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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
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1 点火の報せ

 


 がたん、ごとん、がたたん。


 平日の午後二時過ぎ。通勤・通学ラッシュは数時間前に過ぎ去り、乗客などほとんどいない、とある電車内。朝と夕方には乗客で溢れかえる車両は、まるでその時間帯の様子が全て嘘だと思ってしまうほどに閑散として人気がない。がらんとして、喧騒を拒絶するかのような静けさは、時に息苦しさすら感じるほどに思えた。


 さて、その電車内の第三車両にて。


 自分たち以外に乗客が一人もおらず、まるでこの車両ひとつを貸切にしてしまったような楽しく背徳的な気分を味わう余裕は、少なくとも隣り合って座る二人の少女には存在しない。常から騒がしく賑やかな面の際立つムードメーカーのふたりは、しかしその騒がしさを無理矢理封印するかのごとく身を寄せ合って座っていた。二人とも心なしか顔色が優れず、緊張しているように見える。


 二人のうちの片方が、紺色のポンチョをふわりと揺らして片手を隣の少女の耳元に当て、内緒話をするようなポーズを取った。ただし頂けないのは、その「内緒話」のつもりの話の声量がまったく調整できておらず、無人の車内にはよく響くという点。


「ちょ、ちょっとキサちゃん、どどどどどういうことですますかこれは!? ササさんから明らかに『近付くな、寄れば殺す』オーラが出てますですけど!? どうしてあんなに不機嫌なんです……僕の恐怖心がマックスヒートブレイバーですよ!?」


 どう見ても二十歳過ぎの女子大生には見えない幼顔と、ぴょこぴょことよく動くツインテール、華奢な体格。実年齢から考えれば「少女」なる形容詞は美化に過ぎるはずなのに、彼女にとってはそれこそが似合いに見えるポンチョの〈魔法使い〉、ミイである。


 既に年を越して一月中旬ともなれば、冷え込みは本格的になりつつある。ふわふわもこもこのポンチョだけではなく、ショートパンツの下に厚手のタイツとロングブーツを履いて、さらには使い捨てカイロを握り締めた彼女はどうやら寒がりらしい。車内暖房のお陰で少し暑いくらいの体感温度なのに、何度もカイロをさすっては冷えた指先を暖めようと試みていた。


 そんなミイの真横に席を陣取り、こちらもまた内緒話の体裁をとって囁き返す少女。


「し、ししし知らないよ、なんであんなにササちゃん不機嫌なの……? シュンくんが余計なこと言ったら一瞬で焼き殺されそうなくらい機嫌が悪いよ……何あれ怖い……ちょっと、とっきー、どういうことなの!?」


 座席の端に座っていた、こちらもまた冬仕様なことに明るい黄色のダウンジャケットを着込んだ高校一年生の少女、キサだ。彼女も内緒話は苦手なのだろう、声のボリュームが落とし切れておらず、仮に他の乗客がいたのならばまず間違いなく聞こえているだろう音量である。


 そのキサの救いを求めるような呼びかけに「……あー、」と気だるげな反応を返したのは、相変わらず緩いセーターの下にタートルネックとヒートテックを着込んだ挙句にジャケットとマフラーまで完備と、ミイを上回る寒がりっぷりを見せ付ける格好をしたトキヒロだった。席はいくらでも空いているのだからどこかに座ればいいのに、キサたちの座る座席の目の前のつり革に掴まった彼は少し決まり悪そうに眼を泳がせた。


「そりゃ、不機嫌なときくらいあんじゃねぇの。ササだって人間なんだし。つか声でかい」


 ふあぁぁ、と大きな欠伸をひとつ漏らしてざっぱり切り捨てたトキヒロの返答が不満だったのか、キサがなおも何かを言い募ろうと口を開きかけた――ところで。


 絶対零度のような冷え切った声が、キサたち三人の間に流れる戦々恐々とした空気を最加速させた。


「……全部、聞こえてるんだけど。お望みなら焼き殺してあげようか」


 ぼそぼそと抑揚のない無感情な声が、向かいの座席から放たれたのを聞いた瞬間、キサとミイの背筋がぞっと凍りつく。恐る恐る向かいの座席に視線を投げると、膝に肘を乗せて手を組み、今にも人を射殺す……否、焼き殺しそうに目つきの悪さを悪化させた、炎使いの少女・ササがそこにはいた。


