2‐1 魔法同盟関東支部64号局
今回はキャラが一気に増えます。
書き分けられたか非常に心配ですが温かく見守ってください。ご感想・ご指摘お待ちしています。
≪漣の空≫様、引き続きご感想ありがとうございました!
現状を一言で言おう。
気まずい。
ただその一言に尽きる状況としか言いようがない。至って一般的な白い壁紙にはそれぞれの呼吸音と時計の針が動く音くらいしか反響しておらず、フローリングに敷かれた小粋なデザインのラグも、今ばかりは空気を読んだように静寂している。ちらりと横目で隣の弟、桐彦を見遣ると、こいつはテーブルを挟んで向かいに座る自称魔法使いたちを冷ややかな視線で眺めているだけだった。
少し息苦しくなってきたところでそっと息を吐く。向かいの彼らは何故か一言も喋らない。
あの奇異な名乗りの後、ヤバいと思って逃走しようとした私たちを半ば無理矢理連行した張本人である桃色ジャケットの女性に視線を投げた。が、彼女はこちらの救援要請のようなそれに気付いた様子もなく、彼女の左に座る男の子の頭をぽんぽんと撫でているだけだった。どうしてここでそんな動作が必要なのかといえば、その男の子が連行されてきた私たちを見た瞬間から涙目になって愚図り始めたからである。
別に私たち任侠でも極道でもないのだけれど、という複雑な気持ちはとっくにどこかへ飛んで行っていた。とりあえず、現状を打破しよう。そこに私のこの数分間の思考は占められている。
まずは今の状況を整理しよう。
私、期橋紀沙(きはしきさ)は今日、弟・桐彦(きりひこ)の通う小学校のクラスメイトの家へ配布物の入った茶封筒を届けに来た。そのクラスメイトは不登校で、一年生の頃からほとんど顔を出したことがない謎の子である。前任者の少女から桐彦が散々脅されてきたのは、その男の子の家には極道のように凶悪な人相の男がいるということ。
今となっては要らぬ心配を焼いた私は、同封されていたメモに記された住所を元に一軒のシェアハウスへと辿り着く。そこでインターホンに出たのは、桃色ジャケットの女性。しかしなぜか初対面で私は手を取られ、彼女に信じられないというような意味深な視線を向けられた。突然のことに戸惑っていると、これまた予兆なく闖入者が現れる。
金属バットを手にした闖入者、つまるところは不審者に驚いた私は、咄嗟にオレンジの二重円の力を行使。相手が怯んだは良いがさぁどうしようと身構えたところで、突如不審者は倒れた。
それはどうも桃色ジャケット女性と同じく、シェアハウスの同居人であるらしい同い年くらいの少年の仕業だった。だが問題は、彼がその指先と瞳に、私と《同種》めいた流動する図形を貼り付けていたこと。今更すぎる嫌な予感をおいてけぼりに、女性は自分たちを《魔法使い》であると称する。
呆然とした私たちだが、前述のとおり厄介ごとだと判定して、逃げ腰になったところを逆に捕まった。倒れ伏した不審者のことを警察に通報しなくていいのかと聞いたが、彼女らはどこかへと電話を掛けた後に「これから引き取りに来てくれるからだいじょーぶ」と呑気に返してきて。
……で、シェアハウスの中央にあるリビングに通され、そこにいた三人の訝しみの目が殺到するのを感じたままソファに座らされ、女性の「新人さんだよ!」という言葉を最後に場は静寂に支配されていた。
そもそも、だ。
新人とか言われても何のことか、こちらはさっぱりである。魔法使いと名乗られたし、あの図形を見るにそれはまぁあながち間違いでもないのは分かった。分かったけれども、それってつまり、私の目の前にいる人間は全員そうだとか言うんだろうか。新人と紹介するからには何らかの組織なんだろう。でも何の組織? 魔法使いの組織? ていうか勝手に加入させて良いんです? とか疑問は尽きない。
