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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
証明アイデンティティ
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2 焦げた導火線

 幼馴染というだけで、ずっと一緒にいられるんだと思っていた。


 まるで魔法だ。漢字にして三文字、ひらがなにして六文字限りの単語であるにも関わらず、その言葉だけで全てが許されるような錯覚すら抱いていた。この言葉が、この大義名分があれば、特別な許可も努力も何も必要なく、彼らの隣にいられるのだと無邪気に信じていた。


 その確信が揺らいだのは過去に二度しかない。

 一度目は、自分たち四人を育ててくれた先代の〈三人衆〉が亡くなり、四人の道が分かたれたとき。いや正確に言うならば、自分と幼馴染たちとの行く道が分かれた、その夜だ。


 自分は「存在しない魔法使い」――所謂〈名前消し〉として生きることを決め、そして三人の幼馴染たちは魔法使いたちを統率すべく全国三千人の頂点に立つ〈三人衆〉を目指すことを決めたその日、彼は迷った。


 ずっとこれまで一緒に居た幼馴染たちと、生きる道も使う手段も目的も違えてしまうであろうことに、言いあらわせないほどの不安を覚えたのだ。兄貴分みたいに振舞っていた自分の手など借りずとも、きっと今後将来へと歩んでいくだろう幼馴染たちと、たった独り道を歩まねばならない自分との間に生まれるだろう距離感。それを予期して、自分は……滝仲シュンという人間は、誰も居ない部屋で震えた。


 物理的に四人でいられる時間は減るだろう。そして秘密を共有する三人と、共有できない自分との精神も大きくかけ離れてしまうかもしれない。そう思った。


 ずっと三人でいられる彼らに対して、果たして自分はそこに混じることが出来るのだろうか?

 もしかしてもう一緒にいられなくなるのではないだろうか、もしかして必要とされなくなってしまうのではないだろうか、もしかしてもうボクは、あの三人にとって家族じゃなくなる? 


 そんな不安に苛まれた夜を、彼は確かに覚えている。ただでさえ暑い猛暑の夜半、最後に四人で川の字になって眠れる夜にひとりで飛び起きて、人知れずひっそり泣いたのも覚えている。幼馴染たちは知らないことだ。知らなくていいこと、でもあったけれど、当時は誰も気付いてくれないことが寂しくて余計に泣いてしまったのも、覚えていた。


 確かあのときは結局一晩中泣き明かして、皆が起きるよりも早く部屋を抜け出してごまかしたんだっけか。心の中の不安も恐怖もなかったことにして、起き抜けの幼馴染たちに笑いかけるのは、正直結構辛かった気がする。だけれどその弱さを見せるのは嫌だったから、無理矢理表情筋には仕事をしてもらった。


 二度目は、幼馴染たちが〈三人衆〉に選ばれるおよそ一週間前に自分に起きた、とある事件のとき。

 詳細は思い出すだけで怖気が走るので省略するが、簡単に言えば、自分はそのとき死にかけた。十五歳になった今から振り返ればそう恐ろしいことではない、のだけれど、ただ死にかけたという訳ではない。事件後しばらく誰とも口を利けなくなるほどのことが、十一歳当時の自分の身には起こったのである。


 あのときにぼんやりと思ったのだ。

 嗚呼、もう、自分は誰の隣も歩けないんだと。


 幼馴染たちとの未来の分岐点での予感が、現実になってしまったと思い込んだ日だった。全てが取り返しがつかないんだと悟った絶望の日が、彼には確かにあったのだ。今の明るい振る舞いしか知らない面々は首を傾げるかもしれないけれど、回想するのも憚られるほど憔悴した日々の中で、高い場所に行きたがった日が滝仲シュンにはある。

 高い場所に行って、何も考えずに墜ちてしまいたかった日が。


 幼馴染という言葉は、許可証だと思っていた。

 その思い込みを覆されたと思った二度の経験は、シュンにとっては悪夢のようなものであり、できることならば振り返りたくもない。ありふれた不安で構成された一度目と、やっぱりよくある、大したこともない出来事を過大に捉えて塞ぎこんだ二度目。黒歴史と言ったっていい過去。


