3-1 世迷言
≪漣の空≫様、ご感想ありがとうございました!!
まさかの一日おき投稿という凶行に及びましたが流石に持ちませんでした。このままのペースで行くんじゃね? と思ってくれた方々申し訳ありませんでした!! 出来るだけ早めに頑張ります!!
アクセス数が伸びていてびっくりしてます。お読みいただき嬉しい限りです! 計画性のない作者ですが、魔法使いたちの物語を楽しんでいただければ幸いです。
「聞き取り調査?」
まるで警察か探偵のようで、およそ私達十代の人間には似合わぬ言葉を、隣を歩く少年・トキヒロから聞いて、私は思わず聞き返していた。うん、と呆気なく頷く彼。
緩いサイズのトレーナーの前ポケットに両手を突っ込み、いかにもだるそうに背を丸めている様はまるで猫か何かのようだった。炬燵から出ようとしないタイプの猫。私より背の高いこいつが猫とは寒気のする話だが、そんな印象がある。
「そ。しかもご内密と来た。こんなの上にバレたらどーすんだか」
「ご、ご内密? って言うと?」
「……リンカの上司は今日の任務を知らないってこと。本当ならキサは、その上司に会ってからじゃないと仕事しちゃいけないの」
そう応答してくれたのは、少し前を一人で歩いていた《炎使い》の少女、ササだった。後ろを振り返りもせずに告げられた言葉に仰天する。
「っえ!? それ、ま、マズイんじゃないのっ!? 平気なの!?」
しかし慌てた私に対して、二人の反応は冷静を通り越して呑気だった。少しの間思案するように顎に手を添えてから、
「……、うん、多分平気だろ。あぁ、でも叱られはするだろうなぁ。オレあいつ苦手なんだよね、あの眼鏡」
「……あたしは寧ろ、眼鏡のほうがやりやすいけど。リボンとか眼帯は……相手するのが辛い」
「え? そうか? あいつら適当にあしらっとけばいーじゃん」
「あのテンションに付き合いきれないって意味」
私を置いてけぼりに会話が進行する。勿論意味不明だ。眼鏡、リボン、眼帯……? 代名詞らしいことは予測できるが、一体それは誰を指すというのか分からない。
頭の上を大量のハテナマークが往来した私は、こちらに説明するのも忘れているのかする気がないのか言い合いする二人の話に参加するのを諦めて、周囲を見渡した。
現在時刻、朝九時である。
秋晴れの高い空に見下ろされた街並みは私が見慣れたものとは違っていて、たかだか数駅離れているだけなのにこうも街は違うのか、と思い知らされる気分だった。自宅付近では見られない、何階建てなのか分からないほどの高さの商業施設に人、人、人。ある理由から大通りを避けて歩いてはいるが、それでも人が段違いに多いことに変わりはない。地元の同年代にとってはそれなりの人気を誇る、いやば百茎の首都のような場所。
夏は相当凶悪になるはずのアスファルトを踏み締めて歩きながら耳を澄ませば、あちこちから客引きと思しき元気の良い声が聞こえてくる。妖怪ブンボウグジジイ(仮)のしゃがれたそれとは当たり前ながら全然違う。何度か来たことはあったが、遠出の嫌いな私には少しばかり新鮮だ。
制服ではなく私服に身を包んだ、休日、もとい青春を謳歌している最中の少年たちとすれ違う。少し離れたコンビニの前には賑やかな笑い声を立てる女子高校生。そんな彼らに、同じように私服の私達がかき消されている気がした。まぁあちらが輝きに満ちた楽しみの時間を過ごすのに対し、こちらが仕事という緊張と気だるさを伴う時間を過ごすという差の現れかもしれない。
……とは思いつつ、私はこの場に完全に馴染んでいない人間がいることも勘づいていた。そっと後ろを見る。そこには浮き足立った休日の街にはあまりに馴染めていない、二人組が歩いていた。
「……おいコラ、手前いつまで引っ付いてるつもりだ。歩きづらくてかなわねェ、さっさと離れろこのクソガキ」
「だ、だだだだだだって、ひ、ひ、人っ! 人っ! 人ヤダよっ怖い!!」
「怖かねェだろうが!! さっきちゃんと『巻いて』きたじゃねェか怒鳴んぞガキ!!」
「も、もう怒鳴ってるじゃんっ! ……ってわぁっ、ひゃあああぁっ!?」
「だぁぁぁぁぁ、うるせェっつーのッ!!」
