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君はあの朝日を見たか?  作者: 若雛 ケイ
三章 幸せは人の感じ方によって変化する
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二十六幕 人は観測者によって良い人にも悪い人にもなる

 つぐみさんとの共同生活にも随分と慣れた。

 最初は緊張して寝れなかったり、トイレ行くのも風呂入るのも自分の家じゃないかのように慎重にしてたけれども、もう俺は普通に暮らしていけている。

 まぁ、うっかりつぐみさんがトイレに入っているのに扉を開けてしまいそうになるなんてことはたまにあるが。


 あれからつぐみさんは日を追うごとに変化しているような気がする。

 言うことは言うようになったし、表情も豊かになった。

 常識も身についた。

 凄く遠慮深いのはそのままだが、もうまるっきり普通の女の子だ。

 最初無口だったつぐみさんが信じられないくらいだ。


 原因は色々あると思う。

 慣れが一番大きいと思うが、片瀬のバイト先で働いているという経験も大きいと思う。

 日中は俺もつぐみさんもバイトをして、夜は一緒に料理を作ったり、一緒に食事をして今日あった出来事を話したり、一緒にゲームなんかもしている。

 映画を見て一緒に笑ったり一緒に泣いたりもしている。

 休みの日は一緒に買い物をしたり、どこかへ出かけたり、本当に充実している高校2年の夏休みだ。

 その毎日が幸せで、こんなに幸せでいいのかと少し恐ろしくなってしまうこともあるくらいだった。



 8月に入って俺の恐れていた8月5日も過ぎた。

 菅連の連中は俺の家にやってくるどころか、電話一本だってよこしはしない。

 この様子をみるとどうも諦めてくれたようだ。

 俺はこのままもう菅連と関わらないでやっていけそうな気がする。

 全てリセット。

 俺の高校生活はここから始まるんだ。

 学校だってもうだるいなんて思わない。

 むしろ学校が早く始まって、この生まれ変わったニュー北見を早く受け入れて欲しいという思いで一杯だった。



「本日最後の販売です! お安くなってます!」

「いらっしゃいませ! いらっしゃいませー!」

「もってけドロボー! 一個60円! 2個買うと何とビックリ800円だよ!!」

 何もない平日の夜。

 俺はバイトが早く終わったので、つぐみさんのバイト先にお邪魔していた。

 つぐみさんは今日も元気に可愛い店員さんの服を着て、笑顔で接客している。

 アルバイトを始めた頃は接客ということもあってかかなりとまどったような様子だったが、もう完全にバイトには慣れた様子でてきぱきとことをこなしている。


 俺は相川ベーカリーの看板を持って、私服の片瀬と並んでウインドウの外で客を呼んでいた。

 片瀬はバイトの時間が終わったにも関わらず、つぐみさんと一緒に帰りたいらしくてここでパン食いながら接客中。

 よくつぐみさんから話を聞くが、片瀬は本当につぐみさんとは仲良くやってくれているみたいで、いくら相手が馬鹿とはいえども、つぐみさんと共通の友人が出来たと思うとなんだか凄く嬉しい。


