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君はあの朝日を見たか?  作者: 若雛 ケイ
二章 この世で一番美しい花壇に花は咲くか
21/37

二十幕 涙は人が何かを感じ、心が動いたことの証

 7月21日木曜日。

 学校は夏休みだし、バイトは休みの日なのでない。

 今日は朝9時につぐみさんと駅前で約束をしていた。


 俺はつぐみさんと会う前、タクシーの準備をした。

 ポン太を一緒に連れて行かなくてはならないので、電車となると少し難しい。

 そこでタクシーなのだが、ペットOKでなければどうしよもないので、ペットOKのタクシーを探した。

 すると一発目でペットOKのタクシーが見つかったのでそれに乗って行くことにする。


「ポン太……寝てるのかな?」

「……凄く弱っています」

 タクシーの中、つぐみさんの膝の上に乗るポン太を見るが目も開けずにグッタリとしている。

 呼吸はしているようだが、その鼓動が物凄く重々しい。

 本当にもうじきに命を引き取ってしまうんじゃないかという感じだった。


「どうにか早くご主人様の所に連れて行ってあげたいね」

「はい……。ポン太さん、もうすぐです、もう少し頑張って下さい」


 俺の憶測でしかないのだが、このポン太は強くご主人様のことを思っている。

 引っ越した跡だというのに、毎日その場所にいたのだからその思いは本物だ。

 その様子からなんとかご主人様に会いに行きたかったんだなという強い思いが伺えた。

 まぁ、あのポン太の見ていた家が前のご主人様じゃなかったら俺の推測も見当違いはなはだしいが。


 今にもポン太はな亡くなりそうだ。

 動物の寿命は短い。

 その分幸せになって欲しいとつぐみさんは言っていたが、今になってその思いに物凄い同感できるようになってきた。

 最後にご主人様に会えるというのは、俺にしてみれば幸せになる要素なのかも疑わしいことなのだが、ポン太にしてみたらどうなのだろうか。

 ずっとご主人様を待ち続けたポン太。

 そのポン太の思いが届いて、ご主人に会うことができたらポン太は幸せになれるだろうか。

 少なくともあのままでいるよりは、絶対に幸せを感じることが出来るはずだ。

 ほんの小さな幸せかもしれないが、今のグッタリしたポン太を見るとなんとかその幸せをかなえてあげたいという気持ちになってきた。


「すみません運転手さん、できるだけ急いでください」

「分かりました」

 そう言ってタクシーに乗り続けること2時間。

 ようやく目的地であろう所にたどり着いた。

 お金は全額つぐみさんが払うと言ってきかなかったが、つぐみさんの残りの所持金を見た瞬間俺は全額自腹で払うことにした。

 つまり、つぐみさんの全財産が少なかった……というか、つぐみさんの全財産でもタクシー代は足りないところだった。

 勝手にタクシー頼んだのは俺なんだし、はじめから全額払う気だったので全然構わない。

 毎日のようにバイトしてる身としては別に痛くもかゆくもない……と思う。


「さて、この辺りに新井さんの家がある訳なのだが……」

 タクシーを降り、つぐみさんと一緒にポン太のご主人様である新井さんの家を探す。

 つぐみさんも一緒になって探してくれてはいるが、俺もつぐみさんもポン太の様子が気になってなかなか新井さん家探しに集中できない。

 今ではかろうじて目を開いているという感じのポン太の姿も痛々しい。

 一度目をつぶったら二度と目を開きそうにない勢いだ。


「待ってろ! 今必ず探してやるから!」

 さっきタクシーの中で考えていたポン太の幸せのことを思い返せばやる気がでてくる。

 なんとかこの小さな動物にも最後に幸せを与えてあげたい。

 そう思って必死に新井さん家を探し回る。

 すると、意外な形で新井さんは見つかった。


「ポン太!? ポン太!!?」

 ある家を通ろうとした時、丁度その家からスーツを着たおばさんが出てくる。

 そのおばさんはつぐみさんが抱えているポン太を見るなり、物凄い勢いでつぐみさんの所へ駆け寄ってきた。


「すみません! この犬、どこで見つけましたか?」

「あの、須磨駅の近くにある住宅街の中でグッタリしている所を……」

 俺がそう答えると、おばさんはポン太に抱きつく。

 どうやらこの人が新井さんらしい。


「ポン太! ポン太! 今までどこへ行ってたの!?」

 すると、ポン太はおばさんの抱擁を無視するかのようにするりとつぐみさんの腕を抜けて地面に着地し、くわえていたボールを地面に置くなり急に吠え始める。


「ワン! ワン!」

 ポン太にそんなに威勢良くほえる元気が残っているのに驚いたくらい、そのポン太の吠え方は威勢が良い。

 せっかく飼い主に会えたというのに、これは一体どういうことなのだろうか。


「悠太、悠太ね。あの、わざわざ遠い所から本当にありがとうございました! 色々とお礼をしたいんですが、私今から用事があるんです。どうか、お名前と連絡先を教えていただけますでしょうか? お礼は後日必ず致しますが、今は少し急いでいる身なので……」