お願いだからやめて頂きたい。うるさいのはあんただ。周りの通行人が何事かとドン引きした顔してこっちを見てるじゃないか。
思わず溜息が溢れる。
それに気付いたらしいトキヒロは、あぁ、と諦めたように肩をすくめた。
「ありゃいつもの光景だから、気にするなよ、期橋。治んねぇから、ユウキの怒鳴り癖とイオリの人見知りは」
「にしたって何と言うか、うん……あれは小学生にゴクドーと呼ばれても仕方ない、感じだよねぇ……容赦ない怒鳴り方だもんなぁ」
「あれ、まだマシなほう。イオリだから手加減してるよ。これがもしトキヒロとかシュンとかあたしなら想像したくもない」
言葉通りなのかあえて振り返らず、ササはそう補足した。とても本当とは思えないのだが、嘘を言っている気配もない。怖い話だ。
彼は小柳悠樹(こやなぎユウキ)。支部局長リンカの実兄、十九歳のバイト青年が怒鳴り声の主だった。初対面はつい一時間ほど前で、トキヒロにより紹介されたそのとき、正直浮かべた笑顔は引き攣っていたと思う。百九十くらいありそうな高身長ではあるが、細身。むしろそのスマートな出で立ちで、ダメージ加工の施された革ジャンに首にかけたヘッドフォン、派手なプリントのシャツ、極めつけに貴金属をぶらさげるとかもはやヤンキー呼ばわりを狙っているとしか思えなかった。
髪色はリンカと同じく色素が薄く(もっとも、染めているのかもしれないが)余計な相乗効果。トドメはその目つきで、目の下に浮く隈が濃くて眼光の鋭さを助長している。こんなのに睨まれたら気の弱い人間は泣き出しそうだが、もう一人は単純に人が多いということに涙を浮かべており、どうやら彼に怯えたわけではないようだ。
もう一人、とは我が愚弟のクラスメイト、藤澤イオリくんだ。この前とは違って手首に腕時計を巻いたこの子は、支部局を出てからこっち一度も彼から離れていない。ひしと長身にしがみつき……あるいは縋りつくようにして、ここまでの道のりを息も絶え絶え乗り越えたという風体だった。ちょっと異常なくらいに人を恐れるイオリくんに疑問を抱かずにはいられなかったが、周りは承知しているのか、出来る限りと人の少ない道を歩んでいるのである。
この二人、周囲の注目を忘れたように怒鳴り言い返しているのだけれど、イオリくんは大丈夫なのか……?
兄弟というより親子のような見てくれだった。
「……イオリくん、ユウキさんは平気なんだね」
「ん……加入順的には二人の付き合いってそんなに長くないんだけどな。オレはからきしだし、ササもそんなには」
「小柳兄妹はアリなんだって。リンカはともかく、あの不良に怯えないってのはある意味すごいと思う」
ササが大真面目に感心した様子で言ったとき、後ろから低い声がした。
「手前ら調子乗ってしばかれてェのか? 挑戦状ならいつでも受け付けんぞ。言っとくが、特にトキヒロ、手前に手加減なんざしねェ」
「げ、聞こえてたのかよ! いやいやいやいっや、喧嘩なんか売ってないから! な、なぁササ!!」
「……うん」
「返事遅れてんぞオイ」
ユウキの不機嫌を極めたツッコミを、全力でスルーする二人である。表面上は涼しい顔をしているものの、その頬にはうっすら冷や汗が浮かんでいるのを見逃す私ではない。にやり、と口角を上げて微笑んでやれば、トキヒロがそれを見て少し拗ねたような顔になる。いつでもだるそうなこいつがそんな表情をするのがちょっとだけ意外だったので、今後はその手の情報を集めて遊んでやろうと決めた。
ササもそれに気付いたのだろう、呆れたような視線をこちらに寄こしてから、「じゃあ説明の続き」と話を切り替えた。ちょうどそこで通りから外れ、右の路地へ。
「聞き取り調査。今回話を聞くのは、支部19号局のメンバー」
「19号局?」
ユウキの怒気滲む雰囲気から逃れるための話題転換なのは言われなくとも分かった。ここでいじり倒そうと画策して焼き殺されてはたまらないので、そんなあからさまな転換に乗って訊き返してやる。
