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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
間隙スピンオフ
34/41

ペンさんへのお散歩報告


 7300アクセスありがとうございます。今後もよろしくお願いします!


 登場人物:期橋桐彦、藤澤伊織

 耳を疑った。


「……は? え……今なんて言った?」


 姉ちゃんが「魔法同盟」なる謎の組織に加入し、三つほど騒動を乗り越えて、なんとか一時的な平和を得た十二月下旬。小学生の僕――期橋桐彦は昨日から冬休みに突入した。だけど同じ家族であっても、休みの日が一緒とは限らないわけで。


 事実養父の医師は年末だろうと減ることのない病人や怪我人の治療に追われてもう三日は帰っていないし、大みそかですら帰って来られるか怪しいらしい。もうひとりの家族である姉ちゃんはというと、その致命的な成績の悪さのせいで補習を申し渡されて冬休みはほとんど潰れるし、貴重な休みも魔法同盟の仕事に取られてしまう予定だそうだ。本人は「有り得ない有り得ない死んじゃう補習とか死んじゃう」とうわ言のように繰り返していて若干不気味っていうか気持ち悪かった。……勿論本人には言っていない。


 そんなこんなで、僕は冬休みの日中、姉ちゃんの所属する魔法同盟関東支部64号局にお世話になることになった。最初は僕も姉ちゃんも「そこまで迷惑をかけるのは」と遠慮したんだけど、リンカさんの強過ぎるゴリ押しの結果、そういうことに落ち着いてしまったのだ。まぁここの人たちは基本良い人だから、ゲームばっかりで外に遊びに行くわけでもない僕がいようといまいと、さして変わらない日々を送っているみたいだけど。


 魔法使いさんたちはしょっちゅうここを開ける。中でも、シュンさんとササさんは出入りが激しい。いくら姉ちゃんが関係者でも僕は部外者だから詳しいことは教えてもらえてないけど、最近は何かと物騒だから実力行使ができるササさんは全国を飛び回ってて、シュンさんは「眼鏡さん」たちのいる本部で仕事に追われまくってるそうだ。二人ともたまに帰ってきても半日とせずまた出かけてしまうらしい。また、外に出て行かなくても仕事に追われているアキさんやリンカさんは滅多に部屋から出てこない。そしてトキヒロさんは昼間バイトをしているし、ユウキさんは深夜バイト、ミイさんは学生さんな上にバイトで学費と生活費を養っているから、ここに顔を出すのはかなり珍しい、ということで。


 つまり、冬休みの魔法同盟関東支部64号局の昼間、このシェアハウスにいる人は極端に少ない。ご飯時とおやつ時以外は基本的に籠もりっぱなしのリンカさんと、呼びに行かなきゃご飯も食べずに絵ばっかり描いている(のと合わせて魔法使いとしての仕事もしているらしい。姉ちゃんは彼女を嫌っているけど、あの人はすごく働き者だ)アキさんに、昼間は暇しているユウキさん、僕、そして――ヒキコモリ不登校小学生、イオリ。たったこれだけだ。


 ここに、たまに「リボンさん」や「眼帯さん」が遊びに来るんだけどそれもせいぜい三十分くらいの話で、ちょっとリンカさんたちと話すと忙しなく帰ってしまうので、僕は「リボンさん」や「眼帯さん」「眼鏡さん」と直接お喋りしたことはない。啓太さんも勉強で忙しいみたいで、用事がない限りは来ないから最近めっきりだ。中学生でも高校生でも大学生でもアルバイターでも、年末の忙しさは平等ってことらしい。「師走」っていう月の異名も納得できようってものだ。


 さて、現在はそんな冬休み突入二日目、午後一時半。リンカさん特製のお昼ご飯を美味しくいただいてから、また部屋に籠もってしまったリンカさんとアキさんとを見送って、そのあとバイト先から緊急呼び出しを喰らってしまったらしいユウキさんが慌ただしく出かけて行って――現在支部のリビングには、僕とイオリだけだった。