「あの、お礼とかは全然いりませんので」

「悠太さんは……いらっしゃらないのでしょうか?」

 すると、突然つぐみさんがそんなことを言い出す。


「悠太は今日学校でマラソン大会に出場しています。今から私もポン太を連れて見に行く所なのですが……」

「あの、もしご迷惑じゃなければ、私も連れて行って頂けますでしょうか?」

 つぐみさん、さらにはそんなことを言い出した。

 つぐみさんにしては珍しい自分からの欲求だが、いやいや、それはちょっと非常識なんじゃないか。

 そう思って言葉を挟もうとしたが、つぐみさんの顔は真剣そのものだったので、そんなこと言える空気ではなかった。


「もちろんです。でも、あまり面白い物ではないと思いますけれども……」

「構いません」

「すみません。僕もよろしいですか?」

「はい。もちろんです」

 どうしてつぐみさんはそんな申し出をしたのかよく分からなかったが、つぐみさんが行くなら俺も行かないわけにはいかない。

 なので、新井さんの息子さんである悠太君の晴れ姿を、何故か俺も一緒に見に行くことになってしまった。

 俺とつぐみさんとポン太は新井さんの車に乗り込んで、悠太君のマラソン会場へと向かった。


「うっ……す、すみません」

 車で向かっている途中、俺は新井さんにポン太がどういう状況にあったか説明した。

 俺が話をしている途中、新井さんの鼻をすする音が聞こえてきたかと思うと、ついに涙を流してしまっていた。

 バックミラー越しに映るおばさんの頬に一筋の涙が見える。


「ポン太は、本当に悠太のことが好きなんだね……。そのボール、きっと悠太が失くしたって言ってたボールだと思うんです」

 そう言われてポン太を見ると、ポン太は相変わらず例の緑色のボールをくわえていた。


「あの場所の近くに川沿いの公園があるんですけれども、そこで悠太がポン太とボール遊びをしていた時、ボールが誤って茂みに入ってしまって失くなってしまったようなんです。悠太はボールが見つからないのをポン太のせいにして、ボールを取ってくるまで帰ってくるなと言ったそうです。きっとポン太は真に受けてしまったんだと思います。それからポン太はいなくなってしまいました。なかなかポン太が帰ってこなくて、悠太はついに泣き出しました。来る日も来る日も悠太は泣き止みませんでした。悠太とポン太は、生まれた時からずっと一緒に遊んでいた仲だったので、それ程思いが強かったんだと思います。ポン太を一生懸命捜索していましたが、ウチの事情もあってなかなか捜索もできず、ついにポン太を見つけることができないまま私達は引越しをすることになってしまいました」

 『ウチの事情』というのはきっと離婚の話なんだろう。

 そんな中運の悪い出来事だなと思いながら、引き続き新井さんの話を聞く。

「引越しの時も、悠太はずっとポン太が見つかるまで行かないとごねていました。悠太は本当にポン太のことを毎日思っています。動物とか関係なく、ポン太は悠太の大切な友達なんです。今でも絶対にポン太のことを忘れてはないと思います。ポン太は私を含めて他の人にも懐かないし、他の犬とも仲良くしないような犬なんですが、悠太にだけは本当によく懐いて年がら年中ずっと悠太と一緒にいました。ポン太もずっと寂しかったんだと思います。あれから3年。ずっとポン太は悠太を待ち続け、ようやく悠太に会える日が来たと思ったらつい涙がこぼれてしまいました」

