三十幕 最期のワガママ
今日はずっと家の中で雨の音しか聞いていなかったと思ったらこれだ。
呼び鈴は菅連の連中が押していたということが、ドア越しに確認できた。
一ヶ月間目にしなかった相手だが、当然覚えている。
俺が関わっていた菅連の連中が三人揃って俺の家にやってきてしまったんだ。
何だ?
今更になって何故俺の所に来たんだ!?
全身の脈が一気に早まる。
ピンポーンピンポーン!
どうする!?
つぐみさんは今安静にしている所だ。
こいつらと相手をしたらそんな場も作れなくなる。
ピンポーン!
ここはおとなしく5万払うか?
そうすればおとなしく全てが終わってくれるはず。
いや、先月の分もある。
それに、払うのが遅れたのを良いことに利子をつけて来るかもしれない。
ピンポーン!!
ドンドンドン!
ついにドアを叩く音がしてきた。
奴らもこういった他人の目のつく所で派手なことはしたくないはずだ。
奴らが恐れていることは不用意に他人の目に触れ、顔が割れるのことだ。
だからそんな大それたことはしてこないはず。
現に、今ドアを叩いていた音も少し遠慮がちな感じだ。
ピンポーン! ピンポーン!!
そうだ。
奴らはそんなにことを荒立てない。
それに、俺はもうきっぱりと断って人生をもう一度歩み始めるって決めたんだ。
断ろう。
殺されるかもしれない。
でも、なんとか時間を引き延ばして周りが助けにやってくるのを待とう。
殺されてでも絶対につぐみさんは守ってやらなければならないんだ!!
つぐみさんの幸せは俺が守ってやると決めたんだから。
「はい」
意を決してガチャリとドアを開ける。
凄く怖かった。
でも、俺は決めたんだ。
こいつらとは縁を切ってやると!
俺はそうつぐみさんに約束したんだから、逃げちゃいけない!!
「よう」
「…………」
玄関の外には知った顔が三つ。
揃いも揃ってにやにやした顔つきだ。
「遅れちゃってすまんな北見。約束どおり、金を頂きにきたぜ」
「…………」
相手を見てみる。
主犯格の真壁、何故か足と手に包帯をぐるぐる巻いていた。
「病気にかかったり事故にあったり、不運が続いて遅くなっちゃった。でも、遅れた分と俺の治療費も込めてしっかり頂いてやるから心配すんな」
「…………」
成る程。
今まで俺の所にこなかった理由はそれか。
「電話線を抜いたり、色々工作をしてたようだが安心しろ。俺がお前から金を取るまでは諦めないからな」
電話線を抜いた?
いや、そんなことはしてない。
電話が来なかったのは何故だ?
「さて、金額は……10万なんてもんじゃねぇぞ。100万だ。払えなかったら払うまで負い続けてやる。そうだな、一括は無理だろうからローンを組んでやってもいいぞ。毎月の5万に加えてさらに5万、毎月10万払え。そうすれば1年間で100万は消してやる」
「……俺はもう払わない」
「あぁ……?」
みるみるうちに相手の顔色が変わってくるのが分かる。
それに一瞬ひるむが、極力冷静を保って対処しようと試みた。
「聞こえなかったな……。もう一度言ってもらおうか?」
「何度だって言ってやる。俺はもうあんた達と関わらないと言ったんだ。それが分かったんなら、とっととここから消えてくれ」
バキッ!!