てっきり話の進行を勤めてくれるかと思っていた桃色ジャケット女性は男の子に付きっきりだし……もう一人のバイト少年は平然と、台所から持ってきたらしい菓子パンを食しているし、残りの人も突然の展開について行けなかったのかぽかんとしたままだ。
え、ナニコレ気まずい。
これはアレなのか、とりあえず自己紹介でもかませばいいのだろうか。「期橋紀沙と言います! 魔法は幻を見せる魔法だよっ、よろしくね!!」……駄目だロクな物にならない。どうも冷静なつもりで混乱しているらしいと自分の状態を認識した。
だからといってこのまま沈黙に身を任せるのも嫌だし、さぁどう切り出したものかと頭を悩ませていた私の鼓膜を、見知らぬ声が震わせた。
「えっと……新人、さんだっけ? 名前はなんていうの、おねいさん?」
思わずばっと顔を上げてしまった。耐え難き沈黙をぶち破ってくれた救世主は一体どちら様ですかと視線を走らせ、苦笑いを浮かべる少年を見つける。
そしてその顔を見て、私はあっと声を上げた。
「き、君防犯カメラの子! だよね!? 商店街の文房具屋の……!」
「……あれ? おねいさん、ボクを知ってるの? やだなぁいつの間にそんな有名人になってたんだ、ボク! 嬉しーなぁ!!」
最初に啓太先輩から話を聞いたあの日から数日後、今から数えれば数日前に、どこから入手したのか件の防犯カメラの映像を見せられていた私は、カメラの中で不意に手を翳し、青い六角形を生み出した少年の顔を覚えていた。見間違えというわけでもなく、本人のようである。
年は多分私より下だろう。男にしては幼い顔立ちで、照れたのを隠そうともしない。全体的に人の良さそうな雰囲気だ。室内だというのに、着崩した群青色のパーカーのフードを被ったままだった。
自分の胸を親指で指し、
「あっと、人に名前を聞くなら自分が先に名乗れ、だった! 僕の名前は滝仲瞬(たきなかシュン)っていうんだ。皆勝手に僕のことパシるけど、おねいさんはそうじゃないと嬉しいかな? よろしくね!!」
先程までの静寂はなんだったのか、スイッチでも入ったのかぺらぺらと喋る少年――――シュン。
言われてみると弟分っぽい雰囲気だ。なるほど、パシられている姿が目に浮かぶ。
お陰様でか幾分冷静になった頭で、自己紹介の文言を紡ぐことができた。
「私は期橋紀沙、しがない高校一年生だよ。こっちの生意気そうなのが弟の桐彦って言って……この子は事情は知ってるけど、えっと、なんだっけ、魔法使い? ではないかな」
「紀沙さんに桐彦くんね! 呼び捨てでオーケイ? ボク敬語とか苦手だし、ここじゃ古株だし!!」
「どうぞどうぞ、よろしくー」
あれ、話してみると案外普通……?
身構えていたのだが、これではちょっとばかり拍子抜けだった。なんかこう、もっと中二病全開のイタイ人が集まっているのかと勝手に思っていた。あの力を魔法、なんて呼んでいるくらいだし。
桐彦も同じことを思ったのか、強ばっていた表情を微かに緩める。基本的に真顔で居ることの多い桐彦は、こういう気が緩んだときくらいしか年相応のあどけなさが伺えない。だからか、大人びていると評されることがほとんどだった。
「あ、そうだ、私も名乗ってなかったね! 紀沙ちゃん、改めてよろしく! 小柳燐花(こやなぎリンカ)と申します!」
わたわたと慌ただしくソファから立ち上がったのは、例の桃色ジャケットの女性だった。大学生くらいだろうという年齢の目算は間違いでなさそうだが、ちょっとばかりテンションの高いところがあって付いていきづらい、と勝手に判定する。
よく見ればかなり綺麗な人で、笑顔が眩しい。男子が好きそうな感じだ。
「それで、さっき不審者を撃退したのがうちのメンバーのひとりで、堺戸時尋(さかいどトキヒロ)くん。あのやる気ない風体だけど、大丈夫、案外頼りにはなるハズだから!!」