 僕が携帯ゲーム機を起動して、ちょっと前にクラスで流行っていたRPGゲームをしていると、普段は向かいのソファでユウキさんかシュンさんに借りた漫画を読んでいることが多いイオリが、わざわざ真横に座ってきてじぃっとゲーム機の液晶画面を見つめ始めたときから妙だとは思っていたんだけど。


「だ、だからね、そのっ……えええええっと!」


 僕の耳を疑ったせいで上擦った声にすっかり怯えてしまったのか、イオリははくはくと口を開閉させて意味不明にどもりながら、ぶんぶん両手を振り回した。


「ぼ、ぼぼ、僕も……そ、」


「……そ?」


「……外に、で、出てみたいな、って、」


 ぽかん。ゲームオーバーしたときに出る「視界が真っ白になった」という言葉が多分一番近い。予想外すぎる台詞にびっくりして、思わずゲーム機を取り落としてしまった。リアルタイム戦闘型のゲームで今はそこそこ修羅場だったので、あっという間にHPバーを削られる効果音が連続し、そして無駄に荘厳なゲームオーバーのBGMが耳に届く。いつもの僕なら「ああーーー!」と叫んで頭を抱える場面だけどそれすら忘れて、僕は気弱に伏せられたイオリの目を見つめた。


 僕の知っている藤澤伊織というクラスメイトは、小学校入学式から一度も学校に登校していないスーパー不登校児である。どうもここにやってきたのは三年前だから一年生の頃は別の地域にいたらしいのだけど、そっちでも一度も顔を見せなかったそうだ。現時点あの小学校にいる小学生でイオリの顔を知っているのは、僕だけのはずだ。下手したらクラスメイトの一部は、イオリの名前どころか不登校児がクラスにいることさえ知らないかもしれない。


 そして極度の『物見知り』。物の声が聞こえる、っていう魔法を持つイオリはまだそれの操作が不完全だそうで、聞きたくなくても物の声が聞こえてくるらしい。それがどのくらい辛いのか、あるいは思ってるほど辛くないのか、僕には分かりはしないけれど、これが原因でイオリは学校にも来ないのだ。つまり外に出たがらない。人混みの多いところには絶対に行きたがらないし、人通りが少なくてもまず街を歩くことに拒否反応を示すのだからどうしようもない――前にユウキさんがそうぼやいていた覚えがある。


 で。


 こいつ今なんて言った?


「――はぁああぁぁぁぁ!? な、なにいきなりどうしたの、熱でもあんじゃないのイオリ!? じっ、自分から外に出たがるなんて……ッ!?」


 かっと目を見開いて叫んでしまったのはしょうがないことだと思う。僕じゃなくてもきっと叫んでた。いや間違いなく叫んでた。叫ばない方がおかしい。びくりと叫び声に肩を震わせたイオリは、だけど案外強情な声音でぼそぼそと言い募った。


「だ、だって、りりりリンカもユウキも、そ、外楽しいって言うし……! み、みんなお仕事頑張ってるから、ぼ、僕だってががが頑張りたいもんっ! き、桐彦一緒なら、が、学校だって……行ってみたい……っ!」


「えぇぇぇぇぇぇ!? ウソでしょ!? 学校行ってみたいなんておおお思ってたのかよ!? 全然これまでそんな素振り見せなかったのに……」


「そっそんなことないよ! 最近、桐彦に、がっ学校の話聞いてたもん……! 察してよ!」


 なんつー無茶ぶり。僕はサイコメトラーじゃないんだけど。


 喉元まで出かかった言葉を何とか呑みこんで、僕はとりあえず深呼吸した。落ち着け僕、落ち着け僕。こんなのいつもの意味不明すぎる姉ちゃんのテンションに比べればなんてことないぞ。朝ごはんの目玉焼きに無言でマヨネーズとキムチぶちかまして「あー手が滑っちゃったぁー」とか棒読みで言ってくるイヤガラセ至上主義の馬鹿姉に比べればこんなの試練でも何でも……!