「ぐっ!」
思い切り腹を殴られた。
お陰で自分の部屋の中まで吹っ飛ばされてしまった。
それでもなんとか立ち上がって説得を試みようとするが、既に相手は土足で俺の部屋に上がってきてしまっていた。
「おい、こいつ女をベッドに入れてやがるぜ」
「何?」
「や、やめろ!!」
そうしているうちに相手の中の一人がつぐみさんを発見してしまう。
それだけは絶対に許さんと、俺は奴らに向かって勢いよく体当たりするように突っ込んで行った。
それによって二人をしりもちつかせることができたが、肝心の主犯格の真壁だけにはよけられてしまう。
「ほ~。お前、なかなかいい女を飼ってるじゃねぇか。なんなら、こいつと相談してやってもいいぜ?」
「ふざけんじゃねぇーーーー!!!!!」
ニタニタした顔つきで真壁は眠っているつぐみさんを見ている。
それを聞いた俺は思わず大声を上げてしまった。
隣に彰二が居たら今のを聞いてこっちに来てしまうかもしれない。
そんなことを考える余裕もなく、俺は大声を上げて真壁に殴りかかった。
が。
「ぐっ……」
俺の攻撃は交わされ、逆に反撃を受けてしまった。
すぐに立ち直って真壁をぶん殴ってやろうと思ったが、物凄い力で取り巻きの二人組みに体を捕まれてしまう。
大きく暴れて振り払おうとしたが、なかなか振りほどけなかった。
そうしているうちに真壁はつぐみさんのベッドを足で蹴り上げ、つぐみさんをたたき起こそうとする。
「おい、寝てんじゃねーよ。起きろ!」
「やめろ!! てめぇ、それ以上つぐみさんに触れてみろ! ぶっ殺すぞ!!」
「面白れぇ! やってみろよ!」
「恭……介……さん」
しまった!
今の俺の声でつぐみさんが起きてしまった!
つぐみさんは顔をゆっくり横に向け、俺の顔を見る。
俺はつぐみさんと目を合わせると、必死で笑顔を作った。
「ははっ。大丈夫だよつぐみさん。何があってもつぐみさんだけは絶対に守るから」
「はっはっはっは! おもしれぇ! おい、こいつをぶっ殺してこの女もらってくぞ」
「くっくっくっく……」
「ま、女は腐るほどいるけど、最近飽きてきたし、それもいいかな」
冷静になれ!
焦るな!
命を賭ければきっと守れるはずだ!
でも、俺一人でこいつら三人をどうやって……。
(くそっ! 彰二! てめぇが馬鹿じゃないことを祈る!!)
「助けてくれ! 人殺しだ!! 助けてく……ぐっ……」
「声を出すんじゃねぇよ? 次声を出したらこの女も殺しちまうぜ?」
大声を張り上げて、彰二に助けを呼んでもらう作戦にでたが、途中で俺を掴んでいる片方の男に腹を思い切り殴られてしまう。
でも、今の声は効果があったはずだ。
もし隣の部屋に彰二がいて、彰二が馬鹿じゃなければ、電話して警察にでも知らせてくれるはずだ。
他の住人は俺と菅連の関わりを知っているし、下手に動いてはくれないだろう。
彰二でなくても他の知らない誰かがこの異常事態に気付いてさえくれれば助けがくるかもしれない。
今の声で助けが来ることを祈りつつ、なるべく時間を引き延ばすことを試みる。
「さぁ、殺しに来いよ。俺が先に殺されるか、助けが先に来るかの勝負だ。ここの住人は俺があんたら菅連と関係があることを知っている。誰かがお前の顔をみたら、さぞかしお前の都合も悪いだろうよ」
「てめぇ、何か勘違いしてねぇか……?」
「…………」
「菅連をなめんじゃねぇ!! 誰に顔を見られようと、そいつをぶっ殺せばいいだけだ! 俺に何も怖いもんはねぇんだよ! 死ねや!!」
「ぐっ!」
今度は真壁に思い切り腹を殴られる。
俺は他の二人に体の自由を奪われている為、避けることができずにそれをまともにくらってしまった。
今の一撃で頭の中が真っ白になる。
でもなんとか頑張って気をしっかり持とうと努めた。
つぐみさんを守りきるまでは絶対に気を失えない!!
