姉と私「マネキン」
「ねぇ、しぃちゃん」
「なに?」
晩酌をしているなか、姉が口を開いた。
「わたし、マネキンになりたい」 「……え?」
言っている意味が分からなかったので、聞き返す。
「マネキンって、あのマネキン?」
「そう。そのマネキンよ」
マネキンかぁ、とぼんやり思いながら、グラスを空ける。
すかさず、姉がボトルを差し出して中身を注いでくれた。
「マネキンは、動けないから不便よ」
「でも、ずっと若いままでいられるじゃなぁい?」
ふふっ、と少し楽しそうに笑って言った。 ああ、そういうことかとほんの少し理解した。
「若いままのが、いいの?」
「そりゃそうよ」
即答された。
「でも、私たちまだまだ若いじゃないの」
「やっだぁしぃちゃん! 女なんて30過ぎたらどんどんオバサンになっていくんだから!」
そんなことないと思うけど、と喉まで出かけた言葉は言わないでおいた。
姉は、今でもじゅうぶん実年齢より若く見えるし、綺麗だと私は思う。
「あぁ、いいなぁマネキン」
そう言って、姉もグラスを空けた。
注いであげようとしたら、一歩早く姉が自分で注いでしまった。
「そんなに若いのがいいの?」
「うん。いい」
「私は、早く大人になりたいわ」
「もう大人じゃない」
「年だけ取ったって、大人とは呼べないわよ」
少し言葉を荒げながら、私は酒を一気に飲み干した。
そして自分で注いで、また一口を含む。
「もうちょっと若ければねぇ、って」
「ん?」
「言われたの」
「誰に?」
「男の人」
「年上?」
「年下」
「…好きだったの?」
そう言うと、姉は一瞬固まったあと、うん、と小さく頷いた。
「言ったの」
「?」
「好きなの、って」
「うん」
「そしたら、年上はちょっと…、って」
「ちょっと」
「ちょっと、なんだって」
何が「ちょっと」なんだろう。
見たこともないその男に、私は少し苛立った。
「だから、マネキンなの」
「マネキン」
「マネキン、年取らないもの」
「…そうね」
マネキンなんてものになって、姉はどうするんだろう。
何も食べずに、何も見えずに、どこにも行けずに。
着たいものも着られないし、住みたいところにも住めない。
そんなものになって、どうするんだろう。
そんな男の言葉に乗せられて。
「ちょっと」なんて言いはぐらかす男にふられたくらいで。
「私は」
「うん?」
言いかけて、しばらく言葉が出てこなかった。たぶん酔いが回ったのだと思う。
それでも姉は、何も言わずに私の次の言葉を待った。
「姉さんには、そのままでいてもらいたいわ」
「このまま、オバサンになっていくのに?」
「それでもいいじゃない」
「……」
「いいじゃない」
そんな男のせいで、姉がただの人形になってしまうだなんて。
なんだかとても、許せない気がした。
「こうして、お酒も飲めなくなるじゃない」
「…それもそうね」
言うと、姉はグラスを空にして突っ伏した。
しばらく独りで飲んでいると、やがて静かな寝息が聞こえてきた。
毛布をかけてあげた後、一人での晩酌をしばし続けた。
夜は、静かに更けていった。