと前から会ってたよ」

「い、いつ?」

「北見君、よぞきっさで働いてるでしょ? よく見かけるんだ……」

 よぞきっさ……俺の働いている喫茶店の名前だ。

 俺もあまり記憶にないが、この子、ウチのバイト先に来たことあるんだ……。

「そ、それは……そうだけど、あの、いつから?」

「いつから?」

「その……俺を好きになったのって……?」

「そういうこと、普通聞かない」

「うっ……」

 しまった。

 なんか頭の中がパニックに陥っちゃって言葉がうまく出せない。

 頭に思いついた言葉をしゃべったら変なことになってたぞ。

 落ち着け俺……落ち着け……。


「俺……俺さ、まだ、君の名前も知らないんだけど……」

「あ、私? 私、与那嶺千沙よなみね ちさ。4組よ」

 与那嶺さん……ね。はは……。

 それを聞いてどうするんだ俺? どうするんだ!??

「あの……さ、俺、まだ君……与那嶺さんのことよく知らないし。その……もう少し待ってもらっていいかな……」

「え……?」

 彼女の表情が曇る。


 いや、俺、今おかしなこと言ってないよな?

 自分で自問自答する。

 普通誰でもこういうリアクションを取るはずだ。

 名前も知らない女の子から告白されたって、いきなり付き合うっていうのは何か違う気がする。

 そりゃ、いきなり付き合うって人もいるだろうし、俺だってこんなに可愛い女の子となら今すぐにでも付き合いたい。

 でも、それってなんか違うと思う。

 これでも精一杯の俺の誠意……というか常識……というか、それを振り絞った結果でた言葉だった。

「北見君は私のこと嫌い?」

 少し赤みのかかった可愛らしい表情を見せてそう聞いてくる。

 嫌いな訳ないだろうが馬鹿チンが。

「嫌いじゃないよ! 嫌いじゃないけど……今名前を知った人といきなり付き合うっていうのはちょっと……。あの、これから一杯話そうよ。遊ぼうよ。そして君……与那嶺さんのこともっと知れたらその時は俺……。俺の方から再び告白するから……」

 なんとか平静を取り戻し、うまく言葉を出すことができた。

 これなら別におかしいこともないだろう。

 俺がそう言うと、彼女は少し俺から視線を外して考え出した。

「……分かった。そうするね」

「……うん。俺も与那嶺さんに嫌われないように頑張るからさ」

 それで彼女は頷いてくれた。


 こうして俺はいきなり、何の前触れもなく彼女候補(ほぼ内定)を手にすることができたのだ。

 何故だか全く分からない。

 本当に突然の出来事で、まるで夢なんじゃないかと疑った。

 さっきまであった不幸なんかもうどうだっていい。

 これから菅連の連中にいくら殴られようがどうだっていい。

 追試なんか猛勉強して、一発で合格してみせるぜ!

 全てラブパワーで乗り切ってやるのだ!