「死ね! 死ねよオラ! 殺されたいんだろ!!」
「くっ!!」
次々と体中の至る所を真壁に殴られ続け、俺は全てそれをまともに受けてしまう。
今気が付いたんだが、こいつ遊んでいるのかもしれない。
普段から何かしら凶器を隠し持っているこいつらが、殺したい相手を素手で殴り続けるというのは少しおかしい。
でも、今はそれに感謝したい気分だ。
俺は少しでも何か反撃の糸口を掴もうと必死に考えた。
確か俺が前回こいつらとやりあった時は……。
(…………)
そうだ、つぐみさんが助けてくれたんだ。
どうやってやったかは知らないが、つぐみさんが助けてくれた。
いや、でも変だ。
もしつぐみさんが鬼神のような強さをもっていたり剣を持ってこいつらを退治したとするならば、つぐみさんのこの真っ白で綺麗な顔だし、絶対に印象に残っているはずだ。
でも今こいつはつぐみさんを初めて見るような感じだった。
あの時助けてくれたのはつぐみさんじゃなかったのか!?
「待て。サイレンだ……」
「何?」
そうしていると、俺の体を抑え付けていた奴が不意にそう言ってきた。
それによって俺を縛り付ける力は薄れ、俺の体の自由は久しぶりに戻ってくる。
真壁に受けたダメージがひどく、よろけて倒れそうになるが必死で踏んばった。
そいつの声で一旦場が静まると、確かにパトカーのサイレンがこっちに向かってきているような音がしてきた。
しめた!
彰二か誰かがきっとやってくれたんだ!
「関係ねぇ。こいつをぶっ殺すまで俺の気がおさまらねぇからな」
「待てよ。今なら逃げられる。こんなクズ、いつだって脅せる。今は逃げた方がいい」
「でもよ、こいつ、チクるぜきっと」
三人の揉め合いが始まった。
俺はどうすべきだ?
一人が逃げ腰ってことは、いくらこいつらでもやっぱり警察は怖いってことだ。
確かに、俺がこいつらと一緒に行動してた時に『警察は後が面倒だから絶対に捕まるな』と言っていた気がする。
「早くしろ! チクられようが、身元がバレなきゃ奴らは追ってはきやしない! 今ここで奴らに見つかったら捕まるのは目に見えてる! こんなクズの為にめんどくさいことを起こすのも馬鹿馬鹿しいだろ!」
そう言って三人組のうちの一人がこの家から飛び出して行ってしまった。
すると残りの二人も相談を始め、割とすぐ結論が出たのか、逃げ出して行ってしまった。
「おい北見、俺はどこまででもついていくぞ。地獄の果てまで貴様を追ってやるからな!」
そんな捨て台詞を吐いて。
「た、助かった……」
張っていた緊張の糸がプツリと切れ、ほっと胸を撫で下ろす。
俺はふらふらしながらもつぐみさんの方に寄り、つぐみさんの表情を見た。
つぐみさんは目を瞑って苦しそうな表情を浮かべている。
それを見て俺は即座に腰を下ろし、つぐみさんの体に手を掛けてやった。
「ごめんなつぐみさん。騒がしくて。でも、もう大丈夫だ。安心して休んでてくれ」
「うっ……きょ……恭介……さん……」
またつぐみさんが苦しそうに俺に手を差し伸べる。
察して俺はすかさずつぐみさんを寝かせたままぎゅっと抱きしめた。
それによって、胸のうちからなんだかつぐみさんの俺を思ってくれる思いが伝わってきたようだった。
「大丈夫……何があっても、絶対につぐみさんだけは守るから……絶対……」
「……だい……す……き……です」
俺がつぐみさんを抱きしめると、つぐみさんは少し安心したように一瞬目を開き、再び眠りについてしまった。
さっきよりも苦しむ表情が辛そうだし、苦しがる頻度も高くなっている気がする。
俺はどうしたらつぐみさんを救うことができるのだろうか?
「…………」
つぐみさんの綺麗な黒髪と寝顔を確認すると、俺は静かにこの家を出る。
いつの間にかパトカーのサイレンが聞こえなくなっていた。
俺の所にも来ないで、一体何をしているというのだろうか。
でも、一応危機は乗り越えた後なのでよしとする。今更来られても割と困るし。
ピンポーン!
そんなことを思いながら俺はそのまま隣の部屋に向かい、チャイムを鳴らす。
もちろん奥村彰二の家だ。
さっきのお礼もしたいし、これからのことを相談したい。
困ったときは彰二。
なんだかいつも申し訳ないような気がするが、彰二だってあれだけつぐみさんの心配をしてくれたんだから真剣につぐみさんのことを考えてくれるだろう。
ピンポーン!