 だが、今回ばかりはそうもいかないらしいとシュンは悟る。

 目の前に提示された情報たちが指し示すのは、あの不吉な予感が既に現実となっているということの、何よりの証拠。

 シュンはもう、幼馴染の横など、とっくの昔から歩けていなかったのだと。

 そう思い知らされる、現実の証だ。



■ □ ■


 一昨年に十六人、去年は二十二人。

 この数字が一体何を指すかというと、魔法同盟の在籍者名簿に載っていながら行方を眩ました、二十五歳未満の魔法使いの人数である。


 東興星観タワーでの〈人形〉事件当時に調べた際は二十人だった失踪者は、その後の四ヶ月で更に人数を増やし、結局はこの人数に収まっている。


 そして、この失踪者たちにはとある共通点があった。

 

「……高ランクの魔法使い……に、失踪者が限られている」


 ぼそり。


 魔法同盟関東支部64号局、その二階に与えられた自分の個室のカーテンを閉め切り、照明もつけずにモニター画面を注視していたシュンは呟いた。


 デスクトップとキーボードのほかに、彼の机にはレポート用紙が乱雑に散らばっている。この間自分がヘマをしてしまったとある事件での教訓がきっかけとなり、重要な情報を纏める際にはパソコンではなくアナログ的に書き写すことにしたのである。ワードソフトなんかで情報をまとめてしまうほうが楽なのだけども、シュン並み、或いはそれ以上に電子界隈に精通した魔法使い――それも敵対者であるかもしれない人間がいるとなれば、警戒は怠らないほうが賢明である。


 文字を書くことには慣れていないせいで、読みやすいとは決して言いがたい文字がレポート用紙を埋め尽くしていた。別に他の誰に見せるわけでもない、自分が読み取れればいい内容なので特に気を遣うことはない。


 手にしていたシャープペンを放り出して、あちこちに散らばっていた紙の一枚を手に取った。回転椅子の背もたれに背中を預けてそれを頭上にかざす。昨年、一昨年、その前、更に前。データが残っているものを遡ること三百二十年分。数代前の魔法使いたちがデータベースにしてくれたらしい、黄ばんだ紐閉じの書物にしか書かれていないような記録まで遡って仕入れてきた情報の、最終的な統計がそこには書かれている。


 過去、三百二十年。そのうち二百九十年分の間、二十五歳を前にして失踪する魔法使いはほとんどゼロに近い。

 だが最近三十年分の間は、二十五歳でなくても姿を消す者が急増している。


 最初はひとり、翌年は二人。年毎にある程度のブレはあるのだが、三十年前から少しずつ少しずつ、行方不明者は増えていっている。中でも酷いのは十五年前からで、このときは前年から六人も失踪者が増えているのだ。


 ――そしてその失踪者たちは皆、魔法使いの中でもかなりの実力者であるとされた人物たちばかりであることが判明したのである。


 例を挙げるのであれば、〈人形〉事件のクーデター犯・神木深丘が捜索していた元19号局局員・組木あさがお。〈跳躍(ジャンプ)〉と呼ばれる魔法を持っていた彼女は、身体能力を引き上げる系統の魔法使いの中でも抜きん出た使い手であったとされている。もとより優れていた身体能力にプラスして、己の跳躍力を限界まで――これは本人のポテンシャルにおける限界のことだ――引き上げることが出来た彼女は、どうやら頭もさほど悪くなかったらしい。実務任務での好成績は、全国的にも高く評価されていた。百茎県内でも危険任務を主に取り扱う19号局の、主戦力とも言える存在だったわけだ。


 まぁ。

 それ以外にも、シュンはもっと身近に知っていた失踪者がいるのだけれども。


「……高ランク魔法使いだけが姿を消して、その翌年には同じ魔法を使う魔法使いが現れている……ただし、実力差には当然ながら個人差があり……」


 つまり、行方不明になった高ランク魔法使いと同じ魔法を使える者が現れても、「魔法の程度が同じように強い」わけではない。行方不明になる前には〈三人衆〉争奪戦に参加できる実力だった攻撃系魔法が、行方不明後に現れた新人のものとなってみたら鼠一匹殺せない威力になっている、というようなこともあるらしい、ということだ。


 とはいえこれも個人差、というかブレが大きく、威力が減退している者もいればむしろ増している者もいるのだが、まぁそれはともかく。


 問題は、『同じ魔法を使える人間』――つまり『同じ精神的ショック』を受けた人間が、まるで当たり前のように翌年には現れている、ということだ。それも、高ランク魔法の例に違わず精神的な〈死〉と言い換えて良いほど衝撃的なショックを受けた者が。


