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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
可能性ビリーヴァー
29/41

5 早朝

 まったくもってらしくないしまるで馬鹿みたいな気分になった。


 約束の期日、早朝のことである。いつものように予鈴よりも一時間以上早く登校したオレは、おかしな話だが教室に並ぶ机を見て、不意にそんな気持ちになったのだ。整然と並んだ机は中学時代とは違い、隣席との間には通路がある。机同士をくっつけていたのは義務教育の中学時代までで、この通路の存在はある意味自分が高校生であると思い知らせてくれるものだった。


 いつものように登校していつものように教室の扉を開き、そこに沈黙した机たちを見て、


「あ、そういえばオレ、高三だっけ」


 呆けたようにそう呟いた。


 直後、自分の思考回路に急激に羞恥心を抱いて両手で顔を覆い隠す。いや何言ってんだオレ。歳か!? 物忘れひどすぎねぇ!? はぁ!? と一通り自分への罵倒を心の中で飛ばしてから我に帰ったオレは、自分がいつの間にか教室の入り口に五分近く立ち尽くしていて、朝練の為に登校してきたらしい他のクラスの生徒から奇異な物を見る視線を向けられていることに気付き早足に中に入った。気分的には公開処刑だ。まったくもって、らしくない。


 教室に並ぶ机を見て自分が高校生だと自覚することになるとは思わなかった。


 それも昨日、体育館裏で中学生みたいに号泣した後に。


「……はぁ」


 本当にオレは昨日どうかしていたんじゃないかと頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られたが何とか堪え、代わりに勢いよく自分の席に座り、机に向けて額を強打した。ごんっ、と響いた鈍い音と額面に走るじんじんした痛みはさしたダメージにもならない。そんなものより精神的ダメージのほうが甚大だ。昨日のアレを思い出すだけで、海に投身自殺したくなるくらいには自分の行動を悔いている。いくら頭の回らない元々の素に近い心理状況だったにせよ、アレは、ない。


 アレというのは言わずもがな、後輩と二人揃って年齢も忘れてわぁわぁ泣いたことだった――――ああもう思い出すだけで死にたくなってくるが弁解させてもらうと、アレはなんというか、一時の感情の高ぶりという奴である。ピリピリして苛立ちが溜まり、今にも爆発しそうだったそのときに、よりにもよってあの後輩は地雷を踏んだ。それが運の尽きだ。まるで意味のわからないポエミーな中学生のごとき台詞をまくし立てて理にかなわない責任転嫁を試みた上、言い訳じみた叫びを音に乗せて、天敵だと思っていたあいつに怒鳴り散らしたあの時間。何も考えていないとオレはああまで意味不明な感情論を叫ぶのかと自分でもびっくりした。


 正直言ってすごく恥ずかしい。


 人生をリセットする起爆装置がマジで欲しい。


 自分をダイナマイトで爆破したい。


 がんっともう一度机に強く頭を打ち付け、オレは妙な呻き声を上げながら悶えた。人には絶対に見られたくなかった本心を自分からぶちまけた上になんたる無様か。最終的には後輩まで泣かせて、何が先輩か。アホかオレは。勝手にあいつが泣いただけならまだしもそうではなくて、あいつはあいつなりにオレと対等であろうとその涙を隠さなかったのであって。


 まるで先輩失格だと思ってしまう。


 思ってしまうが、それは一時の感情だった。


 今となってはあの後輩に自分が醜態を晒してしまったことを半ば諦めて受け入れつつある。あいつの前なら仕方ねぇやなんて思った自分に最初に気がついたときは唖然として絶句したが、どうも、オレは思っていたほどあの後輩に苦手意識があるわけではないようで。あのとき言った「ダチ」という言葉はあながち嘘でもなかった。少なくともオレの本心はそう捉えているらしいと昨晩整理がついたのだ。


 そしてその整理がつくと同時に、今日の夜にまた姿を現すだろう不気味なあの男への返答も決まった。かつて思考しなかったゆえに全てを失ったと思っていたオレは、これまで何をするにも理屈付けする癖があったようだと昨日言われて初めて気付いた。あいつの為、オレの為、今後の利益の為に。ぶつぶつ並べ立ててきた言葉は「理由」だと思っていたけれど、実際はオレが動くための「言い訳」に過ぎなかったのだと昨日になってやっと気付いた――――気付かされた。