「…………」
彰二が出てこない。
おかしい。
菅連とまだやりあってると思って、ビビって出てこないのだろうか?
いや、あいつはそんな奴じゃない。
俺が助けを呼んだ時、いきなり俺の所に助けに来ないかヒヤヒヤしたくらい彰二は情に熱い男だ。
「……留守……だ」
奴の部屋のポストから奴の部屋の中を少しだけ除いてみたが、中は電気もついておらず真っ暗。
もう寝ているにしても時間が早すぎる。
ビビって部屋中真っ暗にして居留守を使っている可能性もなくはないが、ドア越しの俺に気が付いたら普通開けてくれるだろう。
そんな彰二らしからなぬ不自然なことを考えるよりも、留守とした方がよっぽど自然だ。
「じゃあパトカーは一体誰が呼んでくれたんだ……?」
そこで、もしかしたら偶然別件でパトカーが通りかかっただけかもしれないということを思いついた。
彰二がいないとなれば俺の為に警察を呼んでくれる人は限られてくる。
今この場にパトカーも警察も来ていないし、よくよく考えてみれば俺が声を上げてからパトカーのサイレンが鳴るまであまりに早すぎる感じがした。
「………………」
よく分からないが、とりあえず部屋に戻ることにする。
再び奴らがこないように鍵をキッチリと閉め、再びつぐみさんと二人だけの空間に戻った。
つぐみさんはさっきと変わった様子もなく、時折苦しい表情を浮かべている。
その表情を見るたび、俺がなんとかしてやらなければいけない、俺がつぐみさんを救ってやるんだ、と強く心に思い直した。
「…………」
俺はつぐみさんの傍に座り、つぐみさんについて深く考えていた。
俺が出来ることはまだいくらでもある。
昨日とは違う病院に連れて行くこともそのうちの一つなのだが、それはなんだかそればかり考えているようではダメな気がした。
つぐみさんが嫌という意思表示をしてる以上、それにこだわりたくはないからだ。
だからそれ以外にもっともっと視野を広げて、つぐみさんを救ってやる方法を一生懸命考えた。
つぐみさんには様々な謎がある。
住所や年齢、職業、苗字までもが不明。
最近考えたことなんだが、『つぐみ』というのも実は偽名とか、つぐみさんが自分で勝手につけた名前なんじゃないかと考えることもできる。
何をやっている人なのかも不明。
最近では毎日バイトをしたり遊んだり、つぐみさんの行動は大抵把握できている。
稀に家を空けることはあったが、すぐに戻ってきたりしているので大した用事ではないと思う。
しかし、俺と出会う以前までは何をしていたのかが全く分からない。
つぐみさんの備わる超能力も詳細は一切不明。
だが、見ず知らずの人の財布を届けられたこと等から超能力を持っていることは間違いなさそうだ。
つぐみさんの持つ剣も不明。
つぐみさんはそれで自分の胸を貫いてくれと言ったが、多分正気のつぐみさんじゃない気がするので、その辺りはあまり考えなくてもいい気がする。
よって、何の為に持っているかは不明。
これらから分かるようにつぐみさんの身辺に関する情報は一切不明なんだ。
ただ、これだけ特殊な例が多いのでヒントは割と転がっているような気がする。
その中でも『剣』の存在とつぐみさんの放った『ジェリア』という言葉は大きい。
現社会を渡り歩く上で、剣を持って生活している人はそういない。
つぐみさんは何らかの理由で剣をもたなくてはならないんだ。
その理由が分かれば、つぐみさんのことも少し分かるかもしれない。
『ジェリア』というキーワードも大きい。
実は俺の知らない所で、隠語として何かそういった職業だとか階級があるのかもしれない。
また、『髪が赤く染まる』という不可解なつぐみさんの言葉も気になる。
とにかく、まだ調べてみる余地は残っている。
つぐみさんがそれらを秘密にしている理由は分からない。
話すと一気に引かれてしまうと思っているのか、秘密厳守の事柄なのか、それとも脅迫されているのか、それとも理由がない、もしくは分からないのか。
とにかくつぐみさんは俺に話さないし、俺が知るきっかけがつかめない。
でもこれらが分かれば一気にこの謎も解け、今苦しんでいるつぐみさんを助けられるような気がする。
だから俺は調べてみようと思った。
明日にでも学校の図書館や色々な教員にでも聞いてみようと思った。