「もしも次の魔法使いが現れるまでのスパンが一年以上、平均して三十年から百二十年の間だったんなら、別に不思議なことじゃない――魔法使いは『循環』する。魔法使いは二十五歳になったら、忽然と姿を消し(・・・・・・・)、そして次に同じ魔法を使う(・・・・・・・)魔法使いが現れる――そのシステム自体は、魔法同盟発足当時から何も変わらない、システム(・・・・)だ」


 各支部に配属された一般の魔法使いたちには、二十四歳になるまで知らされない魔法の秘密。

 本部配属の魔法使いの中でもごく限られた人間と、〈名前消し〉の一部、そして支部局長たちだけが知っている、無機質にして気味悪い運命……否、運命というには劇的さが足りない、冷厳なる事実。


 どんな魔法を所有した人間でも、二十五歳に魔法使いは姿を消す。

 二十五歳の誕生日を迎えた魔法使いたちは、その日を最後に誰の前からも跡形もなくいなくなる(・・・・・)


 彼らがどうなってしまったのかを知る者はシュンの知る限りいないし、二十五歳を過ぎても姿を確認された魔法使いは、魔法同盟の歴史上誰一人として存在しない。たとえ魔法使いの中でもその代最強であるはずの〈三人衆〉であったところで、辿る末路は同じだ。周囲の誰が何をしてもその〈現象〉を食い止めることは叶わず、本人がどう足掻いたとしても、結末を変えられた過去は、ない。


 魔法使いの余命(・・)は二十五歳まで。

 魔法使いに選定されたその日に、あらゆる魔法使いたちは、望んでもいないのに生存のタイムリミットを押し付けられる。トラウマを抉るような趣味の悪い異能を手に入れるのと引き換えに、その力を扱いきれずに学ぶことすらも妨げられ、何か目標を見つけてもそれを成し遂げるにはあまりに短い余生を言い渡される人生。それが、全ての魔法使いたちに身勝手に押し付けられた、悲願の代償。


「……、」


 身体から発する電流を操ることができず、感電を避けるため誰かに接することすらできなかった幼少期の自分。魔法を御しきれず、他者の思考回路を手当たり次第に辿っては相手のトラウマを鮮烈に蘇らせてしまうから、と体育座りで人を拒絶した彼女。己の周囲にある全てに殺傷能力を持たせてしまえたから、ほんの少しの敵愾心で五人の人間を生死の境に追いやってしまった彼女。手で触れたものを存在ごと塗り潰せる力に閉じ込められ、自身が最も慕っていた存在を失ってしまった彼。


 大きなことを願った記憶なんてない。

 どころかシュンは、なぜ自分が電気を操るこの魔法を得たのか、その理由すら分からない――記憶がない。物心ついたときには既に魔法同盟にいて、その前は味方など誰もいない孤児院にいて、親の顔も知らないシュンは、自分の魔法のルーツを知らないのだ。


 シュンは自分が、どうして(・・・・)魔法使いなのか(・・・・・・・)――分からない。


 そしてきっと、あの幼馴染たちも、支部64号局の仲間たちも、こんなおかしな力を手に入れることを本気で頼み込んだ者なんていないのだ。ほんの些細な出来心、心を抉られたそのときに茫洋と感じた、本来なら叶うはずもなかった「もしも」、その程度のものであったはずで。


 それなのに――それなの、に。


「……ボクらはあと九年。ササは十年、イオリは十五年。キサちゃんやトキヒロが八年、アキが七年……リンカは五年、ユウキは四年、ミイちゃんは残り……三年、」


 十五年後、イオリが二十五歳になる頃、現在の魔法同盟関東支部64号局メンバーの中で、生存者はイオリただひとり。そのイオリも、その年の誕生日にどこかへと往く。

 十五年の月日が経ったら、シュンの大事な人たちは誰も彼も全員、消えてなくなってしまう。

 夢幻のように、全て。


 そして十五年後から更に何年も経ったなら、シュンの大事な人たちと同じ魔法を使うまったくの別人たちが、今の彼らの魔法名を名乗るのだ。何の疑いもなく、二十四歳になるその日まで自分と同じ過去を持った誰かがいることも知らず、人生を生き切ることも出来ないまま消える運命なのだと知ることさえなく、呪われた名前を口にする未来が、いつか必ずやってくる。