「勝手に紹介された上にちょっとひどくね……? まあいいや、よろしく、期橋」
「え? あ、よろしく堺戸くん!」
「名字呼ばれ慣れてないから名前でいい。そっちだと反応が遅れる」
「そうなの? じゃ、とっきーでいいよね!!」
「……姉ちゃん、調子乗らない方がいいんじゃない?」
渾身のボケを弟に怜悧に突っ込まれた。
ちょっとムッとして弟を睨めばどこ吹く風、何でもないような澄まし顔だ。こいつ、姉に対する尊敬の念とかないな、と訳もなく確信する。
だが意外なことに、呼ばれた張本人は「構わねーよ」と気だるげに了承してくれた。冗談のつもりではあったが、良いというなら呼ばせて頂こう。
菓子パンは既に六個目が開封されていた。結局夕飯は食べられないまま女子はモノを食べられない時間帯に突入しているっていうのに、この男どこまで食べるのか。というか栄養バランス悪い。まさかこれが夕飯だとか言うまいな。
「……良く食べるね」
「ん? そりゃ今日一日バイトだし。昼飯も朝飯も食ってねぇもん。正直腹減りすぎて死にそうだったんだ」
「い、一日……」
それが比喩なのか真実なのか非常に気になるところだった。然程疲れているようにも見えないし、話を大袈裟に盛ったのかと言うのが妥当だろうけど……なんだかこの眠そうな彼なら、眉ひとつ動かさずに一日労働してきそうで怖い。
軽く身を引いた私は、まだ名前を聞いていない残りの二人をそっと伺った。恐れていた極道めいた人物はここにおらず、残りの二人は少女と男の子である。
男の子、は前述した、私たちを見るなり目の淵に涙をため始めた劇的に気弱らしい子のことだ。年齢は多分桐彦と同じくらいだから、彼が噂の「しおりくん」だろう。まるで性格を反映したように、プリントの一切入っていないシャツに半ズボン姿のその子は、ソファの上で両膝を抱え、ぐすぐすと未だに鼻をすすっている。その顔は俯いたままで見る事はできない。
もう一人は、年上なのか年下なのかよく解らない子だった。
真っ白いシャツに細いシルエットのベストを羽織り、七分丈のカーゴパンツ。生まれついてなのだろう、少し色素の薄い長い髪を緩くまとめている。赤と青と黒と白と、パンクな雰囲気漂うファッションセンスが際立っていて、なにより印象的なのはその首に適当に締めたと思しき真紅のネクタイだった。
可愛い顔立ちの子だったが、嵌めっ放しのハーフフィンガーグローブの手を組み、じっとこちらに投げる視線には猜疑の色が浮かんでいて、その瞳の奥底に眠る様な静けさが彼女の年齢を曖昧にしているのだと思った。身長が高いのもあるけれど、それだけではない――――まるで地獄を見てきたような動じなさのあるその瞳の目力が、探るように私を射ている。
その視線を少々居心地悪く感じて、私は視線をふいと逸らしながら、その少女に訊いた。
「あなたは?」
数秒間の間。彼女は少し眉を上げて、決めあぐねたように視線を泳がせた。だが隣に座るシュン少年の困ったような顔に諦めたのか、必要最低限、簡潔に述べた。
「……佐々(ササ)。よろしく」
「あ、駄目だよササ! ちゃんとフルネームで名乗らないと。ごめんね紀沙、ササってばこんなに可愛いのに中二病入っててさ、カッコつけたがるお年頃だから舞菜(まいな)って名前が嫌なんだ――――ってごめんごめんやめてやめて、それはナシ! ゴメンってば痛ぁっ!?」
「アンタが余計なこと言うからでしょ、シュン……焼かなかっただけいいと思えば」
「そんな冷静に脅されても困るかなぁ……」
この組織におけるシュンの立ち位置が、改めて確認できる会話だった。少女、ササに腕を締め上げられていたのを解放されたものの、痛そうに顔をしかめている。一切容赦の無い攻撃だったように見えたが、より上の段階があるらしい……え、焼く?
