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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
可能性ビリーヴァー
30/41

6 決裂


 五日間連続投稿の予定だったのですが、一昨日分の本作と昨日分の他作の原稿データが吹っ飛びまして、復元作業に手間取りました。宣言破りになってしまい、申し訳ありませんでした!

「そうかい、そうかい、交渉決裂かい。あははは、こりゃ意外な展開だなぁ。私のシナリオにはないや」


 真部は気味が悪いほど完璧に微笑む。


「いいの? こんな美味しい話蹴飛ばしちゃって。やっぱり感情移入でもしちゃったの? それとも私を怪しんでいる? あるいは、君は馬鹿なだけだったのかな」


「全部だよ」


 オレはぽつりと返した。


「全部だ。全部だよ。オレはあいつらを裏切る気になんかなれねぇし、お前は怪しいところだらけだし、そしてオレは馬鹿だ。当たり散らして目の前で後輩を泣かせちまって、そのことを謝れもしねぇくらいには馬鹿だ。あいつに助けられてばっかりで、あいつに馬鹿にされてばっかりだ。思い返すだけでも馬鹿くせぇ」


「ふぅん。随分と自虐的な物言いじゃないか、君らしくもない――いや、君らしいのかな。いつでも心の中で自分を馬鹿にしていた君らしいと言うべきか」


「知ったような口利くんじゃねぇぞ、お前はオレの何も知らない。表面上の情報なぞればそれが全てだとでも思ってんのか? ふざけやがって、本当、イラつく」


 そうだ。表面上の情報は全てではない。


 人間誰だって見えない面がある。他の一面が存在する。後輩に泣きながら当たり散らすオレと普段の突っけんどっけんなオレ、二つの面が存在するように。見た目はとんでもなく頭の軽そうな馬鹿にしか見えない後輩だが、その中身はどっろどろでぐちゃぐちゃして後ろばかり向いているように。喧嘩別れした親友だって、豪胆で人をからかってばかりの奴に見えるけれど案外に繊細で、人を傷つけるようなことは絶対に言わない奴だった。――彼女だって、何も考えていないように見えて実は要らないことにまで気を回す、そういう人間だった。

 

 そもそも人格に裏も表もあるはずがない。


 多面的で、見る人や状況によってコロコロ捉え方が変わってしまうのが人間だ。不動の性格なんてあるはずがない。誰から見ても同じ印象、性格、振る舞い、態度、そんなのいるはずがないだろう。人への評価は評価者の主観が必ず混じる、主観のない評価は存在し得ない。評価者の趣味嗜好相手への心情、その時点での周囲の状況、ありとあらゆる要素で人は変わる。人から見た人は変わる。必ず、絶対に、間違いなく。


 だから、こいつも。


「お前だってそうだぜ真部」


 こいつの過去はまだ知らないし、寝返りを要求した真意も分からなければ今何を考えているのかだって分からない。魔法も知らない。魔法名も分からない、真部という男はオレにとってブラックボックスだ。


 でもたった一つ、一昨日は知らなかった話をオレは知っている。当たりなのか外れなのかなんて知らない、だってただの噂話なのだ。リボンが聞いてきて後輩を経由しケーキ六つ分の代金と引換に聞き出した、交渉に使うにはあまりに貧弱な手札。だがこれは、きっと使いようではジョーカーにも最弱のエースにもなる、オレにとっての残された唯一の勝敗を分けるもの。


 その噂話を知っているだけで、オレのこいつへの見方は変わるのだ。


「ちょぉっとある話を聞いた。〈名前消し〉っつー魔法使いがいるって噂をな」


 真部は顔色一つ変えない。


「なんでも、一般の魔法使いにすら存在が隠蔽される超特殊な魔法を持つ連中を指すんだってなぁ。この前64号局の魔法使いを間接的に名指ししていく中で、どうして電撃使いのガキが上がらず〈名前消し〉なんて呼び方をしたのか理解できた。あのガキは公式にはあの支部には存在しない。支部どころか、魔法同盟という組織そのものに文面上奴はいないんだ」


