正しい行い
世の中には間違っていることが多すぎる。
テレビをつければ殺人事件のゴシップ特集が毎日行われているし、新聞を読めば海外で起こった戦争の行方を面白おかしく予測している。
そんな大手メディアが報道している事だけでなく、もっと些細なことでも間違が多い。
駅前には放置自転車が見本市のように並んでいるし、全面禁煙の電車のホームはいたるところに吸殻が捨ててある。
ちょっとコンビニに寄れば入り口前に若者が集団で座り込んでいるし、店内では小さい子供が清算目のお菓子を内ポケットに忍ばせている。
そのような光景を目にするたびに、僕はやり場のない怒りや悲しみを胸の内に溜め込んでいる。
「お前はさ、少し神経質すぎるんだよ。」
そう言うのは、ファミレスのテーブルの向かいに座る僕の大学の友達だ。
彼は僕の知っている人の中でも最も間違いが少ない人だ。
生まれてこの方、犯罪どころかポイ捨ての一つもしたことが無いという彼は、電車で座っている時必ずお年寄りに席に譲り、街中で喧嘩が行われている時はその仲裁に入ったりと、他の人がなかなかすることができない正しい行いを当然のようにしている。
それだけでなく、休日に地域の清掃活動を行ったり、募金活動の協力員をやっていたりと、自分の時間を犠牲にしてまで正しい行いをしている彼を、僕もだけでなくその他の友人など多くの人が好いている。
しかし、誰にも欠点があるように、彼には一つ大きな間違いがある。
「その悩みを少しでも解消しようとな、いい物持ってきたんだ。」
最も問題なのは、彼がそのことを正しいことだと思い行っている事だろう。
「この本や像を買うと、そんな悩みを自分がもっと幸せになれるんだよ!」
そう熱弁する彼が、僕の頼んだ牛ステーキの隣に本と割と大きい木彫りの像を差し出す。
本の表題は下手糞な字で読み取れず、像の方も北海道の木彫りの熊でも買った方がましと言う具合だ。
しかも、本は一冊一万円、像の方はその十倍と、到底値段分の価値を見いだせない強気な値段設定だ。
「前にも言ったけど、僕は遠慮しておくよ。」
「そう言わずにさ!友人であるお前には幸せになってほしんだよ!」
拒否をしても延々食い下がる友人をどうにか説き伏せ、会計を済ませた。
最後まで「お前に幸せに。」だとか言っていたが、聞こえないふりをしてファミレスの前で解散をした。
「あの教義さえなければなあ。」
彼の眩しいばかりの笑顔が脳裏に浮かぶ。
彼が行う勧誘も最近では慣れてきた。
一度、気まぐれにその宗教の教義を聞いたところ、揚々と説明してくれた事があった。
殺すな、盗むな、羨むな。
おおよその道徳に乗っ取った教義であり、それなりに好感が持てた。
また、宗教の勧誘もノルマなどなく、彼が行うそれは本当にただの善意であり、本などが売れた場合はそのまま青十字の危機へと回される。
そこまで聞くと、存外まともに思えるが、ただ一つ大きな間違いを進める教義ある。
殺すな、盗むな、羨むな。今世では。
すなわち、今世で貯金をため、来世ではそのような行いを行った時はその貯蓄を切り崩すので問題がないという。
彼は揚々とその貯金を大きくしている。
来世に間違った行いをするために、正しい行いを淡々とこなす。
「この世の中は、間違っていることが多すぎる。」
ぽつりとつぶやいた言葉は誰にも届かず、大通りの車のクラクションにかき消され、消え去った。