特段に物騒なその言葉を尋ねるより早く、桐彦が無遠慮に、もう一人の少年を指差した。
「こいつ、しおりって奴で合ってる?」
「え? ……しおり?」
一瞬、またリビングが静寂した。
男の子がさっと顔を上げる。落ち着いてきたのかと思われたその瞳には、何故かまたしても涙の膜が張っていた。潤んだその目で、すとんと視線を床に落とし、何事かぼそりと呟く。
残念なことに聞こえなかった。私が聞き返す前にまた、桐彦の苛立ったような声。
「なに? 言いたいことあるならはっきり言ってよ」
「ちょっ、桐彦! もう少し言い方ってものがあるでしょ!?」
「コミュ障って言うんでしょ、こういうの。そういう人は言いたいことがはっきり言えないんだから、こっちから聞くしか無いじゃん。つーか姉ちゃんうるさいからもう少し静かにしてよ」
「な、あんたね……!」
仮にも余所の保護者の前で、あんたはなんと無遠慮なことを言ってんだ! と咎めるべく、少し多めに呼吸をした、そのときだった。今まさに言葉を紡ごうとした私の口が、中途半端な形で止まる。
それは正面の男の子が、少し大きめの声を上げたからであった。
「ぼ、僕は『伊織(イオリ)』だよっ……! 『しおり』じゃないっ!」
「へ……? イオリ、くん?」
どういうことだそれは、と弟を見る。
弟はあからさまにしまったという顔で、金魚のように口をぱくぱくと開閉させていた。私の視線と奴の視線とが交錯し、瞬間私の眼に怒気が宿ったのを見て「げ」と失礼な声を上げる。
ぶっ、と正面でシュンが吹き出した。余程おかしかっただろうこの光景を見たのだ、咎められることではないと思うけれど、こちらが何か言う前にササが彼の足を蹴り飛ばした。しかも弁慶の泣き所を、である。悲鳴を上げて蹴られた場所をさするシュンに「馬鹿だろ、お前」と呆れた顔でトキヒロが呟き、ついでリンカが困ったような曖昧な笑みを浮かべた。
そんな面々の反応を尻目、私は大馬鹿者を見るような視線を弟に向けた。
「……信じられないんだけど、桐彦。あんたクラスメイトの名前間違えたの? 最悪。無いわー」
「ちょっと、クラスメイトって言ったって今日初対面なんだけど!? しゃあなくない!? あ、いやそりゃマズイけどさ、つーか先生が言い間違え、……あれ違うか、あれ僕が聞き間違えたのか……あーっ、もうっ泣くなよお前っ!」
「な、泣いてないよ……!」
「泣いてんじゃん! イオリな? 分かった分かった覚えた覚えたっ! イオリ、あー、ごめんって」
至極面倒くさそうな声音ではあったが謝罪を口にすると、しおりくん、改めイオリくんはこくりと頷いた。まだその目には涙が浮かんでいたものの、次に下手なことをしなければそれが零れる事はないだろう。
同じ九歳でもこうも違うのか、と少し感心する。人慣れしていないのか喋る度にびくつくイオリくんは、生意気な態度の目立つ桐彦と対照的ですらあった。ぽんぽん会話が進まないことを何より嫌う桐彦である、二人が仲良くなるのは随分な時間がかかるかもしれない。
と、ここで自分の妙な思考に気付いた。
あれ、私この謎の組織と仲良くなるつもりなのか……? あの力に関する知識や情報が得られるかもしれないから私自身はある程度絡もうかな、くらいの心づもりであったのだが、いつの間にか弟をも巻き込んでより親密になる計画を立てている自分に吃驚した。
啓太先輩のときも、こんなことは無かったのに……。
頭の中で首を傾げていたところで、リンカが二人の小学生を眺めながら、
「本当はあと二人いるんだけど、片方はバイトで、もう片方はお仕事中なの。バイトは今日の夜中に帰ってくるし、仕事の方は二週間は極力声をかけないでくれって言われてるから、今はお預けね?」