「リンカが、この百茎(ひゃくくき)って県には三つ支部があるって言ったでしょ。一つはうち、何でも部隊の64号局。危険度はわりあい低い依頼を受けつつ、魔法を使って解決できる暴力的じゃない依頼が主な仕事。それでもたまに、組織の制圧とかやるけど……、で、もう一個が27号局。こっちは工作班。あたしたちの仕事の証拠を始末してくれたり、立ち回りやすいように調整をしてくれる。最後が19号局、百茎最大規模、十三人≪だった≫危険度の高い仕事を請け負う場所」
「……組織の制圧とか怖い単語が出てきたのは無視するとして。≪だった≫って?」
この問いに、少しばかりササの表情に影が差した。疑問の理由はすぐに知れる。トキヒロが割り入るようにして、台詞を挟んだからだ。
「言葉通りの意味だ。二人、蒸発した。今年の春先」
「じょ、……蒸発?」
「依頼に失敗したわけじゃないらしいんだが、突然一人が消え、後を追うようにもう一人。勿論、その二人はそれなりの実力を持つ魔法使いだったから早急に捜索を始めるべきだと、百茎三局は合意したんだが……上から圧力が掛かって」
魔法使いの蒸発。
どうあれ常人ではない能力を手にしている魔法使いが二人も、ほぼ同時期にいなくなったということか。あまり詳しく魔法を知るわけではない私だが、それが只事ではないことは予想がつこうというものだ。もしもそのうちの一人が、例えばササのような≪炎使い≫だったなら、その人物の失踪理由によっては生命に関する問題に発展しかねない。
私だったら絶対に捜索させると思うが……。
「上から圧力って、それ、危ないのを野放しにしろって言ってるってこと?」
「まず捜索することを禁止されたんだ。もしも破ろうとしても、向こうの上司には≪精神系≫の、最高位魔法使いがいるからよォ……。さっきは叱られる、なんてトキヒロが言ったがそれじゃあ済まねェ……、下手したら、手前らにとっちゃ死ぬより辛い地獄を見る」
「……おかしな話。上の人って馬鹿なの? ありがちな成り上がり官僚さん、みたいなカンジ?」
私の言葉に噛み付いたのは意外なことにイオリくん。私の服の袖をぐいっと引っ張ったかと思えば首を横に振り、
「違うよ、あの人たちはすごい人だよっ! やっ、優しいし、つ、強いし……っ、ちょ、ちょっとヘンだけどいい人だもんっ、馬鹿じゃない!」
「……あ、え、ご、ごめんねイオリくん。そうなの? 私よく知らないから……ごめんね」
「……いいよ」
とは言いながら、まだイオリくんは不服そうな顔をしていた。私はどうも地雷を踏んだらしいと気付き、微かに戸惑う。知らない人間の事を悪く言ったのは確かにミスだったが、しかし今の話を聞く限りはダメダメにしか思えないんだけれど。
私の戸惑いを汲んだように、トキヒロがぼそりと呟いた。その表情は心なしか険しい。
「そうなんだよ……妙なんだ。眼鏡もリボンも眼帯も、そんな理屈が分からない程馬鹿じゃない。そもそも馬鹿なら〈三人衆〉になんかなれない……だから、調査しに行くんだ」
「だ、だからって言われても」
全然意味が分かんないんだけど、と言い返そうとしたところで、ふと先頭のササが足を止めた。彼女が立ち止まったのは奥まった路地にあったテナントビルの前で、あちこちが変色している上、明らかに怪しげな店が何軒か入っているビルディングである。
一度だけこちらを振り返ると、ササは「行くよ」とだけ言って階段を登り始めた。電気も灯されていなくて薄暗い上、虫の死骸も散乱するお世辞にもきれいではない階段を迷わず登る彼女に驚いたが、トキヒロもユウキも、それにくっつくイオリもそうし始めたので、私はしぶしぶ階段に足を掛ける。
あまりまともに掃除されているとは思えない階段をワンフロア分登ったところにあったドアを、トキヒロがノックした。しかし、そのノックの仕方が通常とは異なる。
コン。コンコンコン、ココっ。
一回、三回、二回手早く。まるでドラマのようなその叩き方が何かの合図であることは想像に難くなく、妙なところで秘密組織だなと思った。ていうかベタだ。もう少し面白い物を考えれば良かったのに。
三十秒と経たずに、事務所のテナントと思しきそこのドアが重苦しい音を立てて開いた。立てつけの悪そうなスチールのそこから、ひょこりと誰かが顔を出す。
「あぁ……どうも、よく来てくれました。〈遮断(シャットアウト)〉、それに皆さん」
痩せこけた男だった。