 そろそろ認めねばなるまい。


 理由をつけられることが賢さだと思っていたがそれは違うんだと、認めるべきだろう。


 一番賢くて一番強い奴は、理由も理屈も何もなく、自分の中の気持ちだけで動ける人間のことを言うのだ。言い訳という逃げ道に逃げ込むことをしない奴。今のオレには程遠く、またあの詐欺師にとっても程遠い存在ではあるが、きっとそんな奴になれたらそれは「すごい」んじゃないかと思う。


 そんでもって、


「……そういう奴って、格好いいんだろうな」


 机に突っ伏していた顔を上げて黒板を眺める。

 ちょっとだけだけども。

 そういう格好いい奴になりたいなんて――――子どもじみたヒーロー願望に、小さく苦笑した。


 直後、がらりと音が鳴って教室後方の扉が開いた。どうもクラスメイトがやってきたようだが顔を向けたり視線を投げることはしない。己の態度や成績のおかげで周囲から浮いたオレにいちいち挨拶をするやつもいないし、オレだってそう積極的に声をかけることはめっきりなくなっていた。中学時代には毎日毎朝、曲がりなりにも「おはよう」の言葉は出てきたというのに、心境の変化とはかくも恐ろしい。


 いい加減机に額をぶつけるのを止めて、オレは学生鞄の中に手を突っ込んだ。無愛想な黒い筆箱と問題集を机の上に放り投げるようにして取り出し、少しだけうんざり。あ、なんか勉強したくない。そんな気分になったのは随分久しぶりでちょっとばかし笑いがこみ上げた。どうやらすっかり昨日のことで引きずられているようだ。三年間の習慣は十五年間の怠惰とぎりぎりの均衡を保っているらしい。


 それでも、今日の夜に控える出来事を思えばいつも通りの日課をこなすほうがよく思えたオレが問題集を開き、細かな文字で世界史の設問が記されたそれにシャーペンを走らせようとしたところで、不意にオレは勢い良く肩を跳ねさせる羽目になった。


「ちわっす、せーんぱい!」


「っあぁ!?」


 突然肩に置かれた重みと頭の後ろで元気良く発せられた声とに思い切り動揺して椅子を蹴飛ばし背後を振り返る。ぎょっとしたように目を見開いたオレを見て、声の持ち主――期橋紀沙はにんまりと笑った。


「ちょ、先輩驚きすぎですよ! 幽霊にでも遭遇したみたいな顔されても……よし先輩そのまま動かないでくださいね。写メります。その間抜け面を全国に晒します」


「とことん嫌がらせに命かけてんなお前! そんなこと言われて黙ってる奴がいるとでも!? ……てかなんでお前いんの? ここ三年の教室だぞ」


 律儀にツッコミを入れてやった後でそう尋ねると、後輩はなぜか得意げな顔になった。


「ふっふふ。先輩が可愛い可愛い後輩である私と愉快そうに話しているところをクラスメイトの皆さんに見せつければ、先輩がより孤立するのではないかと思いまして! ほら先輩ってデリカシーないじゃないですか、私との会話の中でそれを公にしたらいっそ『友達できない』とか言えなくなるでしょ?」


「根本的に解決策になってねぇ上イヤガラセを通り越してむしろいじめか!! とことんクズだな! その為だけに来たとすれば相当な暇人だよ! 全国のぼっちが驚愕だわ!」


「あ、先輩ぼっちの認識あったんですね! 安心しました〜」


「方向性が大いに間違っている! オレはコイツの中でどういう扱いだいや言うな、どうせプランクトンみてぇな感じだろ! 分かったからその偉そうな笑顔やめろ鳩尾殴り飛ばしたくなる!」