 人生万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。

 今までの不幸を全部挽回するくらい強烈にハッピーな出来事が待ち受けているなんて、夢にも思わなかった。

 考えてみれば筑波さんが去ったのだって、こうして与那嶺さんと出会えたことの伏線だったんだ。

 彼女が去らなければ、筑波さんのことを考えている俺は、与那嶺さんの告白を断っていたかもしれない。

 それで筑波さんにアタックして砕け散っていたかもしれない。


 財布だってキチンと元の所に帰ってきたし、窓から落ちても助かった。

 トラック事故だって助かったんだし、数学の追試も俺を奮起させる為の起爆剤に違いない。


 全部が全部、良い方向へと考えることができたのだ。

 これから俺は第二の高校生活を歩むことが出来る。

 そう考えるとさっきまでとは打って変わって、自然とにまにましてきてしまうのだった。



 それから与那嶺さんとは屋上で昼休みが終わる少し前まで話をした。

 バイトのことを中心に、成績の事とかも。

 彼女も数学が苦手で困っているそうだ。一緒に勉強する約束も出来た。

 そう、あの財布が戻ってきちゃった事件の事をさりげなく聞いてみたけれども、彼女の仕業ではなかった様子だ。

 最も、そんなストーカー染みた事を指摘されて素直に「うん」と言えなかったという可能性もなくはないが。それでも彼女が違うと言ったので違うのだろう。

 更には今日一緒に買い物に行こうと誘われたが、バイトだったので一緒に帰る約束をしてその場を別れた。



 そして放課後、待ちに待った彼女との初デートを迎える放課後。

 授業中もにまにまを隠し切れなかった俺はホームルームの礼が終わるなり4組の教室へと向かう。

 その廊下で男子生徒同士の会話がふと耳に入ってきた。

「千沙の奴、また彼氏が出来たんだってよ」

「聞いた聞いた。月給10万のバイトマンのことだろ?」

(俺のことだ俺のことだ)

 噂の的になっている俺はなんだか嬉し恥ずかしな気分だ。

 歩く速度を緩め、少しその会話を聞いてみることにする。

「やっぱ金かよ。これで何人目だ? 50万と30万のおっさん、8万の大学生……後誰いたっけ?」

「後2~3人はいたよな! ま、あいつも俺らに奢ってくれるから応援してやろうぜ!」

「彼氏さんも可愛そうになぁ。何を貢がされるのか分かったもんじゃないぞ」

「っつーか彼氏ってこの学校の人間?」

 そいつらは笑いながら楽しそうにそう話していた。

 俺は、それを聞いて心が動かなくなった。

「まさか! この学校の人間なら誰も千沙となんか付き合わねぇって。どっかの大学生なんじゃねぇの?」

「千沙の奴ウハウハだな。俺もヒモ生活してみてぇなぁ」

 そこまで聞いて俺はもう耳を会話に向けなくなり、4組の教室への足を止めた。


 今の話が本当だとすれば俺は完全に騙されたことになる。

 言われてみると、確かに与那嶺さんとの会話にはバイトやら、金の絡む話が多くあった。

 だけど俺は彼女が俺を騙すつもりでそんなことを言っているようには思えなかった。

 もちろん騙す女というのはそうやって巧妙にやるものなのだろうが、今の話は信じたくなかった。

 信じてしまったら自分が崩壊しそうで怖くて……。


 俺は心が落ち着かないまま4組の教室へと恐る恐る近づいていった。

 そしてある程度教室に近づいた時、教室の中から彼女の声が聞こえてきた。

「みんな! 今度焼肉やろう焼肉! パーっと奢ってあげるからさ!」

「例のバイトマン君の金だろどーせ!」

「はははははははは!!」

 そんなワイワイした彼女の教室の中での会話だった。

 俺は足を4組の教室で止めることもなく、逆に勢いをつけて走り去った。


 何も意識しなかったが、屋上へと走って行った。

 きっと一人になりたかったんだと思う。

 屋上に着いた俺は泣いた。

 声を上げて泣いた。

 何だかよく分からないが、どんどんと涙は溢れてきた。

 きっと、ここまで泣いたのは生まれて初めてなんじゃないかっていうくらい泣いた。

 もう生きていくのが凄く辛かった。

 この先俺を待ち受けている運命と対峙するのが凄く怖くなった。

 一瞬前向きに変わった考えも全部打ち崩され、それは俺の都合の良い妄想だったんだと思い知った。

 俺が命を持ってこの世界に立っていることが辛かった。

 全てを投げ出したい。

 この辛さから解放されたい。

 そう思った俺は屋上の手すりに両足を乗せ、すっと目をつぶった。


 これから待ち受けている人生は、菅連に終われ、苦しまされる人生。

 菅連と関わっている限り、俺は人から避けられ、忌み嫌われる。

 誰とも心を通わせることもなく、孤独に、楽しみもなく死んでいく。

 菅下連合という恐怖の組織に関わっている限り、それをのけることは出来ない。

 生きていても無駄だ。


 ――さようなら。


 俺は屋上から自分の身を、下を見ることもなく放り投げた。

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