二十代半ばくらいであろうにげっそりと頬はこけ、普段は愛嬌のありそうな細い瞳は疲れたように重い。学者然として、健康だと見た目では断言できない格好の彼は、針金細工のような身体を縮こまらせるようにして一つ頭を下げる。
トキヒロは呆気にとられた様子で尋ねた。
「あんた……そんなに痩せてたっけか? 〈突風(ガスティ)〉」
「いえ、すみません。お見苦しい……四月から、こんな調子でして」
大したおもてなしも出来ませんが、と男は薄く笑ったが、その笑みもやるせなさの滲む、哀れを誘うような表情だった。
事務所の中は清潔に保たれていた。
並んだ応接用らしきソファとガラステーブル、その向こうにはおよそ十人と少し分くらいのワークデスクが整然と鎮座している。部屋の調度品も明るいものが多く、ぱっと見は非常に雰囲気が良いのだが……いかんせん、雰囲気が暗い。
天井につるされた明かりは一つも灯されておらず、室内に固まるようにしていた三人程度の人物が、こちらを見るなりびくりと肩を震わせる始末。こちらを見たその視線に、微かな期待と……失望、そして恐怖めいた感情が浮かんでいるのを読み取り、私は内心で悪態をついた。何だ、この、居心地の悪さ。
換気もしていなかったのだろう、埃臭いにおいが鼻腔を刺激して顔をしかめそうになるのを、咄嗟に二重円を展開して覆い隠す。かといってここで過度な笑顔でいるのは間違いだ。少しだけ困ったような顔に見せかける事にする。
男に案内されてソファに並んで腰かけると、彼は正面のソファに座って、部屋の隅の三人を呼ぶこともせず、男はまた力無い笑顔になる。
「すみませんね、こんな雰囲気で。他の面子は依頼に出払っているので、今日はご容赦ください」
「いや、んなことは構わないけど……大丈夫なのか、〈突風〉? ……その、色々」
珍しく言いづらそうにトキヒロが言葉を濁した。「色々」という言葉が、先ほどのトキヒロの言葉を指しているのに気付いて私は息を呑む。
二人の魔法使いを失った支部の人間。捜すことも出来ない歯がゆさに追い詰められてきた人。
きっとこの支部局の雰囲気は、そういうことなのだろう。誰かが欠けた時点でそこはどこでもなくなるということ。魔法同盟関東支部19号局というこの場所は、既にその名前を使うのが間違いだと思う程に≪そう≫でなくなっている。
ただの残骸と化している、と思った。
「大丈夫か、と聞かれればそうでもありません。何せ数十年の付き合いでしたから……ただ、もう前を向き始めているメンバーもいます。私一人がうじうじしているわけにはいきません」
「けど、無理は」
「していませんよ。むしろ、時間を掛け過ぎました。――――ご挨拶遅れまして、私、魔法同盟関東支部19号局局長、桑尾肇(くわおハジメ)と申します。〈突風〉です。どうぞよろしく」
静かに一礼した男、ハジメに、私を含めた全員が低頭を返した。物腰が柔らかいというより弱々しいハジメが支部局長と聞いて驚かない訳も無かったが、そこは二重円がカバーしてくれている。そっと様子を伺えば、言葉の割には前を向けていないことは一目瞭然であった。
トキヒロがちらりとこちらを振り返る。
「オレは〈遮断〉、境戸時尋。隣から、〈蒼炎(フレイム)〉、〈夢測(フォーサイト)〉、〈会話(トーク)〉、そんで……配属されたばっかりの新人なんで、無銘、としとくか。よろしく」
「……無銘、って……そもそも何、その中二病全開のやつ。あだ名?」
状況的に聞くべきではないかと思いつつも尋ねれば、ユウキがふんと鼻を鳴らして答えてくれた。思い出すのも嫌そうに苦い顔になると、
「手前もしばらくしたら名付けられる、魔法の名前だ。名づけ方が中二くせェのはしゃァない……名付けるのが中二病だからな。正直もう二度と会いたくねェ。手前の担当があのイカレ眼帯じゃねェことを祈るぜ」
「ああ、例の上司さん……」
中二病と聞いて猛烈に会いたくなくなった。私は中二病という人種が苦手だ。いや、自分自身ある意味ファンタジーな力(魔法と呼称されるくらいだし)を持っているからなのかもしれないが、人間平穏が一番だ。特異なことも不思議なことも起きないに越したことはないと思う。