 半ば必死に頭を巡らせた僕は、ハッと思い至ってイオリを見た。


「何で僕に頼むの!? リンカさんたちに頼めばいいじゃん! っていうかそれ以前にリンカさんから許可出るの!?」


「う、わ、分かんないけど……でも皆、お仕事、忙しいから……ワガママ言えないし……だけど桐彦いつもゲームしてるし、い、いいかなって……リンカ、良いよって言ってくれるかな……?」


 ぼそぼそ、覇気のない調子でイオリは呟く。その顔には断られるかもしれない、という不安がはち切れそうなくらいに詰まっていて、断ったその瞬間に泣き出しそうなほど不安定だった。えー。思わず目を細める。僕は自分が世話焼きな体質だともおせっかいだとも、お人好しだなんて思ったことは無いけど、誰かを(その正当性はどうあれ)泣かせるのはあまり好むところじゃない。それに、他の魔法使いさんは大忙しだ。もしイオリが外に出たいと言えば喜んで外出してしまうだろうけど、そうなった場合後日痛い目を見るのは魔法使いさんたちなわけで。


 気がつけば、僕は頭を掻きながら答えていた。


「つまり僕は暇そうだから巻きこんで良いと思ったんだなイオリ……はぁ、いやそんな言われ方したら断るわけにもいかないじゃん……」


「ほっ、ホント!?」


 きらきらきらきら。瞬時に俯けていた顔を上げて両目を輝かせたイオリを見て、僕は頭の痛くなる思いだった。あ、やっぱ断れば良かったかも。なんだか、嫌な予感がした。



■ □ ■



 ――そして、僕の嫌な予感は的中した。


「ひぃぃぃぃぃ、ごっごごごごめんなさっ」


 路上の小石に蹴躓いた瞬間、おおげさに飛びのいてぺこぺこと頭を下げ倒す。


「はっ、あ、あのえっとすみませっうぅぅぅ」


 路上ですれ違った通行人とぶつかりかけて避けた先で、電柱に顔面をぶつけて涙目で謝りまくる。


「あうあうあうあう、ごっごめんなさい、すみませんでしっ!? ひゃああああ!!」


 歩行者押ボタン式の信号機でボタンを押したらなぜか悲鳴に近い謝罪を叫ぶ。


 そしてそのたび、通行人から奇妙な目を向けられるのは僕とあいつとであって……支部を出てから二十分、僕は良く持ちこたえたほうだと思う。うん。僕は頑張った。すごく頑張った。なんとか商店街を通り抜けて住宅街を抜けて、やっとこさ、このあたりでは一番広い大型の自然公園までこいつをひっぱって来られた僕はすごいと思う。


 ――んだけど、遂に我慢の限界だった。


「……あのさぁイオリ……? その時計巻いてるから《聞こえ》ないんじゃないの!? なんでいちいち叫ぶのさ!? めっちゃ変な子どもだと思われてたよ僕ら!! 思いっきり不審者だったからね!?」


 ぐいぐい引っ張っていたイオリの手を離し、眉を吊り上げて振り返ればイオリがびくりと震えた。う、と小さな呻き声を漏らして、今にも泣きそうな声で、


「だ、だって……思い出せるから……聞こえなくても気持ちは一緒、で、しょ……?」


「だとしても普通の人にはそんなの聞こえないんだってば! 僕にも聞こえないし! なのに小石だの電柱だのボタンだのに謝り倒す子どもとか不気味以外の何でもないから! 怖いし!!」


 僕はカンカンに怒っていた。イオリからの珍しい外出希望を受けて死ぬほどびっくりしたらしいリンカさんに注意事項をあれこれと並べられて、それだけでも辟易していたのに。とはいえ「皆が頑張ってるから頑張りたい」と繰り返すイオリに、まぁちょっとくらいなら協力してあげないこともないと思って、僕はこいつを連れ出して街に繰り出すことに決めたのだ。気弱で泣き虫な癖に好奇心だけは旺盛なこいつに街を案内したら、きっと楽しいだろうなぁって勝手に思っていた。