 存在を抹消された者。

 いるのにいないことにされた者。

 存在しているのに存在していない者。

 〈名前消し〉。


「真部、お前もそうだ。お前は〈名前消し〉のひとりだな。魔法使いの名簿にお前の名前はなかったよ――電撃使いのガキ同様な」


「ふむ。それで、それがどうかしたの?」


「いや、どうもしねぇよ。お前が何なのかどうせオレは分かっちゃいねぇ、今更、書類上はいないなんて言われても同じだ。現に目の前にいて殴りたくなるような面してるからな」


「えー、ひどいねそれは。いや、まぁ昔の君ならすぐに殴っていたんだろうけど?」


 へらへらニコニコ笑うその顔はますます詐欺師気取りの後輩そっくりで、笑顔はどこにもほつれが見当たらない。痛ましいほどに悪役の顔、涙ぐましいくらいに隙がなく気を張った不自然を拠り集めたような笑顔に、オレはあくまで自然体に告げた。


「その〈名前消し〉のひとりに、先代の三人衆と仲の良かった男がいたんだそうだ」


 ぴく、と、真部が初めて表情を崩した。


「リボンも眼帯も面識はないらしいし、本当にそんなやつがいたのかどうかは分からん。でもそういう噂がある。三人衆でもないくせに三人衆とやたら仲が良く、仕事上だけでなくてプライベートでも遊び回るくらいのな」


 そんな人が居たなんて知らなかったわ、とリボンは感慨深げに語ったそうだ。先代とはかなり親しかったというリボンの言である、もしその噂が真実だとするならリボンにも秘密の交友関係だったのだろう。まぁ体面上存在しない者と懇意にし過ぎては他の魔法使いたちに〈名前消し〉の存在が明らかになってしまうし(都市伝説で済んでいたものが真実であると分かるとたったそれだけで色んな不都合が生じるのは想像に難くない)、先代の人柄はどうなのか知らないがわざわざ友人のことを言い触らす人格の持ち主でもなかったのかもしれない。


 もちろん噂話だ。


 だが、火のないところに煙は立たない。


「噂では、先代と仲の良かったそいつは先代の三人衆と〈同じような境遇で兄弟のように育った〉らしい。言うなればリボンと眼帯と眼鏡、そして雷撃使いのガキのような関係性だ。幼馴染みだったが、ひとりは〈名前消し〉に、三人は組織のトップに上り詰めた。そんで、」


「そこから先は言わなくてもいいよ」


 唐突に真部はオレの言葉を遮った。その顔には既に笑顔はなく、オレはその顔を見て全身が総毛立つのを感じた。ヤバイ、と直感的に一歩退く。喋り過ぎた、奴の地雷を踏んだと今更ながらに理解するがそれはあまりに遅すぎる。自分の失策に舌打ちする暇すら与えず、真部はふふ、と乾いた笑い声を漏らした。ぞっとするほど無表情のまま喉から押し出された声に、あの不気味な空気は欠片もない。


 感情にまみれた人間の声が響いた。


「君は分かっててやってるんだろう? 随分とまぁ悪趣味な子だね、私のことなんか知らないと言う割には知り過ぎているじゃないか。知らないふりして他人の傷口をえぐるとは、さては君、相当ひねくれてるだろう。知っていたけど、いや、知らなかったけども」


 一歩、奴はオレに向けて踏み出した。ヤバイ。この雰囲気は非常にマズイ、あぁミスった。心の中で後悔しても時間の無駄だ、もうこうなってしまっては思い切る他ないかもしれない。どうしてこう自分は要領が悪いのか、己の愚かさを呪う。


 ……当初の計画は単純だ。後輩から聞き出したその噂話を真部に話し、オレがさもあいつの素性、生い立ちを知っているかのように匂わせ、食いついてきたところを突いて奴の真意を聞き出す、それだけだ。