「こんなに可愛い後輩の鳩尾を殴りとばすだなんて……! 先輩やっぱりそうだったのね! あなた、さてはドSね!?」 


「オレがそうならお前は究極のサディストだよ! お前オレの精神何度も殺しに来てるくせに人をサド呼ばわりすんじゃねぇ!」


 相も変わらずスーパーハイテンションで傍迷惑な後輩である。オレは疲れを滲ませた聞かせるためのため息をついてかぶりを振った。


「昨日の頼み事はどうしたんだよ」


「あぁ……それなんですけどね。それのこともご報告しておこうかと思いまして」


 オレの斜め前に回り込んだ期橋は、うぅむ、と考え込むように口唇を尖らせた。あまり芳しくなさげなその表情には若干の申し訳なさそうな様子も内包されていて、微妙な空気を感じ取ったオレの片眉が上がる。


「いえね。ちゃんと調べたんですよ? 10号局じゃなくて他の局なのかもとか思って全国名簿も照会したんですけど……結果として申し上げますと、魔法同盟には先輩の仰った『真部景直』さんは見つかりませんでした」


「……見つかんなかった?」


「ええ、そんな名前はどこにも。一晩かけて確認したので抜け落ちてるとは思えませんけど……」


 思わずポカンとした顔で後輩を見上げる。おかしいですねぇ、先輩が縁もゆかりもない適当な名前を挙げるとは思いませんでしたけど、もしかして誰かに騙されました? タチ悪く笑うその顔に冗談の気配は見受けられなかった。


 オレは後輩の言葉を受けてしばし黙考した。 

 名前がない。


 確かにオレの前で魔法使いだと名乗った男の名前が名簿にはないという。その事実がオレにはちょっと意外だった。


 本人も除籍されてるんじゃ云々と言ってはいたが、魔法使いという特異な人種を生死確認もせず除籍するとは思えないしその手の名簿でミスはないと思った方が賢明だろう。……となれば、一杯食わされたか? 真部は魔法使いだと騙っただけで実は一般人であり、何らかの意図を以てオレに寝返りを要求している……? 頭に浮かんだ仮説を否定するように頭を振った。だとすれば奴は何者で、なぜ魔法使いを騙る必要性がある? ……ならば偽名か? いやでも、なぜ名前を偽る必要がある?


 思考をトレースするがごとく深まっていくオレの眉間の皺にちらりと視線を投げてから、期橋はオーバーに肩をすくめた。


「まぁ、その真部さんって人が誰なのか私よく知りませんけど……うちには名簿に載らない人って何人かいるらしいですよ」


「へぇ、そうなのか……ってはぁ!?」


 適当に受け流そうとして言われた台詞の意味に気づき素っ頓狂な声を上げた瞬間「ぶふっ」と期橋が吹き出したので分厚い問題集を奴の足元に照準すると、あいつはぴたりと笑うのをやめて「すみませんでした調子乗ったです」と即座に謝ってきた。生意気なこいつは物理攻撃には圧倒的に弱いのだ。ふん、と鼻を鳴らして睨み付けてやればにへらと笑い、後輩は身振り手振りを交えて説明し始めた。


「先輩はまだ面識はないと思うんですけど、うちに電撃使いの子がいましてね? その子は名簿に名前がないんです。不思議に思って本人に聞いてみたんですけど、どうも特殊な魔法らしくて」


「特殊な魔法……」


「はい。他に類を見ないタイプの魔法使いは、その種類によっては名前を秘匿することがある……らしいです。いや魔法なんて全部特殊ですけど、なかでも、もしも外部に漏れたらいろいろヤバイ奴を隠しておくらしいですね。その雷撃使いの子も名簿に名前はありません。〈名前消し〉なんて呼ばれるらしい、です。あんまり数はいないらしいですけど、まぁその辺の可能性もあるんじゃないです?」


 あっさりそう言ってまた肩をすくめた後輩の言葉をちょっと吟味して、オレは深いため息をついた。聞き覚えのある話だ。あの男は、64号局に〈名前消し〉がいるとかなんとか言っていた。聞けばその存在は機密のようだがあの不気味な男のことである、その〈名前消し〉と呼ばれる存在を知っていても、もしくはその〈名前消し〉のひとりだとしても有り得ない話ではないかもしれない。だがもしそうだとするなら、オレにとっては思わぬ痛手だった。