 それなのに実際は、イオリの奇行のせいで街の案内どころじゃなくて、このザマだ。迷子扱いでおまわりさんを呼ばれるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、愚図るこいつを連れて街を駆け抜けただけ。なんで僕はこんなことしてるんだろう。馬鹿みたいじゃないか。はぁ、とため息をつく。


 下げた視界に飛び込んできたのは、あてどなく宙をさまようイオリの手首に巻かれた、子どもっぽいデザインの腕時計だった。


 ――なんでも、イオリの魔法をコントロールするために必要なもの、らしい。まだ自力で制御できていないイオリはそのまま外出すると大変なことになるから、この腕時計を巻かなければならないそうだ。この時計は秒針が止まっていて――つまり壊れていて、動かない。イオリは壊れた物の声は聞こえないらしくて、壊れた物をこうして身につけると他の声も聞こえなくすることができるらしい。バリアーみたいなモンか、とユウキさんは言っていた。


 丁寧に巻かれた護身用のそれがあるのに、どうしてああも極端に怯えるんだ。苛立ちのままに地面を蹴飛ばした。僕は姉ちゃんと違って短気なきらいがあると自覚している。普段は、こう簡単にキレたりしないんだけど。「なんか言うことないの」と顔を上げた僕は、正面に立っていたイオリの顔を見て思わず言葉を失った。軽い愚痴のつもりだったのに、想像以上にシュンとした様子で両眉を八の字にして、目には涙が溜まっている。えっこんなことで泣くのと思い切り動揺した僕に気付いているのかいないのか、イオリはぼそぼそと呟いた。


「……怖かった、かな」


「は?」


「怖かった?僕……変なんだよね……?普通は皆の声、聞こえないんだよね?……僕だけなんだよね、聞こえるの、僕だけなんだよね」


 なんだか言ってはマズイことを言ってしまった気分になった。魔法使いさんたちにはそれぞれ「しちゃいけない話」があると姉ちゃんが言っていたのを今更に思い出す。人にはされたくない話のひとつやふたつあるけど、それは姉ちゃんのテストの点数の話なんかよりずっと深刻で大事で、それで悲しいお話だからダメだ、って。なんでちゃんと覚えておかなかったんだろうと淡い後悔をしながら、僕は取り繕うように口を開いた。


「わっ悪かったって、ごめん、言い過ぎた。確かにパッと見怖いけどしゃーねーんだよな、ごめんってイオリ! だからなっ、泣くなよっ」


「……泣い、てない……もん……」


「嘘つけ泣きそうじゃんかよ! あ、ほっほら、お前はちょっと変だけど、つまりあれだろ、お前だけにしか聞こえない声があるんだからそれってすげぇじゃん、な、他の人と違うんだぜ!?」


「……すごい?」


 きょとん、とイオリは聞き返してきた。まるで僕の言ったことは初耳だと言わんばかりの無垢な反応に首を傾げるより早く、イオリの表情が一瞬で喜色に染まった。ぱぁっと花が咲いたような笑顔になって、心底嬉しいと言った顔になる。急な表情の変化と初めて見るんじゃないかという満面の笑みに、僕は目を見開いて固まった。


「え、な、なに」


「僕、すっ、すごいの……? 本当に? 嘘じゃない?」


 きらきらきらきら。ぐいっと間を詰めてこちらを見上げてくる瞳は、さっきまで溜めこんでいた涙なんてなかったみたいに爛々と輝いていて、なんというか――純粋、だった。最近覚えたばかりの言葉だけど、そう言うのが多分一番正しい。嬉しいという気持ちを一切隠そうとしない素直な笑顔だった。


 僕のこれまでのこいつに対する印象は、大体が「弱虫泣き虫意気地なし」の三大無しだったから、こんな風に笑うことを知らなかった。リンカさんやユウキさんがいる支部でも、あまりしょっちゅう笑う性格じゃないからかおどおどしているところばかりで、全然笑わない。どうしてだかこいつが別人のように思えた。呆気に取られていたからほとんど適当で、僕は首を縦に振る。