 いかにも機嫌が悪いですと言いたげに眉を吊り上げて口を一文字に引き結んだササからは、ともすれば本気で殺されてしまうのではないかと錯覚するほど険悪な威圧感が振りまかれている。出会って数ヶ月の時間を共にしたキサと言えど、こんな様子のササを見たのは始めてであった。実力行使任務で、対象とその魔法を以って対峙するときよりも、よほど恐ろしい。瞬間的に背筋を伸ばして震え上がれば、ササはちらとそれを一瞥した後に、興味なさげに視線を逸らした。


 何あれ怖い。思わずキサは心中で呟く。少なくとも、キサの知るササはこうまで威圧感に満ちた少女ではなかったはずだ。それに、こうまで不機嫌になるような娘でも。


 一体何があったのかという問いを込めてトキヒロを見上げるが、彼はちょっと首をすくめただけだった。事情を知らない、というよりは教えない方が得策、とでも言いたげな様子である。誤魔化そうとするようなその態度が腑に落ちなかったが、キサは幾分その身を以て誤魔化すことに長けた人間だ。それ以上問い詰めるのも憚られた。


 ミイもなにか只事でない雰囲気を感じ取ったのだろう、それ以上何を言うこともせず、じっとササを見つめるのみだった。抜けたところが多くて頼りない印象の際立つミイだけれど、人のことをよく見ている、のだ。相手の変化をひとつだって見落とすまいとばかりに、常に相手を全力で観察するのである。


 その必死さはびしびしとこちらに伝わってくるほどで、だからこそキサはミイが苦手なのだった。幻を常用するキサにとって、素顔と虚像を見破ってしまうような観察力の持ち主は脅威である。その脅威と友好関係を築ける場合もあれば、険悪さが増す場合もあるのだと彼女は重々承知していた。


 例えばその友好関係の代表は彼女の友人たる諸星啓太であり、険悪関係代表と言えば魔法同盟のアキである。……彼女に関してのみ言及するならば、彼女の魔法〈色分〉は相手がどれほど浅い付き合いであろうとその心中を見破る読心の魔法なのだから、わざわざ注意深く見ずともキサの性分なぞモロバレなのだろうが。


 そういう意味では、まだミイはキサにとってどっちつかずの存在であった。良い方寄りの中間地点、まだ明確な判定はつけられない曖昧なレベル。敵か味方かと問われれば味方だろうが、裏切らないと確信はできない、そんな中間地点。アキとはまた異なる意味でキサの魔法を看破する彼女に、そう簡単に警戒なしで接することはできなかった。


「……はー、めんどくせぇ……何で俺、本部に呼び出されてんだろ」


 トキヒロのあくび交じりの呟きに、キサはここに至るまでの過程を思い出した。


 今朝急にリンカさんから電話をもらったかと思えば、「トキヒロくんとササちゃんと、それからミイちゃんと本部に向かってくれないかしら」と告げられたのである。何せリンカさんにとっても急な呼び出しで、用件の中身は教えてくれなかったそうだ。今日はごく普通の平日なので学校をサボる羽目になってしまったが、これまでも仕事で何度か休んでいるので、今更罪悪感も何もない。二つ返事で承諾の返事をして、彼らと待ち合わせたのだけど。


 どうやらトキヒロたちも何の用件か聞かされておらず、その上でなんだか知らないがササは不機嫌だしと、本件は随分妙なことが立て続いているように思われた。


 呼び出されるような心当たりなんてねーんだけど、と気だるそうにごちたトキヒロをからかうように、キサはにや、とわざとらしく笑みを浮かべる。


「あれじゃない、こないだの東興星観タワーのときの隠蔽ミスのこととか! 相手がミイちゃんで、結果としてこうだから良いけどさ、そうじゃなかったら査問会レベルの大失敗なんでしょ?」