 そう話す新井さんは完全に涙声だ。

 ポン太があの場所をずっと見ていた訳、このカラーボールを大切にしている訳がようやく分かった。

 それだけポン太にとって大切な場所であり、それだけ大切な物なんだろう。

 その話を聞いて俺も実家で飼っている自分の家の犬のことを少し思い出した。


 実家で飼っている犬は俺が小学校5~6年の時に家に来た犬で、当時は本当によく遊んでいた。

 ポン太とは違って誰にでもよく懐くような犬で、俺にも本当によく懐いてくれていた。

 俺が学校から帰ってきた時は抱きついて迎えてくれたし、俺が実家を出るときは本当に寂しそうな顔をしていた。

 一番印象に残っているのは、俺が両親と大喧嘩した時に俺の傍にずっといてくれて、俺を慰めるように寄り添ってくれていた時のことだ。

 やっぱり動物にも感情とか、人を思う気持ちはあるのだろう。

 それを考えると、このポン太の健気な気持ちが痛いほど伝わってきた。


 ポン太は悠太君のことをずっと待っていたんだ。

 辛かっただろう。

 寂しかっただろう。

 俺がこうしてポン太の力になれたことは、ポン太にとって凄く大きな意味をなしているんだと思う。

 ポン太を最初発見した時はそんなに深く考えなかったけれども、今ならそれが分かる。

 そう考えると、この『ポン太の幸せ』に一番早く気付いていたつぐみさんは素晴らしいことをしているんだなと改めて思った。


「よかったな。ポン太」

 つぐみさんの膝の上でグッタリしているポン太を軽くなでてやる。

 不覚にも、俺も少し涙が出そうになってきてしまった。


「悠太は……体の弱い子です。それでもポン太と一緒に走り回るのは大好きでした。クラブも陸上部に入って、将来オリンピックの選手になると言っています。でも最近少しぜんそくがひどく、成績が思うように伸びずで凄く弱気になっていました。なんだか足の速い子に馬鹿にされているようで、陸上部もやめたいと言っていました。でも、きっと悠太もポン太を見たらまた頑張れるんじゃないかって思います。ポン太、悠太を応援してあげてね」

 ポン太はグッタリしているものの、時折車の中で吠えたりもしていた。

 もう少し、もう少し頑張ればお前の大好きな悠太君に会えるぞ。

 それまで頑張れ、頑張れよポン太。




 学校に着き、3人と一匹、俺たちはマラソンのコース場の端に立って選手が駆けて来るのを待った。

 予想以上にギャラリーの数が多く、その誰もが新井さんのようなおばさん方だ。

 話によるとマラソンは全部で2キロ。

 コースは学校にある校庭から始まって、学校の外に出て外周を回り、再び学校に戻るといった感じのコースのようだ。


 今俺たちは学校の門の辺りで悠太君の走りを待っている。

 ここならば行きと帰りの二回見ることが出来るという具合だ。


「結構人がいますね……」

「校内予選と言えど生徒は100人以上出場しているみたいですから、生徒全員の親が来ないにしろ、相当な数はいると思います」

 学校の校庭を覗くと、既に大勢の生徒がスタンバイしている。

 新井さんの言うとおりかなりの人数がおり、これから一斉にあの数が走り出すようだ。


 このマラソン大会、普通の大会という訳ではなく何かの大きな大会の予選だとか。

 大きな大会に出る為の学内予選で、出場生徒の中から10位以内に入らないと予選は通過できないらしい。

 悠太君は小学六年生で、走るのは得意らしく、10位以内もいけるかもしれないとおばさんは言っていた。

 同時にぜんそくが気になって、まずいと判断したらすぐに飛び出すとも言っていたが。


「ワン! ワン!」

 ポン太が急にそわそわしだし、吠え始める。

 きっと悠太君の匂いがするのであろう。

 今にも飛び出していかんばかりの勢いだったので、必死につぐみさんとおばさんはポン太を制する。

 それでもポン太の落ち着きはおさまらなかった。


 パァン!!


 そうしているうちに、物凄いスタート音が校庭の方から聞こえてくる。

 ここで見ている人全員の視線が校庭に集まっている。

 選手達は揃ってぞろぞろぞろぞろ校庭の周りを走り出していた。


「これ、スタートの位置が後ろの方だとかなり不利なんじゃないですか……?」

「そうですね……」


 スタートの段階で先頭と最後尾には数メールも差があるような気がする。


「頑張れ!! 頑張れーー!!!」

「悠太! 頑張れ!!」

「ワン!! ワン!!」

 そうこうしているうちに物凄い集団が俺たちの前を駆け抜けて行った。

 周りからの歓声が物凄い。

 その中に混じっておばさんもポン太も必死で悠太君を応援しているようだったが、しっかり悠太君の姿は確認できたのだろうか?