 当然ながら真部が噂の男である可能性は非常に低い。噂の信憑性もちょっと怪しいし、人数は少ないといえど〈名前消し〉は他にも居るのだ。真部その人が先代三人衆と仲の良かった男とは断定できない。


 だからこれは賭けだった。


 リボンが言っていたという一言が真実であるという可能性にチャンスを託した、賭けである。


「噂話だなんてよくも言えたね。君はあの子から話を聞いたんだろう? 私が唯一現世代の三人衆で見知っている眼鏡君――サトリくんから。あの子がそんな話をするだなんて意外だけど、じゃなきゃ私のことを知っているはずもない」


 そしてその賭けにオレは勝った。


 有力な手がかりがあまりに少なく、奴と交渉する上で必要なあらゆるものが欠けていたオレに飛び込んできたリボンの話。あいつは後輩に噂を話しながら、こんなふうにも言ったという。


『なんでもサトリは会ったことあるらしいんだけどさ、アタシたちは会ってないんだわ。そんでもって、すごく悪運が強いって噂』


 確定だ。


 先代三人衆と懇意にしていた〈名前消し〉の魔法使いは、今オレの目の前にいる真部景直という人物に違いない――間違いない。こいつは今自分から白状した。ごまかしようもないほどはっきりと、明確に。


 そして真部は勘違いしている。


 オレは知らないふりをしていただけで、実は真部のことを知っているのだと勘違いしている。


 思い込みが――想定以上に激しい。


「そうだよ、知っての通り私は先代の友人だ。子供の頃から一緒に育ってきた古馴染みの腐れ縁さ、相違ない。何より大切な友人たちだったさ、だけど彼等はもう死んだんだ。五年も前に、それも、」


 また一歩オレににじり寄り、真部は囁く。


「現世代の三人衆のせいでね」


 表情は俯いていて見えない。だがその声にはありったけの怨嗟が詰め込まれているように感じられた。真部の薄気味悪さが剥落し、その中身が露呈されていく行程はなんとなく物悲しいものに思えて、オレは息を詰める。同時に真部の言葉にさほど驚かない自分に驚いた。先代三人衆と現三人衆の間柄がどんなものだったのかオレは知らないが、なんとなく、本当になんとなく――そんな気がしていたのだと、そのときに初めて気付いた。


 真部はまるで舞台に上がった役者であるかのように大袈裟に、されど大真面目に、自分の発言をまるで疑わない傲慢なほどの態度でもって語る。


「私は彼らを許すわけにはいかないし彼らを許そうとも思わないから、こうして行動に出ているんだ。『あの方』の指示があろうとなかろうと一緒だよ。私は私の魔法で、魔法使いを根こそぎ不幸にすると決めた。地獄のどん底まで突き落としてやると決めたんだよ。そのためなら私は何も厭わない」


 君の甘っちょろい覚悟とは違う。

 情に流されて決断を誤ろうとする君の覚悟は甘すぎる。


「どうして君は断る? 君が三年間探し続けてきた末路なのはを消息不明に仕立てあげた張本人たる彼、その彼に加担する彼女らの肩をどうして持とうとするんだ。彼女の為に何でもすると決めたんじゃなかったっけ? そのために親友も友人も人からの信頼も三年間も捨ててきたんだろ、なんで君は私の誘いに乗らないんだ」


 心底理解できないという顔で真部はオレとの距離を詰める。残された距離はあと三歩、身の危険を感じるには十分な距離だがオレは後ろに引こうとはしなかった。否、引くことはできなかった。


 真部の気持ちが痛いほど分かったから、逃げることはできなかった。大事な人がいなくなってしまった喪失感は途方もなく莫大だ。一歩間違えばオレだってこうなっていたかもしれない。もしもあの従姉妹が死んでいたというのなら……二度と会えないと断言されてしまったのなら。