「あと二人……あれ、ご兄弟がいるんですか? 表の表札は六人分でしたけど。……ああ、イオリくん、誰かの弟さんなのかな?」
リンカ、トキヒロ、シュン、ササ、イオリ。この時点で五人いて、残りは二人。兄弟がいるとするなら計算は合う。そしてここが小学生イオリくんの住居として登録されている以上、兄か姉はいるだろうと踏んだのだが、この質問は驚くべきことに否定された。
「いいえ、イオリくんは『藤澤』ひとりよ。きょうだいがいるのは私でね、お兄ちゃんがいるの」
そう笑ったのはリンカだった。女子高生くらいにありがちな兄を煙たがる態度は微塵もなく、どっちかと言えば手のかかる弟、みたいな表情をする彼女に素直に驚く。二十歳前後の彼女に兄とは少し意外だった。ぱっと見、十代しかいないっていうのに、こちらには兄弟がいないとは。
「ここ、血縁者の少ない人の集まりでもあるから。そんなにびっくりすることじゃないよ」
ササの言葉はぶっきらぼうだが、何か見えない含みがあった。血縁者の少ない人の集まり、という言い方が何かを遠回しにして、避けているように聞こえたのだ。だがそれを訊くのは何だか気が引けて、やめることにした。……私自身、血縁者は弟ただ一人なのだから、あまり気軽に触れたい話題ではない。
「そっかぁ」と軽く笑顔で受け流してから、私は出来るだけ軽さを装って彼らに尋ねた。
「それで、魔法使いって話だけど、皆魔法使いって認識で良いの? それにこの組織……について、全然詳しい説明を受けてないから分かんないから、色々と聞かせてほしいかなっ!」
「……リンカ、新人とか言って説明してないんじゃん。何してんの。それ半ば拉致ったでしょ」
「あ、あれバレた……。うん、まぁ、ごめんね紀沙ちゃん! それでは気を取り直しまして、紀沙ちゃんたちに詳しい説明を始めようと思うよ!」
ドジ踏んだね、というシュンとササの冷たい視線をあはははと笑って回避を試みたリンカは、こほんとわざとらしく咳をした。それから時計を見て、
「……もう十時近いけど、二人は大丈夫? うちはイオリくんを寝かせちゃうけど」
「あ、私は大丈夫です! 桐彦は……どうする?」
「いいよ、僕眠くなったら勝手に寝るから。お話どーぞ」
「そう。じゃ、長い話になるだろうけど、始めよっか」
にこりと微笑んで、彼女は何かを回想するように目を閉じる。その仕草は別に何を言ったわけでもないのに、これからする話は自分を大きく左右するような気がして、居住まいを正す。
シュンがイオリを連れてリビングから出たところで、彼女はふっと息をついた。
「まずは、この組織の名前ね。私たちは≪魔法同盟≫。『Magic Alliance(マジックアライアンス)』なんて呼ぶ人もいるけど、大概はみんな『魔法同盟』か、略して『MA』って呼んでる……かな。呼び方は自由で構わないの、呼びやすいので呼んでね?」
「魔法同盟。……なんかそれっぽいですね。名づけ方が」
「名づけたのは一体何年前の先輩なのか分かんないけどねー。この組織、なんだかんだもう数百年の歴史があったはずだから」
「ってはぁ!?」
さらりと告げられたとんでもない事に私は目を見開いた。何だそれ、数百年? そこらの老舗旅館より余程長いじゃないか。秘密結社か、そうなのか!?
だが私の反応をさして気にした様子も無く、けらけらと笑うリンカ。
「うん、私も最初びっくりしたよ。でもマジっぽい。その頃の資料とか、基本的に閲覧出来ないけど残ってるし……そう。実はね、私たちみたいな魔法使いって全国にいるの。海外にいたって話はほとんど聞かないけど、日本全国に魔法使いはいる」
てっきり彼らのような小規模団体の話だと思っていたが、全然違った。スケールが段違いだ。世界中ではないにせよ、全国に……私のような力を持った人間が存在している?