 〈庇護〉だと、〈会話〉だと、〈蒼炎〉だと、〈遮断〉だと、〈夢測〉だと、〈色分〉だと、〈虚構〉だと、〈警鐘〉だと――〈重塗〉だよと、〈武器〉だよと、〈刻文〉なのだと。


 〈雷従〉です、と。


「――ッ、そういうシステムなのなんて、分かってるけど……ッ!」


 魔法使いは循環する。

 何百年もの間ずっと、二十五歳までの限りある人生を魔法使いたちは生き、消えて、次世代へと魔法を渡していた。恒久的に変わらない仕組み、今更変わりようもなければ仕組みの構造すら分からない大きな奔流。そういうもので、そういうことだと受け入れる他手立てもなかった、魔法使いたちの運命。


 だがその流れが変わりつつある。

 二十五歳以前の者でも、姿を消し、そしてその魔法を使える新たな魔法使いが発見されている。このことの指し示す意味は、つまり、


「……魔法循環のシステムが、加速している(・・・・・・)……十五年前から、魔法使いの代替わりが早くなってるんだ……実力のある者に限られてはいるけど、そんなの何の安心要素にもなりゃしない――つまりボクらは今、いつ誰が(・・・・)消えても(・・・・)おかしくない(・・・・・・)ってことじゃないか……!!」


 魔法同盟関東支部64号局は、他の支部では扱えないような問題児をかき集めた部署だ。一見悪い響きにしか聞こえない問題部署のような気もするが、実際のところ扱いづらさがピカイチなら、本領を発揮したときの効果もピカイチ。とある一項目だけに限定するのであれば、既に行方をくらました組木あさがおに引けを取らない効力の魔法を所有する者たちが大半を占めているのだ。


 《攻撃系》魔法使いの中でも、名前の通り随一の火力を誇る〈蒼炎〉、ササ。

 工作活動と操作精度に長けた魔法で安定した功績を挙げる〈遮断〉、トキヒロ。

 効果範囲は街みっつぶん、少しのコントロール力不足はあれど情報収集能力では魔法使い一になりえる原石、〈会話〉のイオリ。

 確率発生な上種類も最悪だが、魔法の中でも希少な未来予測の能力を持つ〈夢測〉、ユウキ。

 八年もの間魔法を秘匿していた上、あらゆるものに幻を被せる隠蔽能力が光る〈虚構〉、キサ。

 「魔法を見破る魔法」という、型破りながらも対魔法使いにおいて非常に優秀な功績が期待される〈警鐘〉のミイ。


 ……魔法だけの実力で言うならばこのメンツになろうが、リンカやアキが劣っているかと言えばそんなことはない。判断力や経験なんかを鑑みてランク付けするのであれば、64号局の中でもトップに食い込むことは間違いないだろう二人だ。身内自慢をするつもりではないが、うまく機能さえすれば、64号局支部は実力者揃いなのである。


 さて、ここで最初の情報に戻る。

 ここ三十年の間に急増した行方不明の魔法使いたちは皆、全国区で名が知られていた魔法使いであったり、あるいは功績の安定した魔法使い達であった。実力水準が高く、〈三人衆〉争奪戦に参加できるような者も多くいた。


 シュンの評価が間違っていなければ、64号局のメンバーはギリギリ――もしくは余裕を持って、その枠に入る。

 行方不明者の共通項に、当てはまる(・・・・・)


 それは勿論シュン自身にも言えることであるが、もっと言えばこの異常事態に気付いていないはずがない彼の幼馴染、現〈三人衆〉にも言えること。〈三人衆〉は姿を消さないという法則性があったならまだ助かったのだが、残念ながら先々代の〈三人衆〉のうちの二人が二十五歳の前に姿をくらまし、一年後と三年後にその二人の魔法と同じ魔法を持つ魔法使いが誕生していることが確認されている。〈三人衆〉がこの奇妙な現象に巻き込まれない確証は、ない。


「……はぁぁぁぁぁああ……もう、何がどうなってんだよ、意味わかんないってば……誰かが何かしてんのは多分間違いない、でもその『誰か』は、『誰』なんだ?」


 疑問を口にしてみても、ひとりきりの部屋で誰かが答えるはずもない。シュンは長い長いため息をついて、軽く床を蹴った。くるくるくると勢いのついた回転椅子が回り、彼の視界が歪にねじ曲がる。