「おっおう、すごいと思うぞ、僕は! だって他の誰にも聞こえないんだし! 聞こえない声が聞こえるってなんかほら、えーっと……味方っぽい!」


 何のだよ。


 と思わず自分でツッコミを入れかけた。いや今のはひどい。仮にも姉ちゃんの弟だと言うのに、こういうときに口が回らない自分をちょっとばかり恨めしく思いながらなんとか言葉を捜そうとしていると、イオリは不意にニコリと笑った。こいつにしては似合わない面白がるようなそれに笑われたんだと気付き「なんだよ!」と睨みつけると、「ご、ごめん!」と叫んでいつもの弱気な表情に戻ってしまった。あ、写真でも撮ってリンカさんに送りつけてやれば良かったと思いながら、僕はわざとらしくため息をつく。


「とにかく、いいか、今日はあんまり謝るなよ。街歩くどころじゃなくなっちゃうからな」


「……う、うん」


 自信なさげな不安しか感じない答えが返ってくる。大丈夫かこいつ、と視線を投げると、イオリはぐっと親指を――多分立てたかったんだと思うが、なぜか地面に向けた。


 ……イオリ、それじゃ喧嘩売るポーズだよ。



■ □ ■



 結局しばらくの間は、この広い自然公園を歩きまわって時間を潰すことにした。


 街中はまだハードルが高すぎるというのが二人で話し合った結果だったのだ。もし行きたいならもう少し現状から改善しておく必要があるだろうから、今日はとりあえず慣れるだけ、ということに落ち着いた。


 冬休み二日目の午後二時、人通りはそこそこに多い。姉ちゃんが「リア充」と呼んでいた恋人同士らしい高校生や、部活終わりなのかスポーツバッグをぶら下げてげらげら笑い声を上げる男子中学生、犬の散歩をしているおばさんにジョギング中のおじさん。散策コースの両脇に植えられた樹木は冬の乾いた日差しを受けて薄い木漏れ日をアスファルトに投影していて、少し先の一段低くなった場所には池も見える。物の声が聞こえると言うイオリにとって街中よりはマシだろうと思った僕だったけれど、その読みは大正解だったらしく。


 きょろきょろと落ち着かない様子で周囲を見渡しているのは一見、見慣れぬ場所を怖がっているようにも見えたけれど、すぐ真後ろにひっつかれている僕としてはそれは間違いだと言わざるを得ない。幼稚園児や小学一年生と同レベルで、イオリはこの場所にかなりの興味を抱いているらしい。テンションが上がったせいかこころなしか顔色もいいし、何より時折発する言葉が弾んでいる。……まぁ楽しいならいいんだけど、さ。開けた草地でサッカーボールを蹴る年下らしい小学生の集団を横目、僕はこっそり目を瞑った。


 ……実は僕は、こういう場所が苦手なんだ。


 姉ちゃんもそう。人の多いところが嫌いってわけじゃないんだけど、こういう大型の公園とかショッピングモールには大抵「親子連れ」がいるから、あんまり好きじゃない。今もほら、視界の端を通り過ぎて行ったのは三歳くらいの子どもを挟んで笑い合う夫婦。ドラマや漫画の世界でよく見る、だけど現実でも割合ありふれた、そういう光景を見るのが僕ら姉弟は苦手なのだ。


 姉ちゃんは父さんと母さんのことを思い出すからで、僕は父さんと母さんを知らないから、って言う風に理由は違っているけど――とりあえず、苦手だ。


 とはいってもこの人見知りクラスメイトにそれを話すのは気が引けた。というか、そもそも簡単に自分の親の話をするような性格じゃないのだ、僕は。これまで両親がいないことでとやかく言われたことは幸いにしてないけど、これからもそうとは限らない。いくら相手がイオリでも、口を滑らせる気はない。……こんなことを言ったら先生には「考え過ぎだ」って頭を小突かれちゃうんだろうけど。