 俺もそんな片瀬と一緒に私服で客寄せ中だ。

 別にバイト代をもらっている訳ではない。

 片瀬にやれと言われたからやったまでだし、つぐみさんのバイトが終わるまで俺だってすることは何もないんだからどうせならばという感じだ。


「いいねぇ山田君。どうだい、うちで働かないか?」

 俺が片瀬と並んで客寄せをしていると、つぐみさんのいるウインドーの後ろ、厨房から大柄の気の良さそうなおっさんが出てきてそう俺に言葉を掛ける。

 相川ベーカリーの店長、相川さんだ。

 何度かつぐみさんのお迎えをしているので、既に店長さんとも俺は顔見知り。

 この人は本当に優しくて気さくでいいおっさんだ。


 この店はバイトの数が極小らしく、普段は店長夫婦と、片瀬とつぐみさんを含めた3人のバイトで店を回しているらしい。

 その為人手が足りていないらしく、何度かこうやってお誘いを頂いている。


「いえ、北見です」

「はっはっは。彩ちゃん、嘘教えないでくれよ」

「何だ? おっさん」

 正直この店で働いてもいいかなって何度か思ったことはある。

 っつーか今でも少し思っている。

 つぐみさんと一緒に働けるというのもあるが、それ以上に職場の雰囲気が最高にいいのだ。

 この店の雰囲気が本当に家族のように温かくて本当に働きやすそうな環境なのは、つぐみさんの話を聞けばよく分かる。

 つぐみさんはいつも売れ残ったパンをもらっているし、休憩中は奥さんがご馳走してくれたりもするらしい。

 片瀬が無茶やっても店長さんが「ハッハッハ」と笑いことで済ませちゃったり、苗字も年齢も分からないつぐみさんを返事一つで採用してしまったり(後に聞いた話だと、片瀬の紹介だったから何も言わずにOKだったそうだ)するのは少し問題ありそうな気はするが、とにかく本当にバイトに気を使ってくれる店長さんなのだ。