 数が多すぎて無茶苦茶だったので、俺にはどの子が悠太君だかサッパリ分からなかった。


「ワン! ワン!!」

 それでもポン太には分かるようで、集団を目で追うような感じでポン太は吠えている。

 つぐみさんはそんなポン太を必死で抑えているが、今にも飛び出しそうなポン太の勢いだ。

 本当にさっきまで元気のなかったポン太が嘘のようである。

 やはり悠太君との仲は相当深いみたいで、悠太君を前にしたポン太はすっかり復活している。


「すみません。数が多くてどれが悠太君だか分かりませんでした」

「無理もないですよね。一応先頭集団の中に混じっていました。白の帽子をかぶっている子が悠太なのですが、分からないですよね」

 と、おばさんは笑って話す。

 まぁ、帰りは先頭集団の数も減ってきているだろうし、帰りこそは判別できるかもしれない。

 そう思いながらランナーの帰りを待った。



 色々おばさんと話しているうちに、ついに最初のランナーが一人独走といった感じで帰ってきた。

 おばさんが言うには、残念ながら悠太君ではないようだ。


「ワン! ワン!!」

 ランナーがじょじょに戻りだすと、再びポン太が騒がしくなってくる。

 さらに遠方から二人目、三人目とランナーが帰ってきた。

 まだ悠太君の姿は見えないようだ。


「悠太! 悠太が! すみません、ちょっと良いですか?」

 ついに悠太君が見えたようだ。俺も今度こそは悠太君の姿を確認しようと、必死になって悠太君を探すが、白い帽子が3~4人もいて誰が悠太君だか分からない。

 そうしているとおばさんは急に慌しくなり、その場を動き始める。

 聞くところによると、悠太君は辛そうにわき腹を抑えて走っているとか。

 そう言われてみると、確かに遠くには白い帽子でわき腹を抑えながら走っている子が確認できた。

 おばさんはその悠太君の方に人ごみを分けて向かっていこうとしている。


「お、おい。今にも止まりそうじゃないのか……?」

 そのわき腹を抑えているランナーの走りが明らかにおかしい。

 真っ直ぐ走っていない。

 まるで酔っ払っているかのように、よろよろと蛇行しながらそのランナーは走ってる。

 これはマズイと思い、俺もおばさんの後について悠太君の方に向かおうとした。

 その時。


「ワンワン!!」

 ポン太がマラソンのコース上に勢い良く飛び出して行ってしまった。

 幸いコース上を走っているランナーは少なかったし、ランナーもなんとかポン太をよけて走っているようだったが、ポン太がコース上に現れることによって場が騒然としだす。

 ポン太はコースを逆走しながら、懸命に悠太君の所に走っているようだった。


「まずい! ポン太を止めなきゃ!!」

「はい!」

 どうやらつぐみさんでも食い止め切れなかったらしい。

 俺とつぐみさんは走ってポン太を制しようと、悠太君の方へと向かうポン太の後をなんとか追う。


「ワンワン!! ワンワン!!」

 駆け出していったポン太はわき腹を抑えてもなお懸命に走るランナーの所で止まり、さらにそのランナーを励ますようにランナーの周りをぐるぐる回りだした。


「ポン太さん……」

 悠太君の方は、ついに走りが止まってしまったかのような感じだ。

 そんな悠太君を励ますようにポン太は悠太君の靴下をくわえて引っ張り、無理矢理走らせようとする。

 ようやく悠太君もその犬がポン太であるということに気付き、励まされたのか、懸命に前に向かって走り出した。


「ワンワン!! ワンワン!!」

 ポン太は悠太君を先導するように悠太君の前を走り出す。

 今思い出したのだが、ポン太は足に怪我を負っていたはずだ。

 それなのに、懸命に悠太君を前に導こうと頑張って走っている。

 尻尾を振りながら、とても楽しそうに悠太君とポン並びながら走っている。

 その健気な姿に俺は心を打たれた。


「ワンワン!! ワンワン!!」

 係りの人に取り押さえられそうになるポン太だが、必死にかいくぐって悠太君を励ましている。

 俺はポン太を捕まえなくてはならないと思いつつも、なかなかそれが出来ないでいた。

 だって、あんなに幸せそうなんだぞ。

 あんなに活き活きとしているポン太、初めて見た。

 これでもかってくらいに尻尾を振って、あんなにぐったりしていたのにピンピン跳ねているんだぞ。

 そんなポン太の幸せのひと時を邪魔するのはなんだか気が引けてしまった。