 だから僕は黙ってイオリの横を歩くだけ、だ。


 冬風はちょっとだけ頬に痛くてひりひりしたけど、まぁつい一昨日まで登校する時に浴びていた朝の冷え切った冷気に比べれば全然マシ。僕は寒さには耐性があるからどうってことはない。着てきた厚手のジャンパーのポケットに両手を突っ込んで背を丸めちゃうのはただの癖。広い自然公園は季節が冬に入ったせいか、夏に見たときよりも大人しい感じがした。


「……ね、ねぇ、桐彦」


 不意にそう横から声をかけられて、僕はイオリに顔を向けた。桐彦はというと防寒具として灰色のコートを着ている。小学生の内からコートねぇ、とリンカさんに無理矢理着せられているイオリを見ていたときは思ったのだけど、なんでもトキヒロさんのお古だそうだ。……なんでだろう、小学生でコートっていうとお金持ちな感じがするんだけど、あの人実はお金持ちの家で生まれたんだろうか? いやいや、あの呑気でだるそうな面持ちばかりのトキヒロさんが、まさか。頭を軽く振って否定しながら、僕は返事を返す。


「なに、イオリ」


「桐彦、不思議だね」


「……はぁ? いきなりなんだよ?」


 驚いて眉間にしわが寄った。不思議? 何が? そっちの魔法の方がよっぽどヤバいと思うけど? 一瞬でそんな言葉が脳裏を駆け巡る。ただしそれが喉を通って音になる前に、イオリは言った。


「だって僕らのこと、怖がらない、もん」


 ――え?


 今度こそ目を点にして僕はイオリを見つめる羽目になった。眉を下げて顔を下向きに俯かせたイオリの表情は見えなかったけれど、察するのは簡単だ。多分情けない泣く寸前の顔でもしてるんだろう、と思う。小学四年生にもなってこんなにも気弱なイオリに、まさかそんな――言った側も気を悪くするようなことを言われるなんて、ちっとも思っていなかったから、僕は完全に意表を突かれた体だ。不意打ち。RPGのバトルだったらHPの半分は持っていかれた気がする。


「ユウキ、怖いって皆言うのに、桐彦あんまり怖がらないし。魔法のお話してても全然平気そう、だし……キサが撃たれたって話も、その場で聞いたって……すごいよ」


「……いや、あのさぁイオリ、ユウキさんは確かに見た目は悪いけど中身いい人じゃん。魔法とか正直よく分かんないし、姉ちゃんが撃たれたって言っても魔法の話でしょ? 実際の姉ちゃんは怪我なんかしてないんだから。ていうか怖がるも何も、別に誰も怖くないし。なんで怖がる必要があんのむしろ」


「魔法は、皆が持ってる力じゃないから」


 イオリは簡潔にそう答えた。それはさっき小石や電柱に謝り倒したことを怒った僕が、「傍から見ると不気味で怖い」と言った後の返事と、似たような意味だったと思う。気がつくとイオリはさっきまでの弱々しい顔ではなくて、少し寂しそうな顔になっていた。伏せた目に涙がたまることは無かったけれど、泣いている普段のイオリよりもよっぽど悲しそうだった。


「シュンは、昔それで、ひどい目に遭ったんだって。トキヒロも、アキも……皆と違うから。皆が持っていないものを持ってるから……だから、皆、僕らのこと怖がるの」


「……そんなもんなの?」


「うん。よく、聞いた」


 聞いた。誰に――いや何に、と尋ねるまでもないだろう。


 少し離れた歩道で姉ちゃんと変わらないくらいの男子高校生の笑い声が弾けて、僕らの耳に届いた。直後その高校生たちへの警告か、鳴らされた自転車のベルの音。来た時よりも勢力を強めた空っ風が吹き抜けて木々を揺らしながら、ざわざわ、ざわざわ、音を立てる。僕には鳴らされたベルが、その木々が、何を言っているのか分からない。多分この言葉が解るのは世界でたった一人、目の前のイオリだけなんだと、僕はぼんやり思った。聞こえない声が聞こえる、それって凄いことだ、ともう一度言おうとしたけれどそれは出来なかった。この短いやり取りで、僕はイオリの触れてはならない世界に触れてしまった気がした。