三人の上司のうち一人が中二病だとすれば、残りの二人がお願いだから常識人であってほしいものである。眼鏡とリボンと呼ばれていた人のどっちも更なるキチガイだったらもう駄目になる自信がある。ただでさえイタイ力に悩まされているのだから、イタイ人間にまで悩まされたくはない。
しかし、名付けるのがその人物だというのであれば、会わないにせよ何かしらのコンタクトは取ることになるのだろうか。私の魔法は何かな、無難に〈幻影〉とか? なんて思っていれば、ササが話を切り出した。
「……それで、〈突風〉。四月の失踪事件についての話って聞いているけど、説明してくれる?」
向かいの表情が一気に強張った。
まだ心の傷と言う奴は癒えていないのか、話をすることは分かっていたはずなのにその顔は苦悶に満ちていた。それを見れば見るほど、彼がいかに仲間思いだったのかが垣間見える。仲間を失った悲痛を誰より感じているのは、もしかしたら彼なのかもしれない。
責任感、罪悪感、絶望失望憤り悲しみ。そんなマイナスの感情たちが、〈突風〉と称される男の眼には魔法の名を越えて嵐のように渦巻いているように思えた。
地獄の底の深淵を覗き見たような、そんな目。
私もかつてごく身近な人間を失っているが――――これで例えば、また、誰かが奪われるとしたら、私は耐えられるだろうか。
彼は静かに、本当に静かに語り始めた。
「一人目は、〈跳躍(ジャンプ)〉という二十三歳の娘です。元気でひたすら明るい、ただでさえ良い運動神経を魔法で特化させた、向日葵という名詞のよく似合う子でした」
懐かしい思い出に浸るように、彼は目を閉じる。
「用のあるとき以外は基本学生として活動していたので、あまり顔は出しませんでした。二週間ぶりくらいのときに、依頼を頼もうと電話をかけたんですが、出なくて」
最初は忙しいのだろうくらいの気持ちで留守電を入れた。だが四日経っても返事がない。だから今度は彼女の家を訪ねた。
すると、
「家はもぬけの殻でした。家具はそのまま、荷物も特に減らず……、財布も携帯も置きっぱなしで、彼女だけがいませんでした。銀行のカードもそのままで遠出したとは思えないのですが」
それでも彼女は帰ってこなかったのだと彼は言った。一本の連絡もよこさずに、彼女の足取りは追えず、消息を絶ってしまった。
「そして、二人目です」
そう言葉を区切ったところで、不意に私達の前にお茶が出された。いつの間に準備したのか分からなかったが、最初部屋にいた三人のうちのひとりが出してくれたらしい。ふと目が合って軽く会釈をするも、相手は逃げるように視線を逸らしてしまった。
それだけのことだったが、出されたお茶を飲む気も失せてしまう。早く帰りたくなってきた。
「彼女は〈跳躍〉の親友でした。私より前から二人とも友人同士で、お互い支えるようにして生きてきたんだそうです。本当に仲が良くて……ですから、その子の受けたショックは甚大では無かったんです。〈跳躍〉が自分に一報も入れないなんておかしい、きっと何かに巻き込まれたんだと言い出したのは彼女でした……ですけど、捜索は禁じられました」
「そこが分かんねェな。あいつらの肩ァ持つ気はねェけど、堅物眼鏡と適当リボンとイカレ眼帯なら、捜すように命じても捜すなとは言わねェんじゃねーかと思うんだがよォ」
「う、うん……! ぼっ、僕もそ、そそそう思う」
イオリくんが肯定するも声は尻すぼみだった。〈突風〉と面識がないのか、おどおどと挙動不信である。それを見ていて、不意に不思議に思った。
こんなに人見知りの激しいこの子を、一体なぜ連れてきたんだろう? さっきから目線は伏せっぱなしで長い前髪に隠れて見えないし、時折誰が何をしたわけでもないのにびくりと肩を震わせている。そもそも年齢が年齢だし、こんなシリアスな話をする場にはあまりに不似合いだと思うのだけど。
魔法……が関係しているのだろうか。そういえばさっき、「フォーサイト」「トーク」という呼ばれ方をしていた……順番的にユウキとイオリで間違いないだろうけれど、途方もない違和感があるのは間違いない。私はフォーサイトという恐らく英単語を知らないが、にしたって人見知りイオリくんの魔法が、「会話」だって?