 この店長ならあの難儀な片瀬をうまく使っているのにも納得できるし、つぐみさんだって安心して働ける。

 それを見て、今俺が働いている全国進出しているような店よりも、こんな温かい自営業的な店でのバイトの方が断然働きやすそうだと感じた。


 ただ、給料が安いのが欠点だ。

 今の生活費を支えているのは、高校生にしては破格ともいえる現在のバイト先での収入。

 それが一気に落ちるんだから、いくら雰囲気の良い店でも考え物だ。

 今のバイト先はキツイけれども慣れたし、仕事だって一通り出来るし、別に雰囲気も全然悪くないし、何より給料が高いからやっぱり簡単に辞めるのは惜しい。

 っつー訳で店長さんのお誘いは今のところ丁重にお断りしている。


 営業も終わり、つぐみさんが着替えている間俺は何故か相川ベーカリーの事務所(とは言っても普通の家の中だが)に通された。

 そして本当に大したことはしてないのに、相川のおばさんは俺にお茶やお菓子を出してもてなしてくれる。

 本当にいい家庭だ。


「山田君、本当にダメ?」

「北見です!」

「はっはっは。北見君が働いてくれると助かるんだがなぁ……」

 そう言って店長の相川さんは傍に居るまだ1歳に満たないような子供の頭をぽふぽふ叩く。

 さっき知った話だが、相川夫婦には最近子供が出来て、奥さんがなかなか働けないのでバイトは切実に欲しいらしい。

 これを知ってますます働きたくなるのだが、やはり収入の面で折り合いがつきそうにない。

 「時給が高ければいいですよ」なんて言えるはずも無いし。


「そっか……。まぁ、考えが変わったらいつでも言いに来てくださいよ。うちはいつでも大歓迎だから」

「ありがとうございます!」

 そんな話をしているとつぐみさんの着替えも終わり、皆で相川家の居間に集まった。

 一緒に夕飯を食べようと誘われたが、本当に何もしていなかったのにそこまで厚意は頂けないと思ってしっかりと断っておく。

 つぐみさんも全く同じ気持ちであろう。


「それじゃあ、彩ちゃんもつぐみちゃんもお疲れさん。山田君も暇だったら遊びにおいでよ」

「はい! 北見です!」

「おう、またな! おっさん!」

「お疲れ様でした!」

 そう言って荷物を持ち、つぐみさん達と一緒に店の裏口から出る。


「あ、そうそう、つぐみちゃん、はい」

「あっ……」

 別れ際、店長さんが何かを思い出したように小さな紙袋を持ってきて、それをつぐみさんに渡す。

 店長さんがつぐみさんに何を渡したのか俺には分かった。


「メガ相川。今日も余ったから食べてやってね」

「あ……本当にありがとうございます」

 今日の売れ残りのパンをつぐみさんに渡しているんだ。

 今日に限ったことじゃないし、いつももらって帰ってきているからすぐに分かる。


「おっさん、あちしは?」

「彩ちゃんごめんよ。今日はアンパン売れ残ってないんだよ」

「そっか。んじゃ、いいや」

「ごめんよ。そうだ! 山田君は何かいるかな? チョコパンとか、焼きソバロールとかならたぶんあると思うけど……」

「いえ、構わないです。何かすみません、僕もつぐみさんが持って帰ってきてるのをたまに頂いてしまっているんですけれども……」

「はっはっは! それは一種のワイロだからさ。それじゃ、気をつけて帰るんだよ!」

 と、相川ベーカリーを後にする。

 余り物は次の日売り物にならないというのは分かるが、こうあまり関係のない人にバンバン渡してしまって良いのだろうか。

 まぁ店長がいいと言っているのだからいいのかもしれんが、いずれにせよこの店長さんの厚意には感謝したい。



「ねぇねぇつぐみん、そのキャミはどこで買ったか?」

「あ、これはこの間恭介さんとスクエアという大きなお店に行った時に……」

「おぉ! スクエアか! 今度あちしも行ってみよかな。つぐみんも一緒に行こうよ! あそこにある、面白いもん紹介するぞ!」

「はい!」

 帰路の途中、楽しそうに話すつぐみさんと片瀬を見る。

 もうつぐみさんも完全に片瀬と友達になっている。

 片瀬もつぐみさんも少し特殊な人間だということもあってか、何かと馬が合うのかもしれない。


 俺がデートの誘いをした時、片瀬と約束があるからと何回か断られたことがあるくらいつぐみさんと片瀬の仲は良い。

 つぐみさんをとられたようで少し悔しかったけど、やっぱりつぐみさんにもこうして友達が出来ると、それが例え馬鹿でもやっぱり嬉しい。

 つぐみさんがバイトを始めた頃から片瀬には本当に良くしてもらっているらしいので、その点では少し片瀬に感謝しないといけないのかもしれない。


「あ、そうそう。スクエアにパンダの気ぐるみがあったから今度それ着てバイトしようよ! つぐみんは何着たい? 車、富士山、ぬりかべ、イッタンモメン、座敷ワラシ、何でも揃ってたよ」

「妖怪ばっかじゃねぇか。それに何だ車って」

「富士山……」

「正気かつぐみさん!!?」

 やっぱり馬鹿に染まってしまうという副作用は逃れないようだ。



「んじゃまたね!」

「はい! さようなら!」

「またな!」

 少し歩くと、帰る方向が違う片瀬と別れることになる。

 終始つぐみさんも片瀬も顔が活き活きしていて、本当に楽しそうだった。


「仲いいねぇ、つぐみさんと片瀬」

「はい。彩ちゃんは私の大切な友達です。これも今日、彩ちゃんから頂いたものなんですよ?」

 と、つぐみさんの髪の毛を後ろで結んでいるさくらんぼのような髪留めを指してそう言う。

 今気が付いたが、つぐみさんの髪を結わいているものがそういえば今日の朝と違った。

 なんかつぐみさんにしては子供っぽいような髪留めだが、やっぱり何をつけても似合うのがつぐみさんだ。


 そうそう、相川ベーカリーの店員さんの服も可愛いのだが、髪を上げているつぐみさんも本当に可愛いんだ。

 それを見に来てるっつーのもあるんだな実は。


「でも、あいつは馬鹿だから気をつけろ」

 と、そう言うとつぐみさんが目尻をふにゃりと曲げて含み笑いを始める。

 何かと思って聞くと、つぐみさんは今日あった片瀬の馬鹿エピソードを話してくれた。

 つぐみさんにもようやくギャグとか笑いのポイントとかが理解できてきたようで、たまに漫画を読んでは一人で笑っているつぐみさんを見かける時もあるし、片瀬の馬鹿話をしている時は本当に楽しそうに話をしている。


「そして休憩が終わってウインドウに戻ったんですけれども、そしたら彩ちゃんがあんぱんをもぐもぐ食べながらお客さんにパンを売っていたんです。そしたら店長さんが出てきて、『彩ちゃんが休憩してどーすんだよー』って」