 幸いにして従姉妹は消息不明なままで手がかりもすぐそこにある。きっとあいつにまた会える可能性はある。でも、真部は違う。


 魔法がどれだけイカれた非常識な力だとしても、恐らくあの世とこの世は渡れない。


 死んでしまった魂に魔法は無力だろう。


 一般人と何ら変わらず、無力だろう。魔法という超常的な異能力をなまじ持っているせいでより際立ち激しくなる自己嫌悪と劣等感を想像しただけで嫌でも顔が歪む。なぜこんな力があるのに大切な人も助けられないのかという悲嘆はきっととんでもなくて押し潰されてしまいそうになるはずで、そんな圧力にこの男は負けて、捻くれてしまったのだ。


 ちょっとばかり、歪んでしまったのだ。


「……もう時間がない」


 唐突に真部は言った。距離はさらに詰められ二歩分、奴の着るコートの翻った裾がばさりと大きな乾き切った音を立てて鼓膜を打ちつける。空に薄くかかった灰色の雲が月を隠し、月光が微かに弱まってバイクスタンドに反射した光が少し眩しい。針葉樹がざわめきながら揺れる姿はまるで野次馬のようで、わずかながら気分が悪くなるのを自覚した。


 そして次の瞬間、ちゃき、という安全装置の外れた音と同時に額に冷たい鉄の感触が伝わり、オレは目を見開いた。


「この銃は弾丸数五発。装填してある弾丸はたった一発。――最後のチャンスだよ」


 月明かりを反射して鈍く浮かび上がった、オレの額に突き付けられた鉄の塊は、まさかまた見る羽目になるとは思わなかった拳銃そのもので。


 もう懲り懲りだと思っていたのに、あのタワーで見た拳銃で散々だと思っていたのに、またこんなところで――それも眉間に突き付けられることになるなんて誰が思うだろう? どくん、心臓が嫌になるほど大きな音を立てて跳ね上がり心拍数が急上昇、全身の血がすうっと引いて血の気は瞬間的に失せた。四肢が震えるのをどうすることもできず、オレは浅く息を吸った。本来は想定しておいてもよい武器の登場に己の失策を悟る。相手が魔法使いだろうとなんだろうと、拳銃もナイフも持ち出されたっておかしくなかったのに。火炎使いやリボン使いのイメージが頭にあったせいか、それとも自分が冷静でなかったせいか、すっかりその場合を検討し損ねていた。


 三度目の命の危機は、絶望的な局面だった。


「今ならまだ間に合う。首を縦に振るなら引鉄は引かない。もし横に振るというのなら私は引鉄を引く」


「……、はは、殺す気かよ。そりゃ、不発か弾詰まりを願うしか、ねぇな」


「私が引鉄を引けば君は間違いなく死ぬよ」


 嘘だろオイ、と呟きたくなったのを必死に押し殺しようやく口を滑り出た皮肉な言葉を、真部はきっぱりと、極めて無感情に切り捨てた。ぽかんとしたオレの考えを見越したように付け足された言葉はおざなりで適当なもので、吐き捨てるという表現が最も近いそれに肩が跳ねる。まるでそれは自らの異能だけでなく、彼本人を嘲っているようにも聞こえたからだ。


「私の魔法は〈運勢(フォーチュン)〉。魔法使い、および、魔法を行使されている人間の運命を好きなように傾ける魔法使い殺しの魔法だ」


 今初めて知った目の前の男の魔法にも動揺していない風を装って、オレは無理に口端を吊り上げて不敵に笑った。だから何だって? 虚勢に近い笑みをうまく浮かべることは多分できていない。


「馬鹿かよお前。オレは魔法使いでもなけりゃ、魔法なんか、誰にもかけられてねぇんだけど?」


「……馬鹿は君だね」


 真部はなぜか蔑むように目を細めて、それから握り締めていたバレルにぐっと力を込めた。額を圧迫していた鉄の質量は重くて冷たい。背筋を嫌な汗が伝い脈拍は依然収まりを見せず、どころかそろそろぶっ壊れるんじゃないかと思ってしまうほど煩く脈を打っていた。