「出来ることなら、今すぐにでも助けてあげたいんだけど……」
今の時間に空いている図書館なんかしらないし、誰かに聞こうにも頼れる人の電話番号が分からない以上行動のしようがない。
望みは薄いが、両親に電話を掛けてみようと思った時には、既に俺は夢の中にいた。
深夜。
ふと何かの物音で目が覚めた。
部屋の中に人の気配。
「誰だ?」
バッと目を開き、立ち上がるとそこには俺の知らない人間が立っていた。
電気のついたこの明るい部屋の中なので相手はハッキリと見えるのだが、俺の記憶の中にこんな人間はいないた。
身長はそれほど高くないし、ごつい感じも全くない。
なんというか不思議なオーラを発した女の子……のような人だった。
鍵のかかった部屋にどうやって入ったのか、物凄くビックリしたがそれどころではない。
そいつは何故かつぐみさんを肩で背負っていたのだ。
「お前……何してんだよ!?」
俺が近寄るとその人は俺を避けるように玄関の方へと動く。
すかさず俺はそいつを追いかけた。
「ちょっと待て! つぐみさんをどうする気だ!!」
俺が追いかけようとすると、そいつはつぐみさんを背負ったまま家の扉を開け、外へ出て行ってしまった。
もちろん黙ってる訳にはいかない。
俺はそいつを急いで追いかけようとしたが、何だか急に体が重くなり、思うように動けなかった。
それでも絶対につぐみさんには手を出させまいと、気合を入れてそいつを追う。
「ぐっ……」
アパートを降り、ついに道に出てしまった。
外は大雨なのにも関わらず、俺も奴も傘をさすなんてことはしていない。
俺はつぐみさんを取り返す一心で奴を追うが、奴は悠然と歩いているにも関わらず全く追いつける気配がない。
何かがおかしい。
と、つぐみさんをさらっていこうとする奴の背中を見ているとあることに気が付いた。
そいつの背中にはつぐみさんが持っていたものと同じ剣の入った袋が背負われていたのだ。
つぐみさんがずっと抱えていたものだったが、それを奪い取ったのだろう。
「待て! この野郎……」
意識がぐるぐる回ってきた。
絶対におかしい。
病気というわけではないはずなのに、体が思うように動かない。
真壁に殴られた時の痛みが残っているというような感覚ではない。
不自然に俺の体調が崩れたといったような感覚だ。
それを感じてから、ふとあることを思った。
今つぐみさんをさらおうとしている女の子、非常につぐみさんに雰囲気が似ているのだ。
正確に言うと、俺がまだ出会ったばかりの頃のつぐみさんに、だ。
物静かな様子や、悠然とした態度、そして何よりも奴の雰囲気。
思い返してみるととことんつぐみさんに似ている。
背中につぐみさんの剣をしょっているのも何か似合っている感じだ。
「待て! あんた誰だ!? 訳を話してくれ! つぐみさんの知り合いか!?」
そう感じると、なんだか奴がつぐみさんをさらっても敵意があるようにはあまり感じなかったので、少し語調を変え、お願いするような感じで引き止めた。
すると相手は歩みを一旦やめると同時に、俺に正気が返ってきた。
そのうちに俺は猛然と相手に向かって走り寄り、相手に一気に近づく。
「ぐっ……」
しかし、相手の所まであと一歩という所で再びあの気持ち悪い衝動が再び襲い掛かってきてしまう。
それによって俺の動きは封じられ、この大雨の道路の真ん中で棒立ちになってしまった。
「つぐみさんは死んでも渡さない!」
「つぐみ……」
相手が始めて声を発する。
俺と対面する気も全くない様子で、俺に背中を向けたままそうポツリと漏らした。
俺の思ったとおり、声のトーンなんかも無表情時代のつぐみさんにそっくりだ。
「お願いだ答えてくれ! お前はつぐみさんの知り合いなのか!? つぐみさんをどうする気なんだ!?」
「…………」
相手は振り向きもせず、俺の問いに答えようとはしない。
それでも何かを考えている様子で、俺から遠ざかろうともしなかった。
しばらく無言の間が空き、相手からの返答を待つ。
「お前から危険を取り除く為。やむを得ぬこと」
「危険だと!? つぐみさんが危険だっていうのか!? ふざけんな! てめぇの方が何倍も危険なんだよ! 勝手に人の家に入り込んできやがって! さっさとつぐみさんを置いて家に帰れ!」