 くすくす笑うつぐみさん。

 すまん、つぐみさん。

 今の話の笑いどころがよく分からん。


「そういえば今日もまた売れ残っちゃったね。メガ相川」

「う~ん……何でだろう。おいしいはずなんですけれども……」

 つぐみさんが抱える紙袋の中に入っている『メガ相川』。

 商品の内容は恐ろしくも『大里食堂のメガトンスパイクのカレーと相川ベーカリーのパン生地を見事に融合させた商品』。

 相川ベーカリーで売られているパンの平均的な値段は100円少しだというのにこの『メガ相川』の売値は20円。

 それでも売れないから本当に恐ろしい。

 っつーか何でそんな赤字しか生まないようなパンを作り続けているのかも謎だ。

 聞くところによるとつぐみさんのアイディアを元に作られたパンだとか。

 その話を聞いた途端俺は手で顔を伏せた覚えがある。


「彩ちゃんの考えたパンと競争しているんです。どっちが売れ残るかっていう勝負で、結果的に私が勝っていると思うんですけれども、なんだかあんまり嬉しくないです」

「…………」

 何で20円なのに売れ残るか、俺には簡単に理解できる。

 片瀬の考えたパンにも少し興味あるが、それをも超えるつぐみさんのパンだということだ。

 つぐみさんには悪いが、何でこんなギャグみたいな商品が店頭に並んでいるのか本当に疑問である。

 店長さんだって「俺はおいしいと思うよ」と言いながら半分食べて残していたし、そのうち相川ベーカリーが潰れてしまわないか心配である。

 よし、今度メガ相川を買ってやろう。


「恭介さんはカレーが嫌いなんですよね……はぁ」

 ため息つくつぐみさんも可愛い。

 残念ながら何故か俺は生まれながらにしてカレーが大嫌いなんで、つぐみさんの期待に答えられる日はこない。

 隠れて何度も挑戦してみたが吐き出す程だった。

 だからただのカレーですらダメなのに俺にメガトンが食えるはずがないということで、メガトンは諦めることにしている。


「あ、そうそう。今日朋恵さんが泊まりに来るんだって。んで、彰二ん家に集まろうってことになったんだけども、大丈夫かな?」

「あ、はい! 私も参加させて下さい!」

「良かった! よし、今日は夜通し遊びまくるぞ!」

 明日は初めてのダブルデート。

 しかも夏ということもあって行き先は海!

 以前に彰二カップルと4人で話したりしたことはあったが、その四人で外に出て遊びに行くというのは明日が初めてだ。


 彰二も人が良いし、朋恵さんもそれ以上に気さくで良い人なので既につぐみさんとは打ち解けている。

 特に朋恵さんのつぐみさんへの可愛がり方は異常で、一日話しただけなのに朋恵さんとつぐみさんが姉妹のようにも見えてしまったくらいだ。

 つぐみさんも相変わらず『楽しくて良い人』とすんなり二人を受け入れていた。


 という訳で、つぐみさんはまだ2~3度しか会ったことがない相手だが、明日は4人で海に行くことになっている。

 俺が提案したわけだが、彰二&朋恵さんはもちろん、つぐみさんも快く了承してくれた。

 それが決まってから俺は明日をずっとずっと心待ちにしていたのだ。


 彰二とのダブルデートは夢だったが、正直そんなことはどうでもよくなっている。

 今はつぐみさんともっと一緒にいたくて、つぐみさんに俺の友達を紹介して遊びたいという思いだけで一杯だ。


「つぐみさん、海は初めてなんだよね?」

「はい!」

「ってことは、まだ泳いだりすることは……?」

「ん~……出来なくは、ないと思います」

 と、強気なつぐみさん。

 そんな強気の発言も俺は少しも違和感を感じない。

 そう、つぐみさんは何故か初めてのことでも割と器用にこなしてしまうスーパーウーマンなんだ。

 料理、洗濯、炊事等の家事から体を動かすスポーツやゲームまで、恐ろしいほどに飲み込みが早い。

 特に運動系とくれば、飲み込みの速さでつぐみさんに勝てる人間はいないと思う。

 この前ゲーセンでエアーホッケーに熱中していた時、始めこそ手加減しながらコツコツやって良い勝負だったが、回数を重ねるごとにつぐみさんはどんどんうまくなっていって、しまいには俺が本気を出しても勝てないくらいにまでなった。