「君、まさかとは思うけれど、自分の異常なほどの学力の上昇っぷりは自分の実力だとでも思っているのかな?」


 どく、と。

 また心臓が喚いた。


「どう考えたっておかしいだろう? 学年最下位から学年最高になるなんて、おかしい。何をどう考えたって異常だよ、イレギュラーだ。君がいくら努力したところでそんなに数値が跳ね上がるのなら、世の受験生は誰でも最高学府に行けてしまうと思うけれど、違うかな」


 こいつはいきなり何を言い出してんだ。

 オレの学力? オレの努力で上げたに決まってんだろう。そう断言してしまえばいいだけなのに何故か言葉は喉をつっかえた。真部の言葉が脳に流れ込んできたが意味を為して整列しない。迂遠な言い回しが指し示すこいつの言いたいことが何なのか分からない。思考のギアが上手く回ってくれなかった。


「君がまともに勉学に励み始めたのは中学三年生の九月からだ。徐々に、という言葉は当て嵌まらない程急激に成績を伸ばした君は高校最初の中間試験で学年一位の結果を叩き出し、その後も今に至るまでそれを維持し続けている……高校は別に易し過ぎる低偏差値の高校じゃない、それなりに出来る生徒の集まる学校だ。その中で、最底辺だった君がトップに立てるわけないと思わないかい?」


 言葉がまるで麻薬のように溶けていくのを感じた。そういえば、そう、じゃないか? いくらなんでもおかしいんじゃないか――出来すぎちゃぁ、いねぇか? たとえそれまで勉強をまったくしていなかったとしても、急に始めてあんなに順調に成績が伸びるものだろうか。問題をすらすら解けるようになるか? がむしゃらに、藁をもつかむ思いで勉強したとして――だとしても。


 三年間ずっと見続けてきた学年一位の文字を思い出す。


 その文字はオレにとって空虚だった。


「君は認めていないだけだ。知ろうとしなかっただけだ。自分の異常な成績の上がり具合を自分の努力の賜物だと都合よく解釈してしまっただけだよ。――君は学生にとってあるまじきタブーを犯している」


 知らない内に握り込んでいた拳に更に力が籠もるのを実感した。爪が手のひらに突き刺さって痛い。だけどそれ以上に頭が痛い。真部の言おうとしていることは嫌でも分かった、理解してしまった。だがそれが受け入れ難い仮説であることも事実であり、酩酊感が視界を襲う。食いしばった歯がぎり、と音を立てたその瞬間、まるで真部はそれを見計らっていたかのように、トドメの言葉を告げた。


「君はどこぞの誰かに『学力を分けてもらっている』んだよ。〈分力〉の魔法使いは自分の学力を君に分割している。――君の学力は全部、偽物だ」


「――っ、!」


 思い当たる節がないわけではない。言われてみて初めて気付いたが、オレの成績推移は確かに異常だ。アブノーマルであり異端だ。考えてみればおかしい。考えれば考えるほどおかしい。


 とち狂ってさえ、いる。


 後頭部を鈍器で殴りつけられたような衝撃が思考回路を急襲してオレは息を止めた。だとするなら。途切れ途切れでちりぢりの幼稚な考えが断片的に頭を巡る。なぜ〈分力〉の魔法使いはオレに学力を与えたのかなんて考える余裕は無かった。冷静さはどこにも見当たらず、ただ焼けつくようでオレを追い立てる焦燥感だけがそこにある。答えは二秒とせずに出た。息を呑む。


 オレの頭は、――他人からの借り物の思考回路?