「…………」
「ぐぁ!!!」
そこまで言うと相手は俺を無視してそのまま前に進もうとする。
それと同時に俺の体に深い電撃のような物が走り、身動き一つとれなくなってしまった。
「待て!! 頼む! 俺からつぐみさんを奪わないでくれ! お前も知っているかもしれないが、つぐみさんは苦しんでいるんだ! 俺が……俺が必ずつぐみさんを救ってやると約束したんだ! 他なら何でも言うことを聞く! だからつぐみさんを連れていかないでくれ!」
「…………」
俺がそう言うと、再び相手の動きは止まる。
「……お前は100年前の災害を知っているか?」
「100年前の災害……?」
相変わらず、俺に顔を向けようとすらしない感じでそう俺に聞いてきた。
言われた俺は相手の漏らした言葉を考えてみる。
100年前の災害。
100年前と言えば、世界は戦争を繰り返していたような時代だったと思う。
だが、初対面の人間に『100年前の災害』と言われて思い当たるようなインパクトの強い事件は何も思い当たらなかった。
「他の国が戦争とかしていたことか!? 100年前の災害って何だ!? 教えてくれ!」
「…………」
何にせよ、俺の勘ではこの女の子はきっとつぐみさんのことを知っている。
そうとあれば、100年前の災害というのもつぐみさんに何か関係があることなのかもしれない。
そういうことなのでその詳細を問いただそうとするが……。
「不幸なことだ。つぐみ……つぐみは私が葬る。つぐみのことは忘れろ」
「何だと!!?」
相手は冷たく、何の感情も持たないような声で俺にそう言葉を突きつけてくる。
そこで俺の気持ちが一気に逆流した。
「つぐみさんを忘れるだと!? そんなことができる訳ねぇじゃねーか!! つぐみさんを葬るだと!? ふざけんな!! てめーなんかにつぐみさんの何が分かるっつーんだよ! てめーなんかに俺の思いがどれだけ強いか分かりはしねぇだろうけどな、俺はつぐみさんをこの世で一番愛してんだよ!!」
「…………」
全てを吐き出すような感じで、自分の持ってる力を全部振り絞って声を張り上げる。
相手は俺に背を向けたまま静止したままで、俺の言葉を聞いているのかいないのかすら分からない。
それでも俺は言葉を続けた。
「つぐみさんはな、このどうしよもない俺の人生に光をくれた唯一の女の子なんだよ!! つぐみさんがいなかったら俺はどうなってたか分かったもんじゃねーよ! 早々と自ら命を絶ち切っていたかもしんねぇし、菅連の野郎共に殺されてたかもしれねぇ! いずれにせよ人生に絶望して、ロクでもねぇ人生送ってたんだろうよ! でもな、つぐみさんが傍に居てくれたから俺は変われたんだよ!! つぐみさんの優しさに触れて、つぐみさんの考え方に触れて、どんどん明るい道に歩けるようになってきたんだよ!! つぐみさんは唯一無二の俺の大好きな人なんだよ!!」
自分で言ってて涙が出てきた。
そんな俺の魂の叫びもむなしく、相手は前に前にと進んで行ってしまう。
相手が段々と小さくなっていく。
つぐみさんが俺から離れていく。
俺は耐え切れず、どんどんと相手に言葉を浴びせつけた。
「そんな人を忘れろだと!? できる訳ねーじゃねーか!! この先どんな一生を送ったってつぐみさんは俺の心の中に深く刻まれてんだよ!! どんな困難に立ち向かったって、つぐみさんの言葉を思い出せば頑張れるんだよ!! そんな人を軽々しく忘れろなんて言ってんじゃねーよ馬鹿野郎!! そんな大切な人を葬るだと!? ふざけんじゃねーよ!! そんなことしてみろ!! 真っ先にてめーをぶっ殺してやる!! 俺の命に代えてでもてめーをぶっ殺してやるよ! つぐみさんは絶対守ってやる! 俺の命が尽きても絶対に守り通してやるんだよ馬鹿野郎!!」
もう相手が見えなくなるくらい小さくなってしまった。
必死に体を動かそうとするが、足はおろか、腕だって少しも動かすことは出来ない。
それでも俺は必死にそいつに訴えかけた。
自分の魂を全部そいつにぶつけるつもりでそう叫んだ。
すると、俺が目線をやっていたそいつに異変がおき始める。
肩に背負っていたはずのつぐみさんが、突如奴の肩から落とされてしまったのだ。
いや、落とされたんじゃない。
つぐみさんは自ら奴の肩から逃げようとしたんだ!
