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君はあの朝日を見たか?  作者: 若雛 ケイ
三章 幸せは人の感じ方によって変化する
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二十八幕 人に優しく接すればいいというものでもない

 昼飯を挟み、午後はビーチバレーをした。

 俺&つぐみさんペア対彰二&朋恵さんペアでの対戦。

 バレーは全員素人で、男女も平等だし良い試合になるかと思ったが……。


「はいっ。俺たちの勝ち。カキ氷にしようかねぇ、ヒッヒッヒッヒ」

「ちょっと待った! 絶対おかしい! っつーか俺はつぐみちゃんには奢ってもお前には奢らんぞ!」

「はぁ……はぁ……はぁ……。何故!? もう一度! 次はジュースを賭けて勝負よ!」


 割と俺らの圧勝。

 というのも、つぐみさんの働きがあまりに素晴らしすぎたからだ。

 落ちそうになる球はことごとくつぐみさんが拾ってくれたし、つぐみさんの返す球はバッチリ相手コートへと運ばれていった。

 他の素人3人は球を返すのが精一杯で、返せたとしても明後日の方向だったりしていたので、正常に機能しているつぐみさんがいる俺のチームがあっさり勝てたのだ。

 次にやっても結果は一緒。


「ヘーイ!」

「ナイスアタックです!」


 次々と交わされるつぐみさんとのハイタッチ。

 この勝負も余裕でいただける。


「なんか全部の試合が終わる頃にはお腹タプタプになってそうだなぁ、つぐみさん」

「うふふふふ。はい!」

「ちょっと待ったぁ!! つぐみちゃん、本当に素人なのか!? バレーやってたんじゃないの!?」

「いえ、初めてやりました」

「変な言いがかりはよしてくれよ彰二君」

 ゲームをやっていくうちに分かったが、多分本人の言うとおりつぐみさんは素人だ。

 物凄いサーブが出来るわけでも、物凄いアタックが出来るわけでもない。

 レシーブやトスの仕方は素人そのものだ。


 つぐみさんの場合、単に運動能力がずば抜けて高いんだと思う。

 相手から返される球に即座に反応できる反射神経とか、球際に追いつける脚力とかがつぐみさんの場合すごいんだ。

 特別な技術を持っている訳ではなく、そういった基礎的な運動能力が異常に高いから動けているんだと思う。



「よし。んじゃ俺レモンよろしく。つぐみさんは?」

「えと……」

 勝利の祝杯。

 あまりに何度やっても勝ちすぎたんで、賭けはカキ氷一杯だけということになった。

 もう熱中しすぎて汗だくだ。

 つぐみさんも汗をダラダラ流しながらもずっと笑顔だし、十分に楽しんでくれたようだ。


「何があるんでしょうか?」

「何だろう。分からんないや。レモンなかったら何でもいいや。たぶんイチゴとかメロンとかは定番だからあると思うんだけど……」

「恭介君、私ブルーハワイよろしく頼むわ」

「何でだよ! 朋恵さん負けたでしょ!」

「あの、私買ってきます。何があるのか分からないので……」

「あら、んじゃ、私も行ってくるわ。恭介君はレモンね。彰二は?」

「んぁ……何でもいい……疲れた……」

「ちょっと、つぐみさんが行くことないって。俺たちは勝者なんだから!」