 せめて魔法の名前が分かれば、詳細が分からなくても相手の魔法を予想することくらいはできたはずなのだ。思うに魔法使いどもの魔法名はかなり安直につけられていて、魔法名は最も端的に魔法の特色を表している。魔法を予想しそれに対策を立てることができれば、今夜控えた交渉を優位に進められただろうに。


 ……まぁ、もしも真部の魔法があの炎使いの少女やリボンよろしく直接攻撃的な魔法で、こちらの答えを聞いた瞬間に攻撃されてしまえば、どう対策を立てたって無駄なのだが。


「そうか……分かんねぇか」


「残念ながら。でも10号局なんて嫌な奇遇ですねぇ、最近聞いた局ですよ、それ。先輩ってホントに面倒な知り合いが多そうで大変ですね……ってあ、先輩知り合いがいないかー」 


「おいコラなにナチュラルに馬鹿にしてんだよ。知り合いくらいちゃんといるわ! これでも中学時代は交友関係広めだったんだからな。お前より友達多い自信はあるぞ……じゃなくて。うん?」


 なにか引っかかる物言いに疑問が湧いた。嫌な奇遇? どういう意味だ。投げた視線と訝しげな顔に気がついたようで、後輩は補足の言葉を付け足した。


「ほら、この前、ユウキさんが世話になったでしょう。リンカさんに代わって先輩が指示を出してくれたアレです。あれ、ユウキさんをピンチに追いやったのが10号局の魔法使いだったんですよねー……今上層部で取り調べはしてるみたいなんですけど、なぁんにも喋んない黙秘状態だそうで。だから嫌な奇遇だなぁ、と」


「……襲撃してきたのが、10号局……? 魔法使い同士でやり合ってたってことは知ってたが、なんだそりゃ」


「ええ、意味わかんないですよねぇ。ていうかまぁ、ユウキさんが攻撃された理由に関しては、ユウキさんが魔法使いだと向こうが認識していなかった可能性があるので有り得ないわけじゃないですけど、なんで非合法の組織になんて加担していたのかが不明らしくって?」


 基本的に魔法使いが非合法に加担すると厳罰処分ですから。肩をすくめてあっさりそう言い放つ後輩を少しばかり白い目で見る。そういう割にはタワーで人を狙撃しようとしたり、不良共を失神レベルまで追い詰めた奴がいた気がするのだが。例を挙げると彼らに阿鼻叫喚の地獄絵図を見せ、精神的にトドメを刺した女がちょうどオレの目の前にいる気がするんだが。


 まぁ他にも気が立つと焼くと脅す女とか何でもリボンでまっぷたつにしてしまう女とかがいるのでこいつ一人に言えた話じゃないが、魔法同盟なる組織はなかなか恐ろしい集団だと思う。非現実的な、架空にしか存在し得なかったはずの力をその身に宿していた彼らは、当然自分たちの危険性を認識している……だろうと思いたい。もし自覚がないのならそれは未曾有の緊急事態だ。


 彼らの持つ力は使いようによっちゃ、世界のあらゆる仕組みすら変えてしまう魔の法なのだから。


「非合法組織……なぁ」


 なにか引っ掛かるものを感じながらも違和感の正体にたどり着く事はできないままぽつと呟くと、後輩はさらっと話題を変えた。


「相手方のひとりと知り合いだったらしいユウキさんが言うには、向こうは多分暴力団系とも繋がりがあるんじゃないかって話ですよ? って言ったって、暴力団絡みは他所に回すお仕事ですけどね。うちの戦力じゃ足りませんもん。――ところで、先輩」


「あん? なんだ」


 いや暴力団絡みって平然と言うなよお前、それだけでお前らの非凡さが際立つわ。と心の中でツッコミを入れつつ、オレは生返事を返した。さて、名前がないとなるとどうしたものかとぼんやり考え始める。魔法名も魔法の実態も、魔法に結びつく可能性の高かった経歴も何も分からないとなれば対策の立てようがないが、かといって無策で交渉に望むのは悪手。身を守りながら優位に交渉を進める方法を思い付かなくてはならない……。