魔法を使うと途端饒舌になるとか……? いや、それ一体何の役に立つんだ。そもそもそんなのもアリなのか魔法って。アリだとしたらちょっと引くわ――――なんて関係のない事を考えていれば、正面でハジメが言った。
「そう、ですか……そんなことも分からない馬鹿では、ないですか。……良かった」
「良かった、ってどういうこと」
ササの抑揚のない問いに、彼はまた抑揚なく答えた。
「私たちは〈三人衆〉をよく知りませんから。もしかすると救いようのない馬鹿なのではないかと危惧していました――――そうじゃないと分かって良かったと言ったんです。それが聞けなかったら、」
やがて私たちは『彼女』のようになっていたでしょうから。
そのあまりに平坦で、それなのに深い後悔と罪悪感の滲むその声音に、反射的に私は身構えた。ずっと展開させっぱなしだった二重円が更に加速し、いよいよ眼窩に痛みを訴え始める。けれどそれを無視しなければ、私は顔を蒼褪めさせずにいた自信が無かった。
彼は、一枚の写真をすっと机に差し出した。息をつめたのは私だけではない。トキヒロも、ササも、ユウキも、イオリも、正面で口火を切ろうとしているハジメですらも緊張に表情が歪む。
それでも、彼はまっすぐに私たちを見て、告げた。
「彼女が二人目の失踪者、≪精神系≫魔法使いの≪人形(ドール)≫――――最大範囲七十人を、文字通り彼女の人形に変える洗脳魔法の使い手。そしてつい数日前、あなたたち64号局を襲撃した男の操り主。……名前を、神木深丘(かみきミオカ)と言います」
夜を映したように黒く煌めく髪、幽霊のように白い肌、そしてつい先日私たちを襲撃したばかりの、虚ろな男の眼にそっくりな闇色の瞳。
そんな女性が、写真には映っていた。
「クーデターか」
テナントビルを出てからは無言のままでいた私たちだったが、空中懸垂式モノレールの車内の中で、ユウキがぽつりと呟いた。
「要約すっと、そうなるよなぁ。まさか魔法同盟に喧嘩売る奴がいるとは思わなかったけど」
「……ね。しかも、ひとりで」
トキヒロとササも呆れたように続けた。
そう、今回は大事ではあるが致命的な事件ではないのである。一般人をも利用して、64号局だけでなく他局の魔法使いにまで襲撃を仕掛けているのは大問題だが、別にそれ自体が組織の存続を揺るがすわけではない。そもそも魔法同盟や魔法使いの存在は公然には伏せられているのだから、喩え組織を瓦解させたところでそれは生産的な話ではないのだ。
主犯、神木深丘の計十六件に及ぶ襲撃は、言ってしまえば無駄だと言いざるを得ないのは、頭の悪い私でも十分に理解できることだった。いなくなった親友を捜したかったのは分かる。捜すことを禁じられて憤りを覚えたのも分かる。だが、それで魔法使いに当たるのは腹いせであり八つ当たりであることには変わりないと思った。
疑問点である〈三人衆〉なる上司の奇妙な指示については、本人たちに尋ねる必要があるという方向性で決まった。その理由が正当なものであり、彼らへの説明不足によって招かれた誤解だとすれば改善の余地はある。もし正当でなかったらどうするのかと聞いたが、トキヒロは一瞬も間を置かずに「そんなわけあるか」と答えた。それ以後は馬鹿なことを聞くなと言いたげに一睨みされたので、触れるのを控えた。
随分な信頼が置かれているらしい、と気付いた時は心の中で笑い飛ばしたものだ。そんな信頼をあっさり裏切るのが人間というものだろうに、彼等は無邪気に人を信じているように思えてならない。馬鹿みたいだ、と思う――――だが反面、それが「普通」なんじゃないかという気持ちも湧いてきた。
私だけが懐疑的で、私だけが疑心暗鬼。たったひとりだけ誰も信じられない、救えない道化師のような気持ちになって、私はその心をバラバラに踏み潰した。そんなわけない。私は「普通」だ。ごく一般的な、ただの、女子高生なんだから。
言い聞かせるように口の中でだけ呟いて、私は揃えた膝の上で、誰にも気付かれないようそっと拳を握り締めた。
モノレールは比較的駆動音が小さく、揺れも然程大きくないのが特徴だ。休日の真昼間、既に多くの人は出かけた後なのか、下りのこの一本に人影はまばらで、しかも大抵が眠っているか音楽プレーヤーを再生しているから気を使うこともない。流れていく景色が徐々に木々の茶色に浸食されていくのを、特に意識もせずに眺める。
すると、きゅ、と服の袖を掴まれた。右隣に座っていたイオリくんだった。
「……ねぇ」
「ん? 何、どうしたの?」
笑いたい心境でなかったけれど笑顔を作る。子どもに笑顔で接するのは基本、それも彼のような人見知りとなれば尚更だ。と、思って笑顔を向けて応えた私だけれど、続く彼の言葉にわずかに硬直した。
「……お姉さん、疲れた?」
じっと慮るように見詰められて、私は呼吸が止まるかと思った。今私は気楽そうな表情を浮かべているように≪見える≫はずなのに、どうしてそんな的外れなことを? いや、私からすれば――――≪図星≫を?