「まぁ、そりゃそうだけど。でもそれは違うと思うんだよな……ミイさん以外にミスってるのは有り得ないから」


「え、なんでそう断言できんのさー! もしかするともしかして万が」


 一も。と言い終わるよりも早く、トキヒロは面倒そうなため息をついて、困ったように頭をかいた。


「ねぇよ。……説明すると面倒なんだけど、まぁ簡潔に言えば、俺のとミイさんの魔法とは最悪レベルで相性が悪かったってこと」


「……?」


 相性が悪かった、とは、どういう意味だろう?


 キサの持つ〈虚構〉の魔法と、ミイの〈警鐘〉アキの〈色分〉が相性最悪なのはなんとなく理解できる。こちらの覆い隠したものを、一も二もなく看破してしまうそれは、キサが苦手意識を持つのも仕方が無いと言えるほどに最悪な組み合わせであろう。なにせ相手はキサが騙していることを知れてしまい、キサは相手を騙せないのだから。


 詐欺師の嘘が筒抜けの相手など――鬼門以外の何とも言えない。


 だが、そんなミイの魔法がどうして、記憶を遮るトキヒロの魔法〈遮断〉と相性が悪いというのだろう? イマイチ頭の中で結び付かずに首をひねったキサに解説してくれたのは、得意げに人差し指を立てたミイだった。


「僕の〈警鐘〉が、魔法を感知するからですよっ、キサちゃん!!」


「……へ、いや、それはさすがに私もわかってるけど……?」


 そんな当たり前のことを言われても、と首を傾げたキサに、ミイはにこにこ笑顔で解説を続ける。その様はまるで、生徒に質問されたのを喜ぶ新米教師のような様子だった。


「僕はあらゆる魔法を感知できる魔法、を持っているわけですけど、そんな僕にトキヒロくんの〈遮断〉の効き目が薄いのはこのお陰なんです。つまりですね、『僕にかかっているトキヒロくんの魔法を感知』してしまうわけなのですよ!」


「俺の魔法じゃミイさんの魔法を抑え込み切れないってことな。俺の〈遮断〉は魔法行使を断ち切るんじゃなくて記憶を遮るんだから、ミイさんの『なんか妙な感じ』っていう魔法感知の効果は残り続ける。んで、系統的に近いものがある魔法同士の場合、効き目が悪いことがあるんだよ」


 あぁ、なるほど。キサはぽんと手を打った。


 いくらミイの記憶を封じようと、ミイが半ば無意識的に常時使用している〈警鐘〉の魔法までを封じることはできない。ゆえに、ミイは「自分に向けて使われている」魔法を感知し、違和感を覚えて、それを発端に朧げながらでも記憶を掘り出すことができる――というわけ、らしい。言われてみれば分からないでもない感覚だ。納得してこくこく頷くと、トキヒロはミイをちらりと見遣ってから、


「〈警鐘〉……地味そうなただのサーチ魔法に見えるけど、これ、結構厄介だぜ。俺みたいな魔法使いへの対抗手段としての魔法にゃぴったりだな」


「え、そうですか!? ふふふ、まだ僕はこの魔法のもっと有効な使い道を見つけてないですからね!! それを見つけてしまった暁には、じゃきゃきゃきゃぁぁぁんッと素晴らしい大活躍しちゃうかもですね!?」


「……いや、そうは言ってないんだけど」


 トキヒロのちょっとばかり辟易した声音にも気づいた様子なく、「うふふ、楽しみだなぁふふふふふ、僕が大活躍……!」と頬を両手で挟んで独り言を漏らすミイである。どのくらい壮大な妄想を繰り広げているのかは、彼女の顔がほんのり赤く染まっていることからも容易に伺えた。相変わらず調子に乗りやすい。