「……そ、だ。んなこと、あるはず、ねぇ……いくら魔法が何でもアリだからって、そんなの、……そんなのありかよ、反則だろ、」


「ああ、反則だよ。だから言っただろ、私は。君は学生にあるまじきタブーを犯していると――他人の頭の良さを自分のものだと履き違えて誇り、他者を馬鹿にしてきたんだよ、君は。ずっとカンニングをしていたようなものだ、入れ替わり受験同様だ。ルール違反で反則で、君が嫌ってきただろう不正行為そのものだよ」


「……、そんなの、」


 声は低く掠れていた。それ以上の言葉は何も出なかった。

 

 突如として突き付けられた自分の過ちを、自分のしてきた間違いをすぐに飲み込めるほど利口ではない。そう、オレは元はと言えば愚鈍な男だ。頭が鈍く回転の遅い、バスケをするしか能のなかった大馬鹿野郎だ。理解するにはあまりに衝撃的で、また残酷な真部の指摘は頭の中を空回るだけで、いつもならどうにか鈍かろうと動いてくれる思考力は微塵も機能してくれない。額の鉄の冷たさも忘れて呆然と立ち尽くす以外に何もできない自分は、まさしく滑稽で過去のまま。


 何も成長していなかった。


 ただの、借り物だった。


 なのはを助けるために三年間努力をしてきた結果だと思っていた、天才ではなく努力の末に、色んな物を失って得たと思っていたこの頭は借り物で、誰かの頭の良さをオレの望むと望まないとに関わらず勝手に知らない間にオレに与えていた?


 なんだそれ。


 まるで、これじゃあ、


「……馬鹿みてぇじゃ、ねぇか……!」


 怒りと虚無感と悲しみと悔しさとがごちゃまぜになって、たまらず俯き唇を噛む。最悪な気分だった。前からオレは馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、たとえそう役に立たない学校の勉学であろうとも、努力すればオレだってこれくらいできるんだという自信は呆気なく瓦解していた。


 これまでの三年はなんだったんだろう。毎日参考書を開いて毎日問題集を解いて、休み時間も放課後も、友人もロクに作らずに過ごしてきたこれまでは、なんだったんだろう。


 ひどい、あんまりだ、どこのどいつだそんなことしやがったの、オレはそんなの頼んでないのに。言いたいことは山ほどあったのにどれも口にできなかった。何を言っても、その借り物の頭を自分のものだと思い込んでいた愚かさに対する言い訳のように思えたのである。気がつかなかった自分への怒り、これまでの自分に対する虚しさに、借り物だという事実に感じた悲しみ、――借り物がなければこのレベルまで到達できなかった悔しさへの激情が心のどこかから湧き上がってきて目が熱くなった。まだ泣いていない、泣いてたまるものか、オレは今キレてるんだ。胸が詰まって喉が不自由なのがひどくもどかしい。


「それでは訊くよ」


 真部の声は無感情なまま一切何も変わっていなかった。

 額に押し付けられたままの銃も変わらない。


「私の誘いを受ける気はあるのかな?」


「……っ、ざ、けんなぁッ!!」


 オレは勢いよく顔を上げて真部の顔を睨み上げる。さぞ情けない顔をしているだろう自覚はある。今オレの心の中はぐちゃぐちゃだ。正直自分の答えが正しいのか自信なんて無いし、そもそもその後どうするのかも思い浮かびやしない。まるで自殺行為、まるで駄々をこねる子ども。


 あのときのように。


 ただ痛む心を、叫ぶことしかできない。


「そりゃなのはを見つけてぇよ、三年も探してきたんだ、見つけたくねぇわけないだろ! サトリが居場所を知っててあいつの失踪の原因だっつーなら今すぐにでも締め上げて全部全部白状させてぇよ、それこそ拳銃突きつけてだってなぁ!! もしあいつに悪意があったなら、その場で撃ち殺してもなんでも構わねぇ、それくらいにはこっちだって頭に来てんだ!!」


 深夜の時間帯だということはすっかり意識から抜け落ちている。

 オレはただ、血を吐くように叫ぶだけだ。

 

 喰らいつくように、噛みつくように、言葉はぽんぽんと紡がれてくる。


「――だけど、お前の考えにゃあ賛同できねぇ!!」


 はっきりきっぱり、オレは断言した。微かに真部の眉が持ち上がり訝しげな表情を象る。それすらも今のオレにとっては怒りを増幅させる表情でしかなく、更に声を荒げて掴みかからん勢いで、わが身を省みることすらも忘却して怒鳴りつける。