にわかには信じがたい。
「記録の上では三千人くらい、潜在的なのはプラス千人くらい。まぁともかくたくさんいてね、私たちはそのうちの氷山の一角ってわけ。県内にも、うちを入れて三個くらい魔法同盟の支部があってさ、そこともたまに仕事するんだけど……私たちの支部の名前は、」
魔法同盟関東支部64号局。
と、リンカは一度言葉を切った。言葉を継いだのは、菓子パンの十一個目を飲み込んだトキヒロ。
「ちなみにうちの局長はリンカだ。四年前に出来たばっかりの支部なんで人数は少ないけどな、それなりにやることは多い。正直言って面倒くさい」
「……同意する。最初の訓練とか依頼とかはともかく、なんで報告書なんて書かなきゃならないの」
ササが不満げにそう言い添えれば、リンカは肩を怒らせて「実戦バカは黙ってなさい! 書類に忙殺される私の身にもなって!」と二人を睨み付けた。柔和な顔立ちからは想像もつかない意外に鋭い眼光に、二人は揃って肩をすくめる。
「ええっと……大きい会社みたいなもの、ってこと?」
「簡単に言えばそうかな。私にも上司がいるし、トキヒロくんたちの書類上の上司は私ってことになるの。ここまではオーケイ?」
「オーケイ」
「じゃあ、次に組織の目的について、ね」
そう言うと、リンカはじっと私の目を見た。まるで私の心を見透かそうとするようなその視線にたじろぐ。こうも淀みなく目を合わせられると、居た堪れない気持ちになるから勘弁してほしい。
数秒間そうしたかと思うと、彼女は切り出した。
「紀沙ちゃんの魔法って、目に二重円出てこない?」
「――――!!」
やっぱり見られていたんだ、と少し唇を噛む。あんな闇夜であんな目立つ二重円を使えば当たり前の話だが、八年間、基本的に秘匿し続けてきた私としてはそれを知られるということには不安が付き纏う。桐彦や先生とは次元が違う話。先ほど会ったばかりの人間に見抜かれた、その事実だけでも。
私のその様子は何よりも雄弁に正解を語っていた。そうだよね、とリンカは一つ頷く。
「やっぱりそっかぁ……うん、間違いないな。紀沙ちゃんは魔法使いだよ」
「……そう、ですか?」
「うん。あのね、魔法使いが三千人いるって言ったでしょ? でもその三千人、皆が皆同じ魔法ってわけじゃあないんだよ。あの壁から推測するに、紀沙ちゃんは≪幻≫みたいな魔法でしょ?」
「バレますよねそりゃ……あれだけ派手に使っちゃえば」
はぁ、と溜息をついた。だがその隣で桐彦は、「あんとき隠す気なかったでしょ」と付け足した。どうやらお見通しだったらしい。
妙に鋭い弟の指摘を受けて、私はリンカに言い添えた。
「あのときはほら、切羽詰まっちゃって。隠そうかなって思ったんですけど、やめました。人間命の危機に晒されるとどうするか分かんないもんですねぇ」
だが、この言葉に反応したのはリンカではなかった。いや、正確にいえば応答したのは彼女ではなかったのだ。
反応自体はした。え、ととても不思議そうに首を傾げる、という動作。ちょっと可憐だなぁとか思ったのは内緒。
トキヒロは菓子パンに伸ばそうとしていた手を止めた。
そして声を返したのは、残る一人であるところのササだった。
「……隠すって、どうやって?」
「へ? どうやってって……ああ、そっか。皆は≪幻≫の力じゃないんだね? うーんと」
改めて聞かれると説明が難しいな、と思いつつも脳内辞書を繰り、私は身振り手振りも交えて説明を試みた。こういうとき頭の良い人が羨ましくて仕方がない。
「私の力ってね、使い始めと使い終わりにだけ、二重円とオレンジの光が見えるみたいなの。あ、それっていうのはつまり、≪私以外の他の人に力を使ったという証拠が見える≫のが、始めと終わりだけっていうことなんだけど。私には力を使っているとき、ずっと二重円は見えてるんだよ」
「……うん」
「それでね、勿論力の使い始めと終わりとっていうのは、私が意識してオン・オフをするんだけど。この間っていうのは、幻を見せ放題なの」
「……? 見せ放題?」
「そう、見せ放題。例えばえっと、そうだな、そこにプリンがあるって≪幻≫をまず見せるでしょ? これでひとつ。そうしたら、そのプリンの上にスプーンが置いてある、っていう≪幻≫を追加する……ううん、覆い被せる? が近いかと思うんだけど、……≪幻≫の上書きみたいな感じ?」