「う~ん……」

 それでも確かに何があるのかは行ってみないと分からない。

 そういうことなんで結局へばった彰二と勝者の俺を除いて、つぐみさんと朋恵さんの二人が四人分のカキ氷を買いに行ってしまった。


「いやぁ……いい汗かいた。運動久しぶりだからな。こりゃ明日筋肉痛だわ」

「お前ちょったぁ手加減しろよ。俺の面目丸つぶれじゃねーか」

 パラソルの下、木陰になっているシートに大の字になって彰二はへばっている。

 そういえば一番機能してなかったのは彰二だったと思えなくもない。

 バレーって、初心者が集まると男も女もあんまり関係ないのかもしれない。


「彰二運動してんのかよ? 足がもつれまくってたぜ?」

「お前こそ。最後の方なんかつぐみちゃんしか球を返してなかったぞ」

 そう言われると耳が痛い。

 なんかあのバレーで俺も彰二も株を下げたような気がする。

 つぐみさんも朋恵さんも全然気にすること無く楽しんでたけど、やっぱり男としてチームを引っ張って行きたいっつーのはあった。


「それにしてもつぐみちゃんすげぇな。あれでおっぱいあったらパーフェクトなんだが」

「お、お前! 絶対それつぐみさんの前で言うなよ!! いいか!!?」

 彰二が起き上がり、カキ氷を買いに行った二人に視線を送りながらそんなこと言い出した。

 慌てて俺は彰二の口を塞ぐような感じでそう強く言ってやる。


「何だよ、お前だってそう思ってるくせに」

「思ってねぇよ!! いいか! 絶対そのことは口にするんじゃねーぞ!」

 ケラケラ茶化すような感じで彰二は言ってくるが、割とジョークになってない。

 バレーの時も、何度かつぐみさんの冷たい視線を感じたし、何度か『朋恵さんの胸見てる』ってつぶやかれた。

 それは多分……多分つぐみさんの思い過ごしだと思うんだけど、そう思わせる経緯をつくった俺にも罪があると思う。


 つぐみさん、自分の胸を何だか相当気にしているみたいだ。

 ジョークがあまり通じないつぐみさんなので、変に勘違いされて深めにハマって欲しくはない。

 だからとりあえず俺は巨乳嫌いとして生きていくことと決めたのだ!


「つぐみさんラヴなんだー!!」

 と、意味もなく叫んでおく。

 結構恥ずかしかったが、そんなことが平気で言えるくらい今の俺はテンションが高い。


「およ?」

「ん?」

 つぐみさんと朋恵さんを目で追っていた彰二が何かに気付いたらしい。

 俺もつぐみさんと朋恵さんの行方を追って探したところ、なんだかつぐみさんが転んでしまっているようだった。


「いや……違う」

 『つぐみさんはドジだなぁ』なんて思ったが、よくよく見てみると単につぐみさんが転んだわけではないようだ。

 転んだつぐみさんの傍には朋恵さんと知らない男二人がいる。

 朋恵さんの方はどでかいカキ氷を片手に持ちながらも、男二人に何か怒鳴りつけるような感じで怒っている。

 ようやく立ち上がろうとしたつぐみさんだったが、そのつぐみさんの腕を男の片方が、つぐみさんが立ち上がるのを助けるように掴む。

 優しく助けてあげようって感じじゃない。

 男の二人組みがへらへら笑っているのですぐに分かった。

 ナンパだ。


「彰二!!」

「出番だな」

 つぐみさんの手を軽々しく掴んだだけでも許せん!