 分かっていることは多いようで少ない。

 ひとつ、魔法の循環が早まっていること。ふたつ、それによってシュンの周りでいつ失踪者が出るかも分からないこと。みっつ、……シュンの幼馴染たちは、予想していた以上にとんでもない事態へと巻き込まれていて、それから。


 シュンのことを、アテにしていない。

 このみっつだけが、シュンの分かっていること。


「イライラすんなぁもう、何なんだよ何なのさぁ……! ボクはそんなに戦力外かよ、そんなに頼りないかよ、そりゃぁボクお化け屋敷嫌いだしビビリだしすぐサボるし身体もでかくないし喧嘩も強くないけど、でもさぁ、でも、」


 もうちょっとくらい頼って欲しい、とか。

 何も話してくれないことが悲しい、とか。

 まだ隣を歩いていたいんだ、なんて。


 全部、我侭でしかないんだろうか。


 カーテンの隙間から差し込む昼の太陽はまだ高い。パソコン脇のデジタル時計の示す時刻はまだ午前七時で、蛍光グリーンの文字が微かに明滅を繰り返している。一月の冷えた空気がパーカー越しでも肌を刺す冷たさだが、シュンは暖房は入れようとも思わなかった。冬の冷たい酸素は、脳に染み渡るようで嫌いではないのだ。頭が冴える。


 くしゃ。紙が握りつぶされるような音で、シュンはハッと我に返った。手元にあったレポート用紙をいつの間にか握って、数分忘我の地に至っていたらしい。暗くて悲しい思考にギアが回転しそうなのをぶんぶん頭を振って振り払い、シュンはすっくと立ち上がった。


 正直言って、今のシュンには情報が足りない。何か推測を立てるにしても材料が少なすぎて、現時点で立てられるものはあくまで「可能性」――いやそれ以前の「憶測」でしかないのだ。モニター画面と書き散らしたレポート用紙の前で自分の無力に打ちひしがれるよりも、自分のやるべきことがあるはずだった。


「……まずは情報収集。サトリにも、コハルにも、カギナにも、他の皆にも悟られないように、集められるだけデータを集めて――話はそれからだ」


 そうと決まれば、シュンにはもう迷っている暇などない。

 回転椅子を蹴散らして、カーテンレールにひっかけっぱなしだったハンガーに掛かるダウンジャケットを乱暴に手に取り袖に通す。任務用でしか使わない秘密道具の入ったヒップバッグを腰に巻いて、白いマフラーを首に巻きつけた。念のためあったほうがいいかなぁ、なんて思って野球帽も手に取り、彼はひとつ深呼吸する。


 誰にも知られてはいけない秘密の任務が、今始まろうとしていた。







 ――の、だけれども。

 朝八時過ぎの電車に飛び乗って、人数もまばらな車内。乗車駅から数駅を過ぎた辺りから情報整理のつもりもかねて携帯端末でメモ帳を開いたシュンは、そこで今現在最大の悩みの種とはまた別の悩みの種を見つけることになってしまった。


 さすがというべきか、慣れた手つきで端末を操作し始めたシュンの近くに乗り込んだ乗客――見たところ、少し離れた場所にあった気がする私立高校の男子生徒だった――がぼそぼそ始めたお喋りが、シュンの耳に入ってきた。

 普段、シュンはイヤホンもヘッドフォンもしないし、ミュージックプレイヤーは家でしか聞かない。外での人々の噂話とか会話というのは案外と情報に満ち満ちており、日常的に情報収集を行う生活をしているシュンにとって、それらが一体どんな情報であろうと聞き逃すのは勿体無いという意識が働くのである。俗世的で乱雑な情報に彩られたネット世界に慣れてしまってからは、情報の真偽や信憑性を判断するための材料としても活用するクセがついていた。多分職業病である。


 で。

 問題は、その男子生徒たちの話していた事件のことだ。


「ねぇ、あれどう思うよ? なんか今いろんなテレビでやってんじゃん、連続放火事件。五日で三十七件とか出てるんだってよ、被害」


「えっ嘘、マジで? そんなに出てたの!? 昨日母さんが見てた……ような気がするけど」


「……お前部活から帰ったら即寝る奴だもんな、テレビなんか見てるはずないか……うん、百茎全域で被害拡大してるらしいぜ。時間帯も場所も全然共通点なくって、犯人もひとりなのか複数なのか、あるいは模倣犯でも出てるのか、何にも分かってねーんだってさ。最近物騒だよなぁ」


「うげぇ、こっわ……もしかしてこの辺でも被害出てんの?」


「おう、つか三組の学級委員長いんじゃん、あいつのばあちゃん家のクリーニング屋、火ィつけられたんだってよ……?店のシャッター燃えちまって大変だったらしい」


「イインチョの!? 冗談だろ、あそこ俺の行ってる塾行くとき通るんだけど!?」


「いやマジで。だから不審者と不審火には気をつけろって話なんだって」


 ……連続不審火事件?