「オレの勉強のできる頭は誰かからの借り物だって? ショックじゃねぇと言ったら嘘になる。悔しくて悔しくて恥ずかしいくらい勘違い野郎のオレをぶち殺したいくらいだね! 努力の結果だと思ってたもんが本当は全部預かり物でしたなんて三流コントもいいとこだ、喜劇にもなりゃあしねぇよ冗談じゃない! でも正直それだって、オレの根っこから考えれば、大したことないんだよ!! ……だってオレには元から、良い頭なんてなかったんだからっ!」


 オレの頭は壊滅的なまでに悪かった。

 だから努力をしようと思った。

 今がどうであれ、努力しようと思えたのなら――努力はできるはずだ。

 今ほどの成果は見込めなくたって、自分で自分を奮い立たせて努力することはできるはずだ。

 だったらもう、あろうとなかろうと一緒だ。


「先代と今の三人衆の間に何があったのかなんて知らない、お前がどんだけ先代と仲が良かったかなんて初めて聞いた。お前の気持ちはわかるよ、分かっちまうんだ。もしなのはが死んでたらオレだって同じことしようとしたはずだ――だけど、なのはは死んでない! お前とオレとじゃ、違うんだ!!」


 その違いはあまりに決定的だ。


「その死んでいないなのはがっ! あいつが、サトリのことを『恩人』なんて言ってんだぞっ……どうしてオレが裏切れるんだ! なのはの恩人を、なのは自身を、世話になってる後輩を、後輩が大切にしてる連中をどうやったら裏切れる――そんなのオレには無理だよ!!」


 無論ただの幻影だったのかもしれない。

 でも、もしも彼女の言葉が真実だったなら。


「もうオレは手遅れなくらい連中と関わっちまったんだ。最初こそ利用するだけのつもりだったけどダメだ、裏切るなんてとてもじゃないけどできない! ――もう三年前に航を裏切ってんだ、また同じ過ちを繰り返せるほど馬鹿じゃねぇ!! 情が湧いた年下のガキどもの面倒くらい見てやろうじゃねぇか、それでもってサトリの野郎を問い詰めてなのはを見つけ出す! お前の手なんか借りずとも、オレがオレの手であいつを見つけて、また笑わしてやるんだ――そう決めた!!」


 激情に歪んでいた表情は、気がつけばふてぶてしい笑みを浮かべていた。


「千年なんかじゃ足りねぇな。一万年自分を見つめ直して、その歪んだ根性叩き直して出直してこい!! お前の誘いなんかお断りだよクソ野郎ッ!!」


「……そう、」


 真部は平坦に言った。


 黒い銃身に奴の指が伸びる。引鉄にかかったそれは、あと数ミリも動けば命を奪う弾丸を射出するのだろう。真部の髪はいつの間にか、銀色に染まっていた。


 色が変わるのは単独系、だったろうか。


 魔法に関わる人々の運命をことごとく傾ける、不幸と幸運とを司る魔法使い。

 その魔法をもってしても、大切な人を助けられなかった魔法使いは、少し悲しそうに微笑んだ。


「それではさようなら。君に神の加護があらんことを」


 引鉄が、引かれる。

 五分の一の確率であるはずのそれは、しかし、真部の魔法によって百発百中でしか有り得ない。瞬間的に脳裏を駆け巡ったのは、幼い頃から想い続けてきた彼女と、謝罪もできぬまま喧嘩したままの親友と、そして、

 最期の衝撃に備えて目を瞑ったその刹那。


「――やめろ景直ッ、手前何する気だッ!!」


「っ!?」


 不意に飛んできた絶叫に真部がたじろいだ気配がしたと思ったら、思い切り右腕をひっぱられて危うくバランスを崩しかけた。驚愕のあまり声も出ないまま数歩よろめき倒れかけたところで、突然誰かに支えられたような感覚。不思議に思う間もなく突然耳元に叩き付けられた怒声にはっとしてオレは目を見開いた。