 彰二の方を向くと彰二は既に突撃準備万端だったようなので、俺は彰二と一緒にその場に突っ走って行く。

 走っているうちに事態はどんどん進んで行き、つぐみさんの手を掴んでいた男の手を朋恵さんが無理矢理引き剥がそうとしていた。

 それでも男はなかなか手を離さないどころか、違う方の男が朋恵さんを物凄い勢いで押し倒してしまった。

 朋恵さんはそれによって砂地にしりもちをついてしまい、手に持っていたかき氷はひっくり返っていた。

 それを見た俺も彰二も怒り爆発だ。


「てめーふざけんのも対外にしやがれっ!!」

 俺が突っ込んで行こうとする前に彰二が男二人にまとめて体当たり。

 お陰でようやく男の手はつぐみさんから離れた。

 俺も彰二と一緒になって相手をぶっ倒してやりたかったが、とりあえずの所つぐみさんと朋恵さんに声を掛けておく。


「つぐみさん大丈夫? 朋恵さんも」

「はい。でも……」

「もうあったま来た!! 私自らぶっ飛ばしてやる!!」

 と、朋恵さんもやる気満々で彰二が倒した二人の所に行こうとするが、その前につぐみさんが彰二達の間に割って入っていた。


「やめて下さい彰二さん! 悪いのは私です!!」

「つぐみちゃん……」

 今から決闘でも始まるかのように、金髪兄ちゃんの彰二と、同じように色黒金髪ロンゲのサーファー風の男二人が向かい合っていがみ合っていた。

 その所に、俺と朋恵さんが入るよりも早くつぐみさんが割って入っていったのだ。


「私は約束があるので、一緒に行くことができません。すみません」

「ちょっとつぐみちゃん!! 何謝ってんのよ!! 悪いのは完全に向こうじゃない!!」

 と、つぐみさんが相手に深く頭を下げていた所に朋恵さんが口を挟む。

 そうやっているうちに相手の二人組みはコソコソと逃げ出しているようだった。

 まぁ、相手が男連れ、しかも金髪の兄ちゃんだということが分かって潔く諦めてくれたようだ。


 結構人の視線も集まってきている所だったので、俺だってこれ以上ことを荒立てたくないし、奴らを追いかけることはしなかった。

 どうやら彰二もそう思ってくれたようで、奴らとやりあう前に引き上げてくる。


「あーあ。せっかく私がぶん殴ってやろうと思ったのに……。あいつらのせいでせっかく買ったカキ氷もパァだわ」

「すみません……朋恵さん」

 頭に所々赤色のカキ氷のシロップをかけている朋恵さんがまだ怒っているような調子でそう言う。

 地面を見れば無残にカキ氷の器や紙コップなんかがひっくり返っていたし、つぐみさんの白い肌にも黄色のシロップがかかっている。

 カキ氷は全部完全に無駄になってしまったようだった。

 ギャラリーも集まる前にはけてきたので、俺たちは四人集まって無事を確認する。


 事の端末を一応聞いておいたが、相手はつぐみさんを引っ掛けるように転ばせ、それによって相手の飲み物も台無しにしたから弁償も含めて無理矢理誘われたようだ。

 朋恵さんはつぐみさんがぶつかられた時からキレっぱなしだったが、相手が10対0で悪いにも関わらずつぐみさんは何故か終始相手に頭を下げていたとのこと。

 さすがつぐみさんと言った所だ。


「つぐみちゃんは何も悪くないから謝らないでいいの! つぐみちゃん、あいつらに何か悪いことでもしたかしら? 私達なんか転ばされたし、カキ氷2個もおじゃんにされたわ」

「……私はあの方達の飲み物を落とさせてしまいました。すみません。私がぶつからないようにもっとしっかりしていればこんなことにはならなかったのに……」

 その状態はまだ続いているようで、なんだかつぐみさんが朋恵さんに怒られているみたいだ。

 見かねてつぐみさんの性質をよく知っているつもりの俺がつぐみさんに助け船を出す。


「つぐみさんが謝ることないんだって。相手が何でつぐみさんにぶつかって来たのか分かる? ワザとだよ。相手が飲み物を落としたのもワザとだ。つぐみさん達を誘う口実が欲しかっただけだと思うよ。言ってみれば自業自得以前の問題なんだ。だからつぐみさんは何も悪くない」

「でも……」

 つぐみさんは基本的に何があっても自分を責めるような人なんだ。

 今だって相手のことを朋恵さんのように『ふざけた奴だ』なんてこれっぽちも思ってないはずだ。

 どんな人にもいい所があるってつぐみさんは言ってたし。

 それを知らない朋恵さんには今のつぐみさんの言葉は理解しがたいものだったのだろう。

 俺だって少し理解に苦しむ時もあるが、それを含めてのつぐみさんなんだ。

 だから俺はつぐみさんを極力理解してあげたいと思う。


「後ね、怒ることが相手にとって幸せになることだってあるんだよ。例えばテストでカンニングとか、不正するような友人がいたとしてさ、誰も注意しないで怒らなかったその人は不正を続ける訳でしょ? そのまま不正を続けていったらさ、社会に出てからも不正を起こす可能性だってある訳じゃない。今ニュースとかで話題になってるけど、そのせいでとんでもない不祥事とか起こしてその人の人生が終わっちゃったら、その人にとって不幸だよ。だから、時には反発して相手を正してやるってのも相手の為にも必要だと思うんだ」