 それはきっと、「孤独」と呼ばれるような、ものだと思った。


 イオリは歩みを止めなかったし、僕も止めやしなかったけれど、小学四年生には相応しくないような静けさが周りに満ちて少し居心地が悪い。だけれどそれをどうにかしようとする意識も働かなくて、僕は必死に言葉を探した。イオリに何か言わなくちゃいけないと思ったし、言ってやりたいと思った気持があったのに上手く言葉にまとまらなくて、歯がゆい。ぽんぽん言葉の飛び出す姉ちゃんが羨ましく思った。僕は姉ちゃんみたいに言葉を操れないし、おどけることもできなけりゃ、曖昧にすることも苦手だ。自分の思ってることをストレートに顔に出すのが嫌で、無表情を繕ってしまうことが多い僕だけど、誰かを慰める様な真似はほとんど経験がない。


「……、……えっと、さ、イオリ」


 ようやく切り出した僕の声に、イオリの肩がびくりと震える。ぶんっと勢いよく振り返ったイオリはまた表情を変えて、申し訳なさそうに両眉を下げて瞬きを繰り返している。それは泣くのを必死に我慢しようとしているからこその表情。呆気にとられる僕の正面に回り込んだイオリは、勢いよく頭を下げる。


 そしてびっくりするほどの大声で謝り始めた。


「あっあの、ごめんね桐彦、その、くくく暗い話なんかして……っ! せっかく外なのにっ、あの、その、きっ気にしないでくれないかな、ね、」


「――っていうかさぁ……そんなの当たり前じゃん」


「ごめんなさっ……、……へ?」


 間抜けな声を出して顔を上げたイオリに、僕はようやく頭の中でまとまった言葉を冷静な振りをして告げる。どうして涼しい顔なんてしようとしたのかは自分でもよく分からなかったけど、こうするのは正しいんじゃないかと僕の勘が言っている。……こういうときの僕の勘はよく当たるのだ。


「皆と違うもの持ってるー、なんて当たり前じゃん。僕だってイオリみたいな気弱さ持ってないし、イオリだって僕みたいな性格じゃないでしょ。ユウキさんみたいな怖さを姉ちゃんは持ってないし、姉ちゃんはユウキさんほど見た目怖くないし……皆違うのなんか、当たり前だろ」


「で、でも」


「皆一緒だったらクローンだぜ、それ。そんなのヤだし。っていうかさぁ、そのことに気付いてないで魔法使いさんをとやかく言う奴がおかしいんだよ。むしろ魔法なんてカッコイイんだから悪口言う奴どうかしてるって! だから、気にしなくていいんだよ!!」


 うん――そうだ、気にすることなんかない。

 魔法使いさんたちはどう思ってるのかよく分からないけど、僕からすれば魔法ってすごい力なのだ。他の誰にも真似できない自分だけの特別な力。それはすごいことだと思う――神様が授けてくれたんだなんて言うのは流石に子どもっぽい気がするけど、でもそう言ったって過言じゃないくらいに奇跡的な話のはずだ。


 何を嫌うことがある?

 何を怖がることがある。


 僕は選ばれたんだぞって言い張るのはダメかもしれないけど――、


「そうやって、自分はダメなヤツみたいな言い方するの、やめろよ。僕は魔法使いさん羨ましいんだから。そんな言い方されたら、憧れてる僕がバカみたいだし、……」


 ちょっとだけ言葉に詰まる。次の言葉を言うのはひどく気恥ずかしかった。面と向かってそんなこと言うのは九年間の短い人生で初めてだ。だけど直球に言わないと、きっとこのネガティブに僕の気持ちは伝わらない。