どくん、と一つ心臓が嫌な音を立てた。それを無理矢理に意識から外して、私は更に笑みを深める。
「だいじょーぶ、私こう見えても図太い女だからねっ! あれくらいでへこたれるお姉さんではないのだよ。心配しないで、イオリくん?」
「そう……? じゃあ僕の気のせい、かな……。なんか、無理してる気がして」
何だ、この子。
一瞬心に恐怖が湧き上がった気がしたけれど、それは何かの銃弾が撃ち殺していた。ほとんど間を置かずに、ササが「どうしたの」と相変わらずクールな表情で尋ねてきたので「何でもないよ~」とひらひら手を振る。
車両の揺れが一際大きくなった気がして、私は息をつく。このままこの男の子と話しているのは危険だと誰かが警告、私はそれに一も二も無く従った。このままこの子と話していたら致命的なボロを出しそうで、それだけはどうしても避けたい。
つとめて明るい声音で、私はトキヒロに尋ねた。
「ねぇ、魔法使いの失踪ってよくあることなの? いや、そうじゃなくっても、魔法に絡む失踪って」
「え? ……オレはほとんど聞いたことないけど。今回が初めてかな。つっても、そういうのはオレよりシュンとかリンカに聞いた方がいいと思うけど? あっちのがその手のは詳しいよ」
「そうなの? いやぁ、よくある話だったらあんなに深刻な雰囲気にはならないか! ごめんごめん変なこと聞いちゃって。あ、そうだ他にも聞きたいことが幾つかあったんだけど!!」
何か言いたげなイオリくんの視線を見て見ぬふりし、訝しげなトキヒロの目を見ないように努め、ササとユウキの疑問を浮かべた表情を知らぬふりする。
また一つ嘘をついたな、と心の中で嘆息。
他に聞きたいことなんて、本当は何にも無いのだ。さっきのは啓太先輩に話す情報を手に入れるためだけの質問だった。聞いたことが無い、というなら収穫は零、これ以上聞いても無駄だから。
けれど私は地元の駅に列車が着くまで、下らない質問を繰り返したのだった。
「ああああああぁ、お仕事多すぎぃっ!!」
リンカは目の前に積まれた書類の山に頭を抱えた。その目にはうっすらと涙の膜まで張っていて、嘆かわしいその口調は決して大袈裟でないことを証明している。
それを見て、三つのモニターに向かっていたシュンが苦笑いした。
「しょーがないじゃん、これから忙しくなるんだからさー。これが終わればひと段落だよ~、ファイト!」
「無理無理無理無理ッ、無理よこの量!! どんだけ申請書あるの!? 片付けなきゃならない依頼があとひぃ、ふぅ、みぃ……二十五件だよ!?」
「あー、イケるイケる」
「……そのうち十二件はじゃあ、シュンくんに回すから」
「ってはぁ!? 酷いよリンカそれはないっ!」
他人事だと思って余裕綽々だったシュンだが、自分にも火の粉が飛んでくるとなれば話は別である。仕事用に開いていたタブと別に開いていた楽曲サイトを慌てて閉じ、指先の稼働率を三割増しで上げた。やっぱりサボってたのねと溜息をつくリンカだが、それよりも彼女を悩ませている頭痛の種は他にある。
「……≪人形≫ちゃんかぁ。前にちょっと話したことあったけど、まさかクーデターを画策してたなんてねー」
「ま、僕も気持ちは分かるよ。自分がその立場だったらそうする自信あるからね」
「相手がササちゃんだったらなおさら、でしょ?」
「……からかわないでよ。リンカのパソコンの仕事データ、全部破壊(クラック)するよ?」
「ってひゃあ、それはナシっごめんねシュンくん!!」
いつになく真剣なシュンの声にぱんっと両手を合わせた彼女を見て、シュンは溜息をついた。