「あ……」

 俺がそう言うとつぐみさんは理解してくれたような表情を見せる。

 何かとつぐみさんとは言葉が通じて会話しやすい。

 これもつぐみさんの頭の良さのお陰なんだろう。

 こうやって色々なことをつぐみさんと話し合ったりしているが、どれもこれも本当に意味のある会話になることがほとんどだ。


「そうよつぐみちゃん。今度今の奴に会ったらゼヒぶっ飛ばしてやりましょう」

「俺そんなこと一言も言ってないんスけど!!」

 とにかくつぐみさんも理解してくれたようだし、これから少しずつ変わっていくかもしれない。

 そういう意味で今の一件はただで嫌な思いをしただけではなくなりそうで良かったと思う。

 ただ、カキ氷はもう一度買うことになってしまったが。


 さて、俺たち四人は改めてカキ氷を買いなおして自分達の設置したビーチパラソルに戻ることにする。

 カキ氷は一つでも作った人間が何考えてるのか分からないってくらい大盛り大盛りだったので、一人で全部食いきれそうにないと二つしか買ってこなかった。

 つぐみさんの持つ黄色いシロップがかかったカキ氷も、朋恵さんが持つ青いシロップがかかったカキ氷も本当に大盛りで、今にも崩れて全部器からでてしまいそうな感じだ。


「はい。じゃあつぐみちゃんからー」

「え?」

「……あの」

 朋恵さんがニヤニヤしながらそう言い出したのでつぐみさんを見てみると、つぐみさんはカキ氷をスプーンに一杯盛って、俺の目を見ながらそれをぷるぷる震えた手で持っていた。


「あの……あーん……」

「ちょ、ちょっと!?」

 朋恵さんを見るとゲラゲラ笑ってる。

 さっき影で朋恵さんがつぐみさんにごにょごにょ何か話していると思ったが、やっぱりなんか仕組まれたようだ。

 つぐみさんは間に受けて結構マジでやろうとしているけど、さすがにこれは恥ずかしい。


「も、もう恥ずかしいですー!」

 あ、つぐみさん、スプーンを途中まで俺の方に持ってきたけど結局自分で食べちゃった。

 目を不等号の形にして恥ずかしがるつぐみさんが可愛い。

 っつか、俺はどうすればいいんだ。


「もうつぐみちゃん可愛すぎる! 私のお嫁さんになって欲しいわ」

 そんなこと言いながら朋恵さんは一人でゲラゲラ笑う。

 まぁ、つぐみさんをこうやってちょっとからかってみたくなる気持ちは物凄く理解できるが。


「んじゃ、次は彰二の番ね。はい、目をつぶって……」

 朋恵さん劇場はまだまだ続く。

 今度は朋恵さんがスプーンを持って彰二の顔の方に近づけていく。

 そして彰二が目を瞑るのを確認すると、自分でそのスプーンにあるカキ氷を食べてしまった。

 そんなことは知らずに目を瞑り続ける彰二をよそに、朋恵さんは次に無言で俺に手招きをはじめる。


「?」

 なんか朋恵さんがジェスチャーしてる。

 ジャスチャーはなんとなく伝わった。

 朋恵さんの仕草からするに、かき氷を手で掴んで彰二のほっぺたにぶつけろって感じだ。

 さすが朋恵さん。

 こういう馬鹿なノリを思いつくプロだ。

 俺もこういうノリは嫌いじゃないというかむしろ好きなので、その朋恵さんの指図に従う。


 朋恵さんの指示したように、朋恵さんの持つカキ氷の山の頂上を手で少し拝借し、それをそのままビンタするような感じで彰二の頬にぶつけてやった。


「冷てぇ!!」

 大爆笑する朋恵さんとつぐみさん。

 俺と彰二はそこから対決でもするかのように立ち上がった。


「お前、何やってんだよ!!」

「待て! 朋恵さんの指示だ! 俺は何も悪くない!!」

「この……。あ、つぐみちゃん、そう言えばさっきね、恭介がつぐみちゃんのおっぱ……」

「あぁーーーーーー!!!」

 そこまで彰二が言った所で、俺は彰二の体を押し倒してやる。

 それからしばらく俺と彰二の追いかけっこが続いた。


 本当に楽しいや。

 つぐみさんも彰二も朋恵さんも、皆最高だ。

 時間が経つのがこんなに早く感じたのは生まれて初めてだと思う。

 俺自身本当に楽しかったし、つぐみさんもずっとずっと笑顔だ。

 彰二も朋恵さんも本気で楽しそうにしているから俺の楽しさ嬉しさも二倍に跳ね上がる。

 俺の夢だった彰二のダブルデートも叶えられたし、今日は俺の思い出のつまった一日になりそうだ。


 本当に今日ここに来て良かった。

 この時間がずっと続けばいいと思った。

 それは無理な話だが、やろうと思えば何度だってこのダブルデートが出来るんだ。

 この長い夏休み、何度だって遊べる。

 彰二がはしゃいでいて、朋恵さんが暴走して、つぐみさんが笑っている。

 この時間は今だけじゃない。

 これから何度だって、いつだってこんな時間が作れるんだ!