 こんな女の子、見たことがない。

 勉強に関してもそうだし、天才というのは本当に存在するんだなと思った。

 神は皆平等に能力を分けると言うが、つぐみさんを見ればそんなの嘘だと分かる。


「よっしゃー!! んじゃ、帰ったら早速つぐみさん水着の試着をしなきゃ! サイズが合ってなかったら大変だ!」

「…………」

 俺がそう言うと、つぐみさんは顔を真っ赤にしてふくれた顔で俺の目を見る。

 つぐみさんは水着が大嫌いらしい。

 一度つけたとき、もう着たくないとまで言っていた。

 肌の露出が大きいのが一番の原因だと思う。

 それでも俺は一度つぐみさんの水着姿を見たが、本当に最高だった。

 それ以上に顔を真っ赤にして恥ずかしそうにするつぐみさんが何より最高だ。

 つぐみさんが恥ずかしがる要素として、肌の露出があることと、公衆の面前であることがある。

 両者ともだいぶ慣れたようだが、明日はそのダブルパンチをくらう訳だからどうなるのか楽しみではある。

 顔を赤くして恥らうつぐみさんがこれまたなんとも。


「また恭介さんにいじわる言われました」

「いやいや、意地悪なんか一言も言ってないぞ。明日に備えなくちゃいけないのは事実である。うん。さぁ水着、帰ったら一目散に水着」

「…………」

 やべぇ。可愛すぎる。

 嫌いだったはずのバカップルの気持ちが理解できすぎて、バカップル彼氏と一体化した気分だ。

 好きな子にいじわるしてしまう小学生の気持ちだって滅茶苦茶分かる。

 そうはなるまいと思っていても、そうなってしまうものなのだろうか。


「私一人で着ます!」

「…………」

 ぷいっとそっぽ向かれてしまった。

 残念。

 つぐみさんの水着は明日までとっておくとしよう。



 そんな話をしながら帰路を歩いてアパートに着いた時、一階のランドリーの所でうちのアパートの大家に出会った。

 何とも珍しい人と出会ったものだ。

 今まで生活していて一ヶ月に一度会うか会わないかくらいの頻度なので、俺の中で完全にレアキャラ化している存在である。

 それもそのはずでこの大家は無愛想で知られており、俺が菅連とつるんでいる噂をどこで耳にしたのか、完全に俺を敵視しているように見える。

 最初の頃は出会うと『部屋がうるさい』だの『邪魔』だの何かといちゃもんつけてきて、アパートから俺を追い出そうという意図が取れる言葉を投げかけてきたが、最近は完全に無視。

 まぁ、あんまり関わっちゃいけない人なんだろうと思う。

 嫌な奴に出会ったと、俺は視線を避けて無視して二階に上がろうとした。が。


「こんばんわ」

「…………」

 つぐみさんがその大家に挨拶をしてしまった。

 大家はつぐみさんと俺を一度ずつ視線で確かめると、相変わらずの無愛想な表情で頷いた。


(頷いた……)

