十二幕 任せた運命は光か、闇か
つぐみさんが「俺の合格を喜ぶことができない」と言った時は耳を疑った。
そんなことあるはずがないと思った俺は、その言葉を聞いて絶句してしまう。
今まで、少なからずつぐみさんの感情が動いたと感じたことがあったからだ。
そこで俺はハッとなる。
このままつぐみさんに悪い気持ちにさせてはならないと考えた。
つぐみさんは感情がないと自分で言った。
自分で色々な気持ちを感じられるようになりたいとも言った。
だったら俺がやらなければならないことはただ一つ。
「よし! じゃ、たくさん感じようよ! 楽しいことも悲しいことも、恥ずかしいことも辛いこともこれからどんどん感じていこうよ!」
「あ……」
この重苦しい雰囲気を取り払うよう、できるだけ明るく言った。
俺のその明るい言葉の調子を感じてか、つぐみさんはようやく顔を上げてくれる。
つぐみさんは感情がないと言う。
それは生まれつきなのか、何かのトラブルやトラウマでそうなってしまったのかは分からない。
そんなことを問いただすようなこともあまりしたくない。
俺に出来ることはつぐみさんの感情を豊かにさせることだ。
つぐみさんだって人間である以上、感情が全くないなんてことはないはずなんだ。
今までもかすかにつぐみさんの感情は動いていた。
あれを俺の思い違いとは思いたくない。
これからもっともっと色々なことを感じさせてあげれば、つぐみさんの感情も表に出てくるんじゃないかなと思った。
「何がいいかな? そうだ! 映画に行こう! 今さ、丁度すっげー感動できるって評判の映画がやってるのよ! ブレイブハートっつーんだけど、それを見に行こう! きっとつぐみさんも感動できるんじゃないかなって思うよ!」
「映画……」
今世の中で大ヒットしている映画、ブレイブハート。
俺は映画にあまり関心がなく、見たことはないのだが町での評判も凄いし、実際見に行った彰二カップルが大絶賛していた。
彰二の彼女の朋恵さんがいうには、あの彰二が号泣したとのことである。
それだけの映画ならばつぐみさんの心も見事にクリーンヒットしてくれる可能性はある。
「そう映画! つぐみさん、明日は空いてるかな? 俺丁度明日ならバイト休みだし、全然OKだよ!」
「…………」
テンションの上がった俺とは裏腹に、つぐみさんは俺が『明日』と言うと視線を下に下げてしまった。
そして再び黙りこくってしまう。
「…………私は、私の使命があります……」
「つぐみさん……」
いつもこうだ。
俺が何かを誘おうとするとつぐみさんはそう言ってさよならしようとする。
なんか俺、自分が嫌われてて遠まわしに拒絶されてるんじゃないかと思えてきた。
「つぐみさん……俺のこと、嫌い……?」
「いえ……」
つぐみさんは首を横にスッと一回振る。
確かにかなりしつこくつぐみさんに話しかけてはいるが、嫌われたという印象は全く受けていないので、ここはポジティブにつぐみさんが言った言葉を信用することにする。
「……俺、つぐみさんのこと、好きだよ」
「…………」
告白……かもしれない。
いや、告白と受け取ってもらって全然構わない。
でも俺は好きか嫌いか、二者選択のうちの一つの選択という意味の言葉にしたつもりだ。
当然俺はつぐみさんのこと女性として凄く好きだけれども、その言葉は今の場には少し重いような気がする。
だからそういうつもりで言ったということにしておく。
「もっとつぐみさんのこと知りたいし、つぐみさんと一緒に笑いたいし、感動したいよ。もっともっとつぐみさんと一緒に時間を共有したい」
「…………」
「ダメ……かな……?」
「…………」
俺の問いにつぐみさんは頷かなかった。
ただただ、下を向いて何かを考えているようだった。
しばらくの間があった後、つぐみさんはようやく口を開く。
「私にはやらなけらばならないことがあります」
いつものつぐみさんの台詞だ。
もうこの台詞が何度目だか分からない。
今までそう言ってつぐみさんは俺の元を離れようとしていた。
つぐみさんのやらなければならないことって一体何なのだろうか?
まるで想像がつかない。
「つぐみさんは、俺とここで約束をしないで別れたらどうするの……?」
「……次の場所へと移動します」
「次の場所……? そこは一体どこ? そこに行って何をするの? いつここに戻ってくるの?」
「…………。すみません」
それは口に出来ないことへの『すいません』なのであろう。
俺だってその理由を聞きたいが、何度聞いてもしゃべれないものはしゃべれないのだろう。
俺はそれ以上しつこく同じ問いをしないことにする。
「一つだけ答えて欲しい。つぐみさん、次の場所へ行ったら俺とは二度と会えなくなっちゃうのかな……? それだけ……それだけ答えて欲しい」
「…………。再び会うことはないと思います」
その言葉を聞いてやっぱりどうしても引き止めなくてなならないと思った。
でも、果たしてそれでいいのだろうか?