「つぐみさん!!!」
そして、つぐみさんは地面を這いながら俺の方へとゆっくりゆっくり向かってくれた。
よろよろと地面を這い、こっちにつぐみさんは向かってくる。
奴はそんなつぐみさんに目を向けるだけで、何も動いてはいなかった。
「つぐみさん!! つぐみさんーーー!!!!」
つぐみさんに会いに行きたい。
こっちに向かっているつぐみさんの傍に行ってやりたい。
「つぐみさん!! 俺はここだ! 北見恭介はここにいる!!」
つぐみさんはまるでイモムシのように地面をゆっくりと這う。
時折休んでは、頑張って俺の方に来てくれていた。
奴が誰だろうと知ったことではない。
今はとにかく、俺の方に向かって来てくれているつぐみさんと話がしたくてしょうがない。
「はっ!!」
すると、急に術が解けたかのように俺の金縛りが解けた。
それによって俺は自由に動けるようになる。
そうなるや否や、俺は猛然とつぐみさんの方へ突っ走って行った。
「つぐみさん!! つぐみさん!!!」
雨の中びしょ濡れになっているつぐみさんを、物凄い勢いで包み込むように抱きかかえる。
「俺が……俺が必ず守ってやるから」
「恭介……さん」
つぐみさんは弱弱しい感じだったが、確かに俺の胸に抱きついてきてくれた。
俺は力を入れてつぐみさんを抱き返し、それに必死で答える。
「私には理解ができない。後はお前に任せる。しっかりつぐみの言うことを聞いてやって欲しい」
いつの間にか傍に来ていた相手をしっかりと見る。
やっぱりつぐみさんとどこか似ている気がする。
肌も真っ白で、顔もつぐみさんのように異常に整っている。
よく分からないが、この人はつぐみさんの妹かなんかじゃないかと思えた。
「あんたは……誰なんだ?」
「…………」
俺がそう聞くと、彼女は踵を返して闇夜に消えて行ってしまった。
彼女が何者なのかは分からない。
でも、つぐみさんの関係ありそうな人に俺は認められ、つぐみさんを任されたのは事実だと思う。
「わがまま言って……すみません」
「つぐみさん……良かった。本当に良かった」
だから俺は冷たい雨の降るこの場所で、しっかりとつぐみさんを抱きしめた。
その存在を確かめるように。
その存在を守りきるように。
「私は……恭介さんの中に……居たいです。わがまま言ってすみません……」
「大丈夫。もう大丈夫だから」
「恭介さん……お願いします。家に剣があるはずです。その剣で……私の胸を居抜いて下さい……」
「…………」
俺は黙ってしまった。
それだけは絶対に出来ない。
何で理由もなく俺がつぐみさんを殺さなければならないんだ!
「つぐみさん、理由を……」
「お願いします……私の……大切な……恭介……さん」
しかし、その後もつぐみさんの口から理由が語られることはなかった。