 あの頑固そうな大家が頷いた。

 これには驚いた。

 頷くということは、つぐみさんの挨拶を受け入れたということになる。

 考えられない。

 いつも怒っている印象しかないのだが、どうやら奴は相手を肯定することもできるらしい。

 俺や彰二にもいつも否定的だけど、相手が可愛い女の子だから普通に接しているだけなのかもしれないが。

 そういうキャラにはあまり見えないけど。


「恭介さん、挨拶……」

「こ、こんばんわ……」

 つぐみさんに促されたので、その場は仕方なくといった感じで挨拶する。

 すると相手はつぐみさんの時よりもかなり大きな間があったものの、同じように頷いてくれた。

 たったそれだけのことなのに、あんな奴でも俺を受け入れてくれたんだと思えてなんだか嬉しかった。


「つ、つぐみさん、よくあんな奴に挨拶できるね……。見た目からして頑固そうな親父なのに……」

「あの方はこのアパートを仕切っている方だと聞きました。私がこのアパートにお世話になっている以上、感謝の気持ちを表さなくてはいけないと思います」

「ま、まぁ、そうなんだけどさ……。ほら、なんかその、怖くない? 今にもちゃぶ台とかひっくり返しそうでさ」

 俺がそう言うと、つぐみさんはふふふと笑って言葉を返してくれる。

「どんな人であろうと関係はないと思ってます。人間は良い所も悪い所もたくさんあります。ただ、あの方は悪い所が目立つ所にあるだけだと思います」

「へぇ……」

 なんかつぐみさんの話は不思議と説得力があって、物凄い為になることが多い気がする。


「じゃあ、つぐみさんにも悪い所、あるの? 俺には見当たらないけど……」

「……私には……私の良い所なんて見つかりません。悪い所はたくさんあります」

 と、顔を下に向けてそう話す。

 これだからつぐみさんは謙遜大王なんだ。

 つぐみさんの良い所なんてありすぎるっていうくらいあるのに、何をほざいているのかよく分からない。


「はっはっは! つぐみさん、自分の言ってること忘れたのか? 『人間は良い所も悪い所もたくさんある』んだろ?」

「……それは絶対揺らぎない事実だと思います。でも、人によって見え方が違うのかもしれません。私には私の良い所が分かりません。同じように、恭介さんからすれば私の悪いところが見当たらないのかもしれません」

 まぁ、それならなんとか納得できるが、つぐみさんの自己謙遜が強すぎるのはどうしたものか。

 つぐみさんを全肯定する訳じゃないけど、これほど人間として素晴らしい人をあまり見たことがない。

 単に好きだからという訳でもなく、例えつぐみさんが同性であったとしても同じことを思っていると思う。


 きっと俺がクラスで一人ぼっちをしていても、つぐみさんなら優しく声を掛けてくれるんだろうなと思う。

 つぐみさんの考えでは自分以外皆良い所がある人間なんだから、相手の悪いところが目立ったとしても良い所は必ずあると思って普通に接してくれるのであろう。

 幸か不幸か、つぐみさんは今まであまり多くの人に関わっていないからそうなったことはないと思うが、もしつぐみさんがクラスにいたらクラス中、いや、学校中のアイドルになっているのは間違いないだろう。

 だってこんなにも綺麗な上に誰にだって優しいんだから。

 そう考えると、本当に俺なんかが一緒にいていいのかと思ってしまう程だった。



「つぐみさーん、見ていい?」

「……だめです」

 断られた。

 アパートに戻り、今つぐみさんは脱衣所で水着に着替えている。

 つぐみさんはガードが固いというか……極度の恥ずかしがりやさんだ。

 そのくせよく自分から抱きついてくるからよく分からない。

 つぐみさんが言うには、抱きついて俺の肌に触れると凄く安心するそうな。

 俺も同感だし、そう言ってもらえて死ぬほど嬉しいがお陰でキス以上は何も進んでいない。

 それでも俺は全然構わないけど。

 つぐみさんと体を重ねることを想像するともう心臓がぶっ飛んでしまいそうだし、そこまであまり望んでいない。

 とにかく今つぐみさんと一緒に生活できて幸せなのだから、それ以上の欲求は今の所感じていない。


 ドタン!


 すると脱衣所の方から何かが倒れたような、何か大きな物音が聞こえてくる。

 何事かと思ってとっさにつぐみさんに声を掛けた。

「つぐみさん? 平気?」

 返事が返ってこない。

 何だ? 確かに今つぐみさんの居る所から物音が聞こえたんだが。


「つぐみさん? おーい、つぐみさーん!」

「あ……大丈夫です」

 良かった。何度か呼んだらちゃんと声が返ってきた。

 それにしても何があったんだろうか?