俺は毎回のようにしつこく去り行くつぐみさんを引き止めている。
結果的に毎回つぐみさんは帰って来てくれることにはなっているのだが、つぐみさんだって自分で言っているように、本来こうしててはいけないんだ。
それが俺の勝手で、つぐみさんの優しさにつけこんで、引き止めていいのだろうか?
どうしても引き止めなくてはならないといった俺の願望と、つぐみさんの自由を優しさにつけこんで半分脅迫的に束縛している罪への葛藤が俺の中で広がる。
「…………」
「…………」
「どうしても、次の場所へ行かなくちゃいけないの……?」
「……はい」
かなり間を置いての返答。
「それは今すぐじゃないとダメなのかな……?」
「…………。分かりません。でも、私はここに居すぎました。もう、次の場所へ向かわななければならないと思ってます」
つぐみさんの言ってることが抽象的過ぎてサッパリ分からない。
でも、それは時間的制約をあまり受けていないという風に俺には取れた。
何か重要なことがあって、一早く『次の場所』にしなければならないといった風には取れなかった。
「だったら、もう一週か……」
そこまで言いかけてやめた。
それを今までずっと言ってきてつぐみさんを引き止めてしまったんだ。
きっとまた一週間たったら俺は「また一週間」と言うに違いないと思う。
そこで俺は考えた。
俺が考えている間、俺もつぐみさんもずっと無言だ。
つぐみさんも自分のことを考えていたのだろうと思う。
その無言をやぶったのは俺の方だった。
「つぐみさん、色々な気持ちを味わってみたいって言ったよね?」
「……はい」
「今から勝負をしよう」
「勝負……?」
「そう、勝負。それにつぐみさんが勝ったら、つぐみさんは見事自由を勝ち取ります。次の場所でも何でも今からでも行って下さい」
まるで俺がつぐみさんの全権を握っているような偉そうな言い方。
当然俺はジョークっぽく言っているのだが、そんな言い方にも嫌な顔一つしないつぐみさん。
それは怒りという感情がないからなのか、ジョークが伝わっているのか、つぐみさんがその優しさで許容してくれていることなのか分からない。
「そして、俺が勝ったらつぐみさんは一週間俺と付き合っていただきます。あ、付き合うって恋人とかじゃないから安心してください。毎日会って、俺と時間を共有してくれるだけで結構です。その間、俺はつぐみさんが色んな気持ちを味わえるように努力してみたいと思います。一週間経ったらその制約はなくなります。俺ももうしつこくつぐみさんを引き止めたりはしません。……多分」
「…………」
「勝負の方法は簡単です。例のトランプゲームです。ハート、スペード、ダイヤ、クローバーそれぞれ4枚のカードのうち、ハートのカードを当てることが出来たらつぐみさんの勝ち。それ以外のカードだったら俺の勝ち。分かりました?」
「…………」
「あ、そうそう、つぐみさん、超能力使っちゃダメっすよ?」
「…………」
俺がそう軽々しいノリで説明するも、つぐみさんは頷かない。
俺自身、自分で言ってておかしなことを提案したなと思っている。
この勝負の内容だが、つぐみさんは不思議な超能力でカードを当てられることはもう実証済みなんだ。
つぐみさんは勝とうと思えば絶対に勝てる。
そのことは俺も分かっていた。
だから実質これは勝負にはなっていない。
そもそも、俺がつぐみさんを拘束したいという願望が間違いなんだ。
日本に遊びに来た外国人に、赤の他人が国に帰るなと言ってるのと同じだ。
俺につぐみさんを束縛する権利なんかない。
じゃあこのまま永遠につぐみさんと別れてしまうのか?