 そのポン太の励ましもあってか、悠太君は少しずつスピードを上げて真っ直ぐ走り始める。


「頑張れ!! 頑張れ悠太君!! 頑張れポン太!!」

 これにはもう応援せずにはいられない。

 全くの赤の他人の俺だが、声を張り上げてポン太まで応援してしまった。

 悠太君は2人、3人と追い越されていく。

 それでも負けまいと、悠太君はポン太と一緒に懸命に真っ直ぐ走っている。


「ワンワン!! ワンワン!!」

 ポン太の方はついに係りの人に取り押さえられてしまった。

 それでもなお悠太君に向かって何度も何度も吠え続ける。


「すいません! それの犬、うちの犬です。本当にすみません」

 気が着くとおばさんがポン太を引き取りに行っていた。

 戻ってきたおばさんは泣きながらもポン太をなでていた。


「ポン太の声は悠太に届いたよ。悠太は頑張れていたよ。ポン太は偉い、ポン太は偉いね」

 そしてついにポン太は何かの線がプッツリ切れたかのようにおとなしくなってしまった。

 慌てて俺もつぐみさんもポン太の傍に寄る。

 目の前のポン太は全ての力を満足に使い果たしたかのように、静かにグッタリしていた。


 悠太君がゴールしたであろう時、校庭の方から「ポン太!」という叫び声が聞こえてきたので、俺たちはすかさず校庭の方に向かった。

 すると、校庭の中から独りの白い帽子をかぶった生徒がよろよろと走ってくるではないか。

 その時おばさんに抱かれていたポン太はおばさんの腕からするりと抜け出したが、うまく着地出来ずに床でぐったりとしてしまった。

 それでもポン太は懸命に悠太君の声のする方向に足を一歩一歩、ゆっくり近づけて行く。


「ポン太ぁーーー!!」

 その少年は来るなり、地面を這っているポン太を俺たちよりも先に抱き上げる。

 そしてポン太に顔をうずめるように、ポン太と肌をこすり合わせていた。


「ポン太! 俺、やったぞ! 10位以内に入ったぞ! ポン太!! ポン太ぁ!!」

 その二人の姿が本当に幸せそうだ。悠太君も本当に嬉しそうにポン太を抱えている。


「ポン太、ポン太ぁ!!! お前のお陰だよ! お前がまた一緒に走ろうって言ってくれたお陰だよ! また走ろう!また一緒に走ろうぜポン太!!」

 そう悠太君が言うと、ポン太は一度だけ力なく『ワン』と小さな返事を返す。

 しかし、そのポン太の返事を最後にポン太は帰らぬ者となってしまった。

 それに悠太君も気が付いたのか、悠太君はその場で子供のようにわんわんわめきだした。


 つぐみさんの方を見ると、つぐみさんは後ろの方で独り涙を流していた。

 あのつぐみさんが、だ。

「……どうしてでしょう……」

「……つぐみさん」

「涙が……涙がとまらないです……」

 あのつぐみさんが顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

 つぐみさんの表情が変わると敏感に反応する俺だったが、何故かこの時は不思議と今くしゃくしゃになっているつぐみさんを自然な形で受け取れた。

 それを見て不覚にも俺も涙が出てきそうになってしまった。

 ポン太の死が悲しいからだけではない。

 ポン太の健気な思いが少しでも報われたという幸せの涙もあるんだと思う。


 本当に良かった。

 どれもこれも全てがつぐみさんのお陰だ。

 つぐみさんの思いが、悠太君にもポン太にも本来なかったはずの幸せを運び込んだんだ。


「最後に、悠太君に会えて本当に良かったよな」

「……恭介さん……私、私……」

 すると、つぐみさんは急に俺に倒れこむような感じになって俺の顔に顔をうずめ、声を張り上げて泣き出した。

 何かがはじけたと思えるくらいのつぐみさんの泣きっぷりだ。

 もう感情がないなんて言えない。

 今のつぐみさんは悠太君のように、赤子のように、わんわんと声を上げて泣いている。

 当然感情がないとこんなことできるはずがない。

 つぐみさんはこの情景を俺と同じように見て、俺と同じように心を揺さぶられたんだ。


 俺は抱きついてきたつぐみさんをなだめる様に力を入れて抱き返してやる。

 本当につぐみさんは温かく、本当に優しい人なんだというのがよく伝わってきた。

 もちろんこの時、次の日につぐみさんが突然消えてしまうなんてことは知る由もなかった。

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