「どうしたの? 何か凄い音したけど……」

「いえ……大丈夫……です」

 あれ? 何かつぐみさん疲れてないか?

 息が上がっているようなつぐみさんの声だったんだけれども。


「つぐみさん、ホント大丈夫? 何か疲れてない?」

「いえ、大丈夫です。少し……足を滑らせてしまったので……」

 らしい。


「気をつけなよ。そこ、濡れてると滑るからさ」

 一応足拭きマットもあるし大丈夫だとは思っていたのだが、どうやらつぐみさんは足を滑らせてしまったようだ。

 こうたまにドジなのもつぐみさんの可愛いポイントの一つ。

 もうダメだ。

 つぐみさん以外の人は愛せない。

 他にどんなにつぐみさんと似たような人がいたとしても、絶対につぐみさんには敵わないだろう。

 どっかの歌の歌詞じゃないが、つぐみさんを構成する一つ一つの要素全てが好きだ。


「大丈夫でした。明日はバッチリです」

「あ~あ。もう着替え終わっちゃったよ畜生」

 しばらくするとつぐみさんは脱衣所から私服姿で出てきた。

 残念。

 つぐみさんの水着姿が見たかった。


「……水着、見たいですか?」

「見たい見たい!」

「…………」

 俺が目をギンギンにしてつぐみさんを見ると、つぐみさんは頬を赤く染めて顔をうつむける。


「恥ずかしいからダメです!」

「何だ……」

 くそぉーーーー!!!!

 だったら今の間は何だったんだよ!!

 期待させやがってぇーーーー!!!!


「でも、何か倒れたみたいだけど、大丈夫? 頭とか打ったりしてないかな?」

「いえ、平気です。すみません、心配をかけさせてしまったようで……」

 つぐみさんはそう笑顔で返してくれた。

 少し心配したが、全然平気なようだ。良かった。

 つぐみさんの顔には絶対に傷を付けられないからな。



 つぐみさんの試着も終えると、俺とつぐみさんは隣の家に向かった。

 明日は一緒に遊びに行くことになってるのだが、今日も夜は一緒に騒ごうってことになっている。


「よっす」

「こんばんわ」

「おう! 恭介につぐみちゃん、いらっしゃい」

「待ってましたぁー!! つぐみちゃーん!!」

 隣の家のドアを開けると早速彰二と朋恵さんが迎えてくれる。

 既に朋恵さんの方は出来上がっているようで、顔が真っ赤だ。


 この人、彰二の家に来て酒飲んでは俺に酒を勧めてくるんだ。

 普段から本当に楽しい人なのだが、酒が入ると暴走しだすから困る。

 今日はつぐみさんもいることだし、おとなしくしてくれると良いんだが、そんなことは期待するだけ無駄だ。


「さ、恭介君もつぐみちゃんも飲みなさい」

「だから俺まだ未成年なんですって」

「あの、私も結構です。すみません」

 と、つぐみさんも苦笑いしながら朋恵さんの酒を拒否。

 お。

 もしかしたらつぐみさん、未成年なのかもしれない。

 酒が飲めるのは成年してから。

 つぐみさんが単に酒が飲めないだけだから断っているのかもしれないが、そのルールを忠実に守っているから今の誘いを断ったと考えることも十分できる。


「じゃじゃーん! ここでカルトクイズです!」

 そう考えた俺は、朋恵さんのテンションに釣られて盛り上がった雰囲気の中一つ試してみることにする。


「つぐみさんは未成年である! ○かバツか!?」

「まる!」

「まる!!」

 彰二と朋恵さんの威勢の良い解答は聞こえてくるが、肝心のつぐみさんからの答えはない。


「よし! じゃあ正解をつぐみさんから聞いてみようと思います! はいっ! つぐみさん、正解はぁ!?」

 マイクをつぐみさんに向けるような仕草をしてつぐみさんの答えを待つ。


「内緒です!」

 すると、つぐみさんは少し間を置いてから右手の人差し指を口元に持ってきてそう言った。


可愛いぃーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

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