それは俺が決めることじゃない。
つぐみさんが決めることなんだと思った。
幸い、つぐみさんは俺のことが嫌いではないと言ってくれた。
それはまだ俺と一緒に時間を共有してもいいものだと勝手に解釈しておく。
俺とまだ時間を共有したいか、それとも今すぐ次の場所へ行かなくてはならないのか、つぐみさんに決めてもらおうと思ってこの勝負ではない勝負を提案した。
つぐみさんが『次の場所』へ行くのはつぐみさんの意思ではなく、何か義務であるかのような印象を受けた。
だからつぐみさんの意思としてはどうなのか、こういう勝負という形を取って確かめようと思ったんだ。
勝負はつぐみさんの意思次第でどっちにも簡単に動く。
全てはつぐみさんの意思で決定する。
俺はそれに逆らわない。
「勝負、受けてくれる?」
「…………」
俺は自分の学校のカバンからトランプカードを取り出しながらそう聞く。
つぐみさんはやはり黙ったまま何も動かなかった。
「軽い気持ちで行こうよ。つぐみさん、今『次の場所』へ行かないと誰かが死んじゃうって訳でもないんでしょ? つぐみさんが次の場所に行かないと世界が終わるって訳でもないんだよね? だったらパパ~ッと勝負して、そうなる運命でしたってことにしようよ」
「運命……」
「そ。俺が勝ったらはじめからそうなる運命だったんだって思おう。つぐみさんが勝っても、はじめからそうなる運命だったんだって思おう」
「…………」
俺はつぐみさんの返答を待たずにトランプの束の中から4枚のキングのカードを取り出した。
「超能力、使っちゃダメっすからね?」
「…………」
一度ハートのキングのカードを見せ、つぐみさんには分からないように4枚のカードをシャッフルする。
勝負の行方は……きっと普通につぐみさんがあっさり勝ってしまうんだと思う。
いや、つぐみさんは気を使ってくれて散々迷ったように見せるかもしれない。
でも、結局つぐみさんはこの勝負に勝つと思う。
今までの経過を思えば明らかだ。
今までは、俺の前から去ろうとしていたつぐみさんを散々無理矢理引きとめている。
つぐみさんからすれば、しつこい俺からおさらばできるいいチャンスなんだ。
つぐみさんがの『色んな気持ちを味わいたい』という願望をエサに、俺が勝てば色んな気持ちを味あわせてあげると言ったが、そんなちゃっちいエサに釣られるとは到底思えない。
「俺が勝ったらどうしようかな……。とりあえず、明日は一緒にブレイブハートを見に行こうかな……」
「…………」
カードをシャッフルしながらワザとらしくそんなことを言う。
きっとつぐみさんはどうやって俺の気持ちにダメージを与えずに勝負に勝つか考えているのだろう。
結果の見えている勝負程つまらないものはない。
これでお別れかと思うと涙が出てきそうになってきた。
こんな勝負の方法とらなければよかったと今更ながら思いだす。
「さ、つぐみさん、どれを選びますか?」
「…………」
裏返った4枚のカードが机の上に並ぶ。
つぐみさんは勝負を受け入れていないのか、それともカードを選んでいるのか、固まったまま全然動かない。
「…………」
「…………」
時折俺の顔をチラッと見てくる。
それに対して俺は笑顔で返してあげた。
残念ながらつぐみさんが俺に何を言おうとしているのかは全然分からなかった。
つぐみさんが負ける可能性ってあるのだろうか?
俺は『超能力は使うな』とジョークっぽく言ったけれども、そんなの真に受けるとは思っていない。
本当に何故だか分からないが、つぐみさんはカードを全て的確に、一瞬の考える間もなく当てることができるのだ。
それは以前トランプゲームをした時に実証済みだ。
だからこれはつぐみさんの意思を確認する為のゲーム。
俺の中では、俺が勝負に勝つ確率なんていうのは1パーセントにも満たないと思っている。
その1パーセントというのは、『つぐみさんが、俺に気を使いに使いまくって勝つのを控えてくれる』という可能性と、『つぐみさんが俺の投げかけたエサに釣られてしまう』という可能性を合算して出したものである。
後者はとてもじゃないが、あり得ないと思う。
今までのつぐみさんの性格……というか性質からしてだ。
前者の可能性もなくはないが、そこまで気を使ってくれるのであれば、今まで去ろうとしていたつぐみさんは一体何だったんだということになるので可能性はないに等しい。
つまり、勝算はない。
さっきも言ったが、俺がつぐみさんを束縛する権利なんてもんは存在しないんだ。
それでも、可能性が0でない限りこの勝負を持ちかけたのだ。
その両者の可能性、またはそのどちらでもない未知の可能性に賭けて。
「どれにします?」
「…………」
つぐみさんの腕は動かない。
俺にはどれが正解のカードかは分からないが、つぐみさんは分かっているはず。
それなのにつぐみさんはずっと下を向いて考えているようだった。
「…………」
「…………」
無言の間が続く。
つぐみさんは一体何を考えているのだろうか?
さっさと正解を当ててしまった時の俺のリアクションを考えているのだろうか?
「…………」
「これ……ですか?」
かなりの無言の間が続いてからようやくつぐみさんは腕を動かし、一枚のカードを指差した。
どうやら勝負にはのってくれたらしい。
それが正解のカードなのかどうなのか、今の段階では俺には分からない。
「本当にこれでいいんですか?」
「…………」
つぐみさんは自信なさ気にコクリと頷く。
そう聞いている俺の腕の方が震えている気がする。
このカードを開いた瞬間、全てが分かる。
大袈裟かもしれないが、これで俺の運命も変わる。
(さようなら、つぐみさん)
そう思いながら俺はゆっくりとカードを表にひっくり返した。
「…………」
「…………」
クローバーだった。
めくられたカードの絵柄にはクローバーの絵柄がキッチリと刻まれていた。
「負けてしまいました……」
そのカードを確認すると、つぐみさんは相変わらずの調子でそうボソリとつぶやいたのだった。