 思わず片眉が吊り上がるのは阻止できなかった。端末に表示されたキーボードを滑らかにフリックしていた手が止まり、一瞬だけ心拍数が跳ね上がる。


『あんた達と仲良くする気なんて、ないから』

 

 どうして初対面の君を思い出したんだろう。

 赤く、紅く燃える、その名の通りまるで炎のような激情を秘めた彼女の、暗く淀んだ瞳が脳裏に蘇る。その時間は一秒にも満たないし一瞬と言うにも満たない刹那のことだったが、次の瞬間シュンは端末画面を神がかった速さで切り替えた。


 車内、少ないとはいえ人目があるので魔法を使うのは憚られる。インターネットブラウザで『連続不審火事件 百茎』と検索をかけて、手当たり次第にニュースサイトを漁っていく。次々に情報を頭の中に叩き込んでめぼしいものを収集し終えると、次はSNSの方で検索をかけた。


 インターネット上の情報などと言うものは、基本的にどんなものでも正確性に欠ける。それは情報というものが「事実」だけではなく、「脚色」されていくからだ。その事実を目にした人が伝える情報には、必ずその人物の主観や価値観が反映されていく。ある人が目にして伝えた事柄が、同じ事実を見た人からすれば違うものであることは往々にしてあることだ。情報は、伝えた人間と読んだ人間の価値観が混合されてしまい、本当の姿が見えなくなることがある。

 

 だからこそ、ニュースサイトだけに頼らず、人の声が直接投稿されるSNSでの情報収集も有力な手がかりになる。情報は数が多ければ多いほど混乱するが、その数多い情報を整理して選別し、活用することができるならば、情報数が多いのは決して悪いことではないのだ。


 魔法を使っていないとはいえ、普段からこういう情報の収集には慣れているシュンである。目に入れたそれが有益なものか、そうでないのかを瞬時に判断してつまはじきにしていく作業を行うこと四十五秒。


「……マジか」


 どうやら本当の話だったらしい、ということはまぁ予想の範疇ではあったのだけれども、それ以上に。

 念のため、と思って調べてみたら、まさかの的中だった。


 火災現場に関連性は今のところゼロ。放火犯に関する有力情報もなく、また目撃情報もなし。時間帯は昼夜問わず、現場は百茎の東西南北あらゆる場所。火が放たれた場所には火気は一切なく、閑静な住宅街から喧騒に満ちた繁華街まで犯行現場がはちゃめちゃ……。


 一見すると何の関連性もない不審火事件たち。だが県警たちがこの事件を繋げ、「連続不審火事件」としている理由はすぐに分かった。


 現場には残されていたのだ。

 一連の事件が同一犯の犯行であることを裏付ける、確かな証拠が――そしてこの連続不審火事件が、突如発生したものではなく、

 続き(・・)であることを指し示す証拠が。


「……ふざけやがって」


 ぼそ、と電車内にも関わらず呟いた言葉は、どうやらそこそこ響いていたらしい。シュンに事件を知るきっかけをくれた男子高校生たちにも聞こえたようで、ぎょっとした顔でこちらに視線が向く。いつもなら愛想笑いを浮かべて「あっすみません」なんて軽く頭を下げる場面だが、今の彼にそんなことをする余裕はない。


 マフラーに顔をうずめた彼の目は険しく、まるで忌々しいものを見たとでも言いたげに端末のブラウザを閉じる。気がつけば下車予定だった駅の到着が間近だったので席を立ち、ドアのすぐ横の壁に寄りかかった。


 まったくもってふざけている。喧嘩を売りに来るぐらいならまだしも、馬鹿にしにきやがった。この情報が数日以内にマスコミで報道されるであろうことを見越して、あいつは、挑戦状を叩きつけにきたのだ。


 連続不審火事件のニュースを、遅かれ早かれ目にすることになるだろう彼女に。

 そして、つい二週間前に罠にかけられ、〈名前消し〉であったのに尻尾を掴ませてしまった自分に。


 これはただの勘だ。だがその勘が外れている気はしない。シュンは同時にやってきた二つの困りごとに眉をひそめ、小さく息をついた。


 片方は、魔法使いのシステムに関する疑問、隠された事実について。

 もう片方は、あのパソコンのハッキング者と、連続不審火事件の犯人との関連性について。


 調べ上げることは山のようにある。もしかしたら妨害も有り得るかもしれない。しかしそうだとしても、シュンはやり遂げなければならないのだと思った。多分これは自分にしか出来ない――〈雷従〉である自分にしかできないことなのだ。


 だから、まずは。


「……」


 幼馴染の――いや、魔法使いの統率者の隠す秘密を、暴く。

 口を引き結んだ直後、駅到着を告げるアナウンスと共にドアが開いた。




■ □ ■




「ほぉら、始まった。私の忠告は、きちんと役に立ったかな」


 隣から聞こえた、いかにも能天気な響きの癖に食えない台詞に少しだけ興味を引かれて、彼女は傍目には分からない程度に目を細めた。


 手足の自由はない。お互いの距離を少し開けて置かれた木椅子に座らされた彼女と彼の手足は、魔法を封じる効用の魔法が掛けられた縄によって縛り付けられ、〈攻撃系〉最上位クラスでもない限り縄抜けもできないだろう状況にして魔法を使うこともできない。そもそもが二人は〈精神系〉と〈単独系〉の魔法使いであり、両方とも魔法的な攻撃手段を有していないというのに、ここまでするのは警戒心の現われだろう。


 彼女の薄すぎるリアクションに気付いた様子もなさそうに、椅子に縛られたもう一人の男は楽しそうに独り言――というにはあまりに声が大きいが――を漏らす。


「通路のほうがバタバタと慌しい。はは、やっぱりこのタイミングか。二週間も準備期間があれば、まぁあいつらなら簡単に下準備できるってものだよねぇ……とはいえ〈三人衆〉諸君も馬鹿じゃあないんだ、黙ってやられたままではいないかな。うん、予測通りだ。いや、予測通りではないけれど!」


 その声に、捕らえられているという悲壮感は微塵もない。彼女同様にこの部屋にいて、同じように手足の自由を奪われているということは、恐らく彼も何かをしたのだろうが――それにしても軽いというか、緊張感がない。この部屋にいるということは即ち、彼女のように重罪を犯したのではなかろうかと思われるのだが。


 つい昨日の夜のことだ。それまで魔法同盟本部施設の地下にある、狭くて暗い独房にひとりで押し込まれ、処分待ちの処遇であった。それなのに昨晩突然に独房から連れ出され、いよいよ命運尽きたかと思いきやコレである。緊張感ゼロの男の待っていたこの部屋に放り込まれ、誰かが来るからそれまで大人しく待機していろ、だなんて。


 彼女はこの部屋に来てから、一度も言葉を発していない。彼彼女の座る椅子以外に何もない、そこそこ広い程度の正方形の部屋だ。見覚えのない部屋だが小さな窓はあるし、その先には青空も見えるので地上階であることは間違いない。その小窓から差し込む太陽光は、四ヶ月近くを地下独房で暮らしてきた彼女にとっては眩しいほどであり、そして二度と見られないと思っていたものだった。


 季節はもう冬だ。彼女が独房に入った秋は過ぎ去り、年を越した。目標を失い、生きる理由に戸惑う彼女にとって、あまりに長い時間だったように思う。


 数時間に渡って自分の中だけであれこれ思案していた彼女に対し、横の男は黙ったかと思えば急に喋り出したり、独り言と称して質問じみたことをしてくる。勿論彼女はどの質問に対しても返事を返す気などなかったのでガン無視しているのだが、それでも彼は「美人のガン無視ってなんか許せる気がするよね、というかむしろ積極的に無視してもらうのも悪くないかも」とか気色の悪いことを言ってくる。おどけた雰囲気の男だ。彼女の嫌いな人種に近い。


 伸びた横髪が前に垂れ下がっていて、相手からこちらの顔が見えないのをいいことに、彼女はちらと彼を見やった。黒い癖っ毛の髪に簡素なワイシャツ、横顔からして二十代の青年。見覚えはない顔だ。華奢な体格で、恐らく非戦闘系魔法の所有者。