何だかんだで四年間彼女とは同僚なわけだけれど、昔と今では勝手が違う。当時はどの仕事も覚束なかった彼女は、今やこの支部で書類を任せれば鬼に金棒の人材になっている上、過保護な兄貴もいるので、少なくとも彼の前では前のように彼女をいじれなくなったのは確かだった。
シュンはこんな日常が気に入っていた。
八年前には思いもしなかった日々がここにはあったし、かつて求めていた温もりがここにはあった。それは彼だけでなくて他のメンバーもそうだろうと、彼は思っている。皆が皆訳アリ、まるでお決まりのように辛く厳しい過去を背負う彼らが、失った青春を謳歌している気持ちになれるのがここだと。
どんな訳アリでも受け入れるこの組織のアットホームな部分が、彼は大好きだった。
けれど、この組織にも確かに、どす黒くてえげつない闇が存在することも知っている。
彼はパソコンモニターを睨み付けて溜息をついた。指先には魔法行使中であることを示す青の六角形が浮かんでいて、そこを通して脳裏に流れ込んでくる零と一を言葉に変換、整理していく。
情報を得たことを誰にも悟られないよう細心の注意を払い、電子の海から必要な情報だけを拾い上げて被った埃を吹き飛ばし、また違う場所へ。何度やったか分からないけれど、これが自分の出来ることで、自分のやるべきことなのは重々承知の上である。今更文句なんて言いやしない。
しばらくしてから、彼はぽつんと呟いた。
「……多すぎる」
「と、言うと?」
「ネット上のあらゆる場所から拾ってきたけど……、魔法使いっぽい行方不明者が年間で二十人はいる。でも、欠けた二十人は魔法同盟データバンクだと≪別の人に成り変わっている≫」
「成り変わってる?」
「そう。その魔法使いが消えた翌年には、≪同じ魔法を使える人間が現れている≫ってこと。紀沙ちゃんの魔法は八年前からだから長らく欠番扱いだけど、他はほとんど埋まってる……勿論、僕を除外して」
魔法を得るきっかけ。
それを事実として知っているのはごく少数だが、噂話として知っている者は多い。その噂話が事実であることを知る者は少ない、という意味だ。
そう考えれば、これは明らかに偶然の域を超えた事象であるのは確かだった。そしてこんな事実を、彼らの上司〈三人衆〉が知らないはずもない。シュンは微かに舌打ちした。さっさと気付くべきだったな、と自分の鈍さに呆れたのだ。
言葉が見つからないのか黙ったリンカに、シュンはモニターを睨み据えたまま、淡々と告げた。
「魔法を得るきっかけは〈魔法の効果に通ずる精神的ショック〉…それが被る人が、そう何人もいるわけないよね」
シュンも、局長であるリンカも知っていることだ。
魔法は全て、彼らの心に未だ残る深い傷口を抉るようなものであることを。
例えばリンカが〈庇護〉の魔法を得たのは、刑事として殉職した両親の心意気が彼女の中に強い概念として残されたから、なのである。
人が精神に受ける傷など千差万別、誰がどんなトラウマを抱えているのか、なんて誰にも分からないし知るべきではない。それなのにそれを補填するかのように、欠けた分の魔法使いを同じトラウマのある魔法使いが埋めている。
その異常さは誰が言うまでも無い。シュンとリンカは必然黙り込んだ。
〈人形〉の魔法使いが画策するクーデターの露見により、トキヒロたちの予想は少し外れて、組織は先の見えない霧の中に突っ込んでしまい、もう後戻りは出来ないことを二人は理解したのだった。
日常が壊れる音が、そう遠くない場所で鳴り始めていた。