「ちょっと先輩、聞いてますー?」


「はいはい聞いてるっつの」


「……うなぎってうさぎの親戚なんですよ」


「ふぅん」


「うなぎ族とうさぎ族は手と手を取って満月の夜に踊り狂うんですって。先輩なら知ってますよね?」


「知ってるに決まってんだろ」


「欠片も話聞いてねぇじゃねぇか!」


 敬語どころか男言葉で思い切りツッコミを入れられた。だがそれも碌に耳に入らないまま、オレは眉間に皺を寄せて思案し続ける。どうすれば良いだろうか、どうするのが最善か、選択肢を浮かべては切り捨てる無機質な作業を頭の中だけで繰り返していると、期橋は実に残念そうにぼそぼそ付け足した。


「はぁぁぁ……せっかく教えてもらったレア情報も要らないんだぁ……もしかしたら関係ある噂かも知れないのになぁ。わー、もったいなぁい、先輩マジないわー。何てったって、リボンちゃんが話してたかなり信憑性の高いお話なのになぁ」


 ぐるんと後輩を振り向き真顔で尋ねる。


「ペットボトル二本で手を打たねぇか」


「足りませんね。駅前のケーキ屋さんでケーキ六個奢ってください」


「なら沿線にある隠れ家的なカフェでどうだ。前におふくろに無理矢理連れてかれたことがある。味は保証するし何より紅茶がうまい」


「乗った!」


 にやり、と意地悪く微笑んだ期橋は、平然と笑を深めてキメ顔。


「いつだかのケーキバイキングの約束はちゃんと守ってもらいますけどね」


 ……覚えてやがった、畜生め。









「それで、答えは出たのかな?」


 二日前と同じ月の夜に新緑のコートがばさりと翻った。


 どこに現れる、と言われたわけではない。だが何となくここに居れば相手が来るような気がしてやってきた場所は、あの支部の裏手に広がる針葉樹林だった。


 十二月の夜十時の空気は氷点下に迫る勢いであり、マフラーも手袋も好まないオレは学ランのままなのでかなり寒い。だが正直、自分が凍えそうなほど冷えていることは現状においてあまり重要なことではなかった。バイクに跨って登場した目の前の男との交渉の方が、数百倍重要だ。


 真部は寒さなど欠片も感じていないかのように飄々と笑った。冬風に踊る黒い癖っ毛と細い目が月明かりを反射して仄かに輝き、優しげな風貌であるにも関わらず警戒心を喚起させる雰囲気を作り出す。つくづく怪しい姿の男だと改めて思った。不気味なまでに思考を読ませない、油断をさせない、気を緩めさせない。まるで自分はラスボスだと名乗りを上げるように振る舞うその姿は何となくいびつで、少しばかりあの後輩を思い出す。あいつもわざとちゃらけることが多い。彼女自身の持つ劣等感は人に肯定されることを好まず、自信過剰に見えてしまうおどけた道化を装うのだ。本当は、あんなのただの自傷癖に過ぎないというのに。


 刹那そんな感傷に浸ったオレはひとつため息を吐いて気持ちを切り替えた。あくまでも今すべきは交渉であり、話し合いであり、討論だ。一方的暴力の嵐になることも有り得ないわけではないが、それよりもまず前提は語ること。なればオレは心に決めた答えを告げるのみだ。


「あぁ。決まったよ」


「そうかい。じゃあ聞かせてもらえるかな? 君の決めた答えとやらを」


 にこり。欠片も笑わない目を細めて真部は嘲るような笑みを浮かべる。ひどく不愉快な笑みであった。見た人間すべてを不幸にしそうな、疫病神めいた視線にも屈することを知らず、オレは笑う。


 あいつ譲りの、企むようで怪しい、自信たっぷりな笑顔だった。


「千年自分を見つめ直してから出直して来な、あんたみたいな三流喋りが一流詐欺師に日々付き合わされてるオレを丸め込めるとでも思ったか? ――お断りだクソ野郎」


「交渉決裂、かい」


 勘を外したことはないと豪語した男はしかし、静かにそう言った。


 夜風にコートがはためく。


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