「いやぁ疲れた疲れた」

「ねぇつぐみさん、今度どこ行きたい? この前朋恵さんのせいで行けなかった遊園地なんかも捨てがたいんだが」

「うぐ。すまぬ。拙者のせいでつぐみ殿に迷惑をかけた……」

 あっという間に日も暮れ、俺たちは帰路についた。

 今は帰りがけに夕食を食べようってことになって、適当に立ち寄った店に入って今日の思い出話に華を咲かせている。


「たくさん色んな所に行きたいです! もっともっと、たくさん色んなことを体験して、色んなことを知りたいです!」

「そっかそっか。んじゃ、それまでに色々考えておかないとな!」

「はいっ!」

 あんだけはしゃいだので俺も彰二も朋恵さんも割りとクタクタな感じだったが、つぐみさんだけは平然としている。

 普段から何か運動でもしているのだろうか。

 俺が家の中でつぐみさんを見る限りではそんな様子はあまり見られないけど。



「はい、メニュー。つぐみちゃん、何頼む?」

「あ……。私、このカレーライスが……」

 つぐみさんはキレンジャーか。


「あれ? もしかして奢ってくれるんすか朋恵さん?」

「ん~……ま、いいわ。つぐみちゃんの分は私が払ってあげる。今日のゲームには完敗したしね」

「い、いえ、私はそんな……大丈夫です」

「俺は払わねぇぞ恭介」

 そんな感じでメニューを決めている時、隣に座ってメニューを見ているつぐみさんの顔が一瞬物凄く歪んだのを俺は見逃さなかった。

 何かこう、苦痛を抑えるような感じの表情だった。

 それは一瞬ですぐに元に戻ったが、やはり気になるので声を掛けておく。


「つ、つぐみさん、どうしたの?」

「あ……いえ、あ、あの、少しトイレに行ってきます」

 つぐみさんはそう言って席を立つ。

 今さっきのつぐみさんの顔、なんか普通じゃないような気がする。


「ちょっと、つぐみさん大丈夫かな……。なんか顔が一瞬歪んでたような気がするんだけど……」

「腹でも痛かったんじゃねぇのか?」

「つぐみちゃん、あの日なのかもよ?」

 と、 彰二も朋恵さんも何も思っていない様子だったが、俺には何か変な胸騒ぎがした。


 すっかり忘れかけていたけれども、昨日つぐみさんは脱衣所で倒れてしまったんだ。

 本人は足を滑らせたと言っていたが、それが本当かどうかは分からない。

 そのことを思い出しつつ、さっき一瞬見せた苦痛で歪んだような表情を考えると何か少し嫌な予感がした。

 思い過ごしならそれが一番だと思いながらも、つぐみさんの様子をずっと気にしながらつぐみさんの帰りを待った。


 しかし、10分経っても20分経ってもつぐみさんは帰ってこない。

 段々と彰二も朋恵さんもそれが気になりはじめてきたようだ。


「つぐみちゃん、遅いわね……」

「ちょっと俺見てきます!」

「私も行くわ。女子トイレでしょ?」

 心配になった俺は朋恵さんと一緒につぐみさんの向かった女子トイレに向かう。

 朋恵さんが一人女子トイレの中へ入るとすぐに朋恵さんの声が聞こえてきた。


「つぐみちゃん! つぐみちゃん!!」

 朋恵さんが声を張り上げる。

 俺の胸騒ぎは的中してしまった。


「つぐみちゃん! しっかりして! つぐみちゃん!!!」

「つぐみさん!!」

 その場でじっとしていられなくなった俺は、女子トイレにも関わらず朋恵さんの後を追った。

 俺が少し回りの目を気にしながら女子トイレに入った所、つぐみさんはトイレの床にぐったり倒れていた。


「つぐみちゃんしっかり! つぐみちゃん!!」

「つぐみさん! つぐみさん!!」

 二人でつぐみさんの名前を呼び続けるもつぐみさんは目すら開かず、ぐったりとした感じで動くことすらしなかった。

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