「幻の上書き……」
「私の集中力が続く限り、幾つでもそれは上書きできるんだ。やろうと思えば、空中で踊る蝋燭と地面にめり込んだ野球ボールの≪幻≫とか、離れた場所でもある程度はできる」
話しているうちに、何故か目の前の三人の顔色が変わっていくのを疑問に思いながら、私は話を続行する。
「だから、なにか≪幻≫を見せるときは、私いつも自分の表情に≪幻≫を貼り付けるの。オレンジの光と二重円を見られないように、力を使ったその瞬間に何より最優先で自分の顔を≪幻≫にする。……自分に使うときはそんなことしなくても、発動は一秒もないから使っていることがバレたりしないんだけど、念のため。他のものに使うときは使う力が多くなって、二重円と光が分かりやすくなるから、自分の顔に≪幻≫を見せるのは必須だね」
だから啓太先輩には絶対にバレない。
その気になれば弟も先生も騙すことが出来る自信がある。
力を使っていることを、悟られない確かな自信がある。
「……こんなカラクリで、今まで力を使ってもバレないように色々工作してきたんだけど……えっと、分かった? こんな拙い解説で大丈夫……?」
反応の途絶えた三人をそっと見遣れば、彼らは似たような姿勢で固まっていた。こちらの話に身を乗り出すような、中途半端なそれだ。戸惑いのまま、助けを求めるように弟の方を見たが、既にこいつは健やかな寝息を立てて眠りこけていた。救援は見込めない。
なので、彼らが動きを止める理由を捜すことにした。自分の発言を遡る。しかし、特段妙な発言をした覚えもない。やっぱり分かりづらかったのか、ともう一度説明すべく口を開いたときだった。
トキヒロが行動を再開した。まるで真意を問うようにがっちり私の肩を掴み、結構な至近距離で問うたのである。
「お前、その力が使えるようになったのっていつだ?」
「……へ?」
「いつなんだって聞いてるんだ」
気だるげな先程までの態度はどこへやら。いやに真剣なその眼差しに気圧された自分を認識しながらも、私の口は微かな嘘を含んで言った。
「八年前の大みそか……だけど」
本当は違う。この力を手に入れたのは、その数日前。聖夜と称されるクリスマスの夜。
けれどそれを素直に言うのは、自分の中の思い出をずたずたに切り刻むような痛みを伴う気がして回避した。そもそも嘘にまみれた私だ、こんな些細な嘘のひとつやふたつ、容認して頂きたい。
だがそんな心境をまるで無視して、彼は更に問いを重ねる。
「その日から七日間、ひどくなかったか? 期橋ので言うなら……そうだな、誰彼構わず幻を見せたりしなかったか。あと自分が別人に化けたりとか」
「……? いや、しなかったよ。最初の七日間は確かに≪ひどかった≫けど、周りは全然気付いてなかったし」
「気付かない……?」
「うん。なんか無意識にか分かんないけど、私その頃から自分の二重円を隠していたみたいなの。それに周囲に幻を見せるんじゃなくて、私にだけ幻を見せるような状況だったから。ホント、びっくりしたよーアレは! もう懲りたってんで練習始めて、今じゃもう私みたいなものだけどね、この力は」
けろっとした顔でそう言った。すると、トキヒロが肩から手を離す。
ちょっと至近距離過ぎてどぎまぎしたのだが、そんなことは彼にとって現在念頭に置けないらしい。
三人はそっと顔を見合わせて、それからほぼ同タイミングで私を見た。その顔には一様に、驚愕と疑いの表情が浮かんでいる。どうしてそんな顔をされるのか理解できなくて、私は眉間に皺を刻んだ。
数分間の沈黙。時計の音と呼吸音と衣擦れの音だけが部屋に響いた。まるでこの部屋に来た直後のような状況に逆戻りだ。
沈黙に耐えかねて、私は自ら問い返した。
「えっと、何だったのかな……?」
「……八年前かぁ。八年前。ええぇ、そっかぁ、八年前……。まさか拾ってきたつもりの新人が、シュンくん並みの大ベテランだったとは……」
やっと返ってきた言葉は、そんなリンカの呆れたような、疲れたような声だった。
は? 大、ベテラン……?