 はぁ、とため息をついて背を丸め、車窓の外に視線を投げたトキヒロを、キサは何の気なしに見上げた。キサでは触れるのもやっとな電車の吊り革をいともあっさり掴んで、恐らくその上のポールを掴むぐらいはなんてことないだろう長身。座った彼女と立った彼とで必然的に生じる高低差のせいもあって、彼女にはトキヒロがより大きい存在に見えた。


 同年代の少女たちと比べても小柄な背丈しかないキサには、その長身がちょっとだけ羨ましかった。いつも誰かに見下ろされるポジション、というのが、彼女はあまり好きではなかった。

 見下ろされているのではなく、見下されているように曲解しそうになるときがあるから。


 キサの中の卑屈な一面は、そんな些細なことでさえストレスと受け取って、更に彼女の心を暗澹とさせる。いつもそんな風になってしまうわけではない。ふとした、何でもない瞬間に、思考回路が闇へと堕ちるのだ。自分でも本当に面倒くさいと思うし、よくない傾向なんだという自覚はあるけれど、これがなかなか治らない。


 この大きな同僚は果たして、キサのように悩むことはあるのだろうか。なにかにコンプレックスを持って、なにかに怯えて、誰かを羨ましがったりするのだろうか。

 キサは突然、そんなことを問い質したくなった。


 訳アリばかりのはずの支部64号局の人物たち。それなのにキサは、彼らの抱える闇をほとんどと言っていい具合に知らない。知らない面があまりに多く、知っている面があまりに少ない。まだ何も、知らないと言ってもいいかもしれない。


 誰か他人のことを積極的に知りたいなんて思う自分は随分と久しぶりだ。ほんのすこしのむずがゆさと、それをも凌ぐ焦燥感がある気がした。自分は全てを覆い隠そうとして幻を被るくせに、他人のことは知りたい、だなんて馬鹿げた話であるけども。


 じ、っと頭上のトキヒロを見上げたキサは、先ほど頭をよぎった問いを実際に投げかけてみようかと思った。聞いてみたい、知りたい、その答えを。

 すぅ、と息を吸って、ほとんど衝動のままに口を開こうとしたキサは、


「――で、さっきから、なんでキサは俺見てんの?」


 それまで茫洋とした目で車窓の外を眺めていたはずのトキヒロの、不思議そうな視線をまともに食らって、反射的に幻を被った。


 突然目が合ったことに驚いて間抜けな顔をしかけた自分をかき消し、にこり、と優等生めいた笑顔の幻を貼り付ける。明滅したオレンジが眼窩の痛みを引き起こしたけれども、素の驚愕を見られることがどうしてか気に入らなかったので、構わず続行。


「ううん、何でもないよ。とっきー大きいなぁって思ってただけ!」


「……あー、まぁ、キサちっさいしな」


「とっきー今すぐ屈んでくれるかな?? 頭殴るから!」


「そう言われて屈むわけなくね」


 座席から身を乗り出して噛み付いたキサだが、トキヒロはそんなものどこ吹く風の涼しい態度。軽くあしらわれているのだ、と気付いたキサが更に「とっきー屈んで、屈みなさいってば、屈まないとホラーな幻出しちゃうよ!?」などと煽ってみても、「別に俺ホラー苦手じゃないし」と一蹴。


 その飄々とした態度も気に食わなかったらしいキサがぎゃあぎゃあと喚き始めたお陰で、四人ぽっちの車内に流れていた戦々恐々とした空気がすっかり払拭されていた。


 そのうち「ちっさい」の枠に括られたミイまでもがキサ側に参戦し始め、もはや収集はつかないような状況である。総攻撃を受けているトキヒロも元の性格ゆえか、特段困った様子も見せずに受け流すばかりであり、その態度が更にキサたちの攻撃を悪化させていることに気付いてもいないらしい。


 ――そんな騒々しい反対側の座席には目もくれず、沈黙を保つ炎使いは、首に巻いた黒と赤のコントラストのマフラーの端を手に目を眇める。


 赤。朱。紅。


 ササの大嫌いな、だけれども、忘れないために身に着ける、復讐の色。


 脳裏に蘇った昨日のことのような過去の記憶の中で、業火の大輪が全てを飲み込む音がした。



■ □ ■



「ピリピリしてんなァ、」

 