「おま……おま、お前、な、何してんの!? えっ、馬鹿なの死ぬの!? むしろもう死んでたりしないよな、いくらお前が馬鹿でもさすがにないよな!?」


 困惑しきったその声は、つい一昨日聞いたばかりのものだった。

 男にしては少しトーンの高い声、息を切らせて走ってきたのか荒い呼吸と、わずかに生意気な口調。かつては毎日のように聞いていてそれが当たり前だと享受していたそれを、まさかオレが聞き間違えるはずもない。だけれど俄かには信じられなくて、オレは金魚のように口を開閉させるのがせいぜいだった。


 そいつははぁ、とため息をつきながら、オレの隣に立つ。身長はまた伸びていたが、髪型は相変わらずのスポーツ刈りで、少し気が弱そうな顔立ち。それでもオレよりしっかりとして大人びた表情をした親友が、まるで当然のように立っていた。


 喉がさっきまでとは違う意味で掠れる。


「……、航……?」


「なんだよ、そんな信じられないみたいな顔して。この前おれを無視しといてそりゃないよ」


 肩をすくめて、呆れたように航は言う。

 三年前となんら変わりなく、にやにやとからかうように笑って。


 唖然として何も言えず目を皿のようにして航を眺める事しかできなかったオレは、数秒間のフリーズの後に半強制的に現実に引き戻された。航もほぼ同タイミングでオレから視線を外す。驚愕の再会から現状を思い出させたのは、柄の悪い、だが心の底から安心したような叱声だった。


「手前、……手前なにしてンだよ、なにガキを撃ち殺そうとなんかしてンだ! ついに気でも狂ったか馬鹿野郎、ひょいといなくなったと思ったら……!! 手前が殺人犯なんてなったら、俺はッ」


「……あらら。こりゃミスったな」


 真部は呆気にとられたような顔から数回瞬きをしただけで状況を把握したらしい。いつの間にか叩き落とされたのか地面に転がった銃を奪われないように踏みつけながら真部にガンを飛ばす、最初の怒声の主らしき柄の悪い青年に、真部は困ったように微笑んだ。その口から紡がれた言葉は、先程までのシリアス具合を全部吹っ飛ばすような明るいものだった。


「なになに、悠樹ってば私に人殺しになってほしくなかったの? もしかして心配してくれた感じかな

? いやいや嬉しいね、私ってば狂喜乱舞してしまうよ。かつての相棒にまだそんな風に思ってもらえていたなんてね!!」


「……はァ!? ンなわけあるかボケ、ちょっくら三途の川に突き落としてやろうか!? あァ!?」


 間に入った微妙な沈黙のせいで説得感に著しく欠けた罵声を口にしながら、青年は隈の濃い目で真部を睨みつけた。あ、と記憶が蘇る。確かこいつは、あの支部局長の兄貴で……、タワー事件のとき狙撃者を真っ先に止めようとした男だったか。

 ここで妙なことに気付いて、オレは首を傾げた。


 なんで真部はこの青年の名前を知っているんだ?


 いや、もっと言えばなぜ青年は真部の名前を知っている?


 この二人はどういう間柄……? いや、というかまず問い質すべきはなぜこの場に航がいるのかなのか? 混乱した頭に更に追い打ちをかけたのは、今思い出したと言わんばかりに突然一歩踏み出し、真部に向けて航が真剣に言い放った言葉だった。


「真部景直。お前を捕縛するようにと眼鏡、リボン、眼帯から命令を受けている。支部27号局の名の許本部まで連行するけど、いいよな?」


 有無を言わさぬ口調のそれを聞いて、オレは思わず顔を引き攣らせた。


「……どういうことなんだよ」


 この込み入った事情を誰か分かりやすく説明しやがれ。

 

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