「いえね、私、紀沙ちゃんのこと、魔法を使えるようになったばっかりの新人さんだと思っていたのよ。≪悪夢の七日間≫って魔法同盟では呼んでいる、魔法を制御できない七日の期間の最中か、乗り越えた直後か……って、あたりをつけていたの。だってベテランを見つけるなんて有り得ないんだから」
「……はい?」
トキヒロの口にした≪その日から七日≫の意味は分かった。どうやら他の魔法使い、つまるところリンカたちは魔法を制御できない期間があったようで、それは自分にも覚えのあるところだった。しかしベテランを見つけるわけがない、という言葉の意味が分からない。
私の疑問を汲んだのか、ササが注釈を入れてくれた。
「……魔法同盟じゃ、特殊なある魔法を使って、それぞれの地域で≪魔法使い≫が生まれたかどうかを観測することができんの。魔法を使えるのは先天性じゃなくて後天性で、説明がめんどいから省くけどあるきっかけが必要でさ。それで、魔法を授かってから最初の七日、本人の技量や意志力に依らず、魔法は暴走する。……その≪暴走した時の魔法を感知する≫魔法で、私たちは新しい魔法使いが生まれたか確認してるわけ」
「ふ、ふむ」
「基本的にこれに引っ掛からない人はいない。ていうか多分、今までほとんどいないんじゃないかな……あたしも引っ掛かったし。……だけど、八年も経ってるならその暴走期間はとっくに通り過ぎてる」
「つまり、だ」
と、トキヒロが言葉を継いだ。
「期橋の魔法は≪感知魔法≫ですらも騙すくらい、強力ってことだ。魔法を使っていることを魔法で隠蔽していたってこと……、はぁ、滅茶苦茶だな」
「そ、そんなこと言われても!」
そんな文句はとばっちりもいいところだ。そもそも隠したのは私の意志じゃなくて、この力じゃないか。私が滅茶苦茶だなんて誤解を招きそうな言い方はやめてほしい。
しかも畳みかけるようにしてリンカが、
「それも完全制御できてますっておまけ付きだよ、トキヒロくん。これはなんか、すごいニューフェイスを拾ってきちゃったなぁ」
「まるで捨て犬を拾ったみたいな言い方しないでください……」
「どっちかと言うと、紀沙ちゃん雄々しい野良犬って感じするわよね」
「褒めてないですよね? 貶されて喜ぶ人種じゃないんですけど、私」
ご機嫌斜めですけどオーラを醸し出しながら言い返すが、朗らかに笑って返された。思った以上のやりずらさに溜息が漏れそうになる。やっぱり、私はボケ担当だな。こういうときどう切り返せばよいのかよく分かっていない。
だからというわけでもないが、私は話題を元に戻すことにした。桐彦の一言で随分話が逸れている。
「で、最初に戻りますけど……私のそれと、この組織の目的とはどう関連が?」
「あぁ、それ忘れてたわ……。でももう、紀沙ちゃん一つは達成してしまっているのよね。魔法使いのほぼ全員が魔法同盟に加入する、最たる理由を」
「と、仰いますと?」
私の問いに、リンカは右手の差し指を立てた。
「魔法同盟の目的は主に二つ。一つは≪魔法の制御≫――――これ、普通は個人じゃ中々うまくいかないから、皆うちに入ってそれを勉強するのよ。完全な制御には相応の努力とセンスがいるからね。私はもう完全制御の域に辿り着いたけど、ササちゃんはまだたまに『燃やす』し、トキヒロくんもたまに『消す』わ。制御できなきゃ危ない物も多いのよね……で、二つ目。新たな魔法使いたちを無事に育てること! いろんなノウハウを教えなきゃならないの」
「はぁ……」
「それで、魔法の訓練ついでに色んなところから依頼を受けて収入を得たり、魔法同盟という組織を通じて友人を得たり、それぞれ個人の目的があるわ。三千人の魔法使いの頂点に立つことを夢見る子もいれば、ただ生きるのに必死な子もね」
つまりは、何でも屋か。
自分なりに噛み砕いて納得した。魔法と言う力に困った人間が目指す駆け込み寺であり、その身に余る力を仕事という形に変えて使役し、自分の利益へと還元する。なかなか良く出来たシステムだと感心する。
ふと、目の前の三人やシュン、イオリはどうなんだろうと思った。魔法制御のためだけなのか、それとも他に理由があるのか。そうだとしたらそれは何なのか、大いに気になるところではあった――――が、私はそれを問うことは無かった。
そんな個人の事情に首を突っ込むべきではないし、話したくなったら向こうから話すだろう。私も自分の身の上は極力話さず、それこそ虚実交えて創作でもしてしまおうと決める。
真実なんていうものはいつも残酷で、作り話はひどく優しいのだと、私は知っている。
聖夜の夜に誰かの泣く声が脳裏で木霊して、私はそれをかき消すように笑みを浮かべた。
二重円と文字が、私の視界で高速回転していた。