 ええいやっちまえ僕、とヤケクソ気味に自分に言い聞かせて、僕は深呼吸してから、言った。


「と、……友達にそんな顔されてんのヤだし」


 イオリの目がうんと見開かれる。

 そして間もなく、みるみる内にその目には涙が溜まり始めて今度は僕がぎょっとした。「ちょっ、い、イオリ!? なに僕なんか言った!?」言葉選びを間違えてしまったか、もしかしてイオリにとって何かマズイことでも言っちゃったか――焦りに焦った僕に、イオリは必死にコートの袖で涙を拭いながらぶんぶん首を横に振って、それから笑った。


 とても嬉しそうに、笑った。


「ありがとう、桐彦」


 照れくさくなってそっぽを向く。

 今日一つ、僕は学習した――このクラスメイトは、予想していたより涙脆い。



■ □ ■



【あれ、どうしたの? なんだか随分ご機嫌だね】


 部屋に入るなり頭の中にこだました、若い少年めいた声。僕以外の誰にも聞こえないその声に、僕は口元が緩んでしまうのを我慢できなかった。


 声の出所はいつもの場所、机の隅に置いたぬいぐるみさん。シュンがゲームセンターで取ってきたらしいペンギンさん――ペンさんと呼んでいる――は、僕の部屋にやってきてからは一番よくお話しする相手だった。たまに皮肉を効かせたことを言うけど、僕にいろんなことを教えてくれる物知りな人だ。……たまにペンさんに教えてもらった知識をリンカたちに披露すると、なぜか呆れたような笑い方をされてしまうことが多いんだけど。


 僕はペンさんをそっと慎重に抱え上げると、「分かる?」と呟いた。【分かるよ、君は分かりやすい子だからね】と苦笑いされた雰囲気。ちょっとむすくれるように呻くと【俺っちに勝とうなんて七年早いんだよ~】なんて返されてしまった。ペンさんは僕より後に生まれたはずなのに、そんなのずるいや。そう呟いたらまた笑われた。


「あのね、今日ね、僕……」


【うん? ああ、そういや今日は例の子に外に連れてってもらったんだっけ? どうだった、外の世界は】


 ペンさんはあんまり外のことを知らない。いやそれは僕も同じなんだけど、たまに僕が外出すると決まってペンさんは外のことを聞いてきた。いつもの『コウレイギョウジ』だ。


「うん。えっとね、すごくね、楽しかった! 今日は自然公園ってところに行かせてもらったんだけどね、綺麗で賑やかで、すごかったよ!」


【……どうしよう全然伝わってこない……まぁいっか、うん、そうかい、楽しかったんだね? だからってまぁ調子に乗らないことだ。外ってのは色々危ない。無暗に出歩くと痛い目見るよ? 都会のコンクリートジャングルをなめちゃいけないぜ】


「ペンさん、僕が行ったのは自然公園で、コンクリートジャングル? なんて場所には行ってないよ?」


【いやそういう意味じゃねぇよ】


 ? と首を傾げると、ペンさんは【いや何でもねーよ……お前に言った俺っちがバカだった……】とどうしてか疲れたようにため息をつく。よく意味が分からない。コンクリートジャングルってどこのことだろう? 今度リンカたちに聞いてみようと心の中で決めて、それから僕は今日一番の報告をすることにした。


「でね、ペンさん、――違って当たり前、なんだって!」


【うん? そりゃどういう意味だい】


「皆違って当たり前なんだって。皆一緒だったらクローン? だから、違う方がいいんだって! 桐彦がそう言ってくれたの――僕は違っていいんだって!!」


 満面の笑顔の報告に、ペンさんはちょっと静かになった。

 だけど数秒とせず、ペンさんの声が僕の頭に響く。


【良かったな、坊ちゃん】


 僕にしか聞こえない、僕の友達の声は、心から僕をお祝いしてくれていた。ペンさんは桐彦の言ったことが子供騙しの理屈だと分かっていたのかもしれない。だけど、今はそれで良かった。

 桐彦の言葉が、ペンさんの祝福が飛び上がりたいくらい嬉しくて、僕はいつの間にか夢中になって「新しい友達」のことをお喋りしていた。

 ――すごく、幸せな夜だった。


 

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