 と、テレビ画面に映ったニュース番組を眺めながら呟いたのは、支部のリビングに設置されたソファにもたれかかっていたユウキだった。


 彼特有のぶっきらぼうな声音。しかし、そこにほんの幽かな不安と心配の色を見出したらしいアキが、つと顔を上げる。彼女は彼女で珍しくリビングに仕事用のパソコンを持ち込み、イラストソフトでの描き込み作業中であった。


 もしこの呟きがユウキ以外の誰かの物であったなら、仕事第一主義のアキは身動きもしなかったろうが、声の主がユウキとなれば彼女にとって話は別である。支部内では、キサとミイ以外のメンバーなら誰もが知ることだった――アキのあらゆる基準が、ユウキのこととなると途端に甘くなるのだということを。


「言うほどじゃないと思いますわ。……最近は確かに物騒な事件が多いようですけれど、それだってこれまでの総和と比べればたいしたことありませんわ。それにユウキ、貴方は一時期、そういう暴力的な世界に身を置いていたじゃありませんの」


「そういう話じゃねェよ、……ピリピリしてる、っつーのは、ササのことだ」


「あら」


 彼女は少しだけ面白がるような声を上げた。


「珍しいですわね、貴方がそんな風に仰るなんて。そんなに心配ですの?」


 その声音にぐっと眉根を寄せて、ユウキはひらりと手を振った。


「違ェよ、また悶着起こすんじゃねェかと思ってるだけだ」


「私の眼をお忘れですの? そんな色をしておいて、よくもまぁ嘯くものですわ」


 呆れたような語調の割に楽しそうな表情を浮かべるアキに、ユウキはただ首をすくめただけだった。

 このひどく不器用な青年の荒い言葉の裏側を、その瞳ですべて看破してしまう彼女。そんな彼女に何かを隠し立てしたって無駄なのだけども、それでもユウキの長年の癖は抜けそうもないのだから仕方がない。


 ユウキの視線の先にある液晶画面は、昼下がりの報道番組を映していた。ちょっとしたバラエティも兼ねた騒々しいタイプの報道番組であるが、その番組が特集していたある事件こそ、ササの不機嫌の原因なのであった。


「『原因不明の不審火相次ぐ 五日間で三十七件の被害』……随分とまぁ、大胆不敵ですこと」


 赤く目立つフォントで書かれたテロップを読み上げて、アキは鼻で笑った。

 不審火事件と言っても、それは世間的に見ればさほど珍しくもない事件である。だのにこうまで大々的にこの事件が報じられているのは、たった五日の間に甚大な被害をもたらしているにも関わらず未だ尻尾を見せない放火犯についてメディアがあれこれと詮索しているからだった。被害区域は百茎全域に及び、県警が大幅に人員を割いて捜査しているにも関わらずまだ見つからないらしい。警察の無能さがどうの、放火犯は集団的で知能犯である可能性があるだの、レポーターたちがお互いの話も聞かずに論議とは名ばかりのどんちゃん騒ぎだ。


 燃やされる建物に共通項はなく、また時間帯を問わない犯行なので、そのうち死者も出るのではないかとどのメディアも報じていた。


 不審火事件――放火事件。


 数々の訳アリが集うこの支部で、このワードに反応するものはおそらく彼女ただ一人。

 そしてその彼女は、運の悪いことに今朝、このニュースを目にしてからというもの不機嫌の塊のような有様だったのだ。ピリピリ、とユウキは形容したが、雰囲気としてはバチバチの方が適切である。