 妙な男だ。気味が悪いと言ってもいい。延々とひとりで喋り倒しているし、危機感はまるでないのに彼女のように諦念しているわけでもない。何を考えているかイマイチよく分からない、薄気味悪い笑顔。


 彼女は観察をせいぜい二分で切り上げて、また目を閉じた。通路の向こうで誰が何をしていても、この男が何を言おうと、彼女には関係ない。彼女は一度失ってしまった復讐の機会を、果たしてどうやって取り戻すべきかを考えるべきなのだ。


 今でも目を閉じると蘇る。無邪気な『彼女』の笑顔。誰もいない『彼女』の部屋。消せないままのメールアドレス、留守番電話の履歴――人混み、銃声、悲鳴、崩れ落ちた幻、悲鳴、


 彼女の知る優しい局長の姿をした、悪魔の囁いた真実。


 映像も音も感触も、なにもかもを鮮明に思い出せる。狙撃されかけた彼女をかばった、相手にとっては見知らぬはずの少女。だけれど庇われたと思ったら、その飛び込んできた少女は幻だったなんて、本当にひどい茶番だ。そんなものに騙された自分も自分だけれど。


 あの少女は今でも元気だろうか。あの優しい局長は、元に戻ることが出来たんだろうか。いらないと決めたはずの雑念が次々に頭をよぎって、はぁ、と重いため息をついた――直後。


「私もね、君と同じなんだよ、神木深丘さん」


「――、……」


 突然本名を呼ばれて、少しだけ驚く。だが顔は上げないし、視線も向けない。どうせこれまでと同じように、他愛もない話に違いないのだ。突拍子もなく「同じ」だなんて、まぁなんと軽々しいことか。

 そう思ったのが間違いであったのを知るのは、数分後。


 面倒くさい男だと目を僅かに細めたのを見て取ったわけではあるまいが、男は淡々と告げていく。


「最初は恨んだこともあったっけなぁ。なにせ本当に仲の良い友人で、むしろ半身のような存在ですらあったんだ、彼ら三人は。私には自慢の幼馴染が三人居たのだけれどね、その誰もが私よりも早く、ずっと遠くへ往ってしまったのさ。ずっとずっと、ずぅっと遠く、誰にも手の届かない場所へね」


 遠く。その言葉が暗喩する意味は、なんとなく理解することができた。


「そう、恨んだものだよ。自慢の幼馴染たちは、自分たちと同じような境遇の子どもたちを育てて、そしていなくなってしまったのさ。それも最後のひとりは、間接的にとはいえその子どもの一人に殺された(・・・・)ようなものとなれば、恨まないわけがない。私はそんな暴虐を許せるほどの大人でもなければ、常識人でもなく、そして温厚でもなかったんだから」


 男の語り口はあくまでも穏やかだ。だが、彼女はその声の裏側に、隠しようもない激情が宿っているのを悟った。自分もあまり、表に感情の出る人間でないからこそ、分かる。思い出すだけで肩も声も震えそうな過去を、この男はなぜか語ろうとしているのだと。


 どうしてだろう。彼女は純粋に不思議に思った。嫌な記憶を、なぜ、初対面の自分に、震えながら語る?


「けどねぇ、それは筋違いだったんだ。彼らも……あの子達も、十分に被害者だった。彼らも私と同じ痛みを負って、もしかしたらそれ以上の十字架を背負って、今、魔法使いの頂点に立っている。そして彼らは、私と同じだ。私と君が同じなら、君と彼らも同じなんだよ」


 男は笑った。

 それは、これまでの薄気味悪い、ぺらりとした笑みではなかった。


 さら、と彼女の夜空のような髪が流れる。思わず顔を上げた彼女に対し、男は困ったように眉を下げて、まるで少年のように。


「君は反乱者だ。私も反乱者だ。そして、彼ら〈三人衆〉も反乱者であり――既に反乱軍と敵軍との交戦は始まってるんだ。なにせ私のいた10号局と1号局は、黒幕(・・)のお膝元だからね」


 彼女は――東興星観タワーにてクーデターを画策し、失敗した激怒の魔法使い、〈人形〉こと神木深丘は胡乱げに目を細める。


 彼――外部協力者に裏切りを唆したが失敗したにも関わらず、作戦通りとのたまった忠告者、〈運勢〉真部景直《まなべかげなお》は、楽しそうに目を細めた。

 

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