 そんな彼女は今日も今日とて、魔法使いとしての依頼に従事しているはずなのだが、はてさてユウキが案じているのはその同行者のことであった。


「新人とポンチョ、大丈夫だと思うか?」


「さあどうでしょう。キサさんに関しては無駄に図太くて厚かましいお方ですから問題ないでしょうし、どうなろうと知ったことではありませんけれど」


「……手前、本当にあの新人嫌いなのな」


「ええ。大ッ嫌いですわ」


 にこやかに、何の気負いもなくアキはそう言って、それから考え込むように魔法の瞳を伏せる。ややあって返ってきたのは、考え込んでいたくせに雑な返答だった。


「まぁ、ミイさんも適応力はあるようですし、大丈夫じゃありませんこと?」


「トキヒロは?」


「大丈夫ですわよ、私たちよりも長く付き合いがあるのですから。むしろ殿方であるからにはしっかりして頂きたくてよ」


 ふふふ、と着物の袖を口元に当てて優美に笑うアキは、儚い女性というよりも女傑に近い雰囲気があった。いくらアキの態度がなぜか柔らかいユウキにしたって、彼女の性悪めいた一面はよく知るところである。「こいつ絶対男を尻に敷くタイプだ」と即座に察するには十分な判断材料だ。こいつに惚れる男はきっとかなり苦労するだろうなァ、とユウキは他人事のように頭の片隅で思う。アキが誰かに惚れるという展開は、当然頭から弾き飛ばしていた。この半ば人間不信の彼女が、誰かを慕うなど想像もできなかったのだ。


 と、まぁ、そんなよしなしごとはともかくにせよ。


「本当に大丈夫なんだろうなァ……トキヒロって面倒事に首突っ込みたがんねェだろ、放置とか有り得んじゃね?」


「そんなに心配することはありませんわよ。トキヒロはまず間違いなく放置などしませんわ。少なくともキサさんは」


 ……あ?

 その言葉に微かな違和感を感じて、ユウキは何度か瞬きをしてアキを見た。


 彼女が信じるのは、ユウキが知る限りは客観的な証拠ある事実と、そして己の瞳に映る紛うことなき色彩のみだ。どれだけ隠そうとしても隠せない、本心の色を見分ける彼女は、それ故に人の口先の言葉を信じない。目先の態度に囚われず、先入観を持たない。


 そんな彼女がよもや、そんな風に――まるでトキヒロを信じているような物言いをしたのが、ユウキにとってはそこそこ甚大な衝撃だったのである。


 ユウキの物言いたげな視線を受けて、アキは実に苦々しく顔をしかめた。


「……だって、トキヒロがキサさんを見る色がああではそう考えざるを得ませんわ。まったく、気でも狂ったか熱に浮かされているのではないかと思ってしまいますわよ――よりにもよって、あのキサさんに」


 そこでアキの言葉は途切れた。


 ここで話はお終い、とでも言うように吐息をついて無言で作業を再開した彼女に、ユウキは半ば振り回されたような気分になりつつも大人しく従うことにした。トキヒロがキサに何色の感情を持っているのか、と言う話題はなかなかに興味を引くものではあったが、その話を途中で切った彼女の意図が読めないわけでもない。要は、「まだ話すのは早い」とアキが判断したのだろう。


 そしてユウキは、そういう風に判断されたことについてしつこく食い下がろうとも思わないタチだ。そのうち必要になれば話してくれるのだろうし、話されなくてもユウキ自身で気付くかもしれない。どうあれ時期は今でない、とこの聡明な少女が考えたのであれば、それはきっと正解なのだ。そういう風に、ユウキは彼女を信頼している。


 ユウキはさっさと思考を切り替えた。惰性的に流しっぱなしだったニュース番組からチャンネルをいくつか回し、ちょうどいい暇潰しになりそうなものを探す。


 おおよそ一分程度したあたりで、平日昼下がり特有の古ぼけた再放送の刑事物のドラマを選択した。


 この時点では、アキも、ユウキも、出かけていったキサやミイやトキヒロも、支部64号局の面々のほとんどは思いついてもいなかった。百茎各地で火種を撒いている放火犯が、よもや自分たちと深く関わることになろうとは。


 ――そう。

 現時点で、その疑いを持っていた者は、たったの二名。

 放火犯に全てを焼き奪われた炎使いと、彼女に恋焦がれる電撃使いの少年、